新人類
雨の匂いがする。宗吾は起きるなり早々鼻を擦った。窓を開けると、アスファルトと、空気中の埃や塵などを含んだ雨水が混ざった強烈な香りが嗅覚を刺激する。家に近い位置にある川では、洪水に備えて昨晩まで見えなかった高い壁が水を防いでいた。川の水位に合わせて高さを変える壁らしく、雨季には聳え立っている。しばらくぼうっと眺めていたが、ベランダの室外機に視線を向けた。数日前、この下に害虫の卵があった衝撃がまだ彼の中に残っている。関東大蝗害が発生した際、彼は地元の広島県で中学生をしていたため被害を受けていない。遠くに感じていた害虫という存在が、突然己の身に降りかかってきて、どこか落ち着かないのだ。
「もうこんな時間か。支度しないと」
壁に行手を阻まれた交通機関はルートを変更するため、出発や到着の時刻が変わって道が混雑するのだ。徒歩通学をしている宗吾も、いつもより早く起きて大学へ行く準備を進めていた。
「えーっと、メガネどこいったかな」
散らかった服を片付けながら部屋を彷徨う。眼鏡がなくとも生活できるのだが、ある方が便利なのだ。探していた眼鏡はベッドの下に落ちていた。昨晩寝る前に放り投げたような記憶がある。特殊な硝子越しに見る世界は先ほどよりも少し視界が悪いが、このくらいがちょうど良いのだ。適当に着替えて、この日の講義内容を思い浮かべながら教材を大量にダウンロードしたタブレットを鞄に突っ込んだ。
ヘッドフォンをしても地面に叩きつけられる雨粒の音は不快だった。第三者から不審に見られないようにヘッドフォンは携帯電話に繋げているが、何も流していない。耳栓のような役割をさせているだけである。大学に着く頃には疲労困憊になっており、珍しく先に来ていた和夫にギョッとされた。
「お〜、宗吾、お前ゾンビみたいだぞ。雨の日はいつもグロッキーだけど、今日は特に酷いな」
「雨が、雨が激しすぎる」
「昼休みあたりで大雨警報出るんじゃないか?」
よろけながら和夫の隣に腰掛けると、可哀想にとチョコレートを一つ渡してくれた。ありがたく口に放り込むとミントが入っているのか涼しげな味がする。宗吾は今日、これから始まる2限と4、5限に授業が入っている。和夫の言う通りになれば、帰りが大変かもしれない。今から憂鬱な気持ちになってしまった。
「空きコマ何すんの?」
和夫は4限も同じだった。生物学科は一学年が50人程度であり、コースが分かれる3回生になるまでは基本的に同じ授業を受けるのだ。
「あー、渋谷先生の研究室にいくよ」
「またぁ?あの人無愛想だし、虫研究してるわけじゃないのによく懲りないな」
「軽いデータ集めを手伝ってるんだよ」
「ふぅん。なんのデータ?」
和夫の問いに宗吾は少し口籠った。いつもより幾分かゆっくりと、言葉を選んで返す。
「渋谷先生は新人類の研究してるでしょ。新人類のデータはたくさん取れてきたから、比較用に一般学生のデータがもっと欲しいらしい」
「それなら研究室の面子でいいような…宗吾も大変だな」
「あはは、まぁ昨年末の講義後に先生に研究内容を聞いちゃったからね。興味があるなら付き合えってさ」
「そのまま研究室入れられそうだな」
「それは困る。虫研究がしたいのに」
教室にはどんどんと人が増えてきて、2人の会話はかき消されそうになっていた。講義まであと5分もない。課題終わったか、今度のテストが、さまざまな話題が飛び交っていた。
「新人類も大変だよな。環境に合わせて進化しただけなのに、奇異な目で見られてさ」
これほど騒がしいのに、和夫の声だけがクリアに聞こえた。宗吾は手元のタブレットに視線を落とす。
「…そうだよね」
宗吾の声は和夫に届いただろうか。それほどまでに、小さく震えた声だった。
