第205話 王都への疾走
俺たちがアーカイメリアの正門を駆け抜けると、背後で重い黒曜石の扉が、ゆっくりと閉ざされていった。それは、この知の殿堂が、再び外界との関わりを絶った瞬間だった。
俺たちは、一度も振り返らず、その場を後にした。
「急ぐぞ。王都まで最短ルートを割り出す」
カズエルが頭の中に地図を思い描く。彼の理式魔術は戦闘だけでなく、こうした最適化の計算においても絶大な能力を発揮した。
「エルン、皆に風の加護を頼む。 少しでも俺たちの足の負担を減らしたい」
俺の指示に、エルンは即座に応える。
「わかりました! 疾風の精霊シルフィードよ、我が魔力を代償とし、我らに軽やかなる追い風を――《風速の翼》!」
ふわり、と俺たちの身体が軽くなる。地面を蹴る一歩一歩が、まるで羽のように感じられた。だが、それだけでは数日に及ぶ強行軍は乗り切れない。
「次は俺の番だな」
カズエルが、走りながら片手で術式を編んでいく。
「神授の名を授かった技のお披露目だ。――《天恵変換》!」
彼の理式が発動すると、周囲の風や太陽光といった自然エネルギーが、目に見えない流れとなって俺たちの身体に注ぎ込まれてくる。不思議なことに、走り続けているはずの身体から、疲労だけがきれいに消え去っていく。
この二つの術の組み合わせにより、俺たち六人は、休息をほとんど取ることなく、常人ではありえない速度で王都へと疾走した。
その夜、俺たちは街道から外れた森の中で、最小限の焚き火を囲んでいた。休むためではない。次なる戦いのための作戦会議だ。
「さて、と」カズエルが、火にかけた鍋をかき混ぜながら口を開いた。
「クライアントは王都全体、要件は『大型飛行魔獣の討伐』、納期は『昨日』だ。典型的な無理筋案件だな。どう攻略するか、今のうちに仕様を固めようじゃないか」
彼の皮肉めいた言葉に、場の空気が少しだけ和らぐ。
レオナルドが、手入れを終えた双剣を鞘に収めながら言った。
「空を飛ぶ敵は厄介だ。どうやって地に引きずり下ろすか。それが、この戦いの鍵になる」
その言葉を受け、エルンが口を開いた。
「私の《終光》は高速で動く目標には向きません。ですので、まずは、より速射性の高い《光の矢》で翼を狙い、飛行能力を削ぐことに専念します」
「ルナの《感知の魔眼》なら、あいつが次にどこへ動くか、先が見えるかもしれない!」
ルナが、自信ありげに胸を張る。
「ルナが教える場所に、カインの『蒼いぴかー』を撃つの!」
ルナの提案に俺は頷いた。未来予測と必殺の一撃。最高の組み合わせだ。
「分かった。ルナの予測を信じて、俺の《蒼閃》で撃ち抜いてみる。敵が動きを止めているようなら、エルンの《終光》で、だ」
俺が作戦の骨子を固める。
「カズエルは敵のブレス攻撃や魔法に対する防御結界を。魔獣が地に落ちたら、レオナルドとセリスが前衛としてとどめを刺す。……いいな?」
仲間たちの顔に、覚悟が決まった者の強い光が宿る。作戦は決まった。
翌日、俺たちは再び、走り続けていた。
道中、王都から避難してくる人々の隊列と何度もすれ違った。彼らの顔には恐怖と疲労が色濃く浮かんでいる。
「街の上を黒い翼の化け物が……」
「騎士団も手が出せないらしい……」
断片的な情報が、事態の深刻さを物語っていた。
そして、旅を始めて三日目の午後。
俺たちの目の前に、ついに王都の城壁が見えてきた。
だが、その光景は、俺たちがアーカイメリアへ旅立った時とは、あまりにも様変わりしていた。
城壁のいくつかの塔からは黒い煙が立ち上っている。そして、街の上空を巨大な影が悠然と旋回していた。
時折、その影から稲妻のようなものが放たれ、街の一部で爆発が起きるのが遠目にも分かった。
ゴオオオオオオッ!
地平線の果てまで響き渡るかのような、圧倒的な咆哮。
それは、この街の支配者が誰であるかを誇示するかのようだった。
「……間に合った、のか。それとも手遅れか」
俺は眼下に広がる惨状を前に拳を強く握りしめた。
仲間たちの顔にも、悲壮な決意が浮かんでいる。
俺たちの苦渋の決断の先に待っていたのは、想像を絶する巨大な絶望の影だった。
王都の命運を賭けた戦いが、今、始まろうとしていた。




