俺が担当した患者は人気JK配信者!?入院中に配信を手伝ったら大変なことになった。
「ねぇ、もっと触れたい? 私の、もっと奥深くまで」
正面の美少女はベッドに腰掛け、俺を誘うような目付きで見上げている。
「……それは本当にやらなきゃ駄目なのか?」
「嫌なら他の人にお願いするだけだよ? お兄さんだって本当はシたい……でしょ?」
ここが個室で本当に良かった。
こんな所を同僚に見られでもしたら、俺の人生は一巻の終わりだ。
「ちゃんと……見ててね?」
「お、おい待てっ……」
俺が躊躇している間にも、少女は勝手に服を肌蹴させている。
もともと入院用の薄着しか着ておらず、俺が制止する時間もなかった。
ゴクリと生唾を飲み込む音が自分でも聞こえた。
女子高校生らしい可愛い下着。
シミひとつ無い白い肌。
目を背けようと思ったのに――どうしても視線を外すことができない。
俺のそんな様子を見た少女は口角を僅かに上げ、小悪魔のような表情を浮かべた。
「ほら早く……私がここまでしたんですから、さっさと触れてください」
「わ、分かったから……」
あぁ、もう!!
どうしてこうなったんだ!?
俺は先輩に頼まれてここへ来ただけなのにっ!!
「わたし、今すごいドキドキしちゃってる……」
「はぁ……頼むから落ち着いてくれ……」
ついそんな泣き言をこぼしてしまうが、彼女の頬はすでに上気しきっていて、こちらを気にかけてくれる様子はない。
(限界だ……さっさと入浴なんか終わらせて、担当を変えてもらおう……!!)
俺は目に涙を浮かべながら、こうなる原因となった出来事を思い返していた。
◇
時刻は午後四時半を回っている。
日中の勤務はそろそろ終わりに近い時間帯だ。
しかし俺の同僚である白衣の天使たちは未だ休む余裕もなく、忙しなく動き回っていた。
ナースステーションは今日も戦場だ。
骨折や病気に苦しむ患者さんのために汗水を垂らし、身を粉にして働いている。
俺こと九重 士郎もその中の一人。
この整形外科病棟に勤め始めて三年目の、男性看護師である。
ようやく仕事にも慣れてきてはいるが、先輩たちに比べたらまだまだヒヨっ子だ。
さて、そんな俺の今日のシフトは夜勤となっている。
日勤から仕事を引き継ぐため、少し早めに出勤してきたのは良いのだが……。
「俺と先輩の担当を……交換ですか?」
「そうなのよ~。ゴメンね、九重クン。お願いできないかしら?」
白衣に着替え、ナースステーションに入った瞬間。
同じ夜勤予定である病棟チームリーダーの剛田先輩に捕まり、そんなお願いをされた。
詳細はまだ聞いていないが、どうやら担当患者の変更をしてほしいらしい。
だがまぁ、これはよくある事だったりする。
緊急入院でそっちに回されたり、他の病棟のヘルプに入ったり。
その時々で理由は様々だが、もう慣れっこなので別にそれはいいのだが……。
「大丈夫ですけど、今からですよね? 何かあったんですか?」
「あはは……ちょっと言いにくいんだけどね。実はさっき、患者さんからクレームがきちゃったのよぉ。『他の看護師に変えて欲しい』って」
「あ、あははは。そうなんですね……」
先輩のその一言で、俺はだいたいの理由を察した。
苦笑いを浮かべ、視線を先輩から外す。
(……どっかで患者にバレたんだろうな)
今も目の前では筋骨隆々の男が頬に手を当て、クネクネと困ったアピールをしている。
ジョリジョリと無精ヒゲの擦れる音まで聞こえてくる有り様だ。
「いやだわぁ、もう伸びてきちゃってる~! 帰ったら早くケアしなくっちゃ!!」
「はははは……いやー、大変っすよねぇ……」
同じ男なんで分かります、とは言わない。
見た目はゴリゴリマッチョなイケメンなのに、中身はしっかりと(?)乙女なのである。
優しい俺には、漢女を傷付けるなんて酷いことはできない。
「年を取ると肌も荒れてきちゃうし……夜勤は美容の天敵だわぁ~」
「……そ、そっすよねぇ~」
この人も最初は普通のお兄さんだったらしい。それが女性が多い職場に長年居るうちに、そっちに目覚めてしまったという。
……なんというかまぁ。
この仕事も色々とハードだからさ。
いろんなストレスの発散法はあっても良いと思うけど……ね。
それに先輩としては本当に良い人なんだ。
普段は患者さんの前では性癖を出さないし、仕事もできる。
男が少ない職場では変態……いや、大変貴重な人材である。
さっき言ってたクレームも、偶然どこかで見られてしまったんだろう。
「分かりました。ええっと、たしか五○一号室の一条さんですよね」
「そうそう! ありがとう、助かるわァ。それじゃあ悪いけど、彼女の看護はよろしくね~!」
去り際に『とっても可愛い女の子だから扱いに気を付けて~』と余計な情報を告げる先輩。
これで心配事が解消されたわ!と、ルンルン気分で点滴の準備に行ってしまった。
「いや、仕事に可愛いとかは関係ないでしょうが……」
それよりも、その患者とキチンとコミュニケーションができるかどうか、そっちの方が心配だった。
「可愛くても性格がキツかったらどうしよう……」
クレームの後だから、スタッフに悪感情を持っている可能性が高い。
それでもまぁ。
仕事だからやり遂げるつもりだけどさ。
「さて、と。それじゃあ行ってみますか」
普段よりも少し強く覚悟を決めてから、俺はその子の居る病室へと向かうのであった。
◇
看護の準備を整えた俺はさっそく、担当となった五○一号室へとやって来た。
入り口の壁には、患者のネームプレートがはめられている。
「一条、満月さんか……」
ここに来る前にカルテを確認し、日勤の看護師から申し送りを受けてきた。
それらの情報によると、この子は体育の授業中に利き手である右手を骨折したそうだ。
高校三年生ってことは受験生ってことだよな?
