40話
シリウスは、宮廷へと赴いた。襲撃されてから二週間ほど時間が空いている。本当はクローディアの元を離れるのは不安だったし、側にいたかった。
記憶が戻ったのは一つだけだが、それでもシリウスにとっては喜ばしいことだ。自分との思い出を一つ取り戻せたのだ。護衛としてのやる気が滾るのは当然だったし、浮かれて天真爛漫な献身を捧げて然るべきこと。
だが、第二夫人のことは、やはり許せないし今後のことを踏まえると、襲撃を受けたということは皇帝陛下に直に伝えたかった。
「お前一人で行くのか? なんだったら俺も」
「い、いや・・・・・・・・・大丈夫だ。君はクローディア様の側にいてくれ・・・・・・・・・」
口づけをしたことで、エリクとの距離感と接し方がバグっているシリウスは、そうやって理由をつけて断った。
「そうか。なら書架に行って本を借りてこい。それとこれ第一皇子に持っていってやれ」
使いぱしりをされているようで、それはそれで面白くはないが、
「私もご一緒いたします!」
ルッタが妙に張り切った様子でシリウスの腕にしがみつき、同行を強く求めた。彼女も彼女なりにクローディアが襲撃されたことにショックを受け、特にシリウスの手伝いや解除に張り切っていた。
いくら自分一人とはいえ、ルッタを連れていくのは危ないんじゃないか?
「私も、クローディア様のことを襲った人が許せないのです!」
「ルッタ・・・・・・・・・」
同じ主に仕える者の熱意と忠誠を感じ入り、ジ~~ン、と感じいったシリウスはルッタを伴うことに。やる気と気合いがメラメラと燃えあがる。二人揃って「お――!!」と叫んでいる二人を呆れるようにエリクは眺めている。
通常、公務共に忙しい帝族にして国の頂点に君臨する皇帝は皇帝陛下に会うのは難しくそれなりに手続きも必要だ。場合によっては断られることもあるが、クローディアの騎士ということと火急の用事であると伝えると、会う手筈を整えられた。
皇帝陛下の執務室で、シリウスは対面する。会うのは初めてではないが、こうして直に言葉を交わせる相手ではないのだから心ならずも緊張する。
「何用か? 皇女のことと聞いているが」
「は。では申し上げます。我が主、クローディア皇女殿下は命を狙われました」
皇帝と側にいる者達が、一斉にどよめいた。決して狭くはない室内が静かな騒然とした空気で満たされる。
「いかような意味か?」
「皇帝陛下も、皇女殿下のご事情は承知しているとはおもいますが。以前宮廷に来たときがございました。帰った折に殿下は体調を崩されたのです。ですが馬車は離宮ではなく、どこかわからない湖へと辿りついていたのです」
「・・・・・・・・・湖?」
「はい。御者も姿を消しており、一晩そこで夜を明かすこととなったのでございます。そして大勢の輩に襲われました。命からがらで大事には至りませんでしたが。奴らは最初から皇女殿下を襲う目的であったとしかおもえません。タイミングと手際がよすぎるのです」
「しかし、馬車は宮廷より手配したのだぞ。何故にそのような――」
「おそれながら・・・・・・・・・僕は襲撃者の一人が誰か知っております。その者は宮廷にいる御方に仕えているのです」
「なんと・・・・・・・・・誰だその不届き者は」
「騎士団のレイモンド。今は第二夫人の元におります」
またざわついた。今度は少し毛色が違う。ある者は驚き、ある者は訝しみ、ある者は露骨に怒気を発し、統一感のない大きなざわつきだ。
「嘘かとおおもいならば、証拠をお見せしましょう。僕の怪我はまだ治っておりませんし、レイモンドも同様かと。そして殿下が宮廷に来た折、レイモンドと周囲にいた者全員がなにをしていたか調べれば自ずとわかりましょう」
「ううむ・・・・・・・・・」
「わ、私からもお願いいたします! シリウス様のお怪我を手当てしたのは私ですし、離宮にはまだ手当をしたときの包帯や血がついた衣服も布巾も残っております! それにシリウス様達が帰ってきたときのことも語ることができます!」
ルッタが助け船を出してくれたことで、皇帝は思案めいた皺を強くする。
皇帝はどうするのか。次第に皇帝の答えを待つ気配に支配され、シリウスを含めた全員が固唾を飲んで見守る。
