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関東大蝗害  作者: 寺田夏丸
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5月の卵、駆除人との出会い

 その日は、海の向こうが真っ黒に染まっていた。15歳になったばかりの少女は、自転車を懸命に漕いで中学校から30分港側にある自宅を目指す。荒い呼吸が鼓膜を揺らし、喉は乾いて引っ付く様だった。

 道中、叫び声が響き続け、「虫」に襲われた人々の死体が転がっていた。なんとか目的地に着いた頃には、屋根や壁が齧られ、玄関横に二つ下の妹の亡骸があった。めまいを感じながら、庭のすみに転がっていたシャベルで、妹を啄む虫を殺していく。

「お姉ちゃん!!」

今年で9歳になるもう一人の妹の声がした。まだ生きているようで、怪我はしているが懸命に生き残ろうともがいている。守らなければ、私がこの子を守らなければ。使命感だけで体を動かし、襲いくる虫を攻撃し続けた。

 どのくらいそうしていただろうか、発砲音が聞こえたかと思えば、次々と虫が体液を飛ばしながら死んでいく。駆け寄ってきたライフルの持ち主は、害虫の駆除人と名乗る若い男だった。彼の銀色が太陽の光を弾いて、希望の様に見えた。




 「関東大蝗害」ー2380年8月1日、千葉、神奈川県を中心に関東地方を襲った蝗害の名称。加速した地球温暖化により過酷に変化した環境に適応すべく、巨大かつ雑食に進化した虫が大量に発生し家や人、家畜を食い荒らした。死者約5万3850人、倒壊家屋約10万3380件に上り、公共交通機関や電気、水道といったライフラインにも絶大な被害を与えた。進化した虫による人的被害として、初めて記録された事件である。


 『記録・関東大蝗害』と銘打った書籍を横にスクロールしていく。画面内のページは捲られるモーションはかかるが、動作が重たいのか酷くゆっくりだ。三年前に買った書籍用タブレットは型落ち品とはいえ、千冊は入るという認識で買ったが失敗だったかもしれない。大人しく最新式を買えばよかったと、片山宗吾はフラストレーションを誤魔化そうと、ズレた眼鏡を親指で上げながら大きく息を吐き出した。

「あー、まだたったの800冊じゃないか。紙で出版されて…ないよなぁ今時」

タブレットを閉じて、携帯端末でタイトル名を打ち込んでみるが紙媒体は売られていない。そもそも電子書籍専門の出版社から出ているらしいので、紙で販売する予定は今後もないだろう。紙の書籍はもう100年前には完全に時代遅れとなり、一部のマニアを除いて購入する人はいない。それに合わせて、市場規模もひどく小さいものになってしまった。今ほど復興して欲しいと願ったことはない。

 宗吾は気晴らしに風でも感じようと立ち上がり、ベランダに出る。天気はすこぶる良い。降り注ぐ太陽は地上の温度を上昇させて、5月だと言うのに街のあちこちに設置された電光温度計は「30度」を示していた。これが夏場には「40度」になるのだから恐ろしい。風が吹けば少し涼しい気がして、凝り固まった体をうんと縦に伸ばす。下の道路では黒い清掃ロボットが忙しなく動き回っている。宗吾の故郷である広島県では、ここまで多くの清掃ロボットはいないため、大学進学に合わせて上京して2年経っても見るたびに観察してしまう。

「あ、統計学のレポートしてなかった」

ぼうっとしていると思い出すのは宿題である。雪崩式に数学、生物などあらゆるレポートの締め切りが脳内を駆け巡った。慌てて室内に引き返そうとした時、ふと、嗅ぎ慣れない臭いが鼻を掠めた。生臭いような、発酵したような酸っぱい香り。ベランダを見渡すが妙なものはない。どこから漂っているのかは不明だが、宗吾は不愉快な気持ちになり顔を顰めてしっかりと窓を閉めた。


 急拵えで作成したレポートは、なんとか4限の授業に間にあった。危なかったと冷や汗を拭っていると、友人の相澤和夫が肩を叩いた。

「よう、調子はどうだ」

「昨日も会っただろ」

隣に腰掛ける和夫は人好きのする笑顔を浮かべた。地毛の黒が混ざる金髪を邪魔そうにかき上げて、シンプルな黒いリュックサックから教科書を入れたタブレットを取り出していく。彼は軽そうな見た目をしているが非常に勤勉な男で、先日買い直したと話していたタブレットケースが既に使用感が溢れていた。この姿勢は見習わなければいけないだろう。宗吾は数時間前の自分を叱りたい気持ちになった。

