City centre -繁華街-
リアムが面接に出向いた日から数えて、3日後の土曜日。
青い空と白い雲のコントラストがはっきりと見える、暖かい日だった。
今日は、任務で行動を共にするバディと初の顔合わせの予定が入っていた。
実のところ、ぜひそうするようにとカーターから電話がかかって来たのだ。
「リアム君は初回だし、初任務にあたるバディとは事前に顔合わせをしておいた方がいいだろう……。まだ君はうちの従業員の名前と顔は、一人も知らないだろう?」
というカーターの提言で、事務所が懇意にしているカフェがあるので、コーヒーの一杯でも飲みかわしてアイスブレイクをしてこいーーとのことだった。
正直、いきなり仕事の初日から初対面の人に仕事を教わるよりかは、事前にどんな雰囲気の人なのか知っておきたいのもあったので快諾する以外の選択肢は無い。
「ドリンク代は君の相棒が払ってくれるから、財布は要らないよ。気にせず打ち解けておいで。まぁ、ちょっとぶっきらぼうに見えるけど根は繊細で優しい子なんだよ。最初は世間話だけでもいいからさ」
待ち合わせのカフェと時間帯はあらかじめ指定されていたため、リアムは徒歩で向かっていた。
この事務所に採用された新人はみんなそうしているのか知らないが、カーターなりの気遣いなのだろう。
「どんな人なんだろうな……」
どんな人物なのか?という質問に、カーターはただ「女の子だよ。君より2個下の」と答えたあと、「今はルーナと名乗っているから、君もそう呼ぶんだね」と付け足した。
年下の女の子だが、リアムにとっては経験を積んだ先輩である。友達みたくフレンドリーに接さないようにしなくてはと静かに心の中の自分に諌める。
特に服装の指定もなく、持ち物ともいらないと言われたが不安だったので、この間の面接でお世話になったスーツを着用し、ポケットには念の為に財布とハンカチをしのばせてある。
これから会うのは、事務所でも優秀な調査員のひとりと聞いている。身だしなみやマナーで、相手からの評価が左右されるのは怖いので、面接と同じような緊張感を崩すまいと、リアムは気合いを入れていた。
○●○
リアムの住むアパートから繁華街はそう遠くない。歩き出して15分、大通りに入るとそこはたくさんの人々が行き交う景色に変わる。それにここは、一週間前に面接に向かう時に通ったばかりだ。
休日だけあって、街中は家族連れや恋人たち、リュックを背負った観光客で賑わっていた。通りには新しくオープンしたアイスクリームのお店などが立ち並び、クレープを売るワゴン車にはそこそこ行列ができている。その中に、例のドーナツのワゴン車も見つけて、リアムは思わずあの少女のことを思い出した。
傍若無人な振る舞いをする少女だったが、綺麗な瞳を持っていたのが印象的だ。
海の青い洞窟を想像させる、深いサファイアの虹彩。
彼女の容姿をはっきりと記憶に残しているわけではないが、あのブルーは目に焼き付いて離れなかった。
どことなく浮世離れした雰囲気を纏っていた気もするし、もしかして別世界の住人だったのではないかとも思えてくる。実際にはそんなことはないのだろうけど。
ラスト3つのドーナツを、後のお客さんに考慮せずに注文したのはたしかに悪かったかもと、リアムは一応反省した。幼少期から弟におやつを丸ごと譲るくらい気のいいリアムは、多少理不尽な目に遭ってもあまり気にするタイプではなかった。
とりあえず、今回はショコラクリームには縁が無かったということで、また別の機会にリベンジしようではないか。
ワゴン車の傍を通るとき、例の香ばしい匂いに釣られかけたが、今は我慢だとリアムは振り切る。そもそもこれから行く待ち合わせ場所は、カフェなのだからーー。
誘惑を断ち切って大通りをまっすぐ進んでいくと、前方に郵便局が見えてきた。
カーターの道案内が正しければ、郵便局の角を右に曲がった通りに例のカフェはあるらしい。
郵便局を曲がって大通りから外れると、人の数は少し減った。
数分ほど歩いていると、奥に『キングスベリーカフェ』と書かれた洒落た看板が目に入った。
