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第二の人生、私の好きなようにさせてもらいます!

作者: 蒲公えい

開いて下さりありがとうございます。


虐げられていた少女が幸せを掴むまでのお話です。


「……どうしてこうなったのよ。昔は、いえ、少し前までは」


 小売業と貿易業、そのふたつにおいて右に出る者はいないとまで称されていたアルノー伯爵家当主の妻───ジュリアナは床に這いつくばりながら執務室のテーブルを見上げていた。


 名門伯爵家というには装飾品のひとつない殺風景な部屋、埃被った室内は呼吸するには薄汚れ、服においても裕福さは微塵も感じない。


 残っているのは


「おい!なんだこの薄い味は!もっと食えたもんよこせ!」

「わたくしだって!火魔法なんて無理だし、マッチなんてもっと使った事ない!」


 旦那の好みだった容姿は荒れた生活で見る影もなく、金も稼げないのにも関わらず我侭さだけが残った旦那と、わがまま放題の娘。ジュリアナは行き場の無い感情をそのまま執務室のテーブルへ向けると


「うっさいわね!それくらい何とかしたら!?忙しいのよ!」


 怒鳴り声を上げた。


 上げた拍子に落ちてきた地方紙には『騎士団副団長ヴィオラ、再び快挙!』の文字がめでたいと言わんばかりに掲載され、ジュリアナは唇を噛み締める。


「なんでこうも差がついたのよ……!」


 優位な立場にあった自分はお荷物2人と多大な借金を抱え、確実に自分よりも劣位であった義娘が華々しいステージの上で喝采を浴びている。


 ジュリアナは地方紙を粉々に破き捨てると、悔しいと言わんばかりに唇を噛み締めた。


 ◇◇事の発端は3年前に遡る◇◇


 空が暗いうちに起きて。

 空が1番深い時に眠りにつく。


 朝は厨房に残っているすっかり硬くなったパンを食べて、それからは作業が終わるまでご飯は貰えない。


 どんな完璧に終えたとしても、手柄は全て掻っ攫われ、何も自分の手元には残らない。残るのはこびり付いて離れない体の不調くらいだ。


 今にも昇ってきそうな朝日を眺めながら、今日の段取りを頭の中で整理する───これがヴィオラ・アルノー()()()()の日課である。


 10歳になる頃にはこの業務の半分を行い、寝れない生活は今年でもうすぐ10年目を迎えようとしていた。


 寝れない事へのストレスは随分前から悩みと言えるものからは除外され、今の悩みはペンだこから血が出たこと。


 もうこの生活への不満が思い付かないくらいには疲労し、何かを願う気力すら奪われていた。


(あぁもう8時になるわね。今日の分の日程をお父様と()()()()に届けなくちゃ……)


 ヴィオラが書き終えた日程表を2人付きのメイドへ頼もうとドアノブに手をかけた、その時


「ヴィオラ!この誤字はなんですか!この役立たず!能無しがこの家に居れる唯一の仕事なのにそれすらまともに出来ないなんて、生きていて恥ずかしくはないの?」


 義母───ジュリアナが凄い形相で執務室に現れた。キツイ視線をヴィオラへ向けると、数十枚の書類を放り投げ、ヒールで強く踏み潰す。


(あ……順序間違わないように並べなくちゃ)