「今日の虫研行くよな?」

「もちろん。お前と違って、俺は皆勤賞だよ」

虫研とは、宗吾や和夫が所属している研究サークルで、正式名称は「ペスト研究会」。名前の通り、害虫に関心がある人間が集まっている。宗吾や和夫のように生物科に所属する学生が大半だが、歴史科や地学科もメンバーとして名を連ねている。ここで「害虫」として示すものは、一般的なゴキブリや作物を荒らすカメムシなどではなく、新しく進化した虫のことだ。現役大学生の多くはかの有名な「関東大蝗害」時に中学生だった人間であり、被災経験者も多い。研究もある程度進んできていることもあり、害虫に関心が強い年代だった。教授が入室してきて、講義が始まる。スクリーンに投影された資料を見ながら、ひたすらノートを取った。


 この日の虫研では、代表がかき集めた最近の電子新聞をみんなで囲んでいた。

「この半年で、害虫の卵があちこちで発見されている。報道されているだけで26件だ。今までもなかったわけではないが、ここまでの数は見たことがない。また蝗害が起こるんじゃないか」

代表の言葉に部屋はざわついた。

「気温はここ20年は平坦なはずだ」

「変化がないからこそ繁殖できたのでは?」

口々に推測を話していく。途中、和夫が新聞の一部を指さした。

「見つかっているのが港や田園ではなく、街中ですね」

「うん。今までの傾向として、天敵である人間の活動が多い場所での繁殖は少なかったはず」

「えー、俺の家の玄関にできてたら嫌っすねー!」

顔を顰めた彼の頭を先輩が愉快そうに笑いながら撫で回す。

「玄関は動きが多いからないだろ!せいぜいベランダだな」

「ベランダも分かりやすそうですよ?」

「俺の実家、ベランダの室外機に蜂の巣できてたぜ」

「えぇぇ、下側ですか?」

「なんと中だよ。使わない時期でよかった」

「うわぁー!」

和夫のオーバーリアクションに、どこか張り詰めていた空気が緩和する。普通の蜂であれば室外機の中にくらい入れるなと、宗吾は勝手に納得した。

「とはいえ、蝗害を起こす虫は小さいものでも50センチはあるから、卵産む前に羽音で気づくか」

「家にいない時だと分からないかもしれない」

「嫌ですねぇ」

口々に自宅に卵を生まれていたら、という過程の話で盛り上がりつつあった。宗吾も自宅の室外機を確認したいような、したくないような葛藤に襲われている。

「害虫は卵も大きいですけど、他に特徴ってあるんでしょうか」

宗吾が尋ねると、隣にいた3年生が答えた。

「うーん、卵の形は種類によるから変わるんだけれど、人によっては『臭いがある』と評価するね」

「臭いですか」

「生臭いような、ムッとする臭いらしい。先生の研究室で一度卵を生で見たけれど、僕は臭いを感じなかったな」

「へぇ、個人差あるんですね」

 この日は新聞に関して会話をしてから、2時間ほどで解散した。宗吾は残りのレポートも済ませようと足早に帰宅したが、自室の鍵を差し込んだ瞬間、3年生の言葉を思い出した。生臭いような臭い。統計学のレポートを思い出したとき、自分は何を感じた?恐る恐るベランダを開く。やはり、微かに異臭がするのだ。再度見渡しても何も見えない。深呼吸してから室外機の隙間を覗いた。

「なんだ、何もないじゃん」

緊張して損したなと胸を撫で下ろして、ついでに下も確認した。大きな乳白色の球体が数個引っ付いている。

「…うん?」


 「あ、これは害虫の卵ですねー」

猫のように茶色と黒の混ざった長い髪を三つ編みでまとめた女性が、室外機の下を見ながらあっけらかんと回答を述べた。間違いであってくれと願いながら害虫駆除業者に電話したが、ビンゴだったらしい。日本各地に駆除業務を担う会社は存在し、きちんとした会社であれば「全国ペスト駆除協会」に所属している。そこで直接的に害虫を駆除するのが駆除人と呼ばれる人々だ。今回のような卵の駆除から、実際に民間を襲う害虫との格闘といった命をかけた仕事もある。国家試験を通過しなければ駆除人は名乗れないため、この一見高校生にも見える若い彼女も強いのだろう。

「いやぁ、しかしよく気づきましたね。普段室外機の下なんて滅多に覗かないでしょう」

彼女と共にやってきたもう1人の駆除人が、害虫専用の「取扱注意」と書かれた袋とヘラのようなものをカバンから取り出して笑いかけてきた。彼は180センチほどの高い背丈でよく鍛えられた体をしており、彫りの深い顔立ちの美丈夫だった。複数のピアスや銀色に染められた髪と目立つ出立ちで、一番目を引くのは3センチほど千切れた左耳と、同じように傷の残る左目周辺を隠すように装着した黒い眼帯だ。

「あ、ほらガクさんの見た目が厳ついから!お客様を怖がらせてどうするんですか」

女性がパッと顔を上げて口を尖らせた。そう文句を言う彼女も、丈の短い黒Tシャツに同色のカーゴパンツを着ており、耳元の小さなフープピアスが光ってかなりカジュアルな印象だった。

