Job interview -面接-
ベルローズ事務所は、リアムの住む街から離れた、ロンドン市街地の高台に立っていた。事務所の周りには家も建物も何もなく、森の中にぽつんと佇んでいる。
そこそこ立派な一戸建ての造りは、何も知らない人が見たら裕福な個人宅にしか見えないことだろう。
緑色の柱や梁はむき出しの、ドイツ風の家だ。2階の窓付近までは、蔦に覆われていた。玄関の隣には赤いポストが佇み、さらに横にはベンチが置かれてある。毎朝、ポストから新聞を取ってはここで読む人がいるのだろうか。壁の下の花壇には、春らしく色とりどりの花が花を咲かせていた。
早めの時間に到着したリアムは、事務所のドアをノックする前に、カバンの中身をチェックする。
「忘れ物はなし……と」
面接は事務所で行うので、こちらまで来て欲しいとあの電話で告げられ、その時にメモした道順の用紙を見ながら、リアムは徒歩でやって来た。
建物の表を色々と見渡すが、表札も看板もない。ベルローズという文字さえ、事務所を多少うろうろして探したが、見当たらない。ここが本当に事務所なのだろうかと不安になってきた。
怪しい活動をする団体だったりしてーーと頭に浮かんだ。しかし、せっかくここまで来たのだから、 辞退するかどうかは、面接を受けた後に決めればいい。そもそもどんな仕事をしているところなのか、まだ何も知らないのだから……。
深呼吸をして、茶色のドアをノックする。
「……」
どうしたのだろう。扉の先からは何も物音が聞こえない。もう一度ノックをしてみる。
「……」
案の定、何もない。
表札にはベルローズ事務所と書いてあるはずなのに。
誰もいないのかと、扉に耳を当てようと近づけたその時、
ばん!と勢いよく扉が開かれ、リアムの額に痛みが走った。
「ゔっ」
「おっと、大変申し訳ございません……どちら様でしょうか?」
痛みに顔をしかめながら、額を片手で抑えつつ見上げると、眼鏡をかけた細身の男性が立っていた。年齢は恐らく20代だろう。背が高い。
「り、リアム・グランシーです……」
「リアムさんですね。お待ちしておりました」
「はい……」
細身の男性はそれ以上リアムに構うことをせず、無表情で中へと促した。
不思議なことに、この男性が扉を開ける直前まで、鍵を開ける音どころかノブを触る音も全くしなかった。開ける直前、どんな分厚い扉を隔てていても向こう側からするものだ。歩いてくる音すらも微塵もなかった。出待ちしていたのだろうかとも、リアムは思う。額の痛みよりも突如現れたこの男性に、リアムは面食らっていた。
「どうぞ中にお入りください」
通された玄関に足を踏み入れると、廊下が続いていた。クリーム色の壁紙は色褪せてはいるものの、左右に飾ってある絵画やブラケットライトは埃を被っておらず、ある程度小綺麗にしているようだ。
「今から、ベルローズ事務所の所長室にご案内致します。私についてきてください」
静かな表情を崩さず、そそくさとその男性は廊下を歩いていく。
声のトーンと質からして、この男性はリアムが電話した時の男性ではないようだった。
ここは何人ぐらいが働いているのか?営業時間はどのくらいか?あなたはここに勤めて長いのか?などとたくさん質問したい気になったが、この男性のクールな雰囲気に押され、リアムはその気になれなかった。
取りつく島がないとまでは言わないが、きびきびと動く歩き方や姿勢も、どことなく話しかけづらい。歩くスピードも地味に速いのでリアムは辺りをきょろきょろも見渡す時間もなく、急いでついていかねばならなかった。
途中で、資料室やら応接間やら書いてある扉を見つけたが、室内の明かりはついていなかった。
「こちらです」
廊下を曲がると、突き当たりに扉があった。プレートも何もかかっていない。
「所長が中にいらっしゃいます。ノックしてお入りください」
「分かりました」
入室の直前になって、身体はぴんと緊張に包まれた。
どんな人がいるのだろう。これまでの雰囲気を見たところ、特段怪しい場所でもなさそうで、この生真面目そうな男性の存在もあり、ちゃんとした探偵事務所なのは確信できた。
リアムは深呼吸をして、扉の向こう側にも通る声を出す。
「こんにちは。リアム・グランシーです」
「よく来たね。入りなさい」
男性の柔らかい声が返ってきたと同時に、リアムは扉をゆっくりと開けた。
そこは朝の陽光が差し込む明るい部屋で、頭上の電気は点灯していなかった。
