A man of dungeons -地下牢の男-
地下牢へと続く階段は、石造りの通路でできていた。足を踏み入れた瞬間に、ひんやりとした冷気に包まれる。
「普段は滅多に使わない場所だから、明かりもつけていないんだ。分かれ道が何個かあるから、離れないように」
ウィリアムは自らの右の手のひらに向かって「ルミナス」と静かに呟いた。するとたちまち手のひらから黄色い炎が浮かび上がり、付近をランプのように照らす。
「明るいですね」
「君の世界で言う懐中電灯さ。この炎は触れても熱くないんだよ。不思議だろう?」
「すごい……魔法って本当に便利ですね」
「だろう?君もすぐに魔法の虜になるさ」
そう嬉しそうに語るウィリアムの顔はご満悦そうだ。魔法、という存在を昨日初めて知覚し、認知したばかりのリアムだが、慣れというのは恐ろしいほどに人の感覚を麻痺させるーー手から炎を出すくらいでは驚かなくなっていた。
ウィリアムを先頭に、リアムとルーナが後から続く。気づけば、ルーナも手から青い炎を出していた。2つの光源のおかげで、一行の周囲はそこそこ明るい。
「……奴はこの先の牢屋にいるんですか?」
「ああ、そうとも。捕獲したのが今朝だったから、もう数時間以上は牢獄にぶち込まれていることになるな。まぁ、安心したまえ。奴も魔法使いだが、魔力が使えない特殊な手錠をはめてある。鉄格子にも細工がしてある」
「……あなたもだいぶ鬼畜よね」
「え?そうか?」
ルーナの言葉に、きょとんとした顔でウィリアムは振り返った。
「いくら容疑者と言っても、こんな何も見えない暗闇に何時間も放置していたら発狂するわよ」
「ははっ。奴はリアム君ーー人間界の一般人を殺害しかけた張本人だぞ?これぐらいの処置は懲罰のうちにも入らないだろう。そんなこと言っていたら、我らが魔法界の公安警察が行っている尋問こそ、口に出すのも憚られる……ああ恐ろしい」
わざとらしく感嘆し、リアムと目が合うと火花が出るような眩しいウィンクを飛ばした。そして、呑気に鼻歌を歌いながら先へと進んでいく。
彼はベルローズ含む事務所の理事長らしいが、気さくな性格と見た目の若さから、正直理事長とは信じ難い。
あの顔で微笑みかけられたら、公女だろうが侍女だろうか顔を赤らめることだろうーーそれぐらいハンサムな顔立ちとスタイルだ。職業が男優と言われても違和感は全くない。
しかしーー彼には独特の威圧感やオーラがあるのを、リアムはうっすらではあるが感じ取っていた。
「さて、次は右に進むぞ」
石造りの階段が終わると、今度は左右に道が分かれていた。
一行の付近は灯りで照らされているとはいえ、数メートル先は闇の中である。3人のまばらな靴音が、こつこつと暗闇の中で響く。
外の光が一切入ってこないここは、この短時間だけでも時間の感覚が分からなくなってくる。果たして今は昼なのか、夜なのかーー。
もし自分が万が一にも、こんな場所へ閉じ込められたのならたちまち気がおかしくなってしまうことだろう。するとルーナの言った鬼畜という発言も、あながち間違いでもない。ウィリアムは確信的にそうしたのか、ただ何とも思っていないだけなのか。とりあえずリアムが抱いた感想としては、ウィリアムを怒らせるような真似はしない方が賢明ということだ。
「……もうすぐだ」
ウィリアムが静かに知らせる。
歩いていると、両脇に牢獄の鉄格子がちらほら目に入った。中には誰もおらず、黒い闇を宿しているだけだった。
「……捕まえた時こそ抵抗したものの、牢屋に入れたあとはだいぶ大人しくなったよ。手枷と鉄格子のおかげで魔法が使えないとはいえ、油断はしないように。リアム君は何があっても鉄格子の目の前へ歩み出てはいけないよ」
「……分かりました」
「一番最後の牢屋に奴はいる」
小声でそう告げると、今度は一歩一歩をゆっくりとしたスピードで歩みを進めた。
すると、3人の靴音以外聞こえてこないはずの雑音に、重い鉄を擦り合わせたような音が聞こえてくる。前方から聞こえるその音は、近づくにつれ大きくなっていった。
ウィリアムが足を止めた時、そこが男が収監されている鉄格子の前だとリアムは悟る。
「おいおい……ずいぶんと放置してくれたじゃねぇか……伯爵サマよぉ……」