可哀想に。利き手が使えなきゃ勉強するのも大変だろう。
家は両親と妹で四人暮らし。父親は大学の教授で母親は看護師をしている。
入院直後から一番大きい個室を選択する辺り、家はかなり裕福そうだ。
他に特筆すべき点は……
「先輩にクレームを入れたってことは、少し神経質かもな。多感な時期だから特に気を付けよう。……でもちょっと変だよなぁ。どうして他の女看護師まで拒否したんだろう」
剛田先輩をオネェだからと嫌がったのなら、普通は女性の看護師を受け持たせるんだが……。
「まぁ、軽く挨拶して駄目そうなら仕方ない。説得して他の看護師をつけよう」
まずは会ってみないと、どんな子かも分からないしな。それから考えよう。
「……よし」
――トントントン。
「すみませーん。ご飯の前に検温させてくださーい。いま入室してもよろしいですか~?」
ノックをしてから、ドア越しになるべく優しい声で呼びかける。すると中から若い女性の声で「どうぞ」というセリフが返ってきた。
少し間をおいてから「失礼します」とドアを開けた。
(ん、窓を開けていたのか)
入室した瞬間、俺の顔を晩秋の冷たい風が撫でていった。
窓を見れば、夕陽がちょうど地平線へ落ちていくところだった。
「綺麗だ……」
本来白いはずの部屋は今、真っ赤な紅葉色に染め上げられている。
だけど俺が綺麗だと言ったのは、その光景が理由じゃない。
「一条さんですか?」
「……はい」
心地良い、透き通るような声。
この部屋の主は短く返事をした。
ベッドに腰掛け、ぼんやりと外を眺めていた美少女。彼女が俺の担当患者である一条満月だろう。
黒髪を風になびかせ、長い睫毛をした目を眩しそうに細めている。
その光景は一種の芸術のようで、『絵画にしたら映えるだろうな』なんて素人ながらに思うほどだった。
「もう寒くなりますから、窓は閉めちゃいますよ?」
「はぁい」
このままいつまでも眺めていたい気分だったが、患者に風邪をひかせたら大変だ。
俺が窓を閉めている間に彼女は布団を左手で掴み、冷えた足に被せていく。
そして慣れたようにリモコンを使い、ベッドのリクライニングを起こしていた。
もちろん、彼女の右手は首から下げた布で固定されたまま。しかし見たところ、彼女はあまり不自由な生活はしていなさそうだ。
「(ずいぶん快適に過ごしていそうだな……)」
正直、彼女が少しだけ羨ましい。
ここは大部屋ほどでは無いけれど、個室にしてはかなり広いVIP用の部屋だ。
俺の住んでいる安アパートよりもよっぽど快適だろう。
「今夜は私が一条さんの担当看護師になります。よろしくお願いします」
「ふぅん……九重さんっていうんだ……」
俺の胸元にあるネームプレートを見た後。
頭の天辺から靴の先までジロ、と品定めをされた。どういうわけか、心なしか少し満足そうな表情をしている。
えぇっと、これはどう判断すればいいんだ? まだ拒絶はされていない……よな?
「バイタル……血圧とか体温を測ることですね。それと食事の準備は私がします。もしお手洗いとかの補助が必要でしたら、女性看護師を呼び「九重さんで大丈夫です」……ますので、もし必要だったら仰ってくださいね」
うぅん? 途中すごい食い気味で来たな。解せない……なんで俺を御指名なんだ!?
それにこの子、表情があまり変わらない。
だからいったい何を考えてるのか、ちょっと分かりづらいところがある。
見た目こそ綺麗なんだけど、ちょっと近寄りがたい感じの女の子だ。
学校じゃ高嶺の花とか思われてそうなイメージ。
……まぁ、拒否されるよりかは良いのか?
こっちは仕事中だし、スムーズにこなせるに越したことはない。
「それじゃあ。さっそく血圧とかを測らせてもらいますね」
「はぁい。お願いします」
気を取り直し、俺はここへ来た目的であるバイタルの測定をすることにする。
ベッドサイドの隣りに寄り、道具を広げていく。
うわぁ、近くで見ると余計に可愛いな。
顔なんて俺の手のひらぐらいしかない。
「ねぇ、九重さん。……九重さん?」
「――え? あ、すみません。なんです?」
「突然ぼーっとし始めたから……測らないの?」
「や、やりますよ? ちょっと部屋が暖かくなるのを待っていたんです。ほら、寒いと血圧も変わるんで」
……うぐぐぐ。
首をコテン、と傾げる仕草でさえ愛くるしいとは。さらには「ふぅん?」とアヒル口に尖らせるというオマケ付きだと!?
唇ぷるんぷるんじゃねぇか!! なにこれ!? ファーストコンタクトだけで、ここまで男を殺しにかかって来るのか!?
なんて末恐ろしいJKなんだ……この子のいるクラスの男どもは、いったいどうやって理性を保っているんだ?
嗚呼、無自覚美少女JK恐るべし。
ともかく、なんとしてでも仕事はこなさねば。
己の震える手をどうにか動かし、血圧計を左手に巻いていく。
(すげぇ、綺麗だ……)
毛でモジャモジャな男の腕と違って、すべすべな肌だ。
それはもう、陶磁器でできた人形かってぐらいに綺麗な腕をしている。
撫でたくなる衝動をギリギリで抑え、血圧計の隙間に聴診器を入れていく。
「九重さん」
「え、はい?」
ん、今度は何だ。
血圧計をキツく締め過ぎたか?
「すみません」と謝りながら急いで緩め、顔を上げた。
俺の彼女の顔は目と鼻の距離だ。
必然、目が合った。
「九重さんって、童貞さんなんですか?」
「ぶふぉっ!?」
可愛すぎる患者、一条満月の口から衝撃のひと言が飛び出した。
「ど、どどど童貞!? な、何を急に!!」
「ふふっ、慌ててる~。もしかして、図星なんですかぁ?」
悪戯が成功した子どものような、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる一条さん。
そんな悪魔みたいな顔でさえ可愛いのだから、本当に始末に負えない。
「私が通っている学校って、女子校なんですよ。だからホンモノの童貞さんって実際に見たことがあんまりなくって……だからちょっと興味があるんです」
「だ、誰が童貞だって認めたんだよ!? 俺は別に経験ないって言ってなくない!?」
たしかに俺は童貞だけど!!
女ばかりの学校や職場にいたくせに、彼女なんて居たこともありませんけど!?
ていうか童貞に興味があるってナニ!?
ま、まさかその歳で童貞キラーになる気なの!?
「あ~、やっぱりそっちが素なんですね?」
「……え?」
「男の人なのに“私”って言ってたから。その言い方、九重さんにあんまり似合ってないんだもん」
似合ってないだもんって……。
こっちは仕事中だから“私”って使っているんです! 似合ってなくても社会人はそれが普通なの!
それがたとえ女子高生が相手でもね!!
「素の方が男性らしくって好きですよ? 九重さん、カッコいいのに」
「はっ、え? カッコいいって、俺が……!?」
そんなこと生まれて初めて言われた……。
こちとら中高で体育会系の部活をやっていたお陰で、正真正銘ゴリゴリのゴリラなんだ。実の親にさえ「お前は動物園から引き取った」と真顔で言われるレベルだぜ?
まぁ、もしかしたらゴリラ界ではイケメンの部類に入るのかもしれんが……。
「女性ばっかりに囲まれていたので、男らしい人に憧れているんです。パパは勉強以外ではあんまり頼りにならないし……その点、九重さんみたいな人は……ね?」
ね?って言われましても!? ねって言われましてもォ!?
