What do you want to eat ? -何が食べたい?-
「お腹すいたなぁ……」
「そりゃそうよ。あなたってば今朝までずっと爆睡してて、昨日の夕飯も食べなかったんだから。オスカルのがせっかく夕食を作ってくれたのに」
翌朝の正午。念の為に上着を羽織ったことを後悔するほどの暖かい日だった。
世間では平日のためか、通りの往来は少ない。
リアムとルーナの2人は事務所を出て、例のカフェまでの道を歩いていた。
「あの子がご飯を作ってるのか?一番若そうなのに」
「強制させてるんじゃないわよ?彼が作りたいって言う日はさせてるの。いつもはエルガーがやってるんだけどね」
「へぇー。オスカルってちなみに何歳なの?」
「16歳よ。私ほどじゃないけど優秀な魔法使いよ」
「とりあえず君が一番なのは確定なんだね……」
ルーナはいつものハーフアップの髪型に、ピンクゴールドに輝くリボンのバレッタを留めていた。ワンピースは相変わらず紺色だったが、彼女の雰囲気に合った上品な装いである。
リアムはと言うと、先日せっかくのスーツがダメになってしまったので、カーターが昔着ていたというグレーのチェック柄のスーツを着ていた。カーター曰く、お気に入りなのでいつか痩せた時に再び着るために取っていたらしい。だがその兆候はなさそうなので、リアムにプレゼントという形でそのままもらったものである。
「そういや俺が行った時は、扉も窓も締め切ってて中の様子が伺えなかったんだけど、そのキングスベリーカフェってのは閉業してるんじゃないの?」
「外観はね。中ではちゃんと営業してるわ」
「?」
事務所から例のキングスベリーカフェまでは、そこまで時間はかからなかった。
歩いて15分ほどで繁華街に辿り着き、大通りを歩く。
郵便局のそばで曲がり、しばらく進んだところにあるのは、リアムも記憶している。
「あ、ここだ……」
リアムは見覚えのある建物を見上げた。
トラウマ事件の最初の場所でもあるそこは、繁華街の中にあるにも関わらず、その一角だけガランとしている。
変わらず、そこにあるのは小洒落た看板のみである。ぴたりと閉じられた扉に、中のカーテンで覆われた窓。筆記体で書かれた「キングスベリー」という看板だけが取り残された、ただの建物ーー外観は、前の時と何も変わりがなかった。
「ここ……やっぱり閉業してるよね?」
「してないわよ」
ルーナは隣のリアムを見上げる。
「ハベレスどころか普通の魔法使いでさえも入れないように、魔法が施されているのよ。会員制だから、名簿に名前がないと入店できない仕組みになっている。……あいつは逆にそれを利用して、閉業してると嘘をついてあなたを騙したのね」
「……なるほど。そりゃ騙されても仕方ないよな……」
「それはそうね。なんたってあなたは、魔法界とこれまで何の関わりのなかったハベレスだもの……。このカフェは名簿に名前を登録してある者か、またその者に紹介されて、マスターに認められた者のみよ」
「マスター?紹介だけじゃ駄目なのか」
「うちのマスターは余所者にはうるさいの……。でも安心しなさい」
ルーナは得意そうな顔でウィンクをしながら、振り返る。
「ベルローズ事務所の者は無条件で会員になれるのよ」
ルーナが木製の扉に触れると、かちゃりと音がして扉が開いた。
ひとりでに開かれたそれは、その先に続く薄暗い通路へこまねいているようだ。
「早く入るわよ」
「わかった……」
ルーナに続いてリアムが中へ入りきった途端、その扉は勝手に閉まった。
「ひっ」
「馬鹿ね、ビビりすぎよ」
扉が閉まった直後、それまで聴こえていた外の喧騒が一気に途絶える。まるで劇場に入ったかのように、雑音は完全に遮断された。
「静かだね……」
「店内はそうでもないわ」
2人の靴音も敷かれた赤いカーペットに吸収されて、ほとんど聞こえない。薄暗く照らすブラケットライトの空間は、さながら高級ホテルの廊下のようだ。
「ここを抜けた先にあるわ」
廊下の終わりは、黒檀の扉によって防がれていた。
「また廊下があるのかい?」
「違うわよ。あなたをマスターに紹介するから、黙ってにこにこしておきなさいよ?」
ルーナがドアノブを捻って押すと、視界が一気に明るく開けた。
それと同時に、カフェの店内らしい喧騒に包まれる。
「!」
中はそこそこ賑わっているカフェーーではなかった。カフェなんてものじゃない。
リアムはこんな豪華絢爛なカフェは、今まで見たことがなかった。
高級ホテルのロビーのような、一面に金細工と絵画で装飾された天井と壁が見える。あちこち置かれた赤いビロードのソファ、大理石のテーブル、そして執事のような格好をしたウェイター……。