新人類、と呼ばれる人たちがいる。彼らは基本的に人間離れした大きな体に、高い身体能力を有していて、過酷に変化する地球環境に適応すべく生まれた個体だ。代替わりの激しい虫や動物に比べると、長寿な人間の進化スピードはゆっくりだと言われている。今まで技術力で戦ってきたが、30年ほど前からようやく人間の進化体系が出てくるようになったのだ。いわば人類存続の希望である。しかし、未だ旧人類…今まで通りの種類が大多数を占めているため、見た目が異なる新人類を差別する風潮もあった。人間ではない、動物のようだと揶揄する人も多い。
かくいう宗吾も新人類である。見た目は一般人と変わらない。体が人より少し丈夫で、怪我をしにくく風邪にもなりにくいが、それでも見ただけで彼を新人類だと見抜く人は研究者でも少ないだろう。宗吾は五感が進化した新人類である。聴覚、視覚、嗅覚、触覚、味覚が常人離れしており、聞き取れない音を聞き取り、見えないはずの距離まで見通し、少しの変化も肌で感じ取ることができる。新人類の中でも少数派であるため補助機器が少ないのだが、なんとか手に入れた視覚を一部遮断する新人類用の眼鏡がなければ、あらゆる情報が彼の目から脳に伝達されてしまうのである。自分が新人類であることは、明夫にすら伝えていない。これまで新人類に向けられる好機の目と差別を目の当たりにして成長してきた彼は、バレることを人一倍恐れていたのだ。
「調子が悪そうだな」
渋谷とネームプレートが掲げられた研究室に入るなり、宗吾にかけられたのはその一言だった。ちょうど飲み物を入れていたのか、渋谷は長身の体を曲げながらポットを握り、カップを覗いている。以前聞いたところ、身長は190センチもあるらしい。彼は30代後半にして教授に上り詰めた学者で、なぜこの大学にいるのか分からないほど世界的に名を馳せる新人類研究の第一人者であった。
「お疲れ様です。えぇ、今日は雨なので…」
「環境に適応するために進化しているはずなのに、これからどんどん増えていく雨にやられるとは…。謎は深まるばかりだ」
渋谷は少しづつカップにお湯を注いでいる。紅茶を淹れるときのお湯の量にこだわりがあるらしく、今もピッタリその量になるよう調節しているのだろう。
「君の分も入れてやるからその辺に座っておけ」
「はい」
何度か足を踏み入れた研究室を、改めて見渡す。天井につきそうな高さの本棚が隙間という隙間に設置され、乱雑に本が積まれていた。積み重なった段ボールはいくつか下の方が潰されている。中には研究資料やら何やらが入っているのだろう。一番目を引くのが3メートルほどの人体模型である。新人類の骨格と筋肉などの作りを精巧に再現した物らしい。以前、渋谷に言われるがまま隣に立たされたが、宗吾の身長は176センチ。サイズ感の違いに大爆笑された。キョロキョロしているとお茶を淹れ終わった渋谷が宗吾の正面に腰掛けた。白地に墨で「万歳スパゲッティ」と力強い筆遣いで書かれたマグカップを渡されて困惑すると、すぐに解説してくれた。
「それは卒業生が置いていったものだ。俺の愛想があまりにもないから、少しでも相手の緊張を和らげるためらしい。書いている意味はよくわからないが、手作りと言っていた」
「へ、へぇ、愉快な人ですね」
「いるだけで周りが明るくなる、と言う言葉はそいつのためにあると思ったよ。そのくらい愉快なやつだった。今ではアメリカの研究所で新人類の進化パターンを分類している。優秀なやつだ」
この話を聞いてからもう一度マグカップに視線を落とす。なぜかすごいもののように思えるのだから人間の目は不思議なものである。
「新人類の進化パターンって、どのくらいあるんですか」
「ご存知の通り、2パターンというのが主流だ。大多数は身体進化型。一般的な新人類の姿だな。身長が3〜4メートルほどで筋肉質。高い身体能力を持っている。激しい気温の変化や自然災害に対抗できるように育ったのだろう。もう一つが五感進化型。こちらは少数だ。触覚や嗅覚、視覚などが常人よりも優れており、身に迫る危険をすぐに察知できる。人類を害せる生物が増えてきたことから危険から身を守るために成長したんだ」
渋谷は途中から立ち上がり、薄汚れたホワイトボードで解説してくれていた。今時手書きのボードは珍しいのだが、彼は手で文字を書く方が頭がスッキリするらしい。
