34話
呪いを抑えるには精神力と集中力が不可欠だ。
魔術に必要な魔力を使うと体力が減るし、呪文を一つも決められた言葉を淀みなく喋り続けていなければいけない。
加えてクローディアを抱えながら走るのだからエリクには酷い負担だった。シリウスに施した身体能力を上げる魔術を自身にもかけているから疾風のごとく移動し続けられているが、呪いを抑えながら余計に魔力を消費しているのだから。
(くそったれめ)
なんで自分がこんな目に遭うんだと憤然していた。
初めは、呪いが興味深かっただけだ。
エリクは人付き合いが嫌いで、人を信じていなかった。だから一人で生き、魔術の探求と暮らしていけるだけの僅かな収入があればそれでいい。薬を売り歩きながらも決して正体を明かさず、暮らしている場所は誰にも教えない。親しい人も作らず、一生を送るつもりでいた。
クローディアと出会うまでは。
服装から高貴な女性だとすぐにわかった。貴族や王族、騎士などという特権階級はエリクにとっては師の仇だった。師と離ればなれになった後も、魔術のなんたるかを理解しようとはせず自分達の価値観に当て嵌め、命じ、忌避し、迫害する。
そのまま野垂れ死ねばいいと最初はおもったが、彼女は呪いを受けていた。ただ呪いに興味を持ち、傷の手当てをした。調べれば調べるほど、自分には解けない呪いだと知って驚倒したし、悔しかった。
そして、クローディアに同情した。呪いとは害意の最たる証だ。優雅な暮らしをし、何不自由なく生きているクローディアと、迫害される魔術師のエリク自身を重ね合わせることは自然だった。
クローディアに乞われた離宮での暮らしは、悪くなかった。朝昼晩と食事は豪華なものばかりだし、自分の金ではなく、魔術の研究費もクローディアが出してくれる。それでも、エリクは満足できなかった。
呪いが解けない苛立ちが、募っていく。のみならず、クローディアの鬱陶しいばかりの熱烈なアプローチも毎日あるのだ。
エリクとて男だ。クローディアの豊満な肉体を治療の名目で触れ、情欲を発散し、堪能できるのは嬉しいが、人からの好意なんて初めてで持て余してしまう。
一緒に暮らし始めて、この皇女は孤独なのだと気づいた。
同情心が芽生えた。母を失い、家族からも離れて記憶を失い、いつ死ぬかもしれない身の上を嘆いている。こわがっている。そして、諦めてもいる。クローディアと接しているうちにそんなことに気づいた。
探究心ではない別の使命感に突き動かされている自分に、違和感を覚えた。振り切ろうとして、更に研究に没頭した。
心を許してはいけない。そう自分に課していたのだから。
誰かのためなんか間違っている。師のようになる。親切心も同情も、死に繋がる。エリクはそう断じた。だからクローディアには心を開こうとしなかった。
なのに、このザマだ。
自分さえ危機に陥り、今後も命を狙われるかもしれない。
「くそったれめ・・・・・・・・・!」
それでも、エリクはクローディアを置いていくと選択できなかった。
クローディアだけが理由ではない。シリウスのせいでもある。
彼がクローディアのために自分を犠牲にしたことが信じられなかった。主からの信頼、愛情を得るための行為ではない、善意と好意から出た自己犠牲なんて、エリクが一番嫌いなことだ。
なのに、実行できた。
嫌になる。自分が絶対にしないし、できない。認められない。かつて最愛の育ての親がそうして命を落としたのだ。腹立たしさと懐かしさ。自分でも例えようのない、悶々とした心の煩わしさ。
それがクローディアを見捨てるということに歯止めをかけている。
シリウスのことなど、どうでもよかった。うるさい子犬くらいにしかおもってなかった。師と似ていることに気づいて、なんだか変な気分になった。
師と似ているシリウスの期待を、裏切ることができない。
疲労からではない別の理由で、呪文を一節噛みそうになった。
「ごめんなさい・・・・・・・・・ごめんなさい・・・・・・・・・」
呪いに苦しみながら謝罪の言葉を発しているクローディアに気をとられそうになる。また呪いの大元から黒い靄、瘴気がゆらゆらと漂いはじめる。
エリクが瘴気と呼んでいる靄は、呪いの力がクローディアの肉体よりこぼれ落ちている、可視化した魔力、呪いの残滓だ。下手に放置し、触れた者を危機に陥らせる。現に瘴気に触れ続けている草木は一瞬で枯れ、地面を黒く染めあげている。
「こんな苦労かけさせやがってるんだ、お前。ここで死んだら承知しねぇぞこら・・・・・・!」
エリクはもう一度、呪いを抑える呪文を詠唱した。しかし、瘴気は消えない。もう一度試してみるが、結果は同じだ。
「なんで――」
「あらゆる魔術を封じる、特別な道具だ」
声がした。男の声だ。警戒心を顕わにし、攻撃と防御のための魔術を発動するが、それも途中で消えてしまった。あらゆる魔術が使えなくなっている。
「やはり、あの御方の仰ったとおりだな。貴様は薬師ではなく、魔術師だったとは」
暗闇からやってくる男が、なにかをエリクにかまえた。乾いた音が響き渡る。銃声だ。やや遅れてエリクはクローディアを投げ捨てた。
鉛の弾丸が身を貫く。鋭く焼けつく痛みが脇腹から生じ、立っていられない。
「て、てめぇ・・・・・・・・・」
血液が逆流し、喉から血が零れてくる。傷口を押さえるが出血は酷くなっていく。
相手が視認できるほど距離が詰められていく。月影が全身と顔を照らし、正体が明らかとなった。
こちらにかまえたマズルローディングのピストル。避ける動きを取ろうとしたが傷口の疼き、クローディアの瘴気によって銃口に視線を注ぐことしかできない。
また銃声がした。同時に銃口の奥から光が灯り、火を吹いた。