 ヴィオラにとって能無しと罵られる事、こうした些細なミスで昨日の大半を踏みにじられる事は決して特別な事ではない。


 昔はよく反感していたが、刃向かったと何度も頬を殴られてパンすら貰えない日々が待っている。


 家族として認められる為……その為なら、支障にしかならない感情は置いていくと決めたのだ。


 踏まれた書類を拾おうと、ヴィオラが屈んだ拍子


「能無しにはその姿がお似合いよ」


 頭上から義母の嘲笑う声が聞こえてきたが、聞こえないフリをして顔を上げた。


 淡々と、人形の様に立ち上がるヴィオラの姿を鼻で笑った義母は直ぐにキツイ視線を向けるとドアノブに手をかける。


「もう間違いはないように」

「かしこまりました。終わり次第、お付のメイドに渡しておきます」


 義母が出るまで頭を下げて見送り終えると、とりあえず拾い上げた書類を順番通りに並べ、執務室のデスクチェアに体を預けた。


 その時、机の端に置いてあった魔法書が目に入ってきたが、直ぐにそれから目を背けると、書類に手を伸ばす。


 ヴィオラの実母───ソフィアはヴィオラが7つの頃、3年間の闘病の末に流行病でこの世を去った。父と母は政略結婚であったものの、それなりに愛し合っていたと聞いているが、母が倒れた頃には2人の距離は夫婦のそれには到底見えなかった。


 父はいつも帰りが遅かったし、母のものでは無い香水の匂いが洋服に付いていたのをよく覚えている。


 母が亡くなって間もなく、その理由を知る事になった。父の洋服から香った香水の匂いと同じをもの付けた女性が後妻として、既に産まれていた妹───エレナと共にやってきたのだ。


 それが今の義母で、ヴィオラの扱いは伯爵令嬢とは無縁の方へと強いられた。


 使用人と同じ日課をこなし、大好きな魔法は取り上げられ、頭がいいと知るや否や家の執務を押し付け、2人は贅沢な暮らしを始めたのだ。


 食卓にヴィオラの席はなく、いつも3人とヴィオラの間には見えない壁が立ち塞がっていた。


 この執務を完璧にすればあの輪に加えて貰えるかもしれない……ヴィオラにとっての希望は放り投げられた執務以外、なかったのだ。


「その花ちょーだい!ねぇお父様、綺麗ね」


 窓の外からエレナの笑い声がする時は決まってその近くには父か義母がいて、親らしい慈悲に満ちた眼差しでエレナを見ている。


 いつしか羨望の感情も消えてしまったが、昔は窓越しに見えるあの光景が羨ましくてたまらなかった。


 キラキラのドレスを着たエレナが物語で言うところの主人公なのだろう。つい最近決まったという婚約者にも愛されていると聞く。


 婚約話を全て義母に断られているヴィオラには名家にしては珍しく婚約者がいないが、うんと歳上の方の後妻として放り出されるよりきっとマシだと言い聞かせてはいるものの、何となく思うところはある。


(私は一生、この箱の中……)


 頭の中を過ぎってしまった弱気を消すようにヴィオラは頬を叩き、書類に目を通し始めた。


 訂正箇所を見つけ、再びまとめあげる作業は昼過ぎまでかかってしまった。早急に外部へ提出する用では無くて良かったと安堵しながら義母の元へ向かう途中でエレナが前から歩いて来るのが見えた。


 ヴィオラは廊下の壁に沿うように体を小さくまとめると、頭を下げて通り過ぎてくれるのを待った。


「あ、手が滑った」


 エレナは近くにあった花瓶をヴィオラの頭上で逆さにすると


「片付けておいてよね、()()()


 そう言って、割れない素材なのをいい事にヴィオラの足元へ転がす。


 父に目を向けてもらえず、義母には罵られ、エレナにも見下されるまで時間はかからなかった。エレナはヴィオラを雑務様と呼び、何かと面倒事を押し付けてくる。


 2人に愛されているエレナに逆らう事は出来ない。文句なんて以ての外。


 家族として認められる為には黙って耐えているのが無難だと自分に言い聞かせ、頭の上を伝う気持ち悪い感覚をタオルで拭う。


 義母が来てからは新しい服を買って貰っていないが、継ぎ接ぎだらけであるもののまだ着れそうな物はあったはずだ。


(風邪なんてひいてられないもの……今日中の執務は終わるかしら)


 それだけでなく、今日の夜は父の付き添いという名目で家同士の交流会がある。もう10年はアルノー伯爵家の仕事を行っていない父に説明ができるはずもなく、引き継ぎ作業という体でヴィオラも参加するのだ。


