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2話

「あらあなた。そんなところでなにをしているの?」




 王宮庭園の隅も隅、日が当たらない陰に埋もれるようにして泣きじゃくっていると、突然話しかけられてシリウスは身を縮こませた。




「どうしてここに?」


「ぼ、僕は・・・・・・・・・」




 今夜は社交界。誰も彼も歓談と食事を楽しむ交友を深め、もしくは広げる。幼いシリウスも自身の母に連れられて初めて来たが、絢爛としたホールに足を踏み入れた瞬間にはドキドキした。




 お洒落な服装とドレス、ぱっちりと纏められた髪の毛の男女が優雅に談笑し、過ごしている広々とした空間は、豪華さと格式高さを両立していて感動すら覚えた。




 姉達と一緒にマナーや挨拶といった行儀作法を厳しく教えられたときは辛かったけど、来て良かったなと心からおもったのだ。




 けど、すぐに膨らんだ心は穴が空いた風船みたいに萎んでいった。




 元々引っ込み思案で臆病すぎるところがあるシリウスは、緊張で同年代の貴族の子供達に、まともに接することができなかったし、女なのに男として振る舞わなければいけないので余計辛い。




 母は側にいない。姉達も末の妹である自分を放ってしまっている。ぽつんと取り残された気分が強くなっていったシリウスは、社交界を抜けだしてしまった。




 晩餐会と舞踏会を兼ねているから、まだ終わるまで先が長い。ふらふらと誰もいないところへ逃げたかったシリウスは、ここへ辿りついた。




「プティングが振る舞われているのよ? とても美味しくってほっぺたが落ちそうになっちゃったくらい」




 少女は、ニコニコと爛漫に話を続ける。シリウスが返事しないのもおかまいなしに。




(う・・・・・・・・・)


 なんだか泣きそうになってきた。




 悲しい気持ちが胸から溢れてきそうで、じんわりと目元が熱くなってくる。




「そうだわ。こっちに来て」


「え?」




 少女はシリウスの手を強引に引いて、駈けていく。ふわふわのドレスで足が縺れそうになりながら、賢明に転ばないように付いていく。




 シリウスが連れてこられたのはこじんまりとした休憩所だ。丸みを帯びた屋根と柱、ベンチで構成されたシンプルなものだが、白と緑で彩られていて清潔感がある。




「ここ、私のお気にいりなの。ここでティータイムをしながらお花達と太陽を眺めていると、とっても気持ちがいいのよ?」




 ほら、あっち。指をさした方向では、傾きかけている太陽が燦々としていて、まるで目の前の少女と同じだとシリウスはおもった。




 とにかく元気で、笑顔が似合う女の子に、シリウスはまだまともに言葉を発せられてない。




「そうだわ、まだお名前聞いていなかったわね。私、クローディアっていうの。あなたは?」


「ぼ、僕・・・・・・・・・僕・・・・・・・・・」




 ジッと見つめられていると、なんだか恥ずかしくなって余計口の中がまごつく。




「シリウス・・・・・・」


「シリウス? 素敵なお名前ね」




 シリウスというのは、本来男性に付けられる名前だ。




 星座の大犬に因んだ名前が女の子である自分に付けられた事情は、母と姉達から教わっている。父が亡くなったあと、シリウスの家は誰もが男の子の誕生を願っていた。だけど産まれてきたシリウスは女の子。貴族である男爵家を存続させるため、シリウスは男として育てられることが決まったのだ。




 周囲から、そして特に姉達からは幼い頃からからかわれ続けていた。シリウスという名前は自分にとってコンプレックスだったし、跡取りとしての、男としての勉強も鍛錬も並ではなかった。人より背が小さく力も弱いシリウスは、少し泣き虫で引っ込み思案に成長しつつあった。




