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関東大蝗害  作者: 寺田夏丸
3/5

距離感と愛着

 現在の日本では、雨季が2ヶ月ほど続く。昔の「梅雨」は1ヶ月弱程度、もしくはそれより短いなんてこともあったと伝えられているが、2300年代を生きる人々からすれば、御伽噺のようであった。とはいえ、連日連夜雨なわけではない。この日は2週間ぶりの晴れで、降り注ぐ太陽はあっという間にアスファルトの水分を奪っていった。朝9時の時点で気温は40度を超えている。これは蒸し暑い1日になりそうだなと、宗吾は家を出るなり垂れてきた汗を拭った。

 宗吾は週に4回、大学図書館の書庫整理のバイトをしている。平日は空きコマを使い、今日のような土曜日は廃棄する本の選定や、書庫の地下に眠っている紙の本をデジタル化するためスキャナーに通す仕事をしている。トイレに寄って汗拭きシートで体を拭き取り、ドライシャンプーを髪に撒き散らせば、少しはマシに見える気がした。シャツの汗染みは見なかったことにして、学生証をゲートにかざして図書館に入る。カウンターにいた3回生の神輿穂波が彼に気づいてすぐに手を振る。

「おはよう。暑いねー」

「堪らないですね…もうヘトヘトです」

「控え室にスポーツドリンクの差し入れしといたから、飲んでいいよ」

「えっ、ありがとうございます!」

頭を下げると、彼女は「大袈裟ねぇ」と笑った。色白の頬がピンクに染まり、上品で整った顔立ちが可愛らしく見えた。

 控え室の冷蔵庫を開けると、2リットルのペットボトルが2本鎮座していた。一本取り出して、ガラス製のコップに注ぐと一気に飲み干す。冷たい液体が体に染み渡るようで気持ちがいい。一息ついたら、コップを軽く水洗いをして食洗機に突っ込み、支給されている青色のエプロンを着る。一度本を乗せるカートを受け取りにカウンターに顔を出すと、図書館司書の佐伯がひょっこりと現れた。

「あぁ、お疲れ様。カートは1番を使って。上に廃棄予定の本の番号を書いたタブレットを置いているから、回収してきてね」

「お疲れ様です。了解しました」

1番、と書かれたカートを引き摺って書庫の入り口を潜る。タブレットを覗きながら本を回収していく途中、宗吾以外にも人がいる気配がした。辺りを見渡して探すが、残念ながら姿を見ることはできない。滅多にないことではあるが、一応申請すれば一般でも学生でも出入りできる場所ではあるので「珍しいな」と思いつつまた作業に戻った。リストの下まで来たことを確認するとカウンターを目指してカートを押していく。ここは冷暖房が付いていないため、汗がダラダラと肌を滑り落ちていた。本にかからないよう気をつけて、書庫を出た途端に感じる冷風に心癒されていく。

「戻りました〜」

控えめな声で報告すると、パソコンの前に座って本のバーコードを読み込む。ネット図書館に入っている本と、持ってきた本が一致すると、複数冊ある本は1冊を残して廃棄、1冊しかないものはデータ上に「紙1」と打ち込む。紙の本は希少なものとなってしまっているので、一つは残すようにと政府から通知が来ているらしい。宗吾が戻ってきたことに気づいた佐伯が、新たなデータを遠隔で追加した。タブレットに視線を落として、今日はこの作業に終始しそうだなとまだ残っていた汗をハンカチで拭った。


 2往復目に差し掛かったあたりで、書庫にまだ人がいることを察した。蒸し蒸しと暑いこの場では、新人類でもなければせいぜい1時間程度が限界なはずだ。宗吾は見えない誰かが心配になってきた。倒れていたらどうしようか。本を探すついでに人も見つけようと、視線を行ったり来たりさせる。もう今回のリストも終わると焦り、ええいままよと鼻をスンと鳴らす。カビや古い紙の匂いで充満した書庫で人のにおいを嗅ぎ分けるのは困難なのだが、宗吾は眉根を寄せながら集中した。これだ!と目を開けた途端、本棚の端からヌッと巨体が現れた。少し黒い肌に、垂れ気味な目と太い眉、堀の深い顔立ちをした男である。においは彼から漂っている。汗のほかに、少しハーブのような爽やかな香りがした。首をかしげた時に少し揺れた柔らかそうな癖毛は、短く切られていても尚ふわふわとした触感が伝わってくるようだ。男は3メートル近い巨体に、よく発達した筋肉を持っていた。これだけで、彼がなんであるのか誰が見ても察することができるだろう。