 顔色の悪い肌を化粧で隠し、肉付きの無い腕は長袖のドレスで見えないようにすれば何とか伯爵令嬢には見える。


 侍女を取り上げられ、自分で行うしかない為、それらしくしか見せることは出来ないが文句を言われないと言うことは大丈夫の証なのだろう。


(ここで事業拡大の取引を成功させる事が出来たら……お父様は褒めてくれるかしら)


 そして何とか今日中の執務を終えたヴィオラは唯一残っているドレスを身にまとっていた。


「見て、ヴィオラ様よ」

「とってもお美しい……」


 馬車で数十分の会場へ向かい、廊下を歩いているといつもの視線がヴィオラにまとわりついてきた。


 傷んだ髪を隠すように束ねたお陰で傷みは無いように見え、化粧で隠した伯爵令嬢らしい装いのヴィオラは絶世の美女と名高い実母によく似ており、社交界では有名であった。


 ヴィオラを定期的に外へ出すのはそういった恩恵を少しでも自分のものにしたい父の思惑が隠れていたが、ヴィオラは全てを悟っていても深く探ることは無かった。


 最期の頃はあんなにも母への扱いがぞんざいであったのにも関わらず、恩恵だけは横取りしたいのかと腹も立ったがそれで誇らしいと褒めてくれる可能性があるなら何でも良いと、父の思惑に気が付かないふりをしている。


 この容姿は人の注意を引きやすく、商談をする上で行わなくてはならない事が自然とできるのは都合がいいのもあるが。しかし、まだ足りない。


 惹き付けられても、甘く見られてはいけない。


「皆様、お配りする資料に目をお通し下さい」


 ヴィオラは数百枚の紙を魔法で浮かせ、水魔法で作った蝶が運んでいる様に見せた。紙を的確に運ぶコントロール力に、小さな喋を出せる技術……周りの視線が集まったのを確認したヴィオラは商談の続きを始めた。


「今日のスピーチも素晴らしかったです。引き込まれました」


 スピーチを終えたばかりのヴィオラを引き止めたのはこの交流会の警備責任者である国家騎士団・団長───ディアン・ベルナールだ。


 深い夜空の色をした黒髪、夜空に浮かぶ月の色をした瞳は男女問わず惹き込まれる容姿をしている。これで性格が温厚であれば、人の輪の中心に居たのだろうが


「あ!騎士団長様、今日はご出席なされ、ーーー」

「今はアルノー伯爵令嬢と話しておりますので。邪魔しないで下さい」


 あからさまに好意がある雰囲気を醸し出していたご令嬢の言葉を遮ったディアン。彼はその後、背筋が凍るような冷たい視線を向けた。


 ヴィオラにとっては慣れきった視線であったが、箱入りが多い令嬢にとっては殺意に捉えかねない。


 幼い頃から何かと交流のある彼はヴィオラの前では若干雰囲気を柔らかせては見えるが、獅子が睨みつけるのを辞めただけで、恐怖なのは変わりない。


 そのせいもあり、ヴィオラは裏で”猛獣使い”と呼ばれているが、当の本人達のみが知らないのであった。


 冷酷無情……それがそのまま体を成したようだと言われている彼は何かと貴族から遠ざかれる存在だ。しかしその実力は確かで、齢22歳にして騎士団長を任され、先日の魔物討伐では群れのひとつをたった一人で倒してしまったらしい。


(私とは似ても似つかない実力を持っているのに、こうして話しかけてくれるなんて……。彼の優しいところを知れば、冷酷無情だなんて言われなくなるのに)