「うるせぇぞハル、ほらこれで取ってくれ。俺の腕じゃ奥まで手が届かないからな」

「はいはい」

ガクさんと呼ばれた男性から一式を受け取ると、女性は慣れた手つきで作業に取り掛かった。2人は随分と仲がいいらしく、テンポよく会話している。

「申し遅れました。私は関東ペスト駆除株式会社で駆除人をしている桜場岳翔です。彼女は同じく駆除人の小此木遙子です。若いですが腕は確かですので、ご安心ください」

「は、はい…」

「あのサイズで気づけてよかったですね。かなり大きく育ってから見つけてしまったり、孵化しかけていたりで呼ばれることが多いので驚きました」

岳翔は動揺したままの宗吾を落ち着かせようとしているのか、爽やかに尋ねた。宗吾は「はぁ」と感じの悪い返事をしてしまう。

「あの、どうも朝から生臭くて…」

「生臭い?」

「はい、えー、僕、大学で害虫研究会に入ってるんですが、今日そこで先輩に害虫の卵って臭いを感じる人がいると聞いて…そういえば、嗅ぎ慣れない臭いがあったなと思い出したんです。それで確認したら」

「卵があったと」

「そうです」

宗吾の話に岳翔は少し考えるそぶりを見せたが、すぐに「何はともあれ、よかったです」と頷いた。

 15分後、遙子の「終わりましたー」との声で宗吾たちの世間話は終止符が打たれた。彼女はよいしょと掛け声を言いながら袋を担ぎ上げる。

「産みつけたばかりの柔らかい卵だったんですけど、全部綺麗に取れました」

「ありがとうございます」

遙子が退けた後、念のためと岳翔もベランダに出ていた。

「うん、完全に取れていますね」

お墨付きをもらい、なんとか危機は去ったようだ。

「料金は1万円です」

「あ、はい」

なかなか痛手だが、民間会社なので仕方がない。卵駆除なんて経験滅多にないだろうし、1万円で安全を買えると思えばと震える手で遙子が示したQRコードを読み込み、スマホ内の財布の入金ボタンを押した。戻ってきた岳翔が彼女が床に置いた卵を丁寧に持ち上げた。

「それでは、またお困りの際はお呼びください」

「はい、あの…」

宗吾はついつい岳翔に声をかけた。彼は不思議そうに首を傾げる。

「耳の傷はやはり虫との戦いでできたのですか。不躾ですみません、駆除人の方と話すの初めてですから、仕事に興味ああり…」

「あぁ、そういえば害虫研究会に入られてるくらいですもんね。この傷は、関東大蝗害の時にできたものです。あの時は私も駆け出しで、駆除人もまだ少ない時期ですから神奈川に手伝いで出されまして…なかなかの修羅場でした」

「あの時に実際戦われたんですね!すごい」

宗吾が感心して目を丸くすると、遙子も会話に混ざってくる。

「私は神奈川県出身で、それこそまさにガクさん…桜場さんに助けてもらったんです。彼は凄腕のスナイパーなんですよ!」

「駆除人は銃を使われるんですか」

「人によって武器は異なります。虫の駆除を目的にしていれば銃を携帯できますから、使う人も多いですけどね」

「へぇ…すみません引き止めて。面白かったです」

頭を下げると、2人は爽やかに笑って去っていった。

「ぜひ、将来の進路に駆除人も入れてくださいね!まだ人手不足なのでー」

遙子がそう言い残した。全く体も鍛えていなければ狙撃スキルもない自分には無理だろうと思ったが、宗吾は一応「考えます」と返事を返しておいた。


 遙子と岳翔は宗吾の部屋があるマンションを降りると、会社のボックス車に卵を入れた袋を詰んだ。

「いやぁー、最近は妙に住宅街での卵多いですね。それだけ増えてきてるってことですかね」

「一応上に報告だけしておこうか…しかしまぁ、さっきの子は凄かったな」

「え?何がです?」

助手席に乗り込んだ遙子が首を傾げて未だ外にいる岳翔を見た。彼は数秒マンションを振り返り車に乗り込む。

「あの子、多分新人類だな」

「嘘ぉ、もやしみたいな体型でしたよ」

「確かに新人類の特徴は大きな体だ。でも彼は確かに、卵に臭いがあったと話している。俺たちには分からない臭いだ。五感進化型ってやつだな」

「そのタイプは初めて見たや…大変でしょうね、色々と。でも一緒に働いてくれたら楽ですよねー!」

遙子が能天気なコメントを話すので、岳翔はため息を吐く。

「ほら、この卵を焼却施設に運んだら、港方面のパトロールに行くぞ」

「ちょっと休憩挟みましょうよ、ね?」

「30分だけな」

「やった」

さっすがガクさんと調子の良い彼女の頭を、呆れた様子の岳翔は掻き回した。

オリジナル連載の1話です。今から350年ほど先の日本で、気候変動による異常気象が起き、それに合わせて害虫などが進化したら…という設定で、駆除人と呼ばれる害虫駆除業を営む人々のバトルについて描いていきます。

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