「ほら、分かるでしょ? 今の私……すっごくドキドキしてるんです」
「あっ、ちょっ満月ちゃん……!!」
彼女はボーっとしていた俺の手を取り、自身の胸元へ持っていく。
入院生活用の病衣はかなり薄着だ。
そのせいで服の中――見えてはいけないモノが見えそうに……。
あっと思った時には、俺の手は既に彼女に触れてしまっていた。
「ほら、凄いでしょ?」
「え、あ……うん。ソウデスネ」
まぁ、胸元を通り過ぎて首に触れただけ……なんですけどね。
もちろん首にだって脈がある。
こうして触れていると高速で脈打っているのが分かる。
たしかに満月ちゃんの言っていたことは本当だった。
「わたし、病気なのかなぁ?」
「……少なくとも身体には異常はないと思うよ?」
呆れ顔になりそうなのを耐えながらそう答えた。
これって俺のことを揶揄って遊んでいるだけじゃないか?
本当に男慣れをしていなかったら、こんな大胆なことしないだろう。
事実、彼女の目はさっきから笑ったままだ。俺の反応を見て楽しんでいるに違いない。
クソッ、年下の女の子にここまで弄ばれるだなんて……!!
「九重さん。お願いがあるんですけど」
「……なんですか?」
このタイミングでお願いだって?
満月ちゃんは俺の手を握ったまま。
目を潤ませながら俺を見つめている。
なんだろう、すげぇ嫌な予感がする。
「二人っきりの時だけでいいので、さっきみたいにラフな感じで話してくれませんか?」
さっきのって、敬語無しってことか?
いやいやいや、俺は仕事中なんだけど……。
「お願い……私って男性慣れしていないし、フレンドリーな方が気が楽なんです。ねっ? そっちの方が患者が過ごしやすいって言っているんだから、別に良いでしょう?」
う、うーん。
そんな必死になって言うことか?
……でもまぁ、それぐらいなら良いのかな。患者さん本人の要望だし。
いや、後で問題になったら怖い。
念のために先輩に報告だけはしておこうっと。
「分かり……分かったよ。でもあくまでも俺と満月ちゃんは看護師と患者。その距離感はキチンとするからね?」
「やったぁ!! ありがとう、九重さん。やっぱり優しくて好き~!!」
――んぐぐぐ。
男相手にそんなあっさりと好きとか言うんじゃねぇ。
それといい加減、その手を離してくれないかな?
「それでね。改めてお願いがあるんだけど……」
「いや、聞いたじゃん! たった今聞いたばっかじゃん!?」
「あれは患者としての正当な要望ですぅ。こっちは私の個人的なお願いなの!!」
いや、タメ語だって個人的なお願いだと思うんだけど?
ま、まさかこの子……。
段階的にお願いレベルを上げることで、より難しい要望を通そうとしているのか!?
俺は満月ちゃんを恐ろしいモノを見るかのように視線を送る。
だけど彼女は笑顔のまま。引く気は一切ないみたいだ。
「私、パソコンが使いたいんです。どうしても、今夜までに」
「へ? パソコン?」
なんだ、パソコンの使用申請だったのかぁ。思っていたより、普通のお願いだった。
ていうかそれなら別に、あらたまって聞くようなことじゃないよ?
普通の入院患者さんからも良く聞かれる質問だし。
「……お願い。どうにかならないかな?」
しかし満月ちゃんにとっては重要なことだったみたいだ。
真剣な表情で俺の答えを待っている。
「うーん、パソコンかぁ。スマホじゃダメなの?」
その質問に対し、満月ちゃんはコクンと頷いた。どうやらスマホでは出来ないことをしたいらしい。
でもパソコンじゃないと駄目なことってなんだろう?
ちなみに病院ではパソコンの貸し出しはしていない。
だから満月ちゃんのご家族に持って来てもらうしかないのだが……。
「そうだなぁ。ご両親に許可を貰えたらになるかな。今度お見舞いに来た時にお願いしてみたら?」
「それは無理なの!」
「え?」
俺の手をふりほどき、満月ちゃんは急に叫び出した。
目を三角にさせて怒っている。
「パパもママも、私のことなんて放ったらかしなんだもん……知ってる? お見舞いなんて入院した時にしか来なかったんだよ!?」
「それは……」
「まだ小さい妹だって、家じゃ私が面倒見てるし! 子どもを勝手に産んでおいて放置なんて……あまりにも勝手過ぎるよ!」
「ちょ、ちょっと待って満月ちゃん!!」
「どうせ九重さんには私のことなんて分からないよ!! 無理ならもういい!! 用が終わったならさっさと出てってよ!」
もう話なんて聞きたくない、とばかりに満月ちゃんはまた布団をかぶってしまった。
中からすすり泣くような声も聞こえる。
赤の他人である俺がこれ以上何かを言っても、彼女にとっては逆効果だろう。
……うーん、困ったな。
彼女の快適な入院生活の為にも、どうにかしてげたいところなんだが。
なにか手助けできることはないかなぁ……。
部屋を追い出されてから1時間後。
俺は夕飯を届けるため、満月ちゃんの病室へと再び訪れていた。
「満月ちゃん……ちょっと、布団から出てきて話をしよう?」
「……」
「せっかくの夕飯も冷めちゃうよ?」
やっぱり駄目か……。
さっきと同じように、布団の中に引き篭もって出てきてくれない。
お父さんとお母さんのことでかなりご立腹の様子だ。
孤独な入院生活が寂しさを助長させているのかもなぁ。
だけど俺だって引き下がるわけにはいかない。それに今回は強力な助っ人を連れてきたのだ。
「お姉ちゃん……右手を怪我しているのに、そんなことをしていたら良くならないよ……?」
「カエデ? それにママまで!! どうしてここに……!?」
ようやく布団から顔を出した満月ちゃんが見たもの。
それは満月ちゃんのお母さんと、妹のカエデちゃんだった。
「あの後ね、満月ちゃんのお母さんから電話が掛かってきたんだ」
「ママが電話を……?」
「……満月ちゃん。今はまだ分からないかもしれないけど、働くってすっごい大変なんだ。その忙しい時間の合間に、お母さんは自分の時間を削ってここに来てくれたんだよ?」
目を真ん丸にして驚く満月ちゃん。
ふだん彼女が家で家族とどうやって接しているかは分からない。
だけど俺が話してみた限り、お母さんはちゃんと満月ちゃんを気に掛けているように思えた。
今も決して責めることなく、優しい顔を娘たちに向けている。
ちなみに俺の母さんもシングルマザーで、普段からいつも仕事尽くめだった。
子どもの頃はかなり寂しかったけど、大人になった今では感謝しかない。
もちろん俺とは事情も環境も違うだろうけれど……。
こうして心配してくれている家族のこと。満月ちゃんにも、ちゃんと知ってもらいたかった。
「さっきのことも、ご家族に相談したよ。そうしたら、ほら」
俺はカエデちゃんの持っているトートバッグを指差す。
あの中には、満月ちゃんが家で使っているノートパソコンが入っている。
