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50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく  作者: かわさきはっく
第十三章 英雄の喧騒と誓いの言葉

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第230話 魂の救済

 再び足を踏み入れた「嘆きの谷」は、完全な沈黙に支配されていた。

 前回訪れた時にあった、争いの後の虚脱した空気とも違う。まるで、この谷から生命そのものが根こそぎ消え去ってしまったかのような、空虚で、底なしの静けさだった。


「……誰も、いない」


 先頭を歩いていたレオナルドが、双剣の柄を握りしめたまま、低い声で呟いた。

 道中、俺たちは一体の魔族ともすれ違わなかった。住居だったはずの洞穴は、どれも人の気配がなく、冷たい風が吹き抜けるだけだ。


「おかしいよ、カイン……」


 ルナが俺のローブを掴み、不安げに囁く。


「前回は悲しい気持ちがいっぱいだったけど……今は、何も、ない。本当に空っぽ……」


 俺たちの足は、自然と、谷の老師がいたはずの洞窟へと向かっていた。

 彼に預けた、二人の魔族の安否を確認するために。そして、アーカイメリアで手に入れた希望を彼らに届けるために。


 だが、洞窟の中に老師の姿はなかった。

 生活の痕跡は残っている。だが、そこは無人で、床の中央に、わずかに黒く変色した染みが残されているだけだった。


「……老師?」


 エルンが、か細い声で呼びかけるが、返事はない。

 あの二人の魔族も、もちろんいない。

 俺の胸を言いようのない悪寒が走り抜けた。


「……手遅れ、だったとでも言うのか……」


 俺が呆然と呟いた、その時だった。

 洞窟の入り口の影が不自然に揺らめいた。


「――手遅れではない。むしろ、ようやく静かになったところだ」


 その声に、俺たちは一斉に振り返った。

 入り口に立っていたのは、漆黒の礼服をまとった、吸血鬼マルヴェス・ブラッドロック。その真紅の瞳は、まるで面白い芝居でも観るかのように、俺たちを見つめていた。


「マルヴェス……! この谷で何があった? 老師は、俺たちが預けた二人は、どこだ!」


 俺は怒りを込めて問い詰めた。


「俺たちは、『解呪の理式』を手に入れて戻ってきたんだ。心を壊された者たちを、救うために!」


 その言葉にマルヴェスは、心底意外だというように、わずかに目を見開いた。


「ほう……解呪の理式、か。混沌の使徒の、あの悪趣味な術を解く術を、お前たちが? ……それは、実に興味深い」


 彼は感心したように頷くと、残酷なほどに穏やかな声で続けた。


「だが、残念だったな。お前たちが探している者たちなら、私がすでに『救済』した」


「……なんだと?」


「心を喰われ、もはや元に戻ることのない、哀れな魂たちを、苦しみから解放してやったのだ。これは、慈悲だよ」


 マルヴェスの言葉に俺の頭が真っ白になる。


「だが、問題はその後だ。彼らと同じように、狂気に陥る者が後を絶たなかった。この『熱病』は、あるいは感染するのかもしれん。……だから、決めたのだ。これ以上の醜い喧騒が生まれぬよう、この谷の全ての者に、等しく静寂を与えることにした」


「……全員?」


 エルンの声が絶望に震える。


「そうだ。全員だ」


 マルヴェスは、こともなげに言った。


「常に静寂であれとは言わん。だが、私が静かにしろと言ったなら、その時は静かにするべきなのだ」


 その神の如き傲慢さ。あまりにも異質な絶対的な論理。

 俺たちは言葉を失った。


「な……なんて、ことを……」


「それは救済などではない! ただの虐殺だ!」


 レオナルドとセリスが、怒りに震えながら抗議する。

 だが、マルヴェスは彼らの怒りなど意に介さない。


「君たちの正義は君たちのものだ。だが、私の静寂を乱すことは誰にも許さん」


 彼の道理には、俺たちの言葉など、何一つ届かなかった。

 希望を携えて戻ってきたこの場所は、たった一人の男の歪んだ美学によって、巨大な墓標へと変わっていた。

 俺たちは、そのあまりにも残酷な現実を前に、ただ、立ち尽くすことしかできなかった。

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