「身体進化型は肉食動物のようなパターンで、五感進化型は草食動物のような進化の仕方だな。どちらもこれからの地球環境に適応して種を残していくには必要だろう。実は、この2パターンからより細かく見ていくと、もっともっと分岐している。名前がついていないだけで、少しづつ分類も分けられているらしい。これが未だ増え続けてると言うのだから、研究のしがいはあるだろう」
「これからは、新人類が増えていくのでしょうか」
「どうだろうな。旧人類の科学力が環境変化に追いつけば繁栄が続くかもしれないが、まぁ新人類の方が生命力は高い。新人類と旧人類の人口比が逆転する可能性の方が高いだろう」
渋谷はホワイトボードの文字をせっせと消して、再びお茶を飲みに席に着いた。これからしばらく宗吾の話を聞き取って、その後軽い検査をすれば終わりだ。
「君は、自分が新人類であると知ったのはいつだった?」
「2歳の時、母親が気づいたんです。僕は特に耳がいいので、マンションの15階に住んでいるにもかかわらず駐車場に入ってくる父の車や歩く時の音を聞き分けてたんです。まだ姿が見えないのに『父さんだ』と言うものだから、試しに病院へ連れていって…という具合ですね。親戚にも身体進化型の新人類がいるので、出やすい血なのだと思います」
「まぁ大体は親が異変に気づくことが多いな。ご家族も丈夫な方なのでは?」
「そうです。母も父も体が丈夫で、風邪なんで引いたことがないってのが口癖です」
「ふむ…」
渋谷は考えるように口元に右手の人差し指を当てた。ヨレヨレの白衣を着ているのに、妙に色気があるように見える。これが大人か…と妙な憧れを抱いた。
「新人類が生まれやすい家系があるというのは最近言われ始めている。実に興味深いな…君のご両親や親族の遺伝子を調べさせてもらえないだろうか」
「え、えぇ、どうでしょう。電話してみます」
「無理にとは言わない。また教えてくれ」
「了解しました」
忘れないようにタブレットにメモを残す。その後はいつも通り、動体視力や握力、聴覚などを検査して研究室を去ることにした。渋谷は付き合ってくれた礼と言って黒糖飴を一粒、宗吾の手のひらに乗せた。チョイスが渋い。彼は無愛想だと学生から言われているが、実際に話してみるとかなり饒舌な方で(研究内容を話しているからかもしれないが)、こちらの話もよく聞いてくれるし、今回の飴のように細やかな気配りもしてくれる。宗吾は大学内で好きな教授を聞かれたら真っ先に彼をあげるだろう。
廊下に出ると、激しい雨の音が耳に飛び込んできた。渋谷の研究室は防音機能があるのか比較的静かだったためギャップに戸惑い耳を塞ぐ。ヘッドフォンをカバンから乱暴に引っ張り出して装着すると、幾分かマシになった。4限の教室へ行くにはまだ早かったため、購買へ向かう。研究棟からそれほど離れていないにもかかわらず靴に水が染みてしまった。
「おぉ、宗吾〜」
サンドイッチや缶コーヒーをカゴに入れた和夫が満面の笑みで手を振ってくる。考えることは同じらしい。
「雨やばいよな。電車止まるかもしれねぇ」
彼は大学の最寄り駅から6駅先にある実家に住んでいる。公共交通機関が止まるとそれだけで苦労するのだ。
「うち泊まる?この感じだと明日の朝も電車出ないかもしれないだろ」
「マジで?!いいの?」
「その代わりテストの範囲でわからないところあるから教えてくれ」
「もう全部教える〜!宗吾ちゃん神〜!」
何が欲しいの〜、言ってごらんよ〜と口調がおかしくなった和夫に思わず吹き出した。
「じゃあおでん奢って」
「なんでそんな渋いチョイス…しかもうちのおでん、味めっちゃ薄いじゃん」
「俺にとっては、それが一番いいんだよなぁ」
「意味わからねぇが、お願いはお願いだ。買ってしんぜよう」
「なんでお前が偉そうなんだよ」
「購入させていただきますぅぅぅぅ」
講義前に腹ごしらえができそうだ。温めてもらうと、出汁の香りが漂ってきた。ぐうっと腹が鳴り、今度は和夫が笑い声を漏らした。