「満月ちゃんには普段から寂しい思いをさせているから、できることはしたいって飛んできてくれたんだ……みんな満月ちゃんのことを心配してるんだよ」
満月ちゃん口をポカンと開けて、ビックリした表情のまま動かない。
よほど衝撃的だったんだろう。さっきから二人の間を視線が行ったり来たりしている。
「そうだよ、お姉ちゃん! お父さんだってお姉ちゃんが心配で、おうちでずっとソワソワしてたんだよ!?」
「あの人、授業があるのに無理やり休みまで取ろうとしたのよ。今日だって『俺も病院に行く』って言うのを、カエデと一緒に引き留めるのが大変だったんだから……」
若干疲れた様子のお母さんは「あの人の頑固さって満月によく似てるわ」とクスクスと笑った。
小学生ぐらいの見た目のカエデちゃんはトコトコと姉に近寄っていく。
そしてトートバッグの中から一台のノートパソコンを取り出し、満月ちゃんへと手渡した。
「お姉ちゃん。みんな心配してるんだからね!? 早く治してお家に帰ろ?」
「カエデ……」
満月ちゃんと違って、カエデちゃんはご両親に愛されていると分かっているみたいだ。
うん、やっぱり俺がアレコレ言うよりも家族と会う方が確実だったな。
素直な妹の訴えによって真実を知った満月ちゃんは、ようやく親の愛情を理解してくれたようだ。
「ごめんね、お姉ちゃんが間違ってたよ。心配してくれて、ありがとう」
「うん! どういたしまして!」
うんうん、美しきかな家族愛。
カエデちゃんは満月ちゃんに抱き着いて、頭を優しく撫でて貰っている。
いやぁ、これで無事解決だな~。
あとはスムーズに看護師の言うことに従ってくれるとありがたいんだが……。
壁際でそんなことを考えながら、俺は束の間の一家団欒を微笑ましく眺めていた。
――のだが。
抱き着いたまま大人しく頭を撫でられていたカエデちゃんが、不意に顔を上げて満月ちゃんにこう言った。
「お姉ちゃん、何かくさい……」
「「「え……?」」」
◇
「ほら、いつまでも落ち込んでないで。ちゃっちゃと綺麗にしような?」
「ううぅ……だ、だって……」
実の妹であるカエデちゃんに思いっきり臭いと言われてしまった満月ちゃん。
あまりにショックだったのか、三度ベッドの布団に潜ってしまっていた。
たしかに彼女は今日まで、病院にあるお風呂には入っていなかった。
主治医の許可が出ていなかったからだ。
つまり入院してからずっと、蒸しタオルで簡単に身体を拭いていただけ。
そりゃあ幾ら美少女だって、数日風呂に入らなきゃ多少は匂うとは思う。
でもそれは入院しているから仕方がないとは思うんだが……。
「もう……お嫁にいけない……」
「まぁ女の子は気にするよな。もうちょっと早目に気付いてあげれば良かったよ」
しょうがないので、俺はすぐさまドクターに相談することに。
幸いにも直ぐに、入浴の許可を貰うことができた。
そうしてカエデちゃん達を見送った後。
個室に備え付けのシャワー室で入浴することになったのだ。
「……でも本当に俺でいいの?」
「九重さんじゃないとイヤ……」
「そ、そう……」
入浴許可が出てはいるものの、当然彼女の右手は使えない。
身体を洗うにも看護師の補助が必要だ。
担当とはいえ、さすがに男の俺がやるのはマズい。
だから同僚の女性看護師に補助を依頼しようと思ったのだが……。
「私は九重さんじゃないとイヤ……」
と言ってきかなかったのだ。
いや、俺も流石に断ったよ?
でも満月ちゃんは決して首を縦には振らなかった。
結局、周囲の人間が折れた。
ドクターやお母さん、先輩の許可を貰い、渋々ながら俺が補助することになったのである。
「じゃ、じゃあ脱がせるよ……?」
「えへへ。お願いしますね、九重さん♪」
――こうしてこの話は冒頭に戻る。
奇しくも女子高生の柔肌に触れることになった22歳の童貞。
まさに地獄のような……いや、天国のように幸せな時間だった。
◇
「……九重さんは脱いでくれないんですか?」
病衣を脱ぎ終わった満月ちゃんが、とんでもないことを言い出した。
「当たり前だろう? さすがにそれはマズい」
ただでさえアウトな接触があったのだ。
これ以上窮地に追いやって、この子は俺をどうしようというのだ!?
むしろ俺はこれから更に着るところだ。
白衣の上からビニール製のガウンをかぶり、手袋を装着する。とにかく濡れないように対策すれば、こっちの準備は終了だ。
終了、なのだが……。
「……あんまりジロジロ見ないでください。恥ずかしいです」
いや、なにを今更……。
「これから身体を洗うんだけど……今からでも他の人に変更する?」
「ジロジロ見られるのと洗われるのは、また別なんです!!」
う、たしかにそれはそうなんだけどさ。
視線の先に居るのは、バスタオルを身体に巻いた全裸の美少女。
片手で押さえている姿がちょっと色っぽくて、つい見惚れてしまっていた。
まだ学生のはずなんだけど、しっかりと女性の身体をしている。
バスタオルの上からでも分かるぐらいに出るところは出ているのだ。
モデル体型だと思っていたが、実は着やせするタイプなのかもしれない。
なるべく見ないように目線を天井に向けながら、シャワー室へと入る。
満月ちゃんも、いそいそと俺の後についてきた。
もう、何も彼女を隠すものは無い。
「「……」」
き、気まずい……!!
無言の時間が、ゴリゴリと俺のメンタルを削っていくのが自覚できる。
……うむ。
さっさとやって、早く終わりにしよう。
妙な緊張感を払拭するために、俺はシャワーのお湯を出して誤魔化す。
「それじゃあ、洗っていくね?」
「……うん」
俺は持っていたスポンジに備え付けのボディソープを乗せ、優しく洗っていく。
首から肩、背中……そして脚へとゆっくり、丁寧に。決して彼女の身体を傷付けないように。
「……痛かったりしない?」
「平気です。ていうか九重さん、上手ですね。なんか慣れてません?」
「女の子の身体を洗うことが? そりゃ、看護学校の実習とか仕事で何度もやってきたからな」
「ふぅん、そうなんだ……」
チラッと俺を見て、ちょっとだけ悔しそうな顔をする満月ちゃん。
ふふ、ふふふふ……。
ごめん、満月ちゃん!! 俺は今、強がって大嘘を吐きました!!
正直、普段の数倍緊張してるからね!?
だってまさか、こんな美少女の身体を洗う日が来るだなんて思ってねぇし!?
ぶっちゃけシャワー室に入る前から俺の心臓はバクバクだ。破裂しそうなほどに高鳴っている。
ちくしょう、こんなに緊張するのなんて初めてだよ!!
普段は爺さんと婆さんばっかりだ。変な気分になることなんて一切無かったのに……!!
「(心頭滅却!! 諸行無常!! 時は金なり……!!)」
「九重さん? 次は髪を……」
「……九死に一生!! 十人十色!!」
「えっ? なに?? きゃあっ?」
ううっ、頼むから今は話し掛けないでくれっ!!
あぁ、こうなったらもう自棄だ!