絞り出すような陰湿な声が、鉄格子から聞こえてきた。リアムは咄嗟に身を固める。
「……そうだ。お前の顔を確かめに来たのさ」
ウィリアムは声のする鉄格子の前で立ち止まると、手の炎を掲げた。
鉄格子の向こうには男ーー見覚えのある顔が覗く。泥で汚れているのか鼻と頬の辺りが黒っぽい。赤い髪は結ったままではあるものの、ほつれていてぼさぼさだ。
男ーーイヴァンは膝を折って、牢屋の前に座り込んでいた。
ウィリアムが掲げた炎の眩しさに顔を顰めながら、恨みがましい顔つきでウィリアムを見上げる。
「このド畜生の鬼畜野郎が……こーんな真っ暗闇の中に俺を長時間ぶち込みやがって……。気がおかしくなりそうだ。今は何月何日だ?まだ24時間たっていないのか?まだ爪を剥がされる拷問の方がマシだとこれほど思ったことはねぇよ……ぇえ?」
「俺は下品な拷問はしない主義でな。それにお前さんは下水道が好きだったろ?ここはそんなお前におあつらえ向きだと思ったんだが……お気に召さなかったか?悪臭までもセットにしないとリラックスできないか?」
「クソドクズ野郎が!!人様をコケにしやがって!!」
イヴァンは鉄格子を掴んで唾を飛ばしながら叫ぶが、ウィリアムは涼しい顔のままだ。両手で握る鉄格子ががしゃがしゃと重い音を立てる。
「リアム君。君にイヴァンと名乗った男は、こいつで間違いないな?」
ウィリアムの声に、リアムも数歩近づいた。かといってウィリアムよりは前に出ないように、彼の一歩後ろまでの距離を保ったままだ。
ウィリアムは、リアムが男の顔を観察しやすいように、手のひらの炎を男の顔に近づける。
「へ、へへっ……。お久しぶりだなリアム」
イヴァンの顔は炎に照らされ、顔の陰影がより濃くなった。眩しそうに目は細めているものの、大きく入った顔の傷、燃えるような緋色の髪色は、リアムに初めて姿を見せた時と変わらない。
不愉快なほどにイヴァンはにやにやしながら、リアムを見ていた。
「命拾いをしたなぁ……くくくっ」
「……」
リアムは見たくも聞きたくもなかった男の顔と声に、激しい嫌悪感を覚える。
あの時の記憶がフラッシュバックするが、幸いにも恐怖はない。奴が鉄の檻に封じ込められているのと、ウィリアムとルーナという信頼出来る用心棒が傍にいるおかげだろうか。
「この人で間違いありません。顔も声も……俺を殺そうとした張本人です」
「そうか。それさえ確認できたらいい」
「俺はもう一度、お前に会いたかったんだぜ……リアム・グランシー……」
「気持ち悪いわね」
侮蔑を込めてそう言うルーナに、男は表情を変えて睨んだ。
「このどチビ……嬢ちゃんよぉ、おめぇのせいで俺の計画は台無しだ。俺はお前の名前さえ借りるだけでよかったってのに……」
「馬鹿じゃないの」
ルーナは吐き捨てるように呟いた。
「あーあそうだな、迂闊なのは俺だった。指輪をしていてもその魔力……そんな短時間で俺らのところに駆けつけるとはさすがに予想外だったぜ……それともあれかぁ?お前はこのハベレスの男に惚れてんのかぁ?えっ?」
「……馬鹿に何言っても無駄でしょうけど、私は自分の仕事をこなしたまでよ。どうせウィルに汚名を着せるために、小汚い一族の誰かが計画したのを、あんたは金を積まれたから引き受けただけ……違う?」
「けっ、何とでも言ってろ!金は一応積まれたが、俺が引き受けたのはそれだけが理由じゃねぇ。ーーいいか?俺は少なくとも魔法界の命運のために賭けてやったんだ!おめぇら三下に何が分かる」
「命運?冗談も休み休み言って欲しいわね。依頼を引き受けると同時に馬鹿げた宗教でも入会させられたわけ?」
「黙れ!俺は貴様とは違う!お前はただの落ちこぼれだ……そうだ、貴族崩れの落ちこぼれめ!」
「……」
男の悪態に、何かを無言でしようとしたルーナを、ウィリアムは静かに制した。
ルーナはそれに対して異を唱えるのかと思いきや、大人しく引き下がった。
「貴様には非魔法使いの母親がいるだろう。お前が死ねば、彼女はさぞかし悲しむことだろうな」
「……ぁ?母親は関係ねぇだろ」
飄々と喋るウィリアムの言葉に、これまで陰湿で非情だった男の顔が、わずかに揺らぐ。その揺らぎを、ウィリアムは見逃さなかった。
