33話
一体どれだけの時間が過ぎただろうか。首をなんとか窓へと傾けて外の明るさを見ると、まだ夜なのだとわかって絶望した。
一睡もしていない疲労が溜りに溜っているというのに、目はギンギンに冴え渡り、このままじゃ正気を失いそうだった。
「あ、が、ぐ、」
微かな、何かが鼓膜を叩いた。乾いた喉から何かを吐き出すような小さい呻きみたいだった。
そちらのほうに意識を向けると、クローディアは苦しんでいた。彼女の苦痛によるものだとはっきり認識したシリウスは急に意識が切り替わる。
体から黒い靄、影とも呼べないもやもやとした何かが漂いはじめる。
「嘘だろ?!」
呪いの発作だ。
起き上がるより前に、クローディアを中心に黒いもやもやが突如として爆発する。吹き飛ばされながらもくるりと宙で身を翻し激突する寸前で壁を足で蹴り、地面に着地した。
「ふご!?」
途中、顔面から壁に衝突したエリクはそのまま落下しないでくろいもやもやの台風のような圧にへばりついてしまっている。
「おい、起きろ!」
怒号を発し、自らも充満していく黒いもやもやの圧に抗いつつ、エリクを抱える。
「な、嘘だろ・・・・・・・・・・・・」
さしものエリクも、眠気は吹き飛んだらしい。ただクローディアが呪いの発作をおこしたことに仰天し言葉を失っている。
「なんでこんな間隔で! くそ!」
「エリク、薬は!?」
「ねぇ! まさかこんなすぐに発作がおこるなんておもわねぇだろ!」
片膝をつき屈みながら呪文を詠唱する。黒いもやもやは呪文に反応し、ぴたりと止まりぞわぞわと蠢いていてまるで虫そのものだ。
「くそ、まじか・・・・・・・・・」
「どうする!?」
「このまま離宮に戻るっきゃねぇだろ! 呪いは俺が抑えるからお前はクローディアを運べ!」
「けど、ここがどこかもわからないじゃないか!」
「四の五の言ってる場合じゃねぇだろ! とりあえず外だ外!」
言われたとおり、シリウスはクローディアを持ちあげた。体から溢れるのを封じられているように、黒いもやもやがしゅ、しゅ、と吹いては散っていく。
「そうだ、星!」
「あ!?」
「星と月で位置と方角が読めると騎士団で教わったことがある! だからそうすればここと離宮の場所がなんとなくわかるはずだ!」
「最初からさっさと思い出せや!」
「無茶言うな! 君だって――ええい! ひとまずここじゃ視界が悪い! 湖のほうまで移動する!」
開けた湖の頭上には、星と月が煌めいていて水面に反射している。そこで騎士団で教わったやり方を必死に思い出そうとする。
オオオオ・・・・・・・・・ォォォォオオオ・・・・・・・・・。
獣の遠吠えか、はたまた嘶きか。こんなときに、と歯軋りする。クローディアを肩に担ぎ直して片手で剣を抜くが、底冷えのする遠吠えが近づくにつれ、湖から波紋が生じて漣が激しくなっていく。
岸に飛沫が上がるほどにもなると、闇に紛れて得体のしれないシルエットが湖の中心からゆっくりとこちらに向かってくる。
一つではない。二つ。いや、こうして確認している間にもそこら中から出現している。人にも似た形をしているが、それにしては細く動きがぎこちない。
オオオオ・・・・・・・・・オオオオオオオオオ!