「もしお許しをもらえるのでしたら、僕自身に調べさせていただきたく。そのほうが陛下のお手を煩わせることもなくなりますし。それに第二夫人に聞くことができるのならば、いとも容易くわかりましょう」
ピクリ、と皇帝が反応を示した。シリウスの意図を探るような視線を真正面から受止める。
「第二夫人はレイモンドの主でございますから。自分に仕える騎士のことを把握していないはずがございません」
「全員と申したな?」
「は。さように」
「夫人に仕えている者のみか? それともそれ以外の者を含めてか?」
試すような皇帝は、シリウスの考えを読もうとしているのか。それとも別の思惑があるのか。
「無論、後者であります。もしも真犯人を捜すためであるなら、できうるなら全ての者を調べるべきかと」
だが、シリウスは退くことはできない。胸を張って正々堂々と答えた。
「陛下はご存じのはず。第一皇子は病に伏せっております。そのようなときに病で苦しんでいる皇女殿下を襲う不届き者は許すことができません。帝室と、この国を揺るがす問題であるとおもっております」
「・・・・・・・・・誰かあやつを連れて参れ」
にらみ合いのような視線の交錯が空気中で迸ると、皇帝の命により側にいた一人が執務室を去っていく。少し時間を経たのち、夫人が悠然と現れた。
ちらりとシリウス達に向けられた目には、なんの感情もない。白々しい夫人に、シリウスは頭に血が上りそうになった。
ここに来るまでに話を聞いていたのだろう。夫人は改めて呼ばれたわけを聞くことも狼狽もない。
「なるほど、お話はわかりました。ですが件の騎士は今私の側にはおりません。お暇を出しましたの」
「暇とな?」
「ええ。ちょうどこの騎士、それとエリクだったかしら。その二人が宮廷に来た折、私に嘘の報告をしていたことがわかりましたの。クローディアとこの者に無礼を働いていたと。それを隠して私を欺していたのですから。そのような者、許せませんでした」
「では、その者が今どこにおるかは?」
「わかりません。側にいる者達に命じて帝都の外まで連れていかせたのですから」
「では、そなたはなにも知らんと?」
「ええ。勿論です。それに、クローディアが宮廷に来た日、私がどれほど忙しかったのかはご存じでありましょう?」
それは自分が無関係で、なにもしていないと証明する言葉だ。内容はわからないが、皇帝も同意している。
場の空気は、一気に第二夫人の味方となった。
「おそらくは帝都を去ることになった原因のクローディアに対する報復ではないでしょうか。そのような者を使っていた我が見る目の無さに恥じ入るばかり」
「嘘だっっ!」
急に叫んだシリウスに、視線が集中する。ただ一人、夫人を除いては。
「貴方はレイモンドに襲わせるため、わざと暇を出した! そうだろう!」
「無礼者。言葉を慎みなさい」
「これが慎んでいられるか!」
「シリウス様、流石に」
くってかからんばかりのシリウスに、ルッタが羽交い締めをして止めたが我慢できない。よくもまぁここまで都合のいいことを喋ることができるものだと、皇帝の前であることも憚らず叫んだ。
「控えよ無礼者。皇帝陛下の御前よ。それに、何故私がクローディアの命を狙わなければいけないの?」
「貴方はあのとき、クローディア様を侮辱した! 前王妃様とクローディア様を憎んでもいるだろう! それが理由だ!」
「何故私が王妃を?」
「それは知らん! だからこれから調べるんだ!」
「陛下・・・・・・・・・どうおもわれますか?」
夫人は怒りを前面にしているシリウスを無視し、皇帝に伺いをたてた。どこか呆れを含んでいる。
「ご自分が新しい妃様になるためではありませんか!?」
ルッタの一言が、夫人の余裕然とした能面に罅となる皺を形成した。
「王妃様が亡くなられてから、貴方は第二夫人となった! もしも王妃様が生きておられたらそのようなことできなかったはず! だから今もクローディア様も病で苦しめている!」
「それは私が先の王妃を殺したと申すつもり? 小娘が」
「ひ!?」
ギロリと一睨みされ、ルッタはすっかり縮み上がった。庇うようにシリウスは自らの体で隠す。
「そもそも誰なのお前は」
「ううう・・・・・・・・・」
「馬鹿馬鹿しい・・・・・・・・・陛下。何故このような者達のお話を? お忙しいというのに」
