第233話 英雄を求めて
嘆きの谷から王都への帰路は重い沈黙に支配されていた。
マルヴェスが残した「新たな病巣」という言葉の棘は、仲間たちの心に深く突き刺さったまま、俺たちの間にあったはずの信頼を、静かに、しかし確実に蝕んでいた。
そんな最悪の雰囲気の中、俺たちは王都の城門をくぐった。
以前、魔獣を討伐した際に受けた民衆からの熱烈な喝采は、もうない。ただ、すれ違う人々が、俺たちの姿を認めては、何かを囁き合うだけだ。その視線には、畏敬と、そして、どこか遠巻きにするような、奇妙な空気が混じっていた。
「……なんだか、前より、見られてる気がするな」
俺が呟くと、カズエルがやれやれといった口調で応じる。
「当たり前だろ。双冠の英雄、百閃の剣士、神授の媒介者。おまけにエルフの魔術師と謎の美少女だ。これだけ揃って歩いていれば、嫌でも目立つ」
俺たちは人々の視線を背中に感じながら、王から与えられた屋敷へと続く、貴族街の石畳を進んでいった。
そして、自分たちの屋敷が見える角を曲がった、その瞬間。
俺たちは目の前に広がる、信じがたい光景に足を止めた。
「……何だ、これは……?」
俺たちの屋敷の前が黒山の人だかりで、完全に埋め尽くされていたのだ。
それも、ただの野次馬ではない。上等な絹のドレスをまとった貴族の令嬢たち、各国の紋章をつけた豪華な馬車、その主君の名代として来たのであろう、いかめしい顔つきの使者たち。彼らが、我先にと屋敷の門へ殺到し、言い争い、揉み合っている。その光景は、もはやパニック状態と言ってよかった。
「どういうことだ……。ここは、俺たちの家のはずだが」
レオナルドが呆然と呟く。
「うわー、人、いっぱい! なんでみんな、おうちの前にいるの?」
ルナもまた、目を丸くして、その異常な喧騒を見つめていた。
「お待ちください!」
「いえ、我々が先です!」
「いいえ、我が主君の命が最優先です!」
使者たちの怒声が、あちこちから聞こえてくる。
その群衆が俺たちの姿に気づいた。
次の瞬間、喧騒は、さらに大きな熱狂へと変わった。
「カイン様だ!」
「英雄様が、お戻りになられたぞ!」
「カズエル様もいらっしゃる!」
人々の波が、一斉に俺たちへと押し寄せてくる。
俺たちは、あまりの事態に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
「カイン様! 我が主、アルトリア公爵の三女、エリアーヌにございます! どうか、一度お話を!」
「お待ちください! ドワーフ王国、鍛冶王バルグラス様からの親書を預かっております! 我が国の至宝、宝珠の姫君との縁談を!」
「いいえ、我らエルフの森こそが! 長老会からの正式な使者として、賢者様に謁見を!」
ロルディア、ドワーフ王国、そして、エルフの森。三国から、有力貴族や王族の使者が、カインとカズエルへの縁談を求めて、この場所に殺到していたのだ。
「縁談……だと……?」
俺は自分の耳を疑った。
「やれやれ。英雄というのも、楽じゃないらしいな」
カズエルが頭を掻きながら、他人事のように呟く。
屋敷の門から、執事が血相を変えて飛び出してきた。
「カイン様、カズエル様! お帰りなさいませ! こ、これは、その……皆様、お二方に、一刻も早くお会いしたいと……!」
その時、俺の脳裏に、マルヴェスの、あの言葉が蘇った。
『世界の熱病は、お前たちが思うより巧妙に、そして身近な場所に巣食うものだ』
(……まさか、これのことか?)
俺は押し寄せる人々の熱狂と、その裏にある、各国の思惑、そして、それを影で操る、見えざる敵の存在を思い描いた。
混沌の使徒は俺たちを、剣も魔法も通用しない、全く新しい形の戦場へと、引きずり込むつもりなのか。
「恋愛スキャンダル」という名の、最も厄介で、そして、最もたちの悪い戦場へ。




