69話
母を癒したかった。
産まれたときから、母と一緒に過ごした時間は少ない。
病で寝たきりだったし、皇女としてふさわしい勉強も山のようにあった。
それでも、部屋を訪れると晴れやかな顔で迎え入れてくれる。一日あったことを伝えるとときに笑い、呆れられ、怒られた。それすらもかけがえのない幸福だった。
皇女であっても幼い少女には、母は特別な存在で、惜しみのない愛情を注いでくれる人だったのだ。
『ねぇ、お兄様。お母様はいつ治るの?』
いつまで経っても快復しない母に、不安を抱くのも自然だった。
『宮廷医師は、今懸命に調べているのだよ。父上も心を痛めている』
『でも、お母様がかわいそう………』
もしかしたら、死んでしまうんじゃないか。
想像するだけでゾッとすることを、ここ最近考えるようになった。もしかしたら寝ているときに亡くなっているんじゃないかとおもうと中々寝つけない。
『どうしたら病を治せるのかしら?』
『病は気から、というからねぇ』
『き?』
『つまり心さ。どんなに健康な人でも落ち込んでいたり悲しかったりすると、どこか体が悪くなったりすることもあるそうだよ』
『心………つまりお母様を喜ばせたり楽しませれば病はよくなるの?』
『………かもしれないね』
病がどんなものなのかはわからない。だが、幼い皇女にとっては母を喜ばせれば病はよくなると有頂天になってしまった。
例え病の快復には繋がらなくても、母を喜ばせたい。そうおもいもしたのは当然だ。
だけど、実際にどうすればいいんだろう?
『ねぇお兄様………その本はなに?』
尋ねようとして、兄がいつも読んでいる難しいタイトルではなく最もかけ離れた拍子に目を惹かれてしまった。
『ああ、これは植物の本だよ。ちょっと興味が出てね』
『植物………あ!』
いつだったか母が若い頃の話を聞いたことがある。
父である皇帝とまだ結婚する前、贈り物として貰っていた花束。そしてよく行った避暑地に咲いていた花の美しさ。
思い出話をするときの母のうっとりとした懐かしみ、喜びを隠しきれない様子。花瓶に生けてある花を見つめる優し気な瞳。窓から見える庭園も、母が作らせた。
『ねぇお兄様! お花の本ってまだあるかしら!?』
お母様はお花が好きなんだわ。
だから、お花を育ててプレゼントすれば喜ぶんじゃないかしら。
『そうか……僕もちょうど育てようとおもっていたんだ。じゃあ一緒に書架に行こうか』
『うん!』
本と勉強は嫌いだったが、花のことを学ぶのは苦痛じゃなかった。
作った花壇に土を盛り、種を植える。毎日水をやり、石と雑草を抜く。毎日ちょっと空いた時間にする花のお手入れは、最初は大変だった。
しかし、やっと目を出したときは心が躍った。にょきにょきと伸び、花弁が開いたときには感極まったほどだ。
『お母様、これをどうぞ!』
母の誕生日に、育てた花をプレゼントした。
母には秘密にしていた。使用人や皆には秘密と強くお願いしていたから、母は驚いていた。やった、と心の中でガッツポーズをした。
『わたくしが育てました! お母様にプレゼントしたくて!』
『これを、私に………? ああ、ああ!』
泣きながら抱きしめられ、頬に口づけをされた。やっぱり、やってよかったとおもった。
それ以来、俄然花を育てお世話をするのが好きになった。
花壇を広げた。庭園の手入れもするようになった。その話を母にする時間が増えて、二人とも笑顔で過ごす時間が増えた。
『今日、ミミズを捕まえたままメイドを追っかけまわしたそうですね。お転婆がすぎるわよ』
時折窘められるが、それさえも愛おしくかんじた。
『やぁ。クローディア。精が出るね』
『あ、お兄様』
『僕にも一輪くれるかい?』
『はい、どうぞ!』
時折アドバイスをくれる兄も、花を欲しがった。部屋に飾られているところは見たことないけれど、もしかしたら女性にプレゼントしているのかもしれないと呑気におもった。
