第239話 英雄たちの気まずい食卓
王都の屋敷に用意された夕食は、勝利を祝うにはあまりにも静かすぎた。
暖炉の火がぱちぱちと音を立て、テーブルに並べられた豪華な料理が湯気を立てている。だが、その温かさとは裏腹に、俺たち六人の間には、これまで経験したことのない、気まずい空気が流れていた。
原因は、国王の名において布告された、俺たちの「婚約」だ。
混沌の使徒が仕掛けた、悪意に満ちた求婚の嵐。それを乗り切るための苦肉の策。作戦としては、それは成功した。屋敷の前を埋め尽くしていた各国の使者たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。
だが、その代償として、俺たちの間には、新たな、そして非常に厄介な「ざわめき」が生まれていた。
「……このロースト、なかなかの味だな。香草の使い方が絶妙だ」
沈黙に耐えかねたように、カズエルが理屈っぽく料理の分析を始めた。だが、その声はどこか上ずっている。彼の視線は隣に座るセリスへと、一瞬だけ向けられては、すぐに逸らされた。
「……ええ。そう、ですね」
セリスもまた、フォークを持つ手に力が入り、硬い表情でそう応じる。普段の彼女であれば、カズエルの言葉に、もっと真剣に、あるいは興味深げに耳を傾けていたはずだ。だが、今は、どう反応していいのか分からない、という戸惑いだけが、その横顔に浮かんでいた。
俺も似たようなものだった。
隣にいるエルンの存在を、まともに意識できない。彼女がスープを口に運ぶ、その些細な仕草一つで、心臓が妙な音を立てる。
(……作戦、なんだ。これは、ただの作戦のはずだ)
自分にそう言い聞かせる。だが、駄目だった。
脳裏をよぎるのは、闇の大精霊ノクスの契約から俺を救うため、彼女が自らの魂を代償にしようとした、あの夜の覚悟。彼女を失うかもしれなかったという、底知れぬ恐怖。
あの経験を経て、エルンは俺の中で、単なる「仲間」以上の、かけがえのない存在になっていた。その彼女と「偽りの関係」を演じることに、俺は、どうしようもない罪悪感を覚えていたのだ。
「ねぇ」
その重苦しい空気を、ルナの子供らしい無邪気な声が、ナイフのように切り裂いた。
「みんな、どうしてそんなに静かなの? お料理、おいしくない?」
全員の動きが、ぴたり、と止まる。
レオナルドが静かにスープを口に運ぶ手を止め、やれやれ、といったように小さく息を吐いた。
「……いや、美味い。ただ、少し、食が進まんだけだ」
「なんで? カインとエルン、カズエルとセリスが、結婚するんでしょ? おめでたいことなのに!」
「こ、こら、ルナ!」
俺は慌ててルナの口を塞ごうとするが、もう遅い。「結婚」という、あまりにも直接的な言葉が、テーブルの上に無防備に放り出されてしまった。
エルンの頬が、さっと赤く染まる。セリスは俯いて、自分の膝の上を、ただじっと見つめている。
「……結婚、ではない。これは政治的判断に基づくパートナーシップの締結だ。目的は外部からの不要な干渉を排除し、我々の作戦行動の自由を確保することにある。合理的な戦術の一つだ」
カズエルが眼鏡の位置を直しながら、早口でまくし立てた。だが、その理屈っぽい言葉が、かえって彼の動揺を物語っていた。本心からセリスに惹かれている彼は、この状況でどう振る舞うべきか、その答えを完全に見失っていたのだ。
「……そう、だな。ルナ、これは、そういう『作戦』なんだ」
俺もカズエルの言葉に乗るしかなかった。
だが、その言葉が、エルンの心をわずかに傷つけたのを、俺は気づいてしまった。彼女の瞳に、一瞬だけ、悲しげな色が浮かんで、すぐに消える。
(……まずいな。これは、本当にまずい)
混沌の使徒の罠は回避したはずだった。
だが、その代償として、俺たちは、もっと厄介で、もっと繊細な迷宮に迷い込んでしまったのかもしれない。
このままでは、仲間たちの間に生まれた亀裂は決して元には戻らない。
俺はカインとして、そして、このパーティのリーダーとして、何かをしなければならないと、強く、そう感じていた。
この気まずい食卓を終わらせるための次の一手を。




