62話
呼吸さえ覚束ない息苦しさ。鼻腔を刺激してやまないカビと埃、枯れた植物が混じったような香りの正体は、そのまま緩やかに身を圧迫し閉じ込めている土のものだ。
(この魔術、土系統か!?)
岩、砂、土をあらゆる形態、状態に変化させるだけでなく土の成分を変化させ大地を操作する強力な魔術だ。今はエリクを地中へと沈めたままだが、このままでは危ない。
地中は空気がなく、窒息してしまう。加えて今のエリクは魔術を発動できないし鎖で縛られている。万事休すだ。
だが、エリクにはまだ残っている物がある。
「ぐ、おおおおおおおおお………!」
まだ成し遂げていないことがある。助けられていない人達がいる。必ず助けると誓った。彼女に、彼女に仕える騎士に。なにより、自分に。
遠くなる意識を、気力で支える。今まで学び、詰め込んできた知識を総動員する。
縺れそうになる舌で懸命に土をなぞり、魔法陣を描く。
絶え絶えになりながら、呪文を紡ぐ。
途中、声が掠れる。最小限絞った声と共に絞り出される酸素を無理やり引きずりだそうと腹から、臓腑から、必死に絞り出そうと足掻く。
「か………あ………」
苦しい。頭の中に白い靄がかかったようにぼんやりとすべてが遠ざかっていく。
『エリク、愛してる………』
脳裏に、唯一の言葉を伝えてくれた女性の顔が浮かんだ。
『頼んだぞ・・・・・・・・・エリク』
自分を信じてくれた気に入らない騎士の声が響いた。
まだだ。
「か、は………」
紡ぐ。
肺に酸素が残ってなんていない。ただ、喉を動かし、無理やり紡ぐ。
まだ死ねない。
ポゥ、と小さい光が灯った。
崩れていく。身を覆っている土が。
視界が開けていく。光が広がり、
そして――――――。
「はあああああああああああああああ………はぁ、はぁ………死ぬかとおもったぜ………おい、てめぇ・・・・・・・・・」
エリクは地上へと戻った。
「やっぱお前は三流だな………詰めが甘ぇ………」
「ひ!」
首から上を地面の上に出したまま動けずにいる夫人に、一歩、ゆっくりと近づいていく。
「呪いの知識はあっても………魔力がなくても魔術を無効化する方法があるなんて知らなかっただろ………」
厳密には、魔術ではない。この土系統の魔術の発動条件はわかっている。同じ効果を持つ魔法陣を描き、自身の肉体の一部、血液・爪・骨・髪の毛・肉片を生贄、犠牲にすることで力の代わりにした。
かつて魔導書も魔術師も知識も経験もない太古の時代。魔術も魔力の謎も解き明かされていないとき、そうして人々は魔術を行使し、人々を生贄に捧げて異能の力を振るった。
使用したエリクにも甚大なダメージを負うし、なにより効率が悪い野蛮な時代の産物だ。
とにかく、夫人が発動した魔術と同じ魔法陣。それに自身の肉体の一部を犠牲にすることで魔力代わりにすることで効果を発揮させ、相殺した。魔術に魔法陣を描くやり方は、通常ならあり得ないが実体を持っている土であることが幸いした。
「や、やめなさい! 来るな!」
「はぁ、はぁ………はは、よくもまぁそんな情けねぇざまでそこまで……そこまで往生際が悪いと尊敬すらするぜ……………どうだい? お得意の魔術を壊された気分は……おい、ゴルァ・・・・・・・・・。てめぇ只ですむとおもうなよ・・・・・・・・・!」
「ひ!? や、やめなさい!」
懸命に首を左右に振り、もしくは抜け出そうとしているのだろうが。
「私を誰だとおもっているの! この国の未来の妃! そして次期皇帝の母! 私になにかすれば只じゃ――――」
