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名誉の負傷

 今日の午後、秋岡と秋岡のご両親がうちに謝罪しにきた。僕が骨折したのは自己責任だと思っているし、秋岡は僕の家まで付き添ってくれたのだから、別に謝罪なんて必要ないのに。



「この度はうちの息子が取り返しのつかないことをしでかしまして、本当に申し訳ありませんでした」



 と、深々と頭を下げられると、何だかこっちが悪いことをしているような気分になってしまう。二ヶ月後には僕の手首は復活をとげるのだし、全然取り返しがつかないことはないのに。


 お母さんは「本当に軽い骨折ですから、お気になさらないでください」と言う。この言葉はちょっぴり変だ。骨折は軽くない。


 でも確かに、お気になさる必要はない。僕は両親にはさまれて硬くなっている秋岡に、助け舟を出してやることにした。



「これ、かっこいいだろ? 名誉の負傷って感じがしてさ」

 


 僕はギプスでがちがちに固められた右手を高々と掲げてみせた。名誉の負傷、という言葉も前に見たテレビ番組で言っていたものだ。


 いつか使ってみたいと思っていたセリフだけど、まさかこんなすぐに使うことが出来るとは。骨折も悪いことばかりじゃない。


 僕の明るい口調に、秋岡も秋岡の両親も少しホッとした様子だった。

 

 お母さんも僕に加勢するように、「玄関先ではあれなので、中に入ってお茶でも」と提案したが、「いえ、今日はこれで帰りますから」と受け入れてはもらえなかった。


 僕はおばあちゃんと遊ぶのも好きだけど、やっぱり友達と遊ぶのが一番楽しいと感じる。

 

 だから僕は帰ろうとする秋岡を引きとめ、「これから暇だったら一緒に遊ぼう」と誘った。


 秋岡は嬉しそうに笑い、「いいよ」とうなずいた。こういうとき、子供の素直さっていうのはすごく便利だと思う。


「お邪魔しまーす」と、秋岡はいつもの調子に戻って、僕はやっぱりホッとした。いつだって大人は物事を大げさにしてしまう。

 子供の僕らにとって、トラブルの解決法は「ごめんね」「いいよ」で十分なのだ。

 

 僕の家には和室と洋室がある。洋室が僕とお兄ちゃんの部屋で、和室がおばあちゃんの部屋だ。


 今日、お兄ちゃんは友達とどこかへ遊びに出かけているので、洋室は貸し切り状態なのだが、僕たちはいつものように和室で遊ぶ。


 秋岡は久村家の常連客だ。おばあちゃんとも仲がいい。おばあちゃんに言わせると「孫がもうひとり増えたみたいで嬉しい」のだそうだ。

 

 僕と秋岡はおばあちゃんも混ぜてトランプをすることにした。ここで僕は新たな不便さを発見することになる。


 まず、トランプをくることができない。ばばぬきに関しては相手のカードを引くのも、揃ったカードを捨てるのも、いちいち手札を床に置かなくてはならない。


 僕はなかなか落ち込んだ。

「久村にもできそうな遊びって何かなー」と、秋岡は右手の使えない僕にでも平等にできる遊びを考えてくれていたが、この言葉で僕のプライドはちょっとだけ傷ついた。


 おばあちゃんは、「神経衰弱なら片手でもできるんじゃないかい?」と提案し、それに対して秋岡は「なるほど! その手があったか!」といたく感動したご様子だった。


 神経衰弱は僕の天敵だ。どこにどのカードがあったか覚えるのに、すごく頭を使う。遊んでいるはずなのに、まるでテストに出そうな問題を暗記しているみたいだ。


 名前の通りやればやるほど神経が衰弱していくのが分かる。

あまり気は進まないが、僕のためを思ってのことだから、ここでわがままを言って二人を困らせるようなことはしない。


 僕にだってオトナな部分はあるのだ。

 

 最初は乗り気でなかった僕も、一度始めてしまうといつの間にか熱中してカードをめくっていた。手札は一向に増えないけれど、たまにカードが揃うとすごく嬉しい。


 僕はこのとき、神経衰弱は勉強に似ていると思った。勉強は机に向かうまでは嫌で仕方ないけれど、教科書に向かってみると意外と集中できたりする。

 

 最初に一歩踏み出すことが大事なのだ。この理論でいくと、にんじんだって一口食べれば実は美味しいと感じるのかもしれない。



「みんな、おやつ食べない?」



 居間にひょっこりと顔を出したお母さんが言った。時計を見ると針は午後三時を少し過ぎている。

リビングの中心には黒々とした光沢のある高級そうなテーブルが置かれている。


 二週間くらい前に、お母さんが通販で購入したものだ。


 そこに並べられた四つのティーカップには、上品な香りの紅茶が注がれている。僕の家は基本的に素朴な感じなのだが、そこだけは外国っぽくて、オシャレな雰囲気が漂っている。



「今日はすごく豪華だねえ」



 おばあちゃんは普段ニコニコしている顔をさらにほころばせて言った。



「秋岡くんのご両親からいただいたの。すごく上等な紅茶よ。それにそれに……」



 ちょっと不気味な笑みを浮かべたお母さんは、少しもったいぶった後で「ジャジャーン!」と言いながらケーキの詰め合わせを披露した。



「これ、最近駅前にできたジュエリーヌってお店のケーキなのよ! 前から食べたかったのよね」



 そのケーキ屋は全国展開している有名なお店で、毎日行列ができるらしく、そうそう食べられるようなものではないのだそうだ。

 お母さんは一口食べただけで「やっぱり本物は違うわね」と感動しているが、僕には近所のスーパーのやつとの違いがちっとも分からない。



「確かに美味しいねえ」



 おばあちゃんもご満悦の様子だ。おばあちゃんがホンモノとニセモノの違いを理解しているのかは分からないけど、確かにこのケーキは美味しい。

 僕は慣れない左手でフォークを持ち、ケーキを口に運んだ。



「おい久村、ちゃんと味わって食べろよ! 並ぶの大変だったんだぞ」



 さっさと食べ終えた僕を見て、秋岡は文句を言った。

 今日は両親と一緒に、朝からわざわざ行列に並んでケーキを買いに行っていたらしい。

 秋岡がどれだけ大変だったのかは知らないけれど、ゆっくり食べたからといって美味しくなるものではないと思う。



「骨折しただけでこんな美味しいケーキを食べられるなんて、本当にお得ね」



 お母さんは全く分かっていない。プリンやケーキを食べられることは幸せなことだとしても、右手が使えないことで生じる色んな不便さを考えれば、決してお得などではない。


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