「わぁ、ごめんなさい飛び出して。人がいるような気がして」

彼は低く落ち着いた声の割には、子供っぽい言葉遣いで謝罪してきた。宗吾は首を振って否定する。

「いや、あなたを探していました。ここは暑いので長時間いると危険です…もし倒れていたらと思ってウロウロしていました」

「僕は平気。ほら、見たらわかると思うけど新人類だし」

「…」

宗吾はなんと声をかけるか悩んでいた。彼も五感発達型ではあるが立派な新人類である。実を言うと1時間でも2時間でも、汗をかいていたとしてもこの暑い空間で作業をすることはできるのだ。それでも利用者に休憩を促すのはバイトとしての仕事だろうと改める。

「それでも、一旦出て念の為水分補給はしてください」

「うーん…でもまだ本見つけられてないからなぁ…」

彼は視線を彷徨わせた。こんな長時間探してないならない気もするが、見つけないと帰らないといった頑固さを感じる。宗吾は吐き出しかけたため息を飲み込み、何を探しているのか問いかけた。

「それならば僕も探しましょう。タイトルはなんですか」

「『新・害虫の誕生』ってやつ。2100年ごろに出た古い本だけど、何度か改訂版が出ていて、初期の害虫の様子がわかるから読んでみたくて。せっかくなら紙の方がいいかなぁと思うんだけど、見つからない」

まさか己の専門領域の本を探しているとは。宗吾は偶然に目を丸くしながらも、タイトルに覚えがあった。ちょうど一月前に借りたばかりで、書庫に戻したのも己である。すぐに道案内を始めると、彼は歓声をあげた。

「すごいね、こんなにすぐ分かるなんて」

「ちょうど僕も読んだばかりなんです。害虫に関心があるのですね」

「うん。これでも駆除人になったばかりだから、色々と勉強しないといけないんだ」

「…え!?」

宗吾は後ろを歩く男に勢いよく振り向いた。彼のつま先から頭の天辺まで見上げてから聞き返す。

「駆除人ですか!」

「そんなに駆除人っぽく見えないかなぁ」

彼はどこか気まずそうに頬を掻く。宗吾は申し訳なくなって頭を下げた。

「いえ、その、最近はよく駆除人の方に会うなと思っただけです。不快な思いをさせてしまったのであれば、申し訳ありません」

「へぇ〜、学生さんで駆除人と接点あるのは珍しいね」

「先日自宅に卵を生みつけられていまして」

「ふーん」

相槌の後、大変だったねと励ましの言葉を続けた彼に宗吾は首を振る。小此木たちが早急に駆除してくれたため、財布以外は被害を受けていないのでさして問題にはならなかったのだ。

 仕切り直して、大きな体をのそのそと揺らして歩く彼を本の元に導いてあげた。

「こちらでお間違いありませんか」

宗吾が棚から抜き出した本を見て、彼はにこりと微笑んだ。正解だったらしい。

「ありがとう。本の紙で、専門的な内容になると大学図書館が一番いいからね。結構駆除人は利用しているんじゃないかな。僕も先輩に教えてもらって来たし」

「それじゃあ、知らないうちに案内していたこともあるかもしれませんね」

2人並んで書庫の出口を目指す。カートはひとまず置いておいて、彼を外に出してあげることを優先した。

 書庫から図書館本館に通じる戸を開くと、差し込んできた風に彼が喜びの声をあげた。

「おおー、涼しくて気持ちがいい」

「やはり書庫は歩いですね。お水飲んでください」

「うん。ありがとう。君も気をつけてね」

彼が向き直って礼を言うので、宗吾も釣られて頭を下げた。また来るねと言い残して去っていく。なんだか大きな仕事を終えた気になって伸びをするが、まだ作業が途中であったことを思い出し肩をぐるぐると回しながら戻った。


 「お疲れ様でしたー」

業務時間を乗り越えて、宗吾は帰宅に向けて図書館を出た。来た時には真っ青だった空も、赤色に染め直されている。大学構内に設置された気温計は46度を示していた。図書館にいる間に気温はピークを迎えたはずなので、下がってこれだとすれば、やはり今日は相当暑かったのだろう。もう一杯差し入れのスポーツドリンクを飲めばよかったと軽く後悔しながら歩くと、校門近くのベンチに見覚えのある巨体が座っている。先方も気づいたらしく、顔をあげるなり手を振ってきた。