「やってみやがれ………」
「わ、わた、わたくし――――――は………」
「やってみやがれってんだっっっ!!」
「ひ!?」
火を噴くほど激しく、エリクは吠えた。傷だらけで、口と鼻と耳と目からは血が流れている。肉体の一部が欠けたことで全身の至るところが裂け、砕け、激痛を与えている。
だが、許せなかった。
「や、やめて………お願い………」
「はん! 命乞いか!? ふざけんな! 散々人を馬鹿にしやがって!」
「い、いや! お願い! なんでも言うことをきくから!」
エリクは今、限界に近かった。魔術を使えず、騎士団に捕まったときの傷も、先ほどの窮地を脱出するのに疲弊してもいる。とてもじゃないが、夫人をこの手で絞め殺すことも嬲ることもできそうにない。
「じゃあまずは教えてもらおうか! クローディアの呪いはどうやって解くんだ!」
「・・・・・・・・・え?! な、なに!? なにを!?」
忸怩たる歯軋りで、優先すべきことを優先した。
「それさえ教えたら命を奪うのは勘弁してやらぁ!」
「さ、さっきからなにをわけのわからないことを・・・・・・・・・魔術とか呪いとか・・・・・・」
「ああ? てめぇこの後に及んでふざけてんじゃねぇぞ!」
「ふ、ふざけてなんかいない! なんなの!? その奇っ怪な力は!? 騎士達から聞いていたのと同じもの?!」
「………あ?」
「どうして私はここに!? なにをしたの!」
「ああ?」
なんだか様子がおかしい。
話がかみ合っていない。本気で怯えている。
おそらく地中に閉じ込められているときに取れたのだろう。ぽっこりと抜け出せた手の甲がちらりと。丁寧に巻いてあった包帯が外れていて。
「!?」
「ぎゃあ!?」
夫人の手首を掴み、具に観察する。信じられず、触ってたしかめてみるが、やはりだ。
「おい、お前・・・・・・・・・この傷はなんだ・・・・・・・・・」
「え、へ? き、傷?」
「答えろ!」
魔導書にはある仕掛けをしていた。触れた者の手に黒い痣を生じさせ、発疹を生じさせ痛みを放つ。ならば呪いをかけた張本人である夫人にこそそれがあって然るべきだった。
「なんで切り傷なんだ!」
そう。なかったのだ。夫人の手の甲に。痣どころか発疹など。生々しい治りかけているなにかに切られた傷しかない。
「こ、これは・・・・・・・・・給仕係がお皿を落としたせいでナイフで切ってしまったのよ! それがなに!?」
「馬鹿な・・・・・・・・・じゃあレイモンドを襲わせたのは!? 馬車を知らせただろう!」
「れ、レイモンド!? それがなに!? あの者はたしかにクビにしたあとクローディアを殺めるために探していた!! 私のアジトを提供して隠れ蓑にさせていたけど断られた! それだけよ! 襲わせてなんていない! そもそもそれを知ったのも部下からだし!」
「晩餐会の日! シリウスと姉の繋がりを知っていた! だから……」
「シリウス!? あ、姉!? わ、私がしたのは第一皇子の薬を毒薬と入れ替えただけ! ちょうどいいからお前の薬を毒だと薬師に言わせて捕えようとしたけど!」
「こ………」
「ふざけんなこの糞女!! くだらねぇ冗談に付き合ってる暇はねぇんだ!!」
だが、鼻水塗れで泣きじゃくる夫人を責めていても嘘ではないと信じかけている。
エリクは自分の実力をしっている。魔術の腕も。あの魔導書にかけた罠の痕がどのようなものなのか、どれだけ効果があるかわかりきっている。
あらゆる事象が告げている。夫人は嘘をついていないと。だが信じたくなかった。なら他に誰がいるというんだ?
