第192話 友が感じた違和感
「俺は試されていた。そして期待されていたんだ。この世界に『混沌』をもたらす、新たな駒としてな」
カズエルの言葉に談話室は重い沈黙に包まれた。
「駒だと……?」レオナルドが絞り出すように呟く。
「貴様ほどの男を、ただの駒としてか。奴らは、一体何様のつもりだ」
「人の魂を意図的に異世界から呼び寄せるなど……なんて恐ろしいことを……」
エルンの声もまた、驚きと嫌悪に震えていた。
カズエルは仲間たちの反応に、自嘲気味に肩をすくめると、話を続けた。
「だが、当時の俺には、そんな裏の意図など知る由もなかった。アーカイメリアでの最初の数年間は、正直に言って、天国のようだったよ」
彼の語る学術都市は、知を愛する者にとって、まさに理想郷だった。
果てしなく続く書庫、世界中から集められた古代の遺物、そして、各分野の頂点を極めた、神官と呼ばれる研究者たちとの、刺激的な議論の日々。彼は水を得た魚のように、理式魔術の知識を吸収していった。
「全てが新鮮で、面白くて、夢中だった。だが、しばらくすると、奇妙な『歪み』に気づき始めたんだ」
カズエルは、そこで一度、言葉を切った。
「歴史書の一部が不自然に欠落している。特定の時代の、ある魔術に関する記述だけが、まるで最初から存在しなかったかのように、きれいに消されているんだ。それに、一部の急進的な神官たちの間で、時折囁かれる『大いなる刷新』や『停滞を打ち破るための、聖なる混沌』といった、不穏な言葉……」
彼は、その違和感の正体を突き止めるため、調査を始めたが、核心に触れることはできなかったという。
「彼らの研究室や書庫は巧妙に隠されていた。俺が少しでも探りを入れると、どこからか監視の目が光る。そして、俺を歓迎してくれた、あの筆頭神官を始めとする一派は、俺の能力を評価する一方で、その瞳の奥には、常に値踏みするような、冷たい光があった。まるで、実験動物でも観察するようにな」
「……それで、お前は」
「ああ。俺は確信した。この都市には何か得体のしれない、危険な研究に手を染めている者たちがいる、と。だが、証拠がない。下手に動けば、俺の方が『秩序を乱す異物』として、処分されていただろう」
彼は、自分がどうすることもできない、巨大な悪意の存在を前に、無力感を覚えていた。
「そんな中だ。ドワーフの都から奇妙な噂が流れてきた。『双冠の英雄と呼ばれるエルフが、異世界の知識を用いて、ヴァルグリム鉱を加工した』……と」
カズエルは、そこで初めて、ふっと笑みを浮かべた。
「ウォータージェットカッターなんて、突飛な技術を知っているのは、俺たちの世界の人間だけだ。その時、らしくないが祈ったんだ。それがお前であって欲しいってな。竹内……お前を探しに行くこと。それが、あの知の牢獄から抜け出す、俺の希望になった」
彼は「英雄の調査」を名目に、アーカイメリアを離れた。彼を監視していた神官たちも、カズエルがカインと接触することを、あるいは新たな「ざわめき」の始まりとして、静観していたのかもしれない。
カズエルの長い話が終わった。
誰もが、その壮絶な事実に言葉を失っていた。
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
「……つまり、だ」
俺の声は自分でも驚くほど、静かだった。
「俺たちが追うべき敵は、まだ輪郭すらハッキリしない。だが、その巣窟はアーカイメリアにある。そして、お前が感じた違和感の正体と、嘆きの谷で起きた悲劇は、間違いなく繋がっている」
親友が知の牢獄で感じた恐怖と孤独。
その源流を、俺たちは、これから見極めに行かなければならない。




