Bellerose detective office -ベルローズ探偵事務所-
「魔法探偵事務所です」
オスカルの言葉に、リアムは大したリアクションを取らなかった。
何の意外性も突発性もなく、その言葉は咀嚼され飲み込まれた。とどのつまり、やはりそうかと言ったのがリアムの感想である。
「やっぱり……そうなんですね」
「あれ。思ったより、リアムさん落ち着いていますね」
「正直、ここまで来たら落ち着く以外に方法がないって言うか……」
「あはは。でもその肝は大事ですよ!リアムさんみたいな落ち着いている人が、なんだかんだ一番この仕事に向いている気がしますね」
「向いている?俺がですか?」
疑問をそのまま顔に貼り付けた顔で、リアムはオスカルの顔を見る。
「魔法が実在するものだと、素直に受け止めてくれる非魔法使いはこの時代にはほぼいません。いたとしても邪な考えを持っていたり、我々の不利益になるようなことをするハベレスは多いですから……。魔法界が掲げる最優先事項は、魔法という存在が人間界で知れ渡ってはいけないというものです。リアムさんはそんな人じゃないでしょ?」
「それはしないって自信を持って言えますけど……。ですがそんな理由でそのハベ、レス……を雇うものなんでしょうか。ここは魔法探偵事務所ですよね?どちらにせよ、普通の人間なら足でまといだし、クビにするものじゃないんでしょうか?」
「うちは魔法が使えなくても、仕事自体はそこまで難しくないので、雇ってはいけないルールはないんです。むしろ、一人でも人間界に馴染みのある人がいてくれた方がやりやすいメリットもあるので。ほかの探偵事務所では、最低でも1人はハベレスを雇っているところもありますよ。こればかりは各所長の判断になりますが」
その回答はリアムにとって意外だったらしく、目をぱちくりとさせた。
「そ、そうなんですか?でも、あんな奴が襲ってこられても俺は魔法を使えないし、太刀打ちできないですよ……逃げることしか……」
「いや、あれは正直、事故というか僕も初めてだったというか……。うちは普段は幽霊が出る屋敷をどうにかして欲しいとか、怪しい呪いをかけられた人の魔力を解いたり、こういう小さな事件にもならないことを解決するのが仕事なんです。今回はベルローズ事務所とリアムさんが偶然にも巻き込まれましたが、ああいった荒事は、本来ならば魔法界の公安が処理することですからね」
「なる、ほど……」
リアムはそれを聞いて、しばらく考えこんだ。
そうか、魔法使いがたくさんいる魔法界というのがあつて、そこには彼らを監視する、「公安」と呼ばれる言わば警察のような存在がいるのだなとリアムはひとりでに納得する。
なぜ非魔法使いの自分があの求人を見ることが出来たのか。自分を襲来したあの男による細工の可能性が高いようだが、この際何だっていい。せっかく目の前に入り込んできた仕事だ。禍を転じて福と為すのではなく、福と為させるせることにしよう。仕事内容だって、聞いた限りではそこまで難しくなさそうだ。せっかく掴んだ良い仕事、決して離すまい。
リアムがそう熱く決意している傍ら、オスカルはそんな彼の横顔をじっと見つめていた。
そう、この事務所は、必ずしも魔法使いだけを雇うわけではない。
仕事において魔法はむしろ、大して使わない。人間界に拠点を置き、魔力を持たない普通の人間からの依頼を主に受けていくのだから、むしろ非魔法使いが一人でもいてくれた方が、人間界の常識や時事が分かっていて都合がいい。
それに……。
(ルーナさんが原因、なのもあるんだろうな)
考えるリアムをよそに、オスカルは悟られないようにちらりと横目でルーナを見た。
彼女は対話に飽きたのか、いつの間にやら医務室の本棚付近で本を立ち読みしている。
魔法使いを雇っても、彼女と上手くいかずに転職していく者が後を絶たない。負けず嫌いでプライドの高い彼女は、敵を作りやすい。
実際に彼女は、魔法界でも有名な貴族の血を引くご令嬢で、将来的に当主の家紋を背負うと期待されている魔法使いだ。その優秀すぎる実力が故に、周囲からの嫉妬が原因で、嫌がらせも受けてきたというのは、カーターからこっそり聞いたことがある。
魔法使いにも序列があり、人間界ではお金持ちや権力者が目を引くように、魔法界では魔力の強さと実力が全てものを言う。
彼女は言ってしまえば、魔力が強すぎるが故に孤独なのだ。
「ならよかった……俺、てっきりこのまま保護が終わったらクビになっちゃうのかと」
リアムは先程の真剣なシンキングタイムを崩して、ほっと胸を撫で下ろした。なんとも嬉しそうな表情である。
しかし、一方の誰かには聞き捨てならない言葉だったらしい。
「……あなた、あれだけ危険な目に遭っておいてここで働きたいって、本気で言ってるの?魔法だって初めて見たんでしょ?」
信じられないーーといった目で、ルーナはリアムを見ていた。書籍に目を通しつつも、こちらの会話には耳を傾けていたらしい。
リアムは何かまずいことを言ったのかなと、困惑した表情を浮かべる。
「え、と……何かご迷惑じゃなければ俺はここで働きたいと思っているんですが……」
