第190話 双つの称号
学術都市アーカイメリア。その名が談話室の重い空気の中心に鎮座していた。
世界の理を弄び、影から争いを引き起こす知的な敵。その輪郭がおぼろげながらも見えてきたことで、俺たちの次なる目的は定まった。だが同時に、その道のりがこれまでのどの戦いよりも困難であることを、誰もが理解していた。
「……まさか知の頂点と呼ばれる場所に容疑者がいるなんてな」
俺が吐き出した言葉に深い沈黙が落ちる。
その静寂を破ったのはカズエルの、どこか飄々《ひょうひょう》とした声だった。
「まあ、こっちもこっちで、ただ遊んでいたわけじゃない。王都の『ざわめき』なら、一つ片付けてきたところだ」
「ざわめき?」
俺が聞き返すと、隣にいたセリスが少しだけ誇らしげに、しかし控えめに微笑んだ。
「カイン殿が魔族領へ向かわれている間に、王都で、ある大きな事件が起きたのです」
二人の話によれば、それは新王の治世を揺るがしかねない、大規模な反乱だったという。
待遇への不満を募らせた貴族の私兵団が武装蜂起し、王宮へと続く重要な橋を占拠。強固なバリケードを築いて立てこもった。王都騎士団はすぐに鎮圧へ向かったが、橋という地形は攻め手が少数しか展開できず、守りを固めた多数の反乱兵を前に激しい消耗戦を強いられ、戦線は完全に膠着していた。
「騎士団は波状攻撃でじりじりと疲弊していた。このままでは、いずれ押し切られる。俺はそう判断した」
カズエルは、まるでチェスの盤面を解説するように冷静に語る。
「そこで俺は一つの理式を構築した。この戦況を覆すための、たった一つの活路をな」
カズエルが構築したのは、彼の真骨頂であるエネルギー変換の理式魔術――《理式・天恵変換》。
橋の上に降り注ぐ太陽光や、川面を渡る風の力といった、尽きることのない自然エネルギーを捕らえ、それを純粋な生命力、つまりスタミナに変換し、特定の一人――セリスに供給し続けるという、前代未聞のサポート術式だった。
「カズエル殿の支援を受け、私は一人で橋の上へと進み出ました」
セリスが静かに続ける。その瞳には、あの日の戦いの光景が映っているかのようだった。
「他の騎士たちが消耗していく中、私の身体だけは、不思議と力が漲り続けていました。疲労がない、ということが、これほどの力になるとは……」
彼女はカズエルの支援をその一身に受け、ただ一人で反乱軍の密集陣形へと斬り込んでいった。
次々と襲い来る反乱兵たち。だが、彼女の剣技は一切衰えない。名剣《風哭》が閃くたびに、敵の武器が弾かれ、鎧が断たれる。その姿は、まるで疲れを知らない「鉄壁の乙女」。一人対多数という絶望的な状況を、彼女はたった一振りの剣で覆していく。
「彼女の剣閃は、いつしか『百の閃光』と見紛うほどだったそうです。反乱兵たちは、人ならざるものへの恐怖から、やがて戦意を喪失。私が首謀者である隊長を打ち破った時、反乱は完全に鎮圧されました」
話を聞き終えた俺たちは言葉を失っていた。俺たちが魔族領で死線を彷徨っている間に、この二人もまた、王都で伝説となるほどの戦いを繰り広げていたのだ。
「……すげえな、お前たち」
俺がようやく絞り出した言葉に、レオナルドが唸るように付け加えた。
「理を操り、一人の戦士を一個師団に変えるか。……恐ろしい戦術だ」
「自然エネルギーを直接生命力に……精霊魔法とは全く異なる、けれど、なんて強力な……」
エルンもまた、カズエルの理式に純粋な驚きと興味を示していた。
「その結果、だ」とカズエルは少し照れくさそうに頭を掻いた。
「俺とセリスは、王家から、ちょっと大げさな二つ名をいただくことになった」
天の恵みを人の力へと繋いでみせた、神業の術者――《神授の媒介者》。
ただ一人の剣で百の兵を薙ぎ払った、その超人的な武勇――《百閃》。
「わー! すごーい! 『神授のカズエル』と『百閃のセリス』だね! かっこいいー!」
ルナの歓声に談話室の空気が一気に和んだ。
俺は頼もしく成長した仲間たちを改めて見つめた。
一人一人が、それぞれの場所で、それぞれの戦いを乗り越え、強くなっている。
この六人なら、きっと、どんな困難も乗り越えられる。
学術都市に潜む、まだ見ぬ「混沌」との戦いを前に、俺たちの結束は、かつてないほどに固く、強くなっていた。