 ───他者の思惑だらけな交流会の収穫は予想していたよりも大いに得られた。大きな商談はふたつも話が通ったし、これで事業拡大の大きな足がかりが出来た。


 ヴィオラは今年の誕生日で、20となる。20歳は成人を迎える歳である為、大きな節目として当主の座を引き渡す家も少なくは無い。


 当主の座に興味は無いが、ヴィオラの中で20歳になるまでには達成したい目標があった。


 アルノー伯爵家が小規模で行っている貿易業の活性化、小売業の8割独占だ。


 それは容易に出来ることでは無いが、容易でなければない程、達成出来れば家族として認められる可能性が高くなる


 10年以上、誕生日を祝ってもらった事は無かったが、この取引が軌道に乗れば、夢は夢で無くなる。


 ───そしてヴィオラの目標であった貿易業及び小売業において、アルノー伯爵家の8割独占が現実となった。


 国王陛下の耳にすら入ったこの偉業に、両親は両手を上げて喜び、ヴィオラは誕生日目前で達成出来たと、書類を何度も見返しては抱きしめた。


(これで私も……!)


 しかし


「お父様達が旅行……?」


 お祝いとして家族水入らずの旅行をしてくると、メイドに言付けをしたらしい。


 大量の執務を置いて。ヴィオラひとりを屋敷に残して、家族水入らずの旅行に。


「もう覚えていないかもしれないけれど。私、明日は20歳の誕生日なのよ……?」


 視界がぼやけ、頬を伝う何かを拭った時、漸く自分が泣いていることに気が付いた。


 10年以上抑えてきた感情が一気に押し寄せ、胸を抑えながら泣き崩れたヴィオラは声が掠れるほど叫び続けた。


 ずっと我慢してきた。ずっと見ないふりをしてきた。気が付いてしまったら全てが終わってしまう気がしたから。


 しかし、気付かされてしまった。


 もう……自分は愛される事なんて、家族として認められる事なんて無いのだと。


 それならばいっその事、死んでしまった方が楽なのではないだろうか。そうすれば母の所へ行け、悲しい思いをしなくて済む。


 ヴィオラの心が粉々に壊れかけた時


『ヴィオラ、泣いてたら幸せが逃げちゃいますよ?』


 聞こえるはずのない母の声が聞こえた気がした。


『ねぇねぇヴィオラ、ヴィオラの夢はなに?』

「私の夢……?」


 幼子に語りかけるような優しい声。それはまだ母が生きていた頃に聞かれたことだ。


 しかし、そんなことを聞かれても困る。夢なんてものはついさっき打ち砕かれたばかりで、今は前を向く気力すら湧かない。


 死ねば涙ひとつは零してくれるだろうか。いや、あの3人は泣いてくれるどころか葬儀すら行ってはくれないだろう。


 きっと居なくなったとしても、また同じ日々をあの人達は過ごすだけ。


 どうせ仕事をサボっても家には怒る人が誰1人いないのだ。今日はこのまま眠りについてしまおう。


 そう、無気力にヴィオラがソファーに体を預けた時


「お嬢様、来客が来ておりますが……」


 タイミング悪く来客が訪問してきてしまった。


 なんでこんなタイミングにとも思ったが、確かに訪問すると手紙が届いていた気がする。記憶が確かならば、国家騎士団・団長───ディアン・ベルナールと、付近の警備について強化取り決めが予定されている。


 本当なら会いたくは無いが、多忙なディアンとの話し合いは半月に一度しか予定を組めない。騎士団長である彼に隙を見せたくないが、この際、仕方ないだろう。


「入ってもらって下さい」

「かしこまりました」


 泣き腫れてしまった目元をメイクで何とか誤魔化し、いつものソファーに腰をかけた。


 休もうと思っていたが、こうして執務をこなしている方が何も考えなくて良いのかもしれない。でなければまた余計な事を考えてしまいそうになる。


 やる事はあるのだ。3人が帰ってくるまでの間、没頭できる何かがあるのは有難い。


 目を閉じ、目の上に手を重ねて、一旦煩いくらいに鳴る心臓を落ち着かせる。大丈夫だと何度も言い聞かせ、いつもの自分に気持ちを持っていくと、間もなくディアンは現れた。


「本日は面会のご予定をいただき、ありがとうございます」

「いえ。今回も当主代理である私が努めさせていただきます」

「あのっ……いえ、その。今回は極秘事項もありますので使用人に下がるよう言ってもらっても?」


 気まずそうに何かを隠す彼は珍しい。冷酷無情だと言われているが、何事も率直な彼に裏表はなく、隠し事はしない性だ。


 今回も変わらない取り決めであると記憶しているが、何か極秘の事が増えてしまったのだろうか。


 ヴィオラは直ぐにメイドを退出させると、ゴクリと息を飲んだ。こんなかしこまった場は父から引き継いで初めての事なだけあり、先程とは違う感情で心臓はドクンドクンと音を鳴らす。