5限までをなんとか乗り越え、和夫と宗吾は2人で降り注ぐ雨に悲鳴を上げながら帰路についた。講義棟を出て5分後には下半身全てがずぶ濡れで、和夫の「なんか下からも雨降ってねぇ!?」という叫びには共感せざるを得ない。
「こんな雨の日くらい休みましょうよぉ!」
「駄目だ。それで人が死んだらどうする」
大急ぎで道を歩いていると、最近聞いたばかりの声が聞こえてきた。立ち止まって辺りを見渡すと、先日宗吾の家をきた駆除人が前方からこちらに向かって歩いてきている。確か小此木遙子と名乗った女性が文句を言いながら袋に包んだ棒状のものを担いでいる。前方を歩く桜場岳翔はテニスバック程度のサイズをした黒いバッグを肩に下げていた。
「どうした、急に止まって。知り合いでもいたか?」
眉根を寄せる和夫に「駆除人がいる」と伝えると、途端に目を輝かせる。
「マジか!」
彼の大声に反応して、駆除人の2人がこちらをみた。
「あー!この間の!」
「ハル、声がでかい」
遙子が大声を出したあと、ビシッと宗吾を右手で指差した。どうやら覚えていたらしい。彼女は反対の手で岳翔の腕を掴むとブンブンと横に振る。
「ガクさんガクさん、彼に手伝ってもらいましょうよ!」
「駄目に決まってんだろ!」
「えー、手っ取り早いと思ったのに」
相変わらず2人は仲がいい。目を白黒させている和夫に申し訳なかったので、先日宗吾に降りかかった災難を簡単に説明した。
「マジかよ卵が家にあるとか怖すぎ…今日も同じような案件なんですか?」
顔を引き攣らせながら和夫が尋ねると、岳翔が首を横に振った。
「いや、今日は違います。この辺りで虫の幼虫を見たという情報が入ってます。幼虫ならまだ人を襲うことはないんですが、本当にいるならば早く駆除しないといけないのでこうして来たわけです」
「あちゃー、最近卵の目撃情報が多いって聞きますもんね。そういえば、この間の虫研でも先輩が言ってたな」
和夫が雨音に負けない大声で返事をする。彼は出会って数秒の人ともすぐに馴染めるスキルがあった。
「でも、なぜ僕に手伝ってもらおうって話になったんですか?」
宗吾が問いかけた途端、ピシッと空気が凍りついたように感じた。岳翔は笑みを浮かべたまま、青ざめる遙子の頭を鷲掴みにした。
「いえいえ、今日は他の駆除人も仕事に出ていて人手が足りないものですから。知り合いがいたから言っただけだと思いますよ。な、小此木さん」
「は、はいその通りでございます桜場さん」
異様な空気を漂わせる2人に、宗吾と和夫が顔を見合わせた。これ以上深く聞くのはやめよう。
仕事の邪魔をしてはいけないしと会話を終わらせてアパートへと足を向ける。歩き出すと、今度は宗吾の鼻を異臭が刺激した。
「どうした?」
突然鼻を摘んで顔を顰めた宗吾の肩を、心配そうに和夫がさする。宗吾の変化には、別れたばかりでまだ声が聞き取れる近さにいた駆除人も反応した。
「異臭がしますか」
岳翔の問いかけに頷くと、どこからと質問を重ねられる。困惑しながらなんとか臭いを嗅いで、古い中華料理屋とマンションの間の細い道を指差した。岳翔たちは頷くと、そちらに向かい始める。
「申し訳ないのですが、片山さんも着いて来てくださいますか」
「は、はい」
異臭のする道の入り口に着くと、岳翔が担いでいたバッグを開いた。遙子が彼の傘を代わりに持つ。彼が取り出したのはライフルで、手慣れた様子で組み立てると宗吾に目を向けた。
「どうですか?臭いは」
「あ、えっと、この辺りがやっぱり強いです」
岳翔は眼帯に覆われていない右目をじっと凝らす。
「暗くてよく見えないな。誰もいないといいが」
「私が見て来ましょうか」
「いや、今回は俺だけでいい。ハルは2人の側にいろ」
「はい」
真剣な声色に、宗吾達は息を飲んだ。なぜ連れてこられたのだろうか、なぜ虫の幼虫がここにいると思ったのだろうかと疑問符が浮かぶ。宗吾は、虫の卵にも似たような臭いがあったと思い出した。
「もしかして…」