何年も過ぎれば、すっかり花を育てるのは趣味になっていた。母と同じく、花事態を大切におもうようになった。
『あらあなた。そんなところでなにをしているの?』
社交界の日。大人と混じってお上品に努めていたが、ついに息が詰まって庭園に逃げてきた。あまり人が多いのは苦手であったし、誰も彼も皆自分にはへりくだっているのだ。
花に囲まれた場所で過ごしていると、疲れが癒えていく。散歩をしていると、庭園の隅で泣いている男の子を見つけた。
『プティングが振る舞われているのよ? とても美味しくってほっぺたが落ちそうになっちゃったくらい』
ニコニコと爛漫に話を続けるが、返事はない。却って滲んだ涙が粒となって目じりから溢れそうになる。
『そうだわ。こっちに来て』
「え?」
少女はシリウスの手を強引に引いて、駈けていく。ふわふわのドレスで足が縺れそうになりながら、賢明に転ばないように付いていく。
シリウスが連れてこられたのはこじんまりとした休憩所だ。丸みを帯びた屋根と柱、ベンチで構成されたシンプルなものだが、白と緑で彩られていて清潔感がある。
『ここ、私のお気にいりなの。ここでティータイムをしながらお花達と太陽を眺めていると、とっても気持ちがいいのよ?』
自分と同じくらいの、弱弱しい少年は話そうとしない。今日の社交界では同じくらいの子供たちも来ているが、その子達とも違う。なんだか放っておけなくなってきたし、ここで泣いていてほしくはない。
だって、ここは素敵な場所なのだ。
自分が育て、慈しんでいる花に囲まれている場所で、笑顔でいてほしい。
『そうだわ、まだお名前聞いていなかったわね。私、クローディアっていうの。あなたは?』
『ぼ、僕・・・・・・・・・僕・・・・・・・・・シリウス・・・・・・』
それから、二人は一緒に語り合った。
一方的ではあったが、マナーも言葉遣いも遠慮もいらない、気兼ねなく話をできるはなかった。友達ってこういうことを言うのかしら、とつい皆の前でお友達と言ったとき、シリウスは喜んでいた。
この子には、涙より笑顔が似合うなぁとおもった。
『まぁ、お友達ができたの? よかったわね』
『はい! わたくしのお誕生日にも来てくれるそうです!』
加減がいい母との話にも、熱が入った。ここ数年、母の病は篤くなっていく一方だが、今日は珍しく加減がいい。のまま病が治ればいいのに、と期待した。
『花冠をプレゼントしてくださるそうですわよ! わたくし今から楽しみで――』
(そうだわ。私もお母様に花冠を作りたい!)
『そう………楽しみね。私も出席したいけれど』
『大丈夫ですわ! きっと!』
『そう、クローディア、愛しているわ』
『私もです』
ずっとこんな日が続けばいい。そうおもった矢先。
母が死んだ。
『そんな、お母様………どうして………』
葬儀が執り行われている間も、棺に納められている母を眺めているときも信じられなかった。母の思い出の地に墓が作られることになり、慌ただしくなった周囲をよそに、心にぽっかりと穴が空いてぼぉ~~っと過ごすしかなかった。
半年経って完成した墓に訪れたとき。悲しみが決壊した。いつ終わるともしれない嘆きの果てに、一緒にいる者達も慮り宮廷に戻るまでの間墓の前にいた。
本当に死んでしまった。それをゆっくり受け止め、最後に渡せなかった花冠をささげようと決めた。
『あれは、お兄様?』
墓から離れた湖。水辺に兄である皇子がいた。なにかを懸命に探しているようだ。いつもの兄ではなかった。目玉が飛び出すような鬼気迫る形相で、ついブルリと震えた。
『そうだ、これがあれば――』
兄はなにか植物をいくつか引っこ抜くと、それを潰す。切り刻み、既に用意してあった花を毟っていく。そして木の枝で地面をゴリゴリと削っていく。
(あれは、なに?)