「……いやいや、あなたは事務所に応募したことで危険な目に遭ったんでしょ。普通そういうのってトラウマとかになったりしないの?」
ルーナは本を棚に収めると、つかつかとリアムのベッドまで近づいた。
そして変な生き物でも見るような目つきで、上からリアムを見下ろす。
「そりゃ、まだ狙われてる可能性があるのは怖いですけど……。でも、せっかく見つけた仕事だし……」
「ちょっと、そういう問題なの?そんなに人間界では仕事が見つからないものなの?」
「ルーナさん、今回の事件はたまたま起こったことですし……まだ調査の段階ですから。事態が落ち着けば、リアムさんにずっといてもらうのも悪くないじゃないですか」
「いやあなたね……仕事なんて他にもたくさんあるでしょうが。そもそも魔法も使えないどころか、リアムは魔法の存在すらついさっき初めて知ったのに、ここで働きたいだなんてどうかしてるわよ」
「俺は大学に行ける頭もお金の余裕もないですし……給料が高くて自分でもやっていけそうな仕事を探していたんです。そうしたら、偶然ここを見つけて。例えこのきっかけがあの男の意図的なものだったとしても、ここで働きたいと思ったんです」
真剣な眼差しのリアム。
オスカルはリアムの誠実さに関心しつつも、初見で魔法を見たばかりの非魔法使いとは思えないほどの順応さに驚いていた。
(それとも単に、リアムさんは天然なのだろうか)
「あのね、確かに事務所の仕事は簡単な依頼ばっかりよ?それでも魔法を使うことには使うのよ。あなたはあんな訳の分からないものを見せられて、怖くないわけ?」
「怖くないですよ。少なくとも自分の命が狙われるよりかは……。それに失業する方が、今はとても怖いですし」
ますます意味がわからないといった具合に、ルーナは更に眉を顰めた。
「……あなた、めちゃくちゃ鈍感なのか単純にアホなのかどっちか分からないけど、魔法を使えないぶんちゃんと働くんでしょうね。周りのみんなは優しいからそこまで言わないかもしれないけど、私はそうはいかないわよ。無能な働きをしたら即クビよ、クビだからね」
「ルーナさん、何もそこまで言わなくていいでしょう!……リアムさん、安心してください。魔法が使えなくても、魔法道具をお貸しすることは可能ですし、ハベレスでも使うことは出来ますから。僕らの扱う仕事は、それで事足りることが多いのでご安心を」
「ふん」
きつい口調のルーナだが、リアムはむしろ困らせてしまって申し訳ないような顔をしている。人が良すぎるのか天然なのか。
「……私と組んで、足でまといになった時にはちゃんとお詫びをしてもらうわよ。そうね、私を手間をかかせるごとに甘いものでも奢ってもらおうかしら」
意地悪な笑みを浮かべるルーナに、オスカルは心の中でただ甘いものを食べたいだけじゃないかと突っ込む。もちろん口には出さなかったが。
「甘いもの……あ……」
何か思い出したのか、リアムは思わず固まる。
そして、ぎこちない笑みを浮かべると、
「すみません……そう言えば……机のドーナツ全部食べちゃいました……」
「え?」
ルーナとオスカルが同時に声をあげる。
リアムは恐る恐るサイドテーブル上の空箱に視線を向けた。
クリームショコラが入っていた全てのドーナツは、既にリアムの胃の中である。
「あれ、あんなところにドーナツの箱……誰が買ってきたんでしょう」
初めて箱の存在に気づき、きょとんとするオスカルをよそに、
「う、嘘でしょ……あんた……まさか全部食べたんじゃ」
わなわなと震えてからーー途端に禍々しいオーラを放ち始めたルーナに、リアムとオスカルはびくりと身動ぎをする。
しまった、やはりあれは食べてはいけないものだったんだ!とリアムは察するが、時すでに遅し。
「ごごごごめんなさい!ベッドのそばにあったから俺への差し入れかと思ってつい……!弁償、弁償します!5つまとめて必ず弁償しますから!」
どうやら、あのドーナツはルーナが買っておいたものらしい。よりによって一番機嫌を損ねてはまずそうな人物の持ち主だったとは。空腹の誘惑に陥落した自分の意思の弱さにリアムは猛烈な自己嫌悪と後悔でいっぱいになる。
なぜこんなところにと一瞬思ったが、医務室は誰かが怪我や体調不良のお世話にでもならない限り、基本使われることのない部屋だ。少なくとも、人目から一時的に隠すにはぴったりの場所であるーー。
リアムは必死に謝るが、ルーナは相当おかんむりである。海色の涼し気なブルーが、今だけは怒りで赤く燃えている気がした。
「そうよ……これは慈悲深い私からあんたへの差し入れよ……でも全部食べることはないでしょ!?この間、1個譲ってあげたんだから! 」
「え?」
今度は同時に声をあげたのは、リアムとオスカルである。
「この間って……いつですか?リアムさんとは今日、襲われているのを助けに行った時が初対面ですよね?」
「……」
「俺のこと……覚えていたんだ」
ドーナツでの出会い方は忘れるはずもない。
しかし、ルーナの方はてっきり忘れていると思っていたし、ドーナツの件なんて、気にも留めていないと思っていたのだが。
それに、今彼女は差し入れと言った。彼女はリアムに対して、それなりに気遣ってくれていたのだろうか?
