第220話 託された想い
「……レオンハルト。この私を断罪してくれ」
アーレストの魂からの懇願。
王宮の一室は痛いほどの静寂に包まれた。誰もが、若き王の次の一言を、固唾をのんで待っていた。
レオンハルト王は、兄の姿をしばらく、ただ静かに見つめていた。その表情には王としての威厳と、一人の弟としての深い哀しみが浮かんでいる。
やがて、彼は、ゆっくりとアーレストの前まで歩み寄り、自らの手で兄の肩を支えて立ち上がらせた。
「……顔を上げてください、兄上」
その声は王としてではなく、一人の弟としての温かい響きを持っていた。
「兄上が自ら罰を望むというのなら、その決意を受け止めます。兄上は今後、この王宮の一室で、自らの罪と向き合い続けることになる」
それは、事実上の終身刑の宣告だった。
だが、レオンハルト王の言葉は、そこで終わらなかった。
「……ですが、兄上。一つだけ、私からの願いを聞いてはいただけませんか」
彼は兄の目を真っ直ぐに見据えた。
「もし、この私に万が一のことがあれば……。病や戦で、私が倒れるようなことがあれば、その時は、全ての真実を民に明かし、あなたが、この国を継いでほしいのです」
その言葉に、アーレストは、はっとしたように顔を上げた。その瞳には、信じられないという色と、そして、どうしようもないほどの感謝の色が浮かんでいた。
罰を与えるだけではない。弟は、兄に、未来を託したのだ。たとえ、それが万が一の可能性であったとしても。
歪んでしまった兄弟の絆が、この瞬間、最も悲しく、そして、最も美しい形で再確認された。
アーレストは何も答えなかった。いや、答えられなかった。
ただ、その瞳から、再び、大粒の涙が静かに流れ落ちた。それは、先ほどの後悔の涙とは違う、温かい、救いの涙だった。
やがて、アーレストは衛兵に付き添われ、静かに部屋を後にした。その背中は、罪を背負う者の重さと、それでも前を向こうとする者の小さな誇りを漂わせていた。
残された執務室で、レオンハルト王は俺たちに向き直り、深く、深く、頭を下げた。
「……感謝する。君たちのおかげで、私は兄を取り戻すことができた」
レオンハルト王の、一人の弟としての偽らざる感謝の言葉を受け、俺たちは王宮を後にした。
屋敷に戻った俺たちは談話室の重い扉を閉め、ようやく安堵の息をついた。
外の喧騒が嘘のように室内は静まり返っている。誰もが、先ほどの光景を胸に刻みつけ、言葉を失っていた。
最初に沈黙を破ったのは、カズエルだった。
「……これが、奴らの言う『世界の進化』の、一つの結果というわけか。実に非効率的で無駄が多い。たった一つの術式が、一国の歴史と、一つの家族を、ここまで歪めてしまうとはな」
彼は今回の事件を、まるで失敗した巨大なプロジェクトを分析するかのように、淡々と、しかしどこか侮蔑を込めて語った。
その言葉に、レオナルドが反論するように口を開く。
「いや、見事だったと思う。アーレスト殿は自らの罪と向き合い、罰を受け入れた。レオンハルト陛下もまた、私情を殺し、王としての裁きと、弟としての信頼を示された。……これこそが、真の王族の在り方なのだろう」
彼の声には高潔な魂を持つ者たちへの深い敬意が込められていた。
「ですが、その気高い決断の裏で、どれほどの血が流れたことか……」
セリスが悲痛な表情で続ける。
「操られていたとはいえ、アーレスト殿が背負う罪は消えません。彼もまた、混沌の使徒による最大の被害者の一人なのです」
彼女の言葉が、この悲劇の本質を突く。
「ええ……」エルンもまた、静かに頷いた。
「解呪の理式で、魂に寄生したウイルスは消せました。ですが、魂に刻まれた記憶と、深い傷跡までは癒すことはできません。……あの兄弟の心が、本当の意味で安寧を取り戻す日は、来るのでしょうか」
彼女の癒し手としての優しさが、その声に滲んでいた。
「……なんだか悲しいね」
それまで黙って話を聞いていたルナが、ぽつりと呟いた。
「せっかく悪い魔法が解けたのに、誰も笑ってないもん。ルナ、ああいうの嫌だな」
子供の、あまりにも純粋で的確な言葉。
そうだ。誰も、幸せになっていない。
俺たちは確かにアーレスト王子を救った。だが、そこに、手放しの喜びはなかった。
あるのは、一つの家族が背負うことになった、あまりにも重い現実だけだ。
俺は窓の外に広がる、復興へ向かう王都の景色を見つめた。
ルナの言葉が、この戦いの本質を突きつけてくる。俺たちが向き合っているのは、ただ倒せば終わるような単純な悪ではない。人の心に癒えない傷を残し、救いの中にさえ悲劇を織り込む、陰湿な「理不尽」そのものだ。
ならば、俺たちが為すべきことは一つ。この連鎖を断ち切る。
胸に宿ったやりきれない思いを、次なる戦いへの揺るぎない決意へと変えながら、俺は強く、そう誓った。