「上がり?遅くまでお疲れ様。今日はありがとうね」

「いえ、こちらこそ…こんな暑い中何をされているんですか」

宗吾の疑問に応えるべく、彼は校門を指さした。

「借りた本を早速図書館で読んでいたんだ。そうしたら召集がかかっちゃって、先輩がここまで迎えに来てくれるらしい。場所を借りて悪いけど、待ってるとこ」

「えっ、また虫が出たんですか。大変ですね」

「うん。最近は本当に多いよ」

困ったと彼は大きなため息を吐いた。体を丸めて愚痴る様子は、彼の素直な物言いも相まってマスコット的なかわいらしさを感じる。しばらく話していると、校門横に白いバンが止まった。運転手席の窓が空いて、こちらに向かって何か話している。

「あれ、小此木さんだ」

宗吾の呟きに、隣にいた彼は驚いたように目を丸くする。

「知ってるの?もしかして卵を駆除したのって、ハルちゃんとガクさん?」

「そうです。仰っていた先輩って桜場さんのことですか」

「いや、図書館を教えてくれたのはハルちゃんだよ。僕は彼女より年上だけど、入社年次だと下になるんだ」

遙子を待たせるのも悪いので、宗吾達は車に向かって歩いていく。彼女も宗吾に気づいたらしく「あれー!?」と叫ぶ声が空気を震わせた。相変わらず元気らしい。

「片山さんじゃないですか!ケン君と知り合いだったんですか?」

ケン君、と呼ばれた彼はマイペースにもさっさと車の助手席に乗り込んでしまった。遙子の集中砲火を受けて、宗吾はたじろぐ。

「い、いえ、たまたまバイト先の図書館に来られて…本を探されていたので案内したんです」

「へぇー!ありがとうございます!ケン君ってばタイトルしか見てなくて、本の番号とか調べてないんだろうなと心配していたので」

声高らかに笑う遙子に背中をバシバシと叩かれて、ケン君とやらは不思議そうな顔をしている。

「番号ってなぁに」

「後で教えてあげる。ひとまず現場ね!ガクさんがお休みだからって急拵えのバディだけど、よろしく」

「はーい」

間延びした返事をする彼を気にすることなく、遙子は再度宗吾を視界に捉えた。

「今日は場所確定しているので大丈夫です!また今度!!」

「は、はい。お勤めご苦労様です」

勢いよく発進した車から、ケン君の「またねぇ〜」といった呑気な言葉が飛んできた。過ぎ去っていった嵐に肩を撫で下ろす。

「場所確定してなかったら連れていかれてたな…」

遙子の最後のセリフを思い出して、ブルリと体を震わせた。そう遠くない未来に、彼女に引きづられて現場に急行する日も来るのではないかと、怖いような嬉しいような妙な気持ちが心を支配していく。駆除人になりたいのか?自分の胸に問いかけるが、はっきりと肯定しきれない部分がある。先日幼虫駆除を見た時の迫力に怖気付いたとも言う。しばしその場で唸りながら考えたが、沈みきらない太陽が皮膚を攻撃してくるため、大人しく家を目指して足を動かした。


 自宅のテレビをつけると『商店街 幼虫2匹確認 通報相次ぐ』との見出しでニュースが流れていた。駅前の商店街が映されており、幼虫がいたとされる古着屋と雑貨屋の隙間を引きで捉えている。規制線の向こうで作業する人の中に、遙子の姿を見つけた。槍に斧をつけたような武器を手にしていて、刃には液体が付着していることから、彼女が幼虫を始末したらしい。後ろを行くケン君は虫の幼虫を入れた大きな袋を軽く持ち上げて運んでいた。ニュース曰く、幼虫は通報を受けた駆除人が殺虫し、怪我人はゼロ。成虫は確認されていないとのことだった。映像が流れ終えると、コメンテーターの女がスタジオに現れて、幼虫や卵の目撃が続いていることに関して話し始める。彼女はしきりに「異常事態である」と繰り返していた。

「このまま増えれば、第2の大蝗害にも繋がりかねません」

真剣な顔で告げるコメンテーターやキャスターの姿から、スタジオの緊張感を感じた。

「異常事態ね…」

宗吾は聞いたばかりの単語を繰り返す。週明けにでも渋谷に聞いてみるか。彼の専門は新人類なので、詳細はわからないかもしれないが何かヒントはくれるかもしれない。虫研の話題にしようと和夫に計画を伝える。ネットニュースで同様の内容を見たという彼はすぐに『面白そうじゃん!俺も別の教授に聞いてみるわ!』と返事をしてきた。再び画面に目を移すと、検証という名目で再び遙子たちが映った映像が流れており、ここ数週間で繋がりができた駆除人たちは、本来はこの距離感の人なのだと再認識する。どこか寂しい気になるあたり、自分も随分彼らに愛着を持ち始めていると自覚した。

新人類仲間が出て来ました。彼は身体強化型。

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