中はそこそこ広く、3つの本棚は横に寄せられている。
部屋の真ん中を陣取る黒いソファに、恰幅のいい顎髭の生えた中年男性が座っていた。右手で葉巻煙たばこを吹かしている。この人が所長だろう。
こちらを見るや否や、「よく来たね」と立ち上がり、笑顔でリアムに握手を求めようとする。すぐさま駆け寄り、笑顔で握り返す。
「こちらこそ。この度はこのような機会を設けていただき誠にありがとうございます」
「そこまで畏まらんでいいさ、気にするな。さぁ、そこに座りたまえ」
所長は煙草をテーブルの灰皿で消しながら、向かいのソファに手をやる。
「は、はい。では」
深々すぎず、浅すぎないように注意しながら、向かいのソファに腰掛けた。
例の細身の男性は、それを見届けると部屋から無言で出ていった。あの人はどういう立ち位置の人なんだろうか。
「私の名前はベン・カーターだ。ご存知の通り、私はこのベルローズ事務所の所長だよ。ちなみに事務所のベルローズって言う名前は、今はもうない、ここからの最寄り駅の名前から取っているんだ。ベルローズ駅ね」
「ああ、それで。どこかで聞いた事のある地名だと思いました」
「ははっ。ベルローズ駅は利用者数のとても少ない田舎の駅だったからね。廃止されて10年以上経つけど、覚えている人はほぼいなくなっちゃったよ。名前は綺麗だから俺は気に入ってるよ」
貫禄のある見た目とは裏腹に、陽気そうに笑うおじさんだった。
カーターは浅く腰をあげてソファに座り直すと、
「さて……まずは応募してくれたこと、ここに来てくれたことに礼を言う。実にありがたいことだ。この仕事はそれなりに人手不足でね、年中人手を募集しているがなかなか定着しないんだよ」
眼差しは真剣ながらも柔和な笑みで、カーターは続けた。
「君のような若い青年が応募してくれたのは、実に僥倖だ。すこし前に2人辞めてしまってねえ……幽霊案件が駄目だったみたいで」
(幽霊?)
疑問に思ったが、とりあえず今は相槌を打っておく。
「そうなんですね」
「まったくだよ。ちなみに、君をここまで案内してくれたのはエルガーと言う。ここの秘書のような立ち位置だが、彼も調査員の一人だよ。……ちょっとシャイだけど、優秀な子なんだ」
カーターが言い終わるやいなや、エルガーと呼ばれた男性がトレイにマグカップ2つを載せて再び入室してきた。珈琲のいい香りがする。
テーブルに、それぞれのマグカップが置かれた。
エルガーに小声でお礼を伝えると、彼はふとリアムの方を向いた。
目が合ったのはほんの数秒のことだったが、その冷たい視線に思わず目を逸らしてしまった。まるでこちらを品定めするかのような目は、まったく居心地が悪い。
その視線から逃れるように、リアムはカーターの方を向いて、質問をした。
「あの、この事務所は……どのくらいの人数の方が働いているのですか?」
「5人だよ。私含めてね。ただ私は本部に呼ばれたり、ここで報告書を作成していることも多いから、実際に現場には赴かないことが多いのさ。最近はどこも人手不足だから、現場に出向く機会もないことはないけどね」
シュガーの袋を破いてカップに入れながら、カーターは答えた。
「本部があるのですか?」
「そうとも。ベルローズというのは、ひとつの支社にしか過ぎないんだよ。ここ、イギリスのね。他にはローマにクロリス事務所、パリにはロンサール事務所がある。みんな同じ管轄の事務所だけど、名前は地域によってあえて違う名前にしているんだ。探偵業は匿名で活動した方が、依頼者にとってもこちらにとってもやりやすいからね」
「そんなに大規模とは知りませんでした……その国以外にも支店はあるんですか?」
会話中でも、コーヒーを美味しそうに啜る所長とは対照的に、リアムはそれどころではなかった。
ベルローズ事務所は、てっきり個人で活動しているものだと思っていたからだ。
「いや、今のところはその3カ国だけだな。理事長がそのうちニューヨークあたりにでも作ろうかと言っていたが、テナントが見つからないらしい。あくまで私立の探偵事務所だからね。ここを立ち上げたのは、今は亡き財閥の伯爵だったんだが……そのお方が代々所有していた土地と建物を改装して、事務所を作ったんだ。その孫は今も事務所の取締役として、みんなからは理事長と呼ばれているよ。ここベルローズ事務所は、ウェールズ中から寄せられてくる依頼を引き受けているのさ」
「……へ、へぇ……」
意外どころではない。
創始者は財閥の一族だって?
