第236話 ほろ苦い作戦会議
リナとセリシアが去った後の屋敷内は静まり返っていた。
だが、それは安らぎの静寂ではない。扉の外から絶え間なく聞こえてくる、求婚者たちの喧騒が、俺たちの心を、じわじわと締め付けていた。
パーティ内部の亀裂は、ひとまず塞がった。だが、俺たちは、より巨大で、そして厄介な問題の渦中に取り残されていた。
「……さて、どうしたものか」
談話室の暖炉の前。俺が重い口を開くと、カズエルが腕を組んだまま、即座に状況を整理し始めた。
「選択肢は三つだ。一つ、特定の国の求婚者を受け入れる。だが、それを選べば、我々は、その国の政治に組み込まれ、他の二国との間に決定的な溝が生まれる。二つ、全ての求婚を拒絶する。だが、これは、三国全ての顔に泥を塗る行為だ。最悪の場合、英雄である我々が、王国にとっての新たな外交問題の火種になる。……どちらも、敵の思う壺だ」
「では、三つ目は?」
レオナルドが低い声で問う。
「何もしない、だ。だが、それもまた、悪手だ。この膠着状態が続けば、俺たちは王都から一歩も動けなくなる。それこそが、俺たちの足を止めたい、混沌の使徒の真の狙いだろう」
完全な手詰まり。
剣も魔法も、そして、俺たちがこれまで培ってきた信頼や名声すらも、この状況を打開する力にはならない。
「……レオンハルト王に仲裁を頼むことは、できないのでしょうか」
セリスが、か細い声で提案する。
「無駄だ」
カズエルは即座にそれを否定した。
「王がこの問題に介入した瞬間、これは、俺たちの個人的な問題ではなく、国家間の問題へと発展する。そうなれば、混沌の使徒が望む、より大きな『ざわめき』を生むだけだ」
彼の冷静な分析は、俺たちに残された道が、いかに少ないかを容赦なく突きつけていた。
誰もが俯き、言葉を失う。
この、あまりにも巧妙に仕組まれた、知略の檻から脱出する方法は本当にないのだろうか。
その重い沈黙の中で、俺は、一つの可能性に思い至った。
それは、あまりにも突飛で、そして、あまりにも……ほろ苦い解決策。
「……なあ、カズエル」
俺は隣に座る親友の顔を見た。彼もまた、同じ結論に、たどり着いていたようだった。
「ああ」と、カズエルが頷く。
「……手は、一つだけ、ある」
彼は静かに、仲間たちを見回した。
「誰か一人を選ぶのでもなく、全員を拒絶するのでもない。……俺たちが、すでに『伴侶がいる』という、既成事実を作ってしまうんだ」
その言葉に、エルンとセリス、そしてルナの顔が驚きに固まった。
「我々の中から公式なパートナーを選ぶ。それも、ロルディア、エルフの森、ドワーフ王国、そのいずれにも属さない中立の立場にある者たちで、だ。そうすれば、どの国の顔も立てつつ、全ての縁談を角を立てずに断ることができる」
それは、まさに苦肉の策だった。
そして、このパーティで、その条件に当てはまる女性は二人しかいない。
エルンと、セリスだ。
「……それは」
エルンが、何かを言いかけて、言葉を失う。
「これは、恋愛ではなく。外交的危機を乗り越え、混沌の使徒の思惑を断ち切るための、『作戦』だ。英雄として、この世界で生きていくと決めた俺たちが、払わねばならない、政治的な代償ということになる」
カインは、そう言い切った。
それは、感傷も、個人的な感情も、全てを切り捨てた、リーダーとしての、そして、世界の英雄としての、「政治的決断」だった。
談話室は再び、静寂に包まれた。
だが、それは、先ほどまでの絶望的な沈黙とは違う。
一つの、あまりにもほろ苦い、しかし、確かな活路を見出した者たちの、覚悟を決めるための静寂だった。
俺はエルンを、そして、カズエルはセリスを。
それぞれが、その視線の先にいる、最も信頼する仲間を見つめていた。
これから告げなければならない、最も奇妙で、そして、最も重い、誓いの言葉を、胸の内に静かに用意しながら。