「なぁに、強情になるなよ。慈悲深いこの俺は、貴様に救済の措置を取らせてあげようと思ってるんだぜ?汚い金に飛びついたのはいただけないが、病気の母親のためを思ってしたことなんだろう?態度によっては釈放してやってもいい」
「……」
イヴァンは硬い表情を動かさない。しかし、先ほどとは違って、目には一種の迷いの色が見て取れるーー鉄格子を握る手が強くなった。
「非魔法使いの人間に手を出し、あまつさえその罪を俺の事務所に擦り付けようとした時点で、貴様の処遇はほぼ決まっている。こちらには、証拠も証人も揃っているのでな。公安に引き渡せば、生涯を通してシャバの空気を吸うことは二度とないだろうーー……それも魔法界最悪の監獄、トレスビテン要塞の中での話でだがな」
「はっ、おっかねぇ腹黒め。そうやって希望をチラつかせて用が済んだら切り捨てる……そうだろ?俺はあんたが裏で何をしているか知ってるんだぜ。そうやって今まで何人湖に沈めてきたんだ?えっ?」
「さて、何の話やら……」
ウィリアムはどこ吹く風といった具合に、口元だけで冷笑する。
「二度も言わせるな。俺の気が変わらないうちに釈放してやると言ってるんだ。もちろん条件付きではあるがな」
「……何の条件だ」
イヴァンは静かに聞いた。
「首謀者の名前だ。そいつの名前さえ告げてくれたら許してやってもいい。今回の一件は不問にしよう」
「……」
男はしばし考え込むような表情で無言を貫いた。しかし、すぐに顔を上げて、
「できない」
と言った。鬱蒼とした目だが、そこには迷いや躊躇がなかった。
ウィリアムは怪訝に片眉を上げる。
「できないだと?」
「……いや、しない。俺は何があっても口は割らない」
「……本気で言っているのか?」
「ああそうだ。俺の命なんぞ好きにしろ」
予想外の男の態度に、ウィリアムは若干鼻白んだ。
「ならそうさせてもらおう。お前の身柄は公安警察に引き渡す。……それとも湖の藻屑になる方がいいか?」
「どっちでも。俺は自分の命に執着はない。伯爵サマのお好みの調理方法でやるといい」
「……」
ウィリアムは冷たい顔でイヴァンを見下ろすと、リアムたちに向き直る。
「今回の事件について君たちの協力はここまでになる。後は俺の仕事だ。これ以上、辛気臭い場所にゲストをとどめる訳にもいかない……さぁ帰るぞ」
ウィリアムはそう言って、先ほど来た道を引き返していく。リアムとルーナは一度顔を見合わせたが、無言のまま彼に続いた。
しかし、ウィリアムは数歩歩いた先で突然立ち止まった。振り向きざまに、牢屋に残されたイヴァンに向かって言う。
「……俺は自分の家名にかかる火の粉を振り払うだけだ。これまでもそうしてきた。お前が口を割らなくても、首謀者の存在は大体検討はつくだろう。それでも、お前はここでそいつの名前を言わないんだな?」
ウィリアムの言葉に、男はへへっと笑いながら口元を歪めた。
「……ああ、言わない。拷問されたって言いはしねぇ」
「そうか」
ウィリアムは今度こそもう用はないといった風に、諦観めいた表情で歩き始めた時だった。
「だが、ヒントはくれてやろう」
イヴァンの言葉に、3人は振り返った。
まだ灯りの届く範囲で、3人の顔をじっくりと舐るように見る。真顔を装っているが、失笑するのを堪えている顔にも見える。
「本来ならば……ここで何も言わなくてもいいが、あえて言ってやろう」
そう言ってわざとらしく途切れると、含みを持たせた意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「首謀者に関してではないが、その男……リアム・グランシーは始末しないとそのうち魔法界は大変なことになる。ーー厄災だ。魔法界には厄災が訪れる。それも史上最悪の出来事が、な。だから俺は、奴を殺そうとしたんだ」
リアムを指さしながら、けけけと気味の悪い声で笑う。その不気味な哄笑は、冷たく真っ暗な回廊に嫌という程反響したーー。
用語解説
トレスビテン要塞……イギリス魔法界の巨大な監獄。昔は要塞だったのをそのまま監獄として利用している。終身刑を受けた受刑者を収容しており、脱獄に成功した者は一度もいない。中で囚人たちがどのように扱われているのか詳細が少ない。死刑よりも地獄の重労働を強いられているという噂もあり、実際に入獄してから亡くなる者もそこそこいるらしい。