シャワーヘッドを引っ掴み、俺は無我夢中で満月ちゃんの頭を濡らしていくのであった。
◇
「(はぁ……大変だった)」
丸椅子にちょこんと座る少女の髪を乾かしながら、心中で深い溜め息を吐く。
本当に……本当に大変だった。
理性が崩壊するってあぁいうことを言うんだな……。
あの後どうにか全身を洗い終わり、こうして部屋へと戻って来れた。
もう早く休憩に入りたい……。
「もうっ。途中から強引すぎましたよ、九重さん!!」
「ごめん、悪かったよ」
申し開きもできない。
それくらい、やらかしてしまった自覚はある。
「それに……途中から大きくなっていました」
「な、なにが……それってもしかして」
彼女もあえて言葉にはしなかった。
コクンと背中越しに、満月ちゃんの頭が上下した。
それとは、アレのことである。
つまりは俺のナニってことだ。
「……っ!? ご、ごめん!!」
やっべぇ。
そこまでバレていたとは……!!
これはあまりにも酷い。
羞恥心で顔が真っ赤になる。
俺は背後に居るので顔は見えないが、満月ちゃんの耳も同じ色に染まっている。
うぐぐぐ……。
だって、君が可愛い過ぎたんだよ。
仕事だからどうにか耐えたけど、俺だってこれでも男なんだ。生理現象だって起こるに決まっているだろ?
「ところで、九重さんはこれからご飯なんですよね?」
「え……あ、あぁ。これが終わったら休憩時間だよ」
シフトにもよるが、今日は九時から一度休憩に入る。その間に晩飯も食べるつもりだ。
「私、これから動画の配信をしようと思っているんです。もし、良かったらなんですけど……九重さん、私の生配信を観てくれませんか?」
「生……配信??」
「私、自分のチャンネルを作って配信していたんです。元々今日って配信の予定日だったのに、骨折しちゃって諦めかけてたんだけど……」
え、それじゃあ。
この子はその為にノートパソコンを持って来てもらったってこと?
つまり、スマホじゃできないことって……。
「メイクの実演とか、ゲーム実況が流行ってるじゃないですか。ノートパソコンがあれば、配信や編集もできるので……」
あー、そういうことだったのかぁ。
でも原則、録画とか撮影は院内禁止なんだけどなぁ。
「お願いっ!! 今日はアバターを使って、実写は無しでやるから! それに九重さんが監視してくれていれば、変なこともできないでしょ??」
「いや、でも……」
「じゃないとおっきくしてたこと、みんなにバラす」
ひえっ!?
それはもう脅しじゃねぇか!!
「ねぇ、今日だけ……良い子にするから。我が儘も言わないし、看護師さんの言うことも絶対なんでも聞くから……!!」
……いやいや、その言い方よ。
うーん、仕方がない。
スマホやパソコン自体の使用は、個室では禁止されていないしな。
事前にやって良いか聞いてみるか……やだなぁ、また先輩を困らせちゃうよ。
「分かった。取り敢えず、偉い人に聞くだけ聞いてみるから。駄目だったら、ちゃんと諦めていうことを聞くか?」
こっちの出せる譲歩はこれまでだ。
あとは知らん。
「わぁ! ありがとう!! うれしー!!」
「おい、あんまりはしゃぐな。腕の治りが遅くなったら困るだろうが」
「はーい!! あっ、ねぇ九重さん」
「なんだよ。これ以上のお願いは……」
――ちゅっ。
「えっ……ええっ!?」
突然、俺の頬を柔らかい感触が襲う。
もちろん、その原因は目の前に居る満月ちゃんだ。
「これは私からのお詫びのしるし。ごめんね、我が儘ばっかり言って」
「お、おう……」
まさかの報酬に俺はただ頷くことしかできない。完全に満月ちゃんに主導権を握られてしまっている。
俺はもう、彼女のいいなりだ。
「じゃあ、今からステーションに戻って準備して来る。ちゃんと良い子にして待っていろよ?」
「うん!! 待ってる!!」
「配信も、やれるとしても三十分くらいだけだぞ?」
「分かった! ありがとう、九重お兄ちゃん!」
お兄ちゃん!?
いま、お兄ちゃんって言った……!?
やめろ、これ以上俺を誘惑するのは勘弁してくれ!!
「はぁ。色々とバレたら俺は終わりだな」
「そうしたら私が責任を取るから、安心して?」
なんだよ、責任って……。
俺のことを養ってくれるって?
「はいはい、そういうことは大人になってからな」
「むぅ~。そうやって子ども扱いして!!」
だって子どもだろうが。
いいよなぁ、気楽で。働くことの大変さや責任の重大さなんて知らないんだから。
今日何度目かも分からない溜め息を吐き、俺は個室を後にした。
――俺は知っておくおくべきだった。
夜間帯にやっている動画配信。
その中にある男性に人気のジャンル。
そこでのトップにミツキ、という有名配信者が居るということを。
彼女はメディアにも取り上げられるような、超が付くほどの人気配信者だったのだ。
そしてその収入は、俺の給料を遥かに越えているということを、俺はまだ知らない……。
◇
「やぁ、お邪魔するよ?」
本日三度目の訪問。
夕飯のお弁当を片手に五○一号室へとお邪魔する。
「あっ、おかえりなさい」
「ただいま……って、それはちょっとおかしくない?」
冗談を言えるぐらい元気になったみたいだ。
満月ちゃんはクスクスと笑いながら俺を出迎えてくれた。
最初はちょっと近寄りがたいイメージだったんけどなぁ。
でもやっぱりこの子は笑顔の方が似合う。
ちなみに満月ちゃんは配信の準備をしている途中だったみたいだ。
ベッドの上でパソコンをカタカタと操っている。
ベッドに備え付けられている台の上には、本格的なスタンドマイクやヘッドホンなんかが置いてある。
これから収録か……なんだか俺まで緊張してくるな。
「そういえば満月ちゃんは普段、どんな配信をしているの?」
今更だけど、それについて聞いていなかった。
俺自身はあまり若い子の配信ってあんまり見たことが無いんだよなぁ。
有名実況者のレトロゲーム実況や飲み配信は見るけど。
あとは釣りやバーベキュー配信とか。
酒を飲みながら、そういうのをオツマミ感覚で見るのが好きなんだ。
サイトはやっぱり大手のアイチューブか?
彼女は学生だし、まさか酒飲み配信はするまい。
○○をやってみたとか、そういう企画モノでもやっているんだろうか。
今回は配信をする側を間近で見れるとあって、ちょっとワクワクする。
あ~、これはアレだな。
好きなアーティストのラジオ収録を観に行った感覚に似ている。
「普段はねー、ASMRとか使った配信とかかな?」
「ASMR……? それって実際に耳元で話されているみたいな感覚になる……アレのこと?」
「うん、それ。最初は普通のマイクで配信してたんだけどね~。リスナーさんがもっといい機材を使った方が良いよーって」
そう言って満月ちゃんは台の上にあるのはスタンドマイクを指差した。
相場とかは分からないが、素人目に見てもなんだか高級そうな機材だ。
彼女はこれを自分のお小遣いで買ったのか?