まるでヴェルサイユ宮殿の一角に迷い込んでしまったかのような場所だった。
「結構、満員ね……」
「すご……ここ本当にカフェ?」
リアムは口をぽかんと開けて、天井から隅々まで室内を見渡す。
席はそこそこ埋まっていた。
お客はどれも魔法使い……なのだろうか。個性的なファッションはさておき普通の人間と何ら変わらない姿で、みんな楽しそうに談笑してーーいや、目を凝らすと全然そんなことはなかった。
近世のフランス貴族しか着けないような大きな帽子を被ったマダムたちが、優雅にティータイムに勤しんでいる。その隣のテーブルには、ウサギ耳や猫耳の生えた動物モドキの若者が、野菜スティックを摘んでいる。エルフのような長い耳のお爺さんが、煙管を吹かしながら、同じく長い耳の老婦人とお喋りをしている。
貴族のサロンのようなお洒落な空間に、異質な姿の客。あまりのちぐはぐさに、アニメのコスプレ会場に足を運んでしまったのかと錯覚するほどだ。
「……」
「みんな魔法界の住民よ」
「……すごい……個性的だね……」
リアムはとりあえず突っ込むのをやめて、理解に徹することにした。
そうだ、ここは魔法界。
これまでありえないと思っていた魔法が存在するように、人間以外の種族が生活していても何らおかしくないのだ。
だって魔法使いの世界なのだから。
狼人間や吸血鬼、トロールや幽霊だって普通にいるかもしれない。
そう、リアムは自分の常識と戦わなければならないーー。
「リー……ルーナか?おーい、久しぶりだな!」
突然、陽気な声が聞こえて振り返ると、白髪のスーツ姿の男性が、笑顔で手を振っていた。
ルーナの知り合いなのだろうか。
「久しぶりね、ベンサム。……この人がマスターよ。変人でうざいけど」
ルーナがぼそりとリアムへ耳打ちするように呟いた。
えっこの人がとリアムは正直な感想を抱いた。
上質そうな服装とは反対に、髪はぼさぼさで実験に失敗した科学者のようだったし、分厚い黒色の眼鏡だって不格好だった。
上品すぎる空間には相応しくないというと失礼にはなるが、そんな格好のおじさんだったのだ。
「おん?何か言ったかい?」
ベンサムと呼ばれた男性は、飄々とした表情で眉を上げた。
「別に。それより、いつものミルクティーを作ってちょうだい。あ、この隣の男性にはコーヒーを」
ルーナは笑顔も見せず、いつもの無愛想な表情でオーダーをした。
「まーたミルクティーか。舌がお子ちゃまだなァ」
「うるさい。早く用意してちょうだい」
「甘いものに甘いドリンク。ったく、よくもまぁ飽きねぇんだなぁ……うん?」
それまでリアムの存在を認知はしていたものの、きちんと目視していなかったベンサムは改めてまじまじとつま先から頭のてっぺんまで彼を観察した。
「ひょっとして隣の男はボーイフレンドか……?あのルーナに?なんということだ!しかもなかなかハンサムな……」
ベンサムは満面の笑みで、リアムとルーナを交互に見る。
他の懇切丁寧な接客態度のウェイターとは違い、マスターであるはずのベンサムはパブの店主のように接してくる人だった。ルーナとは知り合いだからだろうか。
「馬鹿言わないで!ただの仕事仲間よ!……リアム・グランシーって言うの。まぁ名前なんて覚えなくてもいいけど、私の恋人とかそういうのは、断っじてないから」
ルーナの言葉に、リアムもぎこちない笑顔で頷く。
彼女の表情から、この面倒なウェイターを追っ払いたいのが伝わってくる。
先程の発言はジョークなのだろう、ベンサムは特に驚いたリアクションもせずにリアムに手を差し出した。
「君がベルローズ事務所のメンバーだね。カーターとは親友なんだ。俺はフィリップ・ベンサム。君はもうこのカフェの会員だよ。後で名簿に名前を付け加えておくから、いつでも来てくれ」
「どうもリアム・グランシーです。お会いできて光栄です、ベンサムさん。早速ありがとうございます」
リアムは恭しくベンサムの手を握った。
「ふん。で、自己紹介は終わったの?」
腕を組み、冷めた表情で2人を見つめるルーナ。
「まーったく……相変わらず強情な女だよ。見てくれは悪くないのに勿体ない。ところで兄ちゃん、あんたも気の毒だなァ。どうせ彼女のバディなんだろ?ちなみにルーナのバディは数ヶ月持ったらいい方だ」
「余計なこと言うんじゃないわよ!い、い、か、ら。早く席に通してよ」
「へいへい、もうちょいと待ちな。向こうの窓際のテーブルがもう少しで片付くからよ」
ベンサムは半ば気だるそうにオーダーをメモしながらバックヤードへと引き返そうとした。
リアムの目の前を通り過ぎようとした時、突然リアムの目の前で立ち止まった。
「あの……」
「……ほ~ん?なんか兄ちゃん、独特の雰囲気があるね。我々とは違うタイプの雰囲気の……何て言えばいいのかなぁ」