そこまでの人が始めたのなら、知名度だって高いはず。それなのに、リアムはそんな話を微塵も新聞やテレビでも聞いたことがなかった。
「君が知らないのも無理はない。俺だってここに来るまでは、全く知らなかったんだ。その財閥の坊ちゃんはこちらじゃ、あまり有名じゃないからな。ちなみにちょっと前は、全ての事務所がサンドール事務所と呼ばれていて、このサンドールって名前がその財閥の名前なんだよ。だけどそれがまどろっこしいから初代所長が好きな名前に変えていいということで、おのおのが事務所の名前を決めたんだ。ベルローズ事務所もその時の初代所長が決めたんだよ」
「なるほど……」
「ちなみにサンドール財閥は300年以上も前から……」
頭がだんだんくらくらしてきた。
この探偵事務所に関する情報量が多すぎて、カーターの説明が右から左へと抜けていく……。
「こほん」
わざとらしく咳払いをしたエルガーの声を聞いて、カーターは我に返って話を戻した。
「おっと、いきなり喋りすぎてしまったな、すまんすまん。この話はまた今度にしよう。仕事に感じてだが、そこまで気を張らなくていいさ。ここは出勤時間も退勤もある程度融通は効くし、閑散期には長い有給も取れる。日給制だが、なかなか悪くないだろう?」
その言葉を聞いて、リアムはぴんと背筋を伸ばした。
「ええ。とても魅力的だと思いました」
「募集をかけるとそこその集まってはくれるんだが、何せ長続きしない人が多いんだ……。この仕事をざっと説明すれば、街の住民のお困りごとを解決する、何でも屋のようなものさ。本格的な事件は扱ったりはしないからそこは安心してくれ。それは警察の仕事だからな。例えばそうだな……動物の捜索から幽霊談、ゴシップの調査などだね」
「探偵事務所らしいですね」
「そうだな。とりあえずはね……こほん。ところでリアム君は非科学的なモノを信じているい?」
「非科学的なモノ、と言いますと?」
「ほら例えば、さっき言った幽霊とか、宇宙人とか。……魔法とか」
カーターは伺うように、リアムの目を見た。
どういう意図の質問だろう。
「……信じていると言えば嘘になります。ですが……」
「ですが?」
カーターは目を丸くして、身を乗り出す。
「ーー目の前に現れたら、信じると思います」
そんな場面に、まず出くわしたこともないから想像でしかないけれど、仮にあったと想定した時のリアムの本心だった。
「なるほど……」
可もなく不可もない回答だったが、カーターには悪くない回答だったらしい。口元がわずかに緩むのが見えた。そして顎先をなでていた手をパチンと鳴らして、
「俺も君の回答と同じだよ。目の前に現れたら、信じちゃうよな」
と笑った。
しかし、どこか不敵な笑みだ。リアムそれに少し嫌な予感を覚える。
「リアム君……」
「は、はい」
澄ました顔に戻ったカーターは姿勢を伸ばして、リアムを真正面から見つめる。リアムの姿勢も自然に伸びる。
「……君は見たところ、コミュニケーション能力もあるし、人柄もいい。そして体力もありそうだ。知らないモノに対しても柔軟な価値観を持って、理解しようとする。君がよければ、ぜひ来週からここで働いて欲しいのだが……」
「えっ」
カーターの言葉を聞いて、リアムは固まった。
「えっと、あの……僕はもう採用なのですか?」
「ああ、もちろんさ。今、私がそう決めたんだ」
得意そうに、目の前の男は笑った。
突然の採用通知にリアムは口を半開きにしたまま、驚きを隠せなかった。
と言うより唖然としていた。
嬉しいもののーーこうもあっさりと決めていいものなのだろうか。
面接らしいことも聞かれていない気がするのに。
しかし、これはまたとないチャンスだ。
憂鬱な気分で、あの職業相談所には通う必要もない。
歓喜の気持ちで、顔はだんだんと火照っていくのが分かった。