「う、噂もございますでしょう!? 貴方は第二皇子を皇位継承させるために人を集めていると! 実際貴方様の周りにはレイモンドという騎士以外にも――」
「たしかに。私自身のことで噂が流れているのは知っている。おそらくここにいる誰も皆。クローディアの病も王子の病も、医師は匙を投げていることも呪いだと口にする者がいることも」
周囲を視線だけでぐるりと見回した。シリウスとルッタ以外は、気まずそうに逸らし顔を合せないようにしている。
「それらを全て誰かの陰謀と囁く者も。実際に私が第二皇子のために人を集めているのは事実。けれどそれはこの国のため。陛下をお支えする立派な人間になってほしいからよ」
「それは――」
詭弁だと言おうとした。
「なら聞くけれど。私がそのようなことをしているという証でもあるの?」
「っ」
「そ、それは・・・・・・・・・」
「お前達が申していることのすべてが私の差し金であるという証は?」
「ぐ、ぐう・・・・・・」
「第一、クローディアを殺めて、私になんの得がある? もし皇位を争わなければならない相手ならいざ知らず。己となんら関わりがない者を何故殺めなければいけない?」
「・・・・・・・・・」
「それに、どうやって馬車が離宮とどこかもわからない湖などに行ける? 御者はどこに消えた? 何故気づかなかった? それも私がやったと?」
「・・・・・・・・・」
「そこの小娘、侍女は私が王妃とクローディアを病にかけたと言いたいの? どうやって?」
「それは――」
喋ろうとしたルッタを、シリウスはとめた。
魔術だ、呪いだとルッタは言おうとした。けど、エリクがいないこの場でそれを話しても一笑に付されるだけではないか。むしろこちらの分が悪くなる。
いや、魔術をこの場にいる者すべてに見せて存在する不可思議な力だと認識させても、第二夫人も魔術を仕えて呪いをかけたという証にはならない。
今の夫人には徹底した態度と自信がある。例えどんなことを糾弾しても何食わぬ顔で反論し周囲を信じさせるだろう。
なにより、場の空気は完全に夫人の味方となっている。たしかに、と納得してシリウス達の主張には信頼できるものが欠けていると。
反論の術も、証明をすることもできず、立ち尽くす。悔しさと無力感に苛まれながら。
だが、シリウスはしっかりと見ていた。
第二夫人の手に、包帯が巻かれているのを。
エリクが本に仕掛けた魔術を隠すための処置だと、はっきりとわかった。
「わかりました・・・・・・・・・では証を示せば良いのですね?」
このままでは終われない、と闘争心をかき立てた。
「証拠ならばございます! 夫人のその手の甲の包帯です!」
「うむ? たしかに夫人よ。その包帯はどうした?」
「皇子と食事をしていたら給仕係がお皿を。大事ありませんわ」
「違います! それはただの傷ではないでありましょう! ならばお見せください!」
「この、無礼者!」
エリクは言っていた。
書架にある魔術に関する本、魔導書には仕掛けを施したと。触ったものに目に見える形で影響を与えると。
「若き騎士よ」
事態を見守っていた皇帝が、口を開いた。
「主を襲われたことで義憤に駆られ、周囲の者全てが疑わしく見える気持ちは推し量ろう。忠誠心もあっぱれだ。だが、夫人の申すとおりではないか?」
皇帝は、そしてこの執務室にいる誰もが今、第二夫人の味方であった。仕方がないのかもしれないが、同情と憐憫、そして窘める声音を肌でひしひしと感じる。
「証拠がございます。夫人の手に巻かれている包帯の下の傷が証明してくれるでしょう」
「なに?」
(まさしく、あれがそうだ!)
「ただの傷ではないから見せられないのではありませんか!?」
「陛下、この者を追いだしてください! これほどの屈辱を味わったのは初めてですわ!」
「・・・・・・・・・若き騎士よ」
事態を見守っていた皇帝が、口を開いた。
「主を襲われたことで義憤に駆られ、周囲の者全てが疑わしく見える気持ちは推し量ろう。忠誠心もあっぱれだ。だが、夫人の申すとおりではないか?」
皇帝は、そしてこの執務室にいる誰もが今、第二夫人の味方であった。仕方がないのかもしれないが、同情と憐憫、そして窘める声音を肌でひしひしと感じる。
(くそ、なんたることだ!)
夫人に、皇帝に、更に言い募るが、最早届かない。
半ば追いだされる形で、執務室を後にするしかなかった。