「それは彼がピュアハベレスだからよ。それより喉が渇いてるから、大急ぎで用意してちょうだい」
「へいへい」
ようやく扉の奥へと姿を消したベンサムを見て、リアムはルーナに小声で尋ねた。
「俺がハベレス……普通の人間であることを伝えちゃっていいの?」
「どうしてよ?」
「だってほら、ハベレスって魔法が使えないわけだし……魔法使い御用達の会員制カフェにハベレスの俺なんかが歓迎されるだなんて……」
「……それは昔の話よ。今はハベレスってだけで見下す人はほぼいないわよ……。むしろハベレスは魔法使いにとって重要な保護対象。稀に、例外はいるかもしれないけど」
最後の言葉に瞳を曇らせたルーナだったが、ウェイターがようやく空いたらしい席を案内しにやってきたことで、それ以上何も言うことはなかった。
通された席は、通りが見える窓際だった。
石畳と街灯が整然と配置されている通りを、まばらに通行人が通過していく。
魔法のせいだろうか、誰もこちらの姿に気づくことはないようだ。もしかすると、外部からはただの壁にしか見えないのかもしれない。
「……外のハベレスには見えないようになってるのよ。いい場所でしょ?」
窓を見るリアムに、ルーナも外の景色を眺めながら言う。
「そうだね。俺はすでにここが気に入ったよ」
すると、運ばれてきたコーヒーとミルクティーがテーブルに置かれる。お互いのカップから湯気の立っていて、いい香りがする。
リアムもコーヒーを啜ったが、途端に気分が悪くなってきた。昨晩から何も食べていないリアムの胃袋は、とうとう限界を迎えていた。キングスベリーの扉をくぐったことで忘れかけていた空腹が舞い戻ってくる。
「ごめん……やっぱりお腹すいてきた……俺が払うから何かサンドイッチでも頼んでいい?」
サイドに置いてあるメニューを指さしながら、リアムは青い顔で言う。
「……仕方ないわね」
ルーナの承諾に顔を明るくしたリアムは、メニューを広げて食べ物には何があるのかをざっと見る。
カフェなのでレストランとは違って、たくさんの料理があるわけではなかった。
料理のページはサンドイッチ、フィッシュアンドチップス、ミートパイ、イングリッシュ・ブレックファストだけだった。メニューには写真も絵もなく、品名とその下に値段が書かれているのみだ。
「……?」
リアムはそこで初めて、魔法界のお金の単位を目にした。
よく見るポンドの文字とは似て異なる形をしていた。最初は印字ミスだろうかと疑ったが、ポンドで考えると値段はやけに高い気がした。
これが魔法界での通貨なのだろうか。
ルーナが目配せをすると、それに気づいたウェイターがテーブルまでやって来た。
「はい、いかがなさいましたか?」
「オーダーを頼みたいんだけど……ほら、フィッシュアンドチップスでもスコーンでもいいから頼みなさい。今回ばかりは私が払ってあげるわ。最初で最後だけど」
「それはさすがにいいよ。自分で払うし」
「いいの今回は」
「いやー、でも結構値段も安くなさそうだし……」
「い、い、か、ら!私の方が先輩なのよ?素直に奢られなさいよ」
ぴしゃりとそう言われると、リアムはおずおずと受け入れるほかない。
奢られないことで、ここまで怒られるのは初めてのことだった。
「分かりました……では、このサンドイッチをひとつ」
「私はそうねぇ……オレンジプディングをお願い」
「……かしこまりました」
若干げんなりしたウェイターは、メモを控え終えるとそそくさと下がっていった。
「……まったく。次からはちゃんと朝ごはんは食べなさいよね」
「うん、ごめんよ。そうするよ……でも驚いた。僕たちとは通貨の単位が違うんだね」
「そりゃそうよ、一緒だと色んな問題が起こるから困るわよ。センドって読むのよ。ハベレス界の通貨ほどややこしくないから楽だけどね」
「たしかに国によって全然呼び方も違うからね。困ったものだよ」
「……」
「……」
その後はお互い無言だった。
飲み物でひと息つきたかったのもある。
リアムはルーナをちらりと見る。
彼女は頬杖をついて、窓の外を見ていた。
ルーナは仏頂面まではいかないにせよ、いくぶん不機嫌そうな顔である。最初は何がそんなに不満なのだろうと思っていたリアムだが、今思えばこの表情が彼女にとってのデフォルトなのだろう。
「あのさ……」
リアムは声をかけた。
ここで切り出すべきかと一瞬は躊躇したが、今のうちに聞きたいことは聞いておきたかった。
「何よ」
ぶっきらぼうな返答だが、リアムは続ける。
「こんなこと聞くと変に思われるかもしれないけど……」
リアムは手に持っていたカップを置いた。
「君の本当の名前ってなんて言うの?」