いや、考えてみれば妙だ。牢獄にいたとき、毒を用いればすぐに殺せた。こんな魔術を使うなんてまどろっこしい真似なんてしないでもだ。
「エリク様?」
「あ?」
「あ、本当だ」
よく知っている二人が、駆け寄ってくる。ありえない、そんな、どうして、と瞼を擦るもやはり幻じゃない。
「どうしてここに!? ご無事だったのですか!?」
「ルッタ!? それにカトレア!」
「はぁい、元気? え? ちょっと待って! そこに埋まってるの夫人じゃない!?」
「どうしてここに!?」
「こっちの台詞だ。お前らこそどうして――」
「私達はエリク様をどうにかして助け出せないかと騎士団の営舎まで来たのですが」
どうやらここは騎士団の営舎、のすぐ外だったらしい。しかも監獄のほうでいまだ騒ぎが続いているので営舎も慌ただしい。エリク達には気づいていないらしい。
「エリク様、そのお怪我は!? ま、まさか脱獄なさったので!?」
「い、いや。違う。色々あ―――」
眩暈がして、ふらついた。咄嗟にルッタが支えようとするが傾きかけているエリクの体をそのままの体勢で維持するので精いっぱいだ。
「か、カトレア様!」
「ほほほほ。お久しぶりでございます夫人。いい気味だこと。私の大切な身内を傷つけようとするから――」
「カトレア様!」
「あ、ごめんあそばせ。なんの話?」
「………」
軽快な空気になってしまい、大きく脱力しそうになり、また倒れかている側へと体勢が傾いた。
「こほん。ご安心くださいエリク様。夫人はまもなく逮捕されるでしょう」
見張る意味もあって、夫人を中心に輪になって座って話がなされる。
「あ?」
「だからぁ。私達のおかげでこの女の悪事も皆が知るところになってすべて解決ってこと。おわかり?」
「………ああ?」
「こほん。よろしいですか? まず、私達は夫人の所有していた家屋を突き止めました。そしてそこに離宮から逃げたレイモンド様と遭遇し、捕えることに成功しました」
「騎士団を呼んで指名手配されている元騎士、レイモンドを捕まえたって通報したの」
「あぶねぇ真似しやがって………」
「あら。心配してくれるの? 優しいのね」
「カトレア様………。ええ。私達はその場から離れました。騎士団の方々に家屋にあった魔導書と薬を残して」
「………ほぉ?」
「さすれば、騎士団の方々は不思議におもうでしょう。建物の所有者のことも調べるはず。そうなれば夫人が所有していた建物の中にレイモンド様がいて、怪しげな薬や魔導書があったのですから怪しむ。それに、夫人がレイモンド様に出された手紙も」
「調べれば、クローディア様が第一皇子を殺したんじゃない。夫人が皇子を殺めようとしたこととクローディア様に濡れ衣をかぶせようとしたこと、やがて知られる」
「前にエリク様が真実薬なる物を飲ませたことがあったでしょう? それと同じ薬があったのでございます」
「凄いわよね。ルッタ、色と匂いとあんたが作ったときの話で覚えてたんだって。建物にあったのをレイモンドに飲ませて本当のことを喋らせてたしかめたし。今頃は騎士団でも自白してるんじゃないかしら」
「だが、こいつは――――」
「そうです」
「この人はクローディア様の呪いとは無関係よ。どうも別人みたい」
さっきよりも、想像していたよりも小さいとはいえ、やはり衝撃を受けた。こうも断言されてしまっては。
自分達が黒幕だと疑っていなかった人物が、まるっきり違ったのだから。
「え~~~っと。夫人のところをクビになったあと、別の真犯人に唆されてクローディア様を襲ったんですって」
「それで手傷を負ってまともに動けなくなったレイモンド様は、罰をおそれて以前聞いていた夫人の所有する建物に身を潜めていた。けど手紙をもらって断ったあと、お金に困って偶然私達の馬車を襲った」
「お前ら、もったいぶんな………一体誰がやったってんだ。そんなこと―――」
「チッチッチッ。大丈夫。せっかちね」
「これをご覧ください。私達が唯一建物から持ち出した物です」
「本じゃねぇか」
なんの変哲もない。どこにでもありそうな花の種類と成分、育て方が記された本だ。
「証拠?」
「これは宮廷の書架にあった本でございます。私はこの花の本を、ある人が書架から持ち出していたのを覚えております」
「………誰だ? そいつは」
急に真に迫るほどの強張った面持ちになった二人に、エリクも背筋が伸びそうになった。
「エリク様もよくご存じの方です」




