第22話 夜の森と新たな気配
獣との戦いを終えた俺は、荒い息を整えながら立ち上がった。アドレナリンが切れ、どっと疲労が押し寄せる。このエルフの体は頑丈だが、中身は戦闘に不慣れな元・50代の男だ。無理は禁物だった。夜が近づき、森の空気は急速に冷え込んできている。
(そろそろ、休める場所を探さないとな)
このまま夜通し歩き続けるのは危険すぎる。俺は周囲を見渡し、風を避けられそうな、少し開けた窪地を見つけた。落ち葉を丁寧に払い、乾いた枝をいくつか集めて、簡単な寝床を作る。
『休息を取る判断は悪くない。だが、夜の森は危険が増す。焚き火をするなら慎重にな』
頭の奥で、カイランが静かに忠告する。
(分かってるさ。でも、暗闇の中で眠るのはそれ以上に危険だろ)
俺は火打ち石で苦労しながら火をつけ、小さな焚き火を起こした。パチパチと薪がはぜる音と、揺らめく炎の温かさが、張り詰めていた心をわずかに解きほぐしてくれる。
革袋から干し肉を取り出し、ゆっくりと噛みしめる。塩辛くて硬いが、空腹を満たすには十分だった。
(ルナは今頃、自分の仲間たちと会えているだろうか……)
夜空を見上げながら、ふとルナのことを考えた。あいつが言っていた「必ず戻る」という言葉が、何だか胸に沁みる。
そのときだった。
遠くから、気配を感じた。昼間の獣のような、荒々しく殺意に満ちたものではない。もっと静かで、冷徹で、風に溶け込むような気配。まるで、高みからこちらを観察しているような、そんな視線を感じる。
(……またか? いや、今度のは違う)
俺はそっとナイフを手に取り、炎の影に身を潜めるようにして静かに身構えた。
『落ち着け、敵と決まったわけではない』
(わかってる……でも、何かいるのは確かだ)
静寂の中、ふいに木々がわずかに揺れた。それも風に吹かれたのではない、何者かが枝を渡ったかのような、意図的な揺れだった。
夜の森に潜む何かを前に、俺は息を呑んだ。
時間が経つにつれ、気配は徐々に、しかし確実に俺の周囲を取り囲むように変化していった。月明かりの下、森の奥からぼんやりとした影が現れる。人間……いや、それとは違う。細身のシルエットに、長い耳——エルフか?
(まさか、こんな危険な森の奥で、エルフと出くわすとは……)
俺が思考を巡らせていると、影が一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。足音は驚くほど静かで、森と一体化するような動きだ。敵意は感じられないが、こちらを試しているような雰囲気があった。ついに、その影の主が月明かりの下に姿を現した。
それは、俺が今まで見たことのない雰囲気を持つエルフだった。淡い銀色の髪に、深い碧色の瞳。身につけている装束は森に溶け込むような深緑で、その佇まいからして、ただの旅人ではないことが分かる。
「……お前は誰だ?」
俺が問いかけると、エルフは一瞬驚いたように目を見開いた。しかし、すぐに冷静な表情に戻る。
「お前こそ、この森で何をしている?」
落ち着いた声だった。しかし、その視線は俺を試すような鋭さを持っていた。
「俺は試練を受けている。この森の奥にある、精霊の泉を目指しているんだ」
「……そうか。ならば、この森が試練としてお前に何を課すか、見届けさせてもらうとしよう」
エルフはそう言い残し、まるで風のように音もなく後ずさり、森の奥の闇へと溶けるように消えていった。
(……なんだったんだ、今のは?)
見届ける、だと? まるで、俺の試練の採点官のような言い草だった。
謎のエルフとの遭遇を経て、俺の孤独な試練は、さらに未知なる領域へと突入していく。俺は燃えさかる焚き火を見つめながら、静かに夜が明けるのを待つしかなかった。