「あ、ありがとうございます!ぜひよろしくお願いします!」
「うむ、いい返事だ!快諾をどうもありがとう。今日から君はうちの調査員だよ」
「は、はいっ!喜んで!」
嬉しさのあまり、リアムは頬の緩みを止められなかった。
仕事がもらえたーー。
彼の脳内はすっかり祝杯ムードでいっぱいだった。
「むしろお礼を言いたいのはこちらの方さ。さて、それならば早速入社の準備に入ろうじゃないか。履歴書を持ってきてくれたと思うんだけど、それを渡して、あとは何枚かの書類にサインをしてくれたら今日は帰ってくれて構わないよ。任務にあたっての重要事項の冊子を渡すから、必ず家で熟読してね。仕事前は、電話で場所と任務内容をちゃんと伝えるから安心してくれ」
ウィンクしながらカップをリアムに掲げるカーターとは対称的に、エルガーはと言うと、窓際のデスク付近でバインダーを抱えて立ったまま、無表情を貫いている。リアムを相変わらず冷たく見据えている。
一体なんの意味があって彼はバインダーを抱えているのか、ペンを走らせてメモをしている様子も一切なかった。カーターは話しやすいが、エルガーはどうもリアムにとって苦手なタイプの匂いがする。
彼が自分の採用に、不満を抱いていないといいのだがとリアムは少し不安になった。
「で、でも僕なんかでいいのでしょうか?体力ぐらいしか取り柄がないですけど……」
エルガーのポーカーフェイスを見て、リアムはさりげなく聞いた。
リアムは体力が関わる分野は得意だが、学問面では言ってしまえば平均だ。
調査員というのは、いささか頭脳もそれなりに使う仕事にも思える。そもそもペンキ塗りのような塗装仕事と、ボランティアで近所の子供の家庭教師や、花屋のお手伝いくらいしかやったことがないリアムには、本格的な探偵の仕事というものが、ぼんやりしていて中身が掴めない。学ぶ意欲はあれど、自信があるかと聞かれたら微妙であった。
「ああ、そのことなら安心してくれ。この仕事は必ずしも一人でやるわけじゃない。ペアを組んでやるからね。君は初心者だから、腕のいいバディとしばらくは組んでもらうよ。なぁに、新人研修みたいなものさ。いきなり調査員をみんなと同じペースでやるのは早いし、難しいからね。ああもちろん、研修期間中も給料はきっちり出るから、安心してくれたまえ」
「バディ、ですか」
「そうとも。君と組ませる予定の子は歳も近いし、いい話相手にもなってくれると思うだ。どんな難しい任務もすぐに終わらせてくれる、うちの若いエースだよ。年齢は、君よりも少し若いくらいだ。最初はその子の付き添いと見学だけでもいいから、2人で任務に当たってほしい」
何故か楽しそうに話す、カーター。
して、所長の言葉を聞いて、リアム少し安堵した。
しかし、たった一瞬。
ほんの一瞬だが、リアムの心中に何とも言えない違和感の雫が垂れた。
その波紋は、不協和音を奏でてリアムの中でだんだん大きくなっていく。背中を羽で撫でられるような、空耳と区別がつかない声で呼ばれるようなーー嫌な予感とも言いきれない、奇妙な引っかかり。
「あれ、リアム君、どうしたんだい?」
「あ、いえ。緊張が溶けてぼーっとしちゃって……」
いや気のせいだ。
今までが上手くいってなさすぎたせいで、不安になっているだけなんだーーリアムはすぐに考えを打ち消して、カーター所長の話に耳を傾けることに傾注する。
「そうだったのか……私の見た目はそんなに圧迫感を感じるかい?これでもダイエットした方なんだが……」
「いえ、決してそういうわけではなく……」
「カーター所長の体重は数ヶ月前から5キロほど戻っていますよ」
「おいエルガー!」
「あはは……」
だが、この時のリアムの直感は間違ってはいなかった。
しかし一方で、リアムが知る由もなかったことだった。
この事務所を取り巻く秘密に。