時折、光が灯った。赤、青、黄、緑。形容のできない明滅は。
『よし。あとは母上の骨があれば―――』
『!』
『そうだ。今だったらまだクローディアも――』
『お兄様?』
耐えられず声をかけると、おそろしい顔の兄がぎょろりとこちらを向いた。
『な、なにをなさっているの?』
『………なんでもない』
『それは、なに? 私が育てていたお花ではありませんか』
『なんでもない………!』
『お母様の骨を、なにに使われるのですか?』
『………』
ダメだ。ここにいては。
直感が告げていた。一言も発しないままにじり寄ってくる兄に得体のしれない恐怖をかんじる。いつもの兄ではない。一歩ずつ後退していて。
『!?』
体を拘束される。
地面から生えている草木が、急速に伸び縛っている。
『いや! やめて!』
『叫ぶな! ここで死にたいのか!?』
常軌を逸した兄に凄まれ、悲鳴とともに黙り込む。
『いや、ダメだ。そうしたら怪しまれる………そうだ………』
『お、お兄様………なにを?』
『うん、そうだ。それがいい』
手を翳されると、縛られたまま地面に落ちる。そのまま引きずられ墓まで戻ってきた。そして兄は墓を開き、母の体から骨を抜き取った。
『なにをなさっているのですか! やめて! お母様を傷つけないでください!』
『傷つけていない。ただ利用させてもらうだけさ』
『り、利用って、貴方はなにを!?』
『死にはしない。ただ母上と同じになる。そうだ。ついでに都合の悪い記憶は消えてもらおう』
『ど、どういうことですの………!?』
『察しが悪いな、クローディア。まぁ、どうせすべて忘れるのだからいいか』
クローディアは勉強が嫌いだが、頭が悪いわけではない。今までの言動と行動。
そして事象を絡め繋げていき、一つの結論に達した。
『お兄様が、お母様を殺したのですか………?』
『く、アハハハハハ! 今更気づいたのかい!? ハハハハ! まぁ仕方がないだろう! 君だけでなく父上も誰もわからないんだから!』
『ひ、』
『だからこそ、君は素晴らしい。よくできたね』
『ひどい、ひどいですわお兄様! お母様を………お母様を返して!』
泣きわめいているのでさえおかしそうな兄に、余計怒りがこみ上げる。
『酷い言い草だな。君も共犯だというのに』
『え?』
『君も母上を殺すのを手伝ってくれたじゃないか』
『…………』
『君が育てていた花。あれはお母様を呪う儀式に使わせてもらった。わかるかい? 呪いだ。病ではない。古来より植物は魔術に使われていたが、中でも花は格別なんだよ。花びら、葉、茎、根っこ。全て使える。毒性のある花だったら――』
『う、嘘です………』
『嘘じゃない。君は母を殺す材料を自ら育てていたんだよ。いうならば僕達は共犯だ』
『あ、あ、ああ………』
嘘だ。
これはすべて嘘だ。
悪い夢に違いない。
『なんだったら今から身をもって味わうことで体験すればいいんじゃないかな。まぁ、結局は忘れてしまうだろうけど』
『あ、』
不可思議な幾何学的な模様で彩られた円陣に載せられ、光に包まれる。母の骨が、花が、どろどろに溶け、魔法陣に浸みこみ、そして体を冒していく。
『ああああ!』
一切の苦しみ、痛みが内外に巣くっていく。
これが呪い。
信じざるをえない。
自分が母を殺したと。
自分が育てた花も、こうして母を苦しめ、遂には死に追いやったと。
(私は………)
花を贈ろうとおもわなければ、母を苦しめることはなかった。母が死ぬことはなかった。深い絶望と後悔に塗れ、あれだけ愛おしかった花が、罪を象徴しているものとしかおもえなかった。
『お母様………ごめんなさい………』
次に目を覚ました時、クローディアは忘れてしまった。
呪いに関する一切を。
母の死の原因。兄がしていたこと。
そして、自身が母を死なせたという罪を。