「……えと、このドーナツ、俺のために?」
「……」
「ぇえっ?えっ?おふたりは知り合いだったんですか?」
オスカルが2人を交互に見る。
知り合いというか、偶然リアムが面接の帰りにドーナツのワゴン車で、たまたま出会っただけなのだが……。
「そうよ。数日前に、私がワゴン車のドーナツを注文しようとしたら、この男に盗られかけたのよ」
「え?違います。俺が注文しようとしていたのを、彼女がーー」
みなまで言おうとした途端、ルーナの拳がリアムの鳩尾に当たり、リアムの声は遮られた。
「ゔっ」
「この男が、私がワゴン車で注文しようとしていたドーナツを根こそぎ持っていこうとするから止めただけよ。今回、殺されかけたのが可哀想だったからちょっと分けてあげようと思って置いていただけなのに……それなのに……まさか全部食べられるなんて!やっぱりあの時、譲るんじゃなかったわ!優しくしたのが大間違いだった!」
「全部食べたのは本当にごめんってば!弁償します!でも、前回のは俺は悪くないです!それだけは言わせてください!」
「悪いわよ!私は仕事が続いて疲れてたんだからっ……やっぱりあんたはクビよ、クビ!クビが嫌ならクリームショコラとボンボンショコラを10個ずつ買ってきなさい。そうしたら許してあげるから」
「どれだけショコラ好きなんですか!というか弁償以上の金額じゃないか!」
「それぐらいの償いはして貰わないと私の気が済むわけないでしょ!?昨日の夕方に並んで買っておいたのを……全部食べやがるなんて……」
「あのー……」
言い争いを始めた2人は、オスカルが突っ込む隙も与えてくれない。
なんだろう。
オスカルは、段々と自分の影が薄くなっていくのを感じた。
「ボンボンショコラは秋期間限定の品物で今はもう手に入らないんです。せめてエンゼルベリーとかフローラルクッキーとかにしてくれないと……」
「はああ?チョコレート味以外は私食べない主義だから、私。チョコじゃないドーナツは論外よ、論外」
「なんだって!?エンゼルベリーの美味さを知らないのか?」
「食べたくもないわよそんなもの!」
「ルーナさん、あなたは!なんでも食わず嫌いがすぎます!あんなに美味しいのが常設なのに本当に勿体ない……ああ、あれだけ食べてもまたお腹すいてきた……」
「こいつっ……あれだけ食べておいてなんて傲慢な……!今すぐダッシュで買ってきなさいよ、今すぐ!」
「こんな時間に開いてるわけないよ……。せめて明日以降にしてくれ」
「はぁあ?私は今日食べたかったのに…!いいから何とかしなさいよ馬鹿!」
「魔法も使えない俺がそんなことできるわけないよ……。エンゼルベリーも含め、明日俺がおすすめのドーナツを買ってくるからそれで許してほしいんだ、ね?頼むよ。あっそうだ、魔法でドーナツを出すことはできないのか?」
「あなた魔法を馬鹿にしているの!?あれはあなたみたいな凡人が想像するような簡単なものじゃないんだから!」
ぎゃあぎゃあと、犬も食わないような喧嘩に勤しむ2人。
しかも何故か無駄にヒートアップしている。
死んだ顔で、そのやり取りをオスカルは見つめる。彼はもうとっくに忘れられていて、空気も同然だ。
(カーターさん……これ、どうするんですか……)
収集がつかなくなっている2人の会話に、オスカルは2人に恐らく聞こえていないであろう、ため息を大きく吐いた。