 ディアンの深い黄金色の瞳は一心にヴィオラを映し出し、まるで心のうちまで探られているような気分になる。

 全てを見透かされているような気がするから、ディアンとは少し距離を空けていたのだ。


「アルノー伯爵嬢……何か無理をしていませんか」


(こうなるからこの人に隙を見せたくなかったのよ……)


 昔からヴィオラの変化に気が付き、手を伸ばしてくれていたのはディアンだった。初めはそれが嬉しかったが、弱みを見せてしまえば足を引っ張られる生活を送っているうち、喜びは後ろめたさに変わってしまった。


 しかし昔とは違って、嘘をつく事には慣れている。目を細めて少しだけ口角を上げ……笑っているふりでもすれば、彼は引き下がってくれるだろう。


「何を改まって言うのかと思えばそんなことでしたか。私は何もありません、ご心配なく」


 しかし、ヴィオラは笑うことが出来なかった。頭では理解しているのにもかかわらず、ヴィオラの表情は石のようにピクリとも動いてくれない。


(笑え。今の問題を解決させるのに1番有効な手段なの……笑顔なんて何度も作ってきたじゃな、い……)


「……笑ったのっていつだっけ」


 外に出るのは交流会でのみ。家の中では笑う暇がないほど、目まぐるしい日々を送ってきた。

 笑って油断なんてしていたら次に備えられなくなる。


 気付かなかっただけで、心はもう壊滅寸前だったのだと漸く理解出来た。しかし、気付いたとしてもどうやって元に戻せばいいのかヴィオラは知らない。


 人を頼る事も、信頼し任せる事も……この10年間以上で捨てさせられたのだから。


 視界は真っ暗になって何も見えなくなり、言葉を離す気力はもうない。もう立ち上がれないと、自分でも分かる。


 そんな冷えきったヴィオラの手は突然暖かくて大きいなにかに包まれた。不思議と不快感は無い。ただ、懐かしいと言うのだけはっきり理解出来る。


 肩に籠っていた力がその暖かさで不意に抜け、ヴィオラはおもむろに視線を向けた。

 視線を向けた先にあったのは、ヴィオラの手を包み込むディアンの大きな手だった。


 隣には拳一つ分程空けた距離にディアンが座っていて、母が亡くなる以前の事を何となく思い出す。


 昔はこの距離で本を読んだし、魔法書を読んでいたのに今ではこの距離が懐かしくてたまらない。


 情けない顔をしているヴィオラの手を強く握り直したディアンはその訳を聞かず、


「アルノー伯爵令嬢である貴女はずっと気を張っているようにお見受けしていました。だからといってそれを取ってしまえば貴女が貴女では無くなってしまうような気がして……役職でしか関わることが出来ませんでした」


 そして、すみませんでしたとヴィオラの目を見て頭を下げた。


 頭の中は真っ白ではあるが、謝られる理由が無いことだけは理解しているヴィオラが首を横に振ると


「当主代理と騎士団長以前に、俺達は幼馴染であったはずなのに……俺はヴィオラになにも出来なかった」


 今にも泣き出しそうな顔でヴィオラの頬に触れた。騎士団長である彼らしくない表情だが、出会った頃のディアンはこんな風にいつも泣いている子だったと思い出す。


 それと同時、彼に名前を呼ばれるのでさえ懐かしいと感じた。母が死んで義母が家に来てから、ディアンと会う事は禁止され、彼が騎士団長になってからはもっと距離が開いてしまった。


