第224話 不穏な同行者
こうして、俺たちの奇妙な八人旅が始まった。
王都ロルディアの南門をくぐり、魔族領へと続く古びた街道を俺たちは進んでいた。数々の戦いを乗り越え、英雄として凱旋したはずの俺たちだったが、その隊列には、出発前にはなかったはずの、ぎこちなく、そして不穏な空気が漂っていた。
原因は、最後尾から聞こえてくる、やけに明るい声の主たちだ。
「わあ、見てください、セリシア! あの山脈、すごい! まるで空まで続いてるみたいに大きいですね!」
「ええ、リナ。壮観ですわね。あれを越えれば、魔族領も近いと聞きます」
活発な栗色のショートボブを揺らしながら、感嘆の声を上げるのはリナ。 その隣で、黒髪を一つに束ねたセリシアが、静かに相槌を打っている。
彼女たちは道中で出会った駆け出しの冒険者。俺たちに憧れて、ぜひ同行させてほしいと、そう懇願してきた。
罠かもしれない。仲間たちはそう警戒している。だが、彼女たちからは混沌の使徒が使うような、心を直接操る精神干渉の気配は感じられない。ただ純粋に英雄に憧れる若い冒険者。その真っ直ぐな瞳を前に、俺は無下に断ることができなかったのだ。結果、「次の街まで」という条件付きで、彼女たちの同行を許可してしまった。
「それにしても、さすがはカイン様です! ただ歩いているだけなのに、少しも無駄な動きがありません! これが英雄の歩き方なんですね!」
リナが目を輝かせながら、俺のすぐ真横まで駆け寄ってきた。 物理的な距離の近さに、俺は思わずたじろぐ。
「いや、ただの早歩きだが……」
「そんなご謙遜を! 私、カイン様のそういう奥ゆかしいところも大好きなんです!」
悪意のない賞賛の言葉が、今の俺にはかえって心をざわつかせる。
その時、俺のローブの裾が、くい、と引かれた。
「……カイン、あの人、近すぎ」
見れば、ルナが俺の後ろに隠れるようにして、不満げにリナを睨みつけていた。
「カインはルナの隣を歩くって、決まってるのに」
「あら、ごめんなさい。でも、英雄様のお話を一番近くで聞きたいじゃない?」
リナは悪びれもせずに笑い、ルナはさらにむっとした表情で俺のローブを強く握りしめた。
その様子を少し離れた場所から、エルンとセリスが冷めた目で見つめていた。
エルンは普段の穏やかな表情の奥に、明確な警戒心を宿している。パーティの和を乱す存在。リーダーであるカインの判断を鈍らせる危険な存在。 彼女の視線は、そう雄弁に語っていた。
セリスに至っては、リナたちのほうを見ようともせず、ただ黙々と前を見据えている。だが、その握りしめられた《風哭》の柄が、彼女の内心の苛立ちを物語っていた。未熟者が作戦行動の足を引っ張る。 そういう感情が透けて見えるようだった。
最後尾ではレオナルドが、これまた無言で周囲を警戒している。彼の視線は常に森の奥や道の先に向けられているが、その意識の一部が、明らかにリナたちに向けられているのが分かった。パーティの和を乱す不確定要素。戦士としての彼の判断は、おそらくエルンたちと同じだろう。
一番厄介なのは、カズエルに付きまとう、もう一人の方だった。
「カズエル様、お疲れでしょう。よろしければ、お水をどうぞ」
物静かなセリシアが、そっと革袋をカズエルに差し出す。
「……感謝する」
カズエルは眼鏡の奥の目でセリシアを一瞥すると、合理的な判断として、その申し出を受け入れた。彼は女性からの親切を無下に断るほど、無粋な男ではない。だが、そのやり取りを、セリスがどのような目で見ているか、気づいていないわけではあるまい。
(やれやれ、困ったことになったな……)
俺は心の中で深く溜息をついた。
混沌の使徒が仕掛けた罠だとは思わない。だが、結果として、パーティの空気は最悪だ。彼女たちの純粋な好意が、かえって仲間たちの間に亀裂を生んでいる。
(悪気がないのは分かるんだが、どうしたものか……)
リーダーとして、この状況をどう収めるべきか。答えが見つからないまま、俺はカズエルに日本語で、そっと話しかけた。
『なあ、松尾。どう思う、この状況』
『どう思うもこう思うも、お前の人の良さが招いた結果だろ』
カズエルは呆れたように、しかしどこか面白がっている声で返す。
『まあ、悪意がないのは俺も同感だ。だが、善意ってのは時に、悪意より厄介なこともある。……とりあえず、下手に刺激しないで、次の街まで様子を見るしかないだろ。リーダー』
『……だよな』
俺とカズエルの間で、無言の合意が交わされる。
俺たちの旅は始まったばかりだというのに、すでに内側に、大きな混沌の種子を抱え込んでいた。