待ち合わせ場所のカフェである。
どんな雰囲気の場所なのか、店内を様子見したいところだが、生憎窓はすべて中の白いカーテンでぴっしりと閉じられていて、何も見えない。
そもそも入口の扉さえも閉まっている。クローズのプレートは掛かっていなければ、オープンのプレートすらもない。
「ここ……本当にカフェか?」
カーターは間違えて、すでに閉業してしまったカフェを指定してしまったのではないだろうか。
それがリアムとバディとルーナの両方ならばまだいいが、リアムにだけ間違った場所を教えられたのでは更に状況はややこしくなってしまう。相手のバディは、来るはずもない場所でリアムから待ちぼうけを食らうことになってしまうーー。
電話ボックスで今すぐ事務所に連絡を入れて、本当にこの場所で合っているのか聞いた方がよさそうだ。
かなり余裕を持って家を出たため、約束の時間まであと20分以上もあった。
問い合わせをするならば、今がチャンスだ。
近くに電話ボックスがないか、きょろきょろを通りを見回していた時だった。
「リアム・グランシーくん……だね?」
背後から突然声をかけられ、リアムは肩をびくりと震わせる。
振り返ると、黒ずくめの男が立っていた。
「え?あ……」
「僕だよ……ベルローズ事務所のバディさ」
ダンディな低い声の男性は、どう見たってリアムが聞いていたバディの人物とは別人だ。
おかしいなーーカーターはバディを女の子、と言っていたはずだ。
しかしリアムの名前を呼んだ、ということは。
事務所の関係者なのだろうか。
「あの……僕はルーナ・ヴァイオレットさんという方がバディとお聞きしているのですが」
失礼のない柔らかいトーンを心がけながら、リアムは相手の男に返事をした。
「ああ、それね……。実は予定が変わってしまってね。ルーナは用事が入ってここに来れなくなったんだ。君のバディは彼女じゃなくて、僕に変わったんだよ」
「そう……ですか」
リアムは少し不信感のこもった目で、男を見上げた。
男は異様な格好をしていた。
黒縁の眼鏡をかけていて、大きなマスクで鼻まで覆い隠していて、顔立ちがはっきりしない。
唯一目立つのは、燃えるような赤髪だ。ひとつに纏められた髪は馬の尾のように長く、深紅の髪はサーカスの道化師のようだった。
そして、分厚いコートにマフラーという、今はもう暖かい春だと言うのに真冬を感じさせる格好はあえて意識しているのか、わざと浮かせているようにしか見えない。
しかし街を通り過ぎる人々は、男の風貌が気にならないのか誰も目に止める者はいなかった。
「本当だよ。ルーナが行けなくなったのは、ついさっき知らされたことだから、カーターも君に連絡する時間がなかったんだ。だから代わりに僕が来たんだよ」
カーターという上司の言葉が出てきたことで、男の言葉に信頼度が高まった。
きっとベルローズ事務所の調査員の一人なのだろう。
「そうだったんですね。ルーナさんとは会えなくなったのは残念ですが、こうしてあなたと会えたのはそれはそれで嬉しいです」
リアムがはにかむと、男は嬉しそうに目を細めた。
「ありがとう。僕はイヴァン・スルツカヤと言う……。初めまして」
そう言って男は、ポケットに突っ込んでいた右手を差し出した。手の様相から察するに20~30代の若い男性だろうと勝手に予想した。
「スルツカヤさんですね。初めまして。会えて嬉しいです」
リアムも右手を差し出す。
社交辞令の握手をし終えると、イヴァンは右手を再びポケットに収めると、周囲をきょろきょろ見回した。
「ここのカフェは一昨日、閉業したばかりなんだ。カーターはその情報を知らなかったんだろう。僕がよく行くおすすめのカフェがあるんだが、よかったらそこでゆっくりしないかい?ここからそんな遠くはないし」
「分かりました。僕はどこでも大丈夫です」
ここのカフェが閉業していたのは残念だが、イヴァンがおすすめするカフェがあるならばそこに行くしかあるまい。リアムは大人しく、イヴァンに着いていくことにした。
その時、イヴァンと呼ばれた男の口元が不気味に歪んだのをリアムは知る由もなかった。