 ディアンは変わらず接してくれようとしていたが、ヴィオラが許せなかったのだ。並んでいては彼の良い評判まで落ちてしまいそうな気がして、話すには不釣り合いな気がして、自分が許せなかった。


 ディアンは何も出来なかったと言っているが、何もさせなかったのは他でもない自分自身だ。


「ごめんなさい……私が」

「違うんだ、ヴィオラ。誰にも必要とされていなかった俺に、手を差し伸べ魔法を教えてくれたのは君だった。笑いかけてくれたのも、怒られるような悪知恵も、強くなる方法も……貴女が居てくれたから今の俺がいる」


 泣いていたあの頃と面影が重なるも、あの頃のように弱々しい彼はいない。


 強い瞳はヴィオラをしっかりと映し出すが


「だから俺が言いたいのはその……す、」


 何かを言いかけた彼は途端に頬を赤く染めた。


「……す?」

「だからその……感謝を伝え、あの時の礼がしたい。だから俺に、今の君へ手を差し伸ばさせてくれないだろうか」


 母が亡くなり、一人ぼっちになった気がしたヴィオラは父と義母、エレナにしがみついていたのだろう。


 だから愛されたかったし、それで幸せになれると信じていたかった。


(私が知らなかっただけで、私を信じて見守ってくれている人はいたのね)


「ありがとう、ディアン。でももう大丈夫よ」

「大丈夫な訳が!」

「本当に今、大丈夫になったの」


 まだ上手く笑えないヴィオラだったが、ディアンを見上げる瞳には光が宿っていた。


「そうと決まれば!」


 目に光が宿った途端、勢いよく立ち上がったヴィオラは母の言葉を思い出した。


『ねぇねぇヴィオラ、ヴィオラの夢はなに?』


「いきなりどうしたんだ?」

「私ね、ヒーローになりたかったの」

「……ヒーロー?」

「ヒロインを助け出すヒーローよ。かっこいいでしょ?」


『ヴィオラはこの物語のお姫様にピッタリね。ヒロインって言うのよ、可愛いわねぇ』


 昔はよく母に読み聞かせをしてもらっていた。その中で母はよくお姫様だと頭を撫でてくれていたが、ヴィオラがなりたかったのは


『お姫様より、この騎士様になりたい!悪い人を魔法でえいやー!って倒すのよ』


 お姫様を助ける騎士だ。


「そうと決まればやらなくてはならない事が山積みだわ!ディアンの相手は出来そうにないから帰ってもらっても結構よ?」

「あのなぁ……」


 ディアンの声は既に彼女に届く事はなく、そうだったなとディアンは呆れた顔を浮かべた。こうなったヴィオラはもう誰にも止めようはない。目標が達成されるまで、立ち止まる事はなかった。