嘶きでもない。遠吠えでもない。獣でも人でもないそれらが発しているそれは、幾重にも重なって誼譟を呈している。
岸に上がったそれの全身を視認しても、なんであるのかすぐに理解できなかった。
「が、骸骨?」
肉も皮も臓器も消失した、骨だけの存在。糸が切れたマリオネットにも似たぎこちない動きは病人かはたまた幽霊さながらで薄気味が悪い。あまりにも常軌を逸している。しかも骸骨の大群は、まっすぐ三人に向かっているではないか。
「死霊術か!? 死体を魔術で蘇らせて操ってやがる!」
肌に粟が生じるおぞましさ。魔術というのはそんなおそろしいことさえ可能なのか。
死霊術で操られた骸骨達は数えることさえ途方がないほど増えていく。このままでは囲まれて逃げ場がない。
「おい、エリク。君一人でクローディア様を連れてここを脱出できるか?」
「は? なにを――」
「僕が囮になる」
シリウスはクローディアを寝かせると、剣先を天に立てて頭の右手側に寄せた。ポメル(柄頭)に左手の掌を添える。
「はぁ?! お前――」
「僕がまず突破口を開く。その間に君は僕が突っ込んだ先を進め。三人で行けば骸骨達はおってくるだろう」
「正気か?」
「僕がクローディア様を連れていっても薬は作れないし呪いを抑えることもできないだろう」
「死ぬぞ! 死霊術で操られたら腕が千切れようが足がもげようがとまらねぇんだぞ!」
「なら尚更誰かが足止めをしなきゃだろう」
話している時間さえ惜しくなり、突っ込もうと足を前に出す。
「馬鹿なお人好しぶりも大概にしろ!! なんの得があるってんだ!!」
エリクが、シリウスに怒った。
本気で心の底からの怒一色の声。初めてぶつける感情の発露に、つい足が止まった。
「見栄か?! 忠誠心か?! クローディアへのアピールか!? 俺に恩を売るつもりか!?」
「・・・・・・・・・そんなんじゃない」
ここでクローディア様が死ぬなんてことになるのが、嫌だ。
そして、少しでもクローディアが助かる可能性がある選択肢をとっただけだ。
例え自分自身がここで命を散らしても、彼女が無事ならそれでいい。
「僕は誓ったんだ。クローディア様をきっと守ると。君に託すのは癪だけど仕方がない」
そうだ。
シリウスは今ここで、エリクを認めた。ここでエリクしかクローディアを救えないと。
生死の境にあれば、自分が悩んでいたことなんて馬鹿馬鹿しいと一笑に伏せるものなのだと。
エリクにクローディアを寝取られるよりも、守れないことのほうが何十倍も辛い。きっとここでクローディアを守れなかったら死ぬ。それほど後悔する。
「お前は―――!」
「もういい! いくぞ!」
駈けた。
「はああああああああああああああああ!!」
駈けながら腰を落とし、刺突一点の攻撃。そのまま剣に突き刺さった骸骨を斬り払いながら縦横無尽に暴れ回る。人間ではない相手だから戦い方など選んでいられない。エリク達が無事ここを抜けられるだけの余裕があればいい。
痛みがないためか、骸骨達はシリウスの攻撃を浴びても怯みはしない。体の一部が欠けたことになど囚われずシリウスに迫る。
ブレイド(刀身)が折れないようガード(鍔)とナックルガード(護拳)で骨の間接部を砕き、吹き飛ばす。
骨と骨の隙間に剣先を通し、そのまま押し進む。ぶつかって倒れた骸骨達など目もくれじ、内側から裂き、蹴りとばす。巻きこまれた骸骨達に踵を叩きこみながら素早く走る。
「よし、行け! この先だ!」
なんとか突破したエリク達に背を晒し、骸骨達に相対する。
『この者に祝福と加護を』
エリクがなにか呟くと、ポウ、とした光にシリウスは包まれた。
体の内側から、暖かいなにかが溢れてくる。全身を駆け巡る。確かな活力と、本来以上の力が漲り、昂ぶりを抑えられない。
軽く足を踏みしめれば地が抉れる。剣を振れば風圧で大気がうねる。
明らかに普段の自分以上の身体能力を得たことを自覚する。
これもエリクの魔術によるものか。
「餞別だ。こんなことで死なれたら夢見が悪い。それにこれでてめぇが死んだら俺のせいじゃなくっててめぇの実力不足で死んだことにできる」
「余計なお世話だ! さっさと行け!」
「くっ!」
同時に走りだす。
「頼んだぞ・・・・・・・・・エリク」