彼の呟きは雨にかき消された。気づいてしまったのだ。虫には特有な臭いがあると。それもごく僅かなもので、新人類である宗吾だからこそ感知できたのだと。昼間に渋川に聞いた言葉を思い出した。五感感知型はー…
『触覚や嗅覚、視覚などが常人よりも優れており、身に迫る危険をすぐに察知できる』
妙だと思ったのだ。異臭がしたから卵を見つけられたと話したときの岳翔が考えるそぶりを見せたことも、先ほど再会するなり遙子が宗吾に虫探しを手伝ってもらおうとしたことも。この2人には自分が新人類であるとバレている。その事実に彼は体が震えた。
「奥にいるかもしれないので、少し刺激を与えて手前に誘き寄せます。2人は小此木が守りますが、念の為離れて」
「は、はい」
遙子に誘導されて、宗吾たちは道から離れた。
「耳を塞いだ方がいいかもしれません」
遙子がそう言って耳を塞ぐモーションを見せた。つられて宗吾と和夫も耳を塞ぐ。岳翔はバッグから新たに250ml入りの缶ジュースのような銀色のものを取り出した。上部にスイッチがあるらしい、彼はそれを躊躇うことなく押すと道に放り込む。キィィィィィンッと甲高い音が広がり、宗吾は奥歯を噛み締めて耐えた。数秒後、ドンドンと大きな何かが壁にぶつかりながらこちらに迫ってくる音が響く。
「よし、出てきた」
遙子が嬉しそうにそう述べると、1メートルほどの白い肉の塊が飛び出してきた。あれが虫の幼虫かと宗吾は顔を顰めた。いっそう漂う匂いが強くなる。カブトムシの幼虫を大きくして、頭の部分を極力小さくしたような見た目だった。岳翔は冷静にライフルを構える。一瞬そこだけ世界が切り取られたかの如く、時間が止まって見えた。それだけ空気が張り詰めていたのだ。想像よりも静かな発砲音が一度響いたかと思えば、幼虫はぴたりと動きを止めて地面に打ち付けられた。岳翔が5秒ほど間を開けてから幼虫に触れる。どうやら無事仕留めたらしい。
「流石ガクさん、一撃必殺だね」
遙子はスキップでもしそうな勢いで岳翔に駆け寄った。彼は雨で濡れた前髪を鬱陶しそうにかきあげる。和夫が「おぉ」と歓声を上げた。誰から見ても男前な岳翔がやると、まるでモデルのようなのである。
「早く回収して帰るぞ。車回してくるから、念の為規制線貼っとけ」
当の本人は素早くライフルを片付けて、再度バッグを持ち上げた。
「早く銃の整備しないと」
「だから私がやるって言ったのに」
「お前がやると散らかるんだよ。こんだけ雨が降ってる中綺麗に回収するなら俺がやるしかねぇだろ」
「えぇー」
遙子は嫌嫌規制線を貼り始める。どうしたらいいのかわからない宗吾たちが帰っていいかと問いかけると、岳翔が宗吾の肩を叩いた。
「また巻き込んで申し訳ありません。助かりました」
「い、いえ、何もしてないですし」
「とにかく助かったんです。1時間ほど探しっぱなしだったので」
「そうですか…誰かのためになったなら、良かった」
岳翔は優しい笑みを浮かべて走っていった。残された宗吾と和夫は呆けていたが、下半身の冷たさにくしゃみをする。
「か、帰るか。よく分からねぇけど」
「…うん」
和夫が震えながら提案するので、宗吾もすぐに頷いて歩みを再開させる。
「そういえば異臭とか言ってたけど、よく気づいたな」
和夫が思い出したように問いかけてくるが、曖昧に笑って誤魔化した。
「ふーん、まぁ、お前鼻とか耳とかいいもんな」
「えっ」
「凄いじゃん、駆除人の役に立つとか。かっこよかったなー、一発で仕留めてさ。しかも見た目も格好良かった」
あっけからんと言い放つ和夫に、どこか居心地の悪さを覚える。
「なんで宗吾に手伝ってくれって言ったんだろうな。あんだけ強ければ問題なさそうだけど」
再びの疑問に、宗吾は唇を噛んだ。たっぷりと間を空けてから、ヘラりと笑う。
「さぁ、なんでだろう」
本当はわかっている。新人類としての己の能力を知っているから声をかけられたのだと。嘘をつくことで胸がジクジクと傷んだような感覚がした。それでも、宗吾は幼少期から繰り返す心苦しさを、見ない振りをした。