「リスナーのみんながね、使ってほしいって支援してくれたの」
マジかよ!?
いくらファンだからと言っても金かけすぎだろ!!
「んー、よし。そろそろいいかな?」
「おっと、もう時間が迫っているのか」
俺の休憩時間も限られてることだし、始めてもらおう。
俺はベッドサイドに丸椅子を置き、そこを自分の席とした。
本当にすぐ目の前での収録だ。
だけど満月ちゃんは堂々としていて……うん、なんか凄い。
「パソコンの扱い、めっちゃ慣れてるね……」
「えへへ。利き手が使えたら、もっと早いんだよ?」
本人はそう言っているが、俺からしたら十分すごい。
左手一本で、器用にマウスとキーボードを巧みに操作している。
あれ? そもそも俺って、なんでここへ呼ばれたんだ?
てっきり右手の代わりに操作を手伝うのかと思っていたんだけど……。
どう見ても、満月ちゃんに俺は必要なさそうだ。
「あーあー、大丈夫かな? なんだか久しぶりだから緊張する……」
「え? 満月ちゃんも緊張してるの!?」
「そりゃそうだよ!? だって私ひとりで段取りから全てをやるんだもん!」
あー、そりゃそうか。
どれだけの人が集まって来るのかは知らないけれど、基本は満月ちゃんが一人で場を盛り上げなきゃいけないもんな。
「ねぇ、九重さん。最後に音声のチェックだけ付き合って貰ってもいいかな?」
「え? あぁ、いいよ」
お、ここでようやく俺の出番か。
イヤホンが繋がれたスマホを渡されたので、それをさっそく耳に装着する。
「あーあー。どう? 聞こえる?」
「うん、バッチリ。生の満月ちゃんの声と同じぐらい綺麗に聞こえてる」
「え? あはは、なにそれ~」
楽しそうな声がイヤホン越しに聞こえてくる。
つられてつい俺も頬が緩んでしまった。
すごいなぁ。今時の高校生ってここまでできるのか。
相変わらず何をやっているのか、俺にはさっぱり理解できない。
画面には色んな波や数字が上がったり下がったり。
それを真剣な表情で確認していく満月ちゃんはなんだかカッコイイ。
「あ、これってもしかして」
「うん、私のアバター。私をイメージして作ってもらったんだよ」
画面をボーっと見ていると、気になったものがあった。
幾つもあるウインドウの一つには、彼女に似たアバターが映っていたのだ。
「すげー。上手にデフォルメされてるな」
「えへへ、可愛いでしょ?」
銀色の長髪をしている二頭身ぐらいの小さな満月ちゃん。
クッキリした瞳、小さな唇に目元のホクロ。パーツごとに、彼女の特徴を上手に捉えてある。
ほほー、満月ちゃんの実際の動きに合わせて動くのか。
頭を左右に揺らしたり、ニッコリと微笑んだりしている。
「九重さん?」
「あっ、ごめんごめん!」
……おっと。
ついチビ満月ちゃんの動きに見惚れてしまっていた。
よし、切り替えて頑張ろう。
「ちょっと? なんで九重さんが緊張してるの?」
「いや、あはは。だってさぁ……」
自分がやるわけじゃ無いと言ったって、テレビとかラジオの収録の裏側みたいでワクワクするんだよ。そりゃあ気合も入るってもんだ。
そんな俺のことを見透かしたんだろう。
満月ちゃんは左手で俺の右手を掴むと、マウスの上に置いて微笑んだ。
「ふふっ。九重さんが始めてみる?」
どうやら満月ちゃんの代わりに放送のボタンを押させてくれるみたいだ。
「えっ、良いの?」
「うん、いいよ?」
お互い目線を合わせた後、同時に頷く。最終確認はオッケーだ。
俺は画面の配信ボタンにカーソルを合わせて、深呼吸をひとつ。
溜め込んだ息を吐いたタイミングに合わせて配信をスタートさせた。
――その瞬間。
満月ちゃんの表情が一変した。
「みんなお久しぶり!! ミツキだよ~っ」
「(えっ、誰の声!?)」
イヤホン越しに俺の耳に入った、明るい声。
いや、たしかに満月ちゃんの声なのだが、キャラがまるで違う。普段はあんなに大人しい口調で喋っているのに……。
「(これは俗にいう、スイッチが入ったってやつか!?)」
そんな動揺しまくりの俺は置いてけぼりだ。満月ちゃんは画面の向こうにいるリスナーたちへと話し続ける。
「ふふ、いっぱい待たせたちゃったかな? ごめんね~。告知にも書いた通り、ちょっと腕を骨折しちゃって。だから今、病院なんだぁ……」
「(今度は元気っ子な声から病人の弱り切った声へシフトしたぞ!?)」
思わず「だいじょうぶ?」と声を掛けたくなるような、弱り切った声色。
実際に配信画面でも、満月ちゃんを心配するコメントが溢れている。
そのどれもが「大丈夫?」「駆け付けたい」「介助要る?」といった声。
中には久々の配信に狂喜乱舞しているのか、訳の分からないコメントをしている人までいる。
「(いや、介助は俺がするからお前らは引っ込んでろよ……)」
思わず顔の見えない視聴者にそんな悪態を吐きそうになる。
でもまぁ、仕方がないか。
初めて彼女の配信を聞いた俺でも、「しゅき……」となった。
これが推しに身を捧げたくなるという感覚なのか……。
恐るべし、人気JK配信者!!
配信開始、僅か数分。
たった数分で俺は、本当の神配信者というものをこれでもかと分からせられてしまっていた。
『入院してるのに、俺らの為にありがとう!』
『全裸で待ってた!!』
『ミツキちゃん可愛い!』
それはまさにお祭だった。
枠主が喋るたびに、コメント欄は大盛り上がり。
アバターがニコッと笑うだけでもリスナーたちは狂喜乱舞している。
クッソ楽しそうだなぁコイツら……。
でもたしかになぁ。
こんな庇護欲をそそる甘えた言い方をする美少女JKだったらハマりもしますわ。
最初こそ『お前らこそ入院した方がいいんじゃ?』とか思ってゴメンな……。
「ミツキの右手使えないの……だから配信中に変なことしたらゴメンね?」
だから言い方よ!?
あぁもうう、妄想が天元突破したリスナーが『トイレは!?』『ご飯あーんしてあげたい』『今日も捗る』とか言って暴走しちゃってるじゃないか……!!
ていうかゴメン、そのお手伝いは俺がさっきやったわ。
箸の代わりにスプーンを用意しておいたんだが、
「九重さん、食べさせて?」
なーんて言うから、その……ね?
そのコメントを見た満月ちゃんがチラッとこっちを見たので、スッと目を逸らす。
本当に悪いな、リスナー共よ。
職権乱用だと罵ってくれても良い。
だが美少女にあーんはマジで最高だったぞ……!!