 しかし、その姿をディアンは嬉しそうに見つめていた。


 漸く昔のヴィオラに戻った、と。


「じゃあ帰るが……没頭しすぎないように」

「分かってるわよ」


 そして3日後───


 サンドロ、ジュリアナ、エレナは旅行から帰って来た。久々に帰って来た我が家はどこか忙しなくメイドが行き来し、何となくだが3日前と雰囲気が違う。


 出迎えられた時の視線はどこか気まずげで、いつもは先頭にいるはずであるメイド長や執事長の姿がない。


 不思議に思いながらも、風呂へ入った3人が各自の部屋に戻ると。


「お父様、お手紙が!」

「旦那様、あいつから手紙がありまして」

「お前らの所にもか!」


 3人宛の手紙、差出人がヴィオラである手紙が置いてあった。



 サンドロ・アルノー伯爵卿

 成人の誕生日を迎えた本日より、ヴィオラ・アルノーは自由にさせてもらいます。

 今までありがとうございました。



 ジュリアナ・アルノー様

 成人の誕生日を迎えた本日より、ヴィオラ・アルノーは自由にさせてもらいます。

 能無しはいなくなりますので、お幸せに。



 エレナ・アルノー様

 成人の誕生日を迎えた本日より、ヴィオラ・アルノーは自由にさせてもらいます。

 雑務様はいなくなりますので、お幸せに。



 3人はその手紙を読んで、この3日前の異変に納得がいった。


 執務室に向かうとヴィオラの姿はなく、そこには出迎えに姿が無かったメイド長と執事長がいる。その時初めて、ヴィオラが家を出て行った理解するも、納得がいかない。


「あれだけ面倒を見ていたのに手紙ひとつで出ていくだなんて!帰ってきたら厳しく言い聞かせなくてはいけませんね」


 あれだけ従順に従っていた娘がなぜ今になって反感しようとしているのか、3人は疑問でしか無かった。


「まぁ落ち着け。あいつの事だ、気を引きたいだけだろう。その間の執務はこっちで済ますか、メイド長や執事長にやらせればいい」

「それが旦那様……出来ないのです」

「何故だ」

「今まではヴィオラお嬢様が当主代理申請を月に1度申請されておりましたが、それが一昨日付けで打ち切りに。申請せずに執務を行えば違法にあたり、最悪実刑判決も……」

「実刑だと!?」


(しかし、ヴィオラでも泣き寝入りひとつせず行えたんだ。ジュリアナと手分けすれば簡単だろう)


 サンドロとジュリアナは手分けして溜まってしまった3日分の執務に手をつけたのだが……


「なによこれ!提出期限が近いのにも関わらず、どうしてこうも提出書類が多いの!?」

「聞かれても困る!貿易業においては3カ国でまとめなくてならんのだ!口よりも手を動かせ!」


 3人がヴィオラが行っている執務の全てを行えるはずもなく、提出期限を守れず、全て中途半端になってしまった結果


「アルノー伯爵家領内で商店申請許可まで1か月先!?先月までは1日で降りていたと聞くぞ?……じゃあ申し訳ないが、先延ばしにされては違う所で店を開くからこの話はなかったことにしてくれ」


「おたくがまとめた資料だが間違いだらけで相手方に渡せるものではてんで無い。今月3度目だぞ?申し訳ないが、おたくの仲介から外させてもらうよ。あぁ当主代理のヴィオラ様の頃はこんな事、一度も無かったんだがな」


「更新手続きが受理されるまで店が開けない!?うちが困っちまうわ!更新は今月で打ち切らせてくれ」


 1年の間に小売業8割減少、貿易業においては全てのものが打ち切られ廃止。陛下からの信頼は底にまで落ちたアルノー伯爵家は名ばかりの没落貴族と呼ばれるようになった。


 ここからは人づてにヴィオラの耳に入った事だが。


 エレナの婚約相手はアルノー伯爵家が没落寸前だという話を聞くや否や婚約破棄を突きつけてきたらしい。


 勿論、食い下がったエレナだったが、


「僕達の間に愛?あるわけ無いだろう、笑わせてくれるな。あれはアルノー伯爵家が手広く利益を得ていたから繋げていたんだ。今の君達になんの魅力があるというのさ」


 華やかさとは無縁の、平民と言っても大差ない格好をしたエレナを鼻で笑いながら彼は切り捨てた。


 サンドロは骨董品を売りながら生活を送ろうとしていたが、贅沢三昧だったあの頃を忘れられないジュリアナとエレナのせいで大破産。


 ギャンブルにまで手を付け、借金を借金で返す荒れた日々を送っている。


 そして時は流れて2年後───


「ヴィオラの女性初名誉騎士授与と結婚を祝って!乾杯!」

「ありがとう、皆!」


 騎士の制服を身にまとったヴィオラは、祝福の中央にいた。場所は騎士達が住む寮の大広間。


 満面の笑みを浮かべるヴィオラの胸元には名誉騎士の称号が煌びやかに付けられている。


「しかしあんな剣すら握った事が無さそうなヴィオラがトントン拍子に小隊長、中隊長……ついには副団長にまで上り詰めるなんてな。そして名誉騎士……オレは誇らしいよ」

「凄くないわよ。その最短記録は全てディアンに取られたし」


 ヴィオラは家を出たその足で騎士団へ入団テストを行い、持ち前の努力で周りが目を丸くする程のスピードで昇進。


 先月、都市付近で準備していた魔物の襲来を事前に予知し被害をゼロで防いだ事により、名誉騎士の称号を授与。今では名前を知らないものは居ないほど、憧れの的となっている。