また機会があったらやってあげたいなぁ。
……職場にバレたら怒られるどころじゃないけど。
そんなことを考えている間も、配信は淀みなく進行していく。
「だから今日は病室から配信するね。機材も無いし、いつものASMRはできないけど……みんなは我慢できる?」
……うん、我慢できなかったのは満月ちゃんの方だよね?
どうしても配信がしたいって、あの手この手で俺を誘惑してきたのは誰でしたっけ!?
しかしリスナーたちは当然、そんな事は知らない。
素直に(?)『我慢する!』と誰もが答えている。
「仕方ないなぁ。みんな欲しがりさんなんだから♡」
あぁ、うん。もちろんリスナーは大歓喜だった。
『声を聞けるだけで嬉しい』といった優しいコメントから、『我慢するからご褒美ください!』といった完全にアウトなものまで。
なんだろう。
サイト元に通報したらこいつら全員、アカウント停止になるんじゃないかな。
「うん、ありがとう……みんな大好き。今日は短い間だけど、ミツキといっぱい絡もうね」
アバターのミツキちゃんは手を組んでお願いのポーズ。
もう全員がメロメロだ。
「(ネットアイドルかぁ……うーん、この沼はハマりますわ)」
これを高校生がやっているっていうのがまた恐ろしい。
画面の向こう側の人たちは、俺と同じ社会人だっているだろうに。
大人まで夢中にさせる天性の素質……。
将来この子がどうなってしまうのか不安だ。
そんなことを考えていたら、不意に肩をツンツンと突かれた。
「ん? どうした?」
マイクに声が入らないように、そっと顔を近づけ合ってから小声で話し掛ける。
「このあとプレイに入るから、手伝って欲しいんだけど……」
「(はあっ!? ぷ、プレイっ!?)」
プレイってなんだよ!?
そんないかがわしいこと、お兄さんは許さんぞ!?
耳元でコショコショと話すだけなのに、なんかもうヤバイ。
我慢していたのに、プレイというワードに思わず反応してしまった。
だけど満月ちゃんはコショコショボイスを止めてくれない。
「何って、ロールプレイだけど?」
え? ロールプレイ?
「シチュエーションボイスとも言うかな? リスナーさんがリクエストしてくれた台本を私が読み上げるんだけど……」
あっ、シチュエーションに合わせて声を当てるからロールプレイ……!!
な、なんだ~。
それだけのことかぁ!!
お兄さんてっきり、エッチなプレイことかと勘違いしてビックリしたぜ。
「うん? でも、台本を読むだけなのに俺が必要なの?」
「実はそうなんだよね。リアリティを出すために、ナマの環境音が欲しいの」
ふーん、環境音?
あぁ、演劇の効果音とかの一種なのかな?
俺が普段見てるお笑いの動画でも、ガヤの笑い声とかあるしな。
それならなんとなく想像はつくし、出来る範囲ならやってあげるのはやぶさかではない。
それにこのリスナーたちを満足させるお手伝いとか……なんだかちょっと面白そう。
「いいよ! 手伝うって言ったのは俺なんだし、お兄さんに任せなさい」
「ありがとう! ふふ、言質は取ったからね?」
「えっ……言質?」
ちょ、ちょっと!?
なんだよ、その怪しい言い方は!?
……マズい。
なんだか素人の俺が踏み入っていいレベルを、超えちまった気がする。
どうしよう、急に不安が押し寄せてきた。
ううっ、やっぱり今からでも辞退させてもらうか?
しかし満月ちゃんはミュートを解除し、すでに配信へ戻るところだった。
「お待たせ~。えっと、じゃあ今日はこんな状況だけどシチュボやるよ。ちなみに、たまに変な音が聞こえても許してね? それじゃ、リクエストある人はいつも通りよろしく」
「あっ、ちょっ……」
「ん? どうしたの?」
「えっ……あの……なんでもない、です」
終わった……。
俺が踏み入れてはいけない世界だったことにもっと早く気付くべきだった。
だって俺がいつも見ている配信なんてゲームを実況したり、○○やってみただったりだぞ?
一人で缶チューハイ飲みながら、他の視聴者さんとワイワイ、ケタケタ笑って見ているだけだったのに……。
ていうかどんなシチュエーションなんだ!?
あのケダモノのようなリスナー共だぞ?
リクエストなんてさせたら、絶対にロクなことにならないじゃないか!!
「ね、ねぇ満月さん。いつも通りってどんなのが来るんですか……?」
「しーっ、声が入っちゃう。……まぁ見てて」
思わず敬語で聞いてしまった。
だけど彼女は、俺の質問に答えてくれない。
その代わり、満月ちゃんは左手で画面を指差した。
「(なんだ? 色んな金額が表示されているな。――っ!?)」
見ていた画面上に、札束のアイコンがドカドカと凄い勢いで降ってきた。
なんだこの演出は……!?
「な、なにこれ?」
「最初は普通にリクエストしていたんだけど、あまりにも応募が多くって。だから最近は課金アイテムでね、トップを取った人たちから抽選で採用するようにしているんだ~」
「か、課金ってこれ……この表示、すっごい額になってないか……」
まさかこれが満月ちゃんの収入源だったのか!?
パッと見でも俺の時給を遥かに超える額だ。
一回の配信でこれだけお金を稼いでいたら……たしかに色んな機材とか揃えられる。
だけど本人は至って冷静な態度だ。
これが相当凄いってことをあまり理解していないのか!?
「ええっと? それじゃあ今日のトップはナオちゃんさん、かな? いつも沢山の支援ありがとね!」
当然のように、阿鼻叫喚の嵐が巻き起こる。
しかし誰も選ばれた人を叩かない。
このあたりは良く調教されているんだな……。
「こういうのは雰囲気が大事だから。空気を壊すような人は出禁だよ」
「おぉう……そこは結構シビアなのね……」
内心はどう思っているか分からない。
けれど、満月ちゃんに嫌われるのだけは嫌なんだろう。
「それで? ナオちゃんさんが送ってきてくれたお題は……ふふっ。『放課後の教室で、彼氏持ちなのに他の男子生徒に言い寄られるシチュ』だって? キミ、相当良い趣味してるね~」
「ぶふぉっ!?」
いやいやいや、ダメでしょう!? アウトだよアウト!!
そもそも、満月ちゃんは本物の女子高生なんだよ!?
リスナーも「わぁ」「いい!!」「うれしい」「俺得だわ」とかコメントしてるんじゃないよ!!
それでなんでちょっと満月ちゃんも楽しそうにしているのさ!?
「じゃあ、時間も限られているし……さっそく始めようか」
ナオちゃんというリスナーから、台本が書かれているテキストファイルが送られてきたようだ。
満月ちゃんはその台本をさらっと確認し、「んっ、んっ」と喉の調子を確かめる。
「じゃあ、始めるね?」
役に入ったのか、鋭い目つきになった満月ちゃん。
彼女は真剣な表情で、台本を読み始めた。
「で? なんで私を呼び出したの?」
リスナーからリクエストされた台本。
それは『放課後にイケメンに呼び出された同じクラスのJK』という設定だった。
満月ちゃんはすでに役になりきっている。
「私としたキスが忘れられないって? やめてよ……私、もう彼氏がいるんだけど」
満月ちゃんは何故か俺の目を見ながら台本を読んでいる。
えっ、これってもしかして。
俺が相手役のつもりで演技をしているのか!?