「だってオレら未だに陛下の前で説明した魔物襲来予知の推測案、意味わかんねぇもん」

「付近の村の被害を辿っていたら何となく分かっただけよ」

「それをだけといえる頭がすごい」

「あー!また難しい話してますねー!今日は名誉騎士もそうですけど、結婚おめでとうございます!ヴィオラ様」

「ふふ……ありがとう」


 ヴィオラの装飾品で輝くのは称号だけではない。左手の薬指に光る物が、本日のメインイベントと言う者も少なくは無い。


「はい!プロポーズの言葉は何だったんですか!」

「プロポーズの言葉……?いつもの仏頂面で、ーーー」

「そんなこと聞いてどうするんだ!」


 照れながら結婚指輪を見つめるヴィオラの言葉を遮ったのは


「あ!旦那様の登場だ!」

「うるさい」

「だって気になりますよー!()()()()団長!」


 ディアン・ベルナール。ヴィオラの結婚相手、その当事者である。


「だから結婚を公にするのは嫌だったんだ」

「いいじゃないの。お祝い事は何個あっても悪くないわ。あ!先代副団長から引き継ぎ業務の不備があったの。少しだけ時間貰える?」

「良いが……直ぐに戻ろう」


 ヴィオラ達は後ろ髪引かれる思いで広間を出ると、少し歩いた先にある休憩所の椅子に腰をかけた。


「それで?抜け出した理由は不備じゃないんだろう?」

「バレた?」

「不備があればその時点でヴィオラなら気付くはずだ」

「……恐れ入ります」


 入団してから慌ただしく日々が過ぎて、ゆっくり2人の時間が取れずにいた時に始まった怒涛の結婚騒動。


 だからちゃんと言えてないのだ。


「ねぇディアン、私を選んでくれてありがとうね」


 それに、居場所を見つけていた過去の自分もプロポーズの言葉で救われてしまった。ただいまって言ったら、お帰りなさいが返ってくるような……言葉では言い表せない家族の輪にしがみついていたあの頃。


『同じ家に、帰りません……か』


 ぶきっちょでぶっきらぼうな優しさは、あの頃の願いすら叶えてくれた。


 ありがとうという一言では表しきれない恩が彼にはある。


「ヴィオラこそ、俺なんかで良いのか?お前なら結婚なんてせずとも幸せになれるだろう」


 自信がなさそうなディアンの頬を軽く叩いたヴィオラは「それ以上言ったら怒るから」と言って、席を立った。


 怒らせたものかとディアンが慌てて歩き出したヴィオラの後を追う。


「あの頃の私の幸せはお父様達に預けているようなものだった。愛されれば幸せだとか思って、もがいていただけなんだと思うの」

「それは」

「でもね、幸せな今なら分かる。幸せを逃がすのも、見つけるのも自分次第なんだよね」


 そう言って振り返ったヴィオラはディアンに向けて両手を広げ、


「私はディアンと一緒にいる幸せを見つけて、逃がしたくない。ディアンの幸せはそんな面倒臭い理由で逃がしてもいいの?」


 満面の笑みで歩み寄ってくれるのを待った。


 彼と一緒にいたい……その願いは一方通行ではいけない。不安ではあったが、ヴィオラには歩み寄ってくれる確かな自信があった。


「ばーか。逃がしたくないからプロポーズしたんだろ」


 その期待通りにディアンはヴィオラを優しくも、力強く抱きしめると


「愛してる」


 そう言って2人は微笑み合い、永遠を誓った。

最後まで読んだ下さりありがとうございます!


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