ううっ……。
ただの演技なのに、なんだか罪悪感が湧いてきた。
そういうことなら、俺も何か演技をした方が良いのか?
まぁ声を出す必要ないよな?
そもそも役者でもないんだから、こうして隣りに居るしかできないけど……。
リスナーも男子高校生側に没入しているのか、「ごめんなさい」「これこれ!」「会いたかった」「エロい」といったコメントが流れている。
「ちょっ、なにするのよっ!?」
「(えっ、俺!?)」
怖い顔をした満月ちゃんに急に責められた。
戸惑っていると、俺の右手を掴まれて……
「チュッ……あっ、やめっ……」
「(~~っ!?)」
俺の手の甲に、無理やりキスを落とされた。
かと思った次の瞬間には、俺の指が彼女の口の中に飲み込まれてしまった。
満月ちゃんの生暖かくて柔らかい舌が、俺の人差し指を美味しそうにしゃぶっている。
くすぐったいような、ぞわぞわとした感覚。
それが指を通して、俺の脳をビリビリと痺れさせてくる。
ビックリして思わず手を引っ込めようとしても、できない。
女の子とは思えないほどの強い力だ。
ガッチリ握られてしまっていて、逃げられない。
「いやっ、離してよ!!」
「(それは俺のセリフだよっ……!!)」
どうやら台本では今、『俺が無理やり満月ちゃんにキスをしている』というシチュエーションらしい。
おい、ナオちゃん!!
てめぇは本物のJKに、なんて台本送りつけやがったんだ!!
この台本のせいで俺は大変な目に遭ってるんだが!?
俺が激しく抵抗したせいだろうか。
完全に役に入ってる満月ちゃんにガリっ、と甘噛みされてしまう。
それもまた新たな刺激となって、俺の身体を駆け巡る。
どうしよう、こんなので変な気分になってきている気がする。
俺はどうしようもない変態になってしまったのか……!?
そ、そりゃあ女の人に攻められるのは嫌いじゃないけど。
……って、そんな事を言っている場合じゃない!!
「どうして……どうしてそんなキスが上手くなってるのよ!!」
「(えぇえぇええ……)」
上手くなってるも何もないよ!
今まで女の人とキスしたことなんてありませんでしたけど!?
「他の女とヤったから……? なんか、くやしい。私は今の彼とチューだってしてないのに」
「おっ、おい!?」
そのまま手首をグイッと寄せられて、本物のキスをされてしまった。
きっと役に入り過ぎて、ブレーキが効いていないんだろう。
でも舌を入れてくるのはマジで駄目だって!!
「声、出さないでよ? クラスメイトに声、聞かれても良いの?」
「(それは嫌だっ……)」
だが俺の声は出る前に、再び満月ちゃんの口で塞がれてしまう。
こんな場面を誰かに見られたら、マジで終わる!!
背徳感が一層増すと、更に心臓が跳ね上がる。
さっきまで指で感じていた感触が、もっと敏感な部位になったせいで頭がクラクラする。
「どう? 私とのキスが一番気持ちいいでしょ?」
視界の端で見えるコメント欄。
そこにはもちろん、「はい」「興奮する」「大好きです」という言葉が並ぶ。
……俺も、完全に同意見である。
しばらくすると、ゆっくりと満月ちゃんの顔が離れていく。
「(え、どうしてやめちゃうんだ……?)」
そう思ったけど、彼女は優しく首を振ってこう答えた。
「次は私の事を気持ち良くさせてよ……もちろん、別の場所で……ね?」
「(う、嘘だろ――!?)」
「――はい、終わりっ! 今回はここまで~!!」
「……え? おわ……り?」
「残念だけど、時間がもう無いんだ~。続きはまた今度! みんな、今日はありがとう!!」
あ……俺ももう休憩が終わる時間?
時計を見ると、配信が開始してからすでに30分近くが経過していた。
◇
「つ、疲れた……」
配信が終わった後、俺は個室にあるソファーに寝そべってぐったりとしていた。
本当は患者さん用だけど、今はちょっとだけ使わせてもらおう……。
「あはは。お疲れ様です、九重さん。それでどうでした? 配信って結構ハードだったでしょ?」
疲労困憊な俺を見て、満月ちゃんはケラケラと笑っている。
「うん……別に喋るわけじゃないのに、どっと疲れたよ……」
もう、文句を言う気力もない。
かたや彼女の方は、いつもの満月ちゃんに戻ったようだ。
あんまり疲れた様子もない。
「でも、さすがにアレはやりすぎじゃないか!? どうしてあんなことを……」
「九重さんは嫌だった? そうだよね、私なんかとじゃ嫌だったよね……」
「いや、そんな事ないよ!? むしろ俺なんかと……って申し訳なかったっていうか、なんていうか……」
俺がそう言うと、暗い顔をしていた満月ちゃんは花が咲いたように、ぱああぁと明るくなった。
なんだろう。
俺には彼女の気持ちが余計に分からなくなってきた……。
いや、もういいや。
今日はこれ以上考えていたらドツボにハマりそうだ。
「そういえば配信はアレで良かったの?」
「うん! 大成功だったよ! むしろいつもより、リスナーさんが多かったぐらい!」
見て!という声と共に、満月ちゃんはノートパソコンの画面を俺に見せてきた。
総視聴者数やコメント数が開始した時よりも桁が増えて、とんでもないことになっている。
ラストシーン辺りのコメントなんて、「もうだめ」「これは捗る」「エッッ」という事後報告がコメント欄に残っていた。
そして一番恐ろしいのが、おびただしい数の投げ銭たち。どうやら今までで最高の金額がこの放送内で貢がれたみたいだ。
正直、俺の日給なんて優に越えていた。
なんにせよ、だ。
画面の先のリスナーたちも、満月ちゃんの声で大変ご満足いただけたらしい。
「それで……九重さん」
「なんだい? 俺もそろそろ休憩をあがって仕事に戻らないと……」
――チュッ。
ポカーンとした俺を、満月ちゃんははにかんだ顔で見上げている。
「ふふふ。まだ入院は長いし……また付き合ってくれるよね?」
「えっ、それって……」
「もちろん、配信だけじゃなくって……ね?」
絶対に離さない、とギュッと俺の胸元を掴む満月ちゃん。
そして再び彼女の顔は徐々に近づいて――。
どうやら俺は、この年下JKから逃れられそうにないようだ。
もし気に入ってくださいましたらブックマークをお願いします!
感想、☆☆☆☆☆評価もお待ちしております(´;ω;`)
作者へのとても大きな励みになります。
よろしくお願いいたします(*´ω`*)