「素敵? 僕の名前が?」


「ええ。そうよ。だってまさにあなたにぴったりだもの!」




 きっと、嘘はついていない。




 微笑みの中に温かな優しさが滲んでいる。




 産まれて初めて名前を褒められたシリウスは、悲しさじゃない涙を流した。




「あららら。泣き虫さんなのね」


「あ、あのね? あのね?」




 堰を切ったように一頻り泣きじゃくったシリウスは、不思議と話をすることができた。




「まぁ、ひどい。人の名前を馬鹿にするだなんていけないお姉様だこと。淑女としてあるまじき振る舞いだわ」


「私もお父様とお母様に叱られているわ。お稽古、お勉強、マナー。つまみ食いしようとしたらお尻を鞭で叩かれそうになったの! ひどすぎるとおもわない?」


「まぁ、あなたの領地って素敵なところなのね。私行ってみたいわ」




 いつしか少女、クローディアと和気藹々と話せている。ごく自然にだ。




 クローディアの裏表のない感情表現が、まっすぐな心根が、シリウスの心の緊張をといてくれたことはなんだかこっちまで楽しくなってくる。




 やっぱりここに来て良かったなって、シリウスは心の底からおもった。




「あ、鐘が鳴ったわ。いやだ、もう夕暮れになっているじゃない。もう戻らないと」




 二人でホールに戻ると、晩餐会になっていた。




 そのとき、周囲の驚きとクローディアを取り巻く人間達の会話で、呼び名で、阿り方で、シリウスはクローディアが誰かに気づいた。




 皇女殿下。




 トルディニア帝国皇帝の娘。




 事前に両親から説明されていた人物で、この国を統べる帝族の一人。




 どうして今まで気づけなかったのか。幼いシリウスはそんなことすら頭の中になく、ただ呆然と立ち尽くしていた。




「ねぇ、シリウス。私と一緒に食べ物を取りにいきましょ」


「え? でも――」


「いいの、いいの。どうせお父様もお母様も、大臣や将軍、偉い人達とのお話に夢中なんだから。あなたのご家族もそうでしょう?」


「殿下、そちらは?」


「シリウス。さっきお友達になったのよ?」




 頭をハンマーで殴られた心地だった。




「お、お友達?」


「そうよ?」




 なにを言っているのよ、という不思議そうなクローディア。




 お友達という言葉がゆっくりとシリウスの中で溶けて、暖かくなって頬が緩んでいく。




「ね? シリウス」


「・・・・・・はい!」




 身分に差のありすぎる二人を、大人達は扱いあぐねて困惑している。そんな大人を余所にシリウスはクローディアと一緒に過ごした。晩餐会のときも、舞踏会のときも。終わって宿泊所に戻らなくてはいけないのが名残惜しかった。




「ねぇシリウス。あなたいつ領地に戻るの?」


「えっと、一週間後ってお母様が・・・・・・」


「じゃあまた王宮に来て! 一緒に遊びましょ!」


「はい!」




 がっしりと重ねられた両手をしっかりと握り返して、シリウスは帰宅した。


馬車の中で疲れきっている家族とは裏腹に、シリウスは天まで昇りそうなほど幸せだった。母はクローディアとの経緯を聞くと最初叱ったけど、段々と綻んでいった。




「そう、きちんと仲良くするのよ。お行儀よくね。失礼があってはいけないのだから。まさか皇女殿下とお近づきになれるだなんて」




 姉達は驚いて、羨ましがっていた。




 家族の反応の意味がわからず、シリウスは首を傾げた。ただ早く明日にならないかなと、寝る寸前までわくわくしていた。




 それからの一週間は、目まぐるしかった。




 クローディアは天真爛漫で、大人で、しっかりとしていて、けどお転婆だった。


 過ごす時間のうちに新しい一面を見つけて、そして振り回されて、そして知ればしるほどにクローディアのことが好きになった。




 友達。家族ではない、初めての仲の良い人。




「ねぇ、シリウス。私、いつか政略結婚するんだって」




 あるとき、庭園でおやつを食べているとクローディアがぽつりと漏らした。




「他の国の皇子様の元か、誰かをお婿にとるって。皇帝の娘だからって」


「結婚………クローディア様が?」


「そう。でも、私顔も知らない殿方に嫁ぐなんてこわいわ。熊みたいな人だったら私ご飯も食べられなさそう。でも、仕方がないって。国と国が仲良くしたり戦争しないために。今お勉強しているのもそのときのためなんだって」


「クローディア様は………政略結婚が嫌なんですね………」


「ええ。勿論よ。心から好きになった人と結ばれたいの。そうでしょ?」


「そっか………僕も家を継ぐために毎日厳しいお勉強と鍛錬をしているから、なんとなくわかります」




 二人は小さい子供さながらの悩みを、告白しあった。




「私達、似た者同士なのね」




 くすりと笑ったクローディアの言葉が、なんだか嬉しくて心臓が痒くなって落ち着かなくなる。




「シリウスみたいな人だったら、私も嫁ぎたいのに」


「え!?」


「だって、シリウスって可愛いし楽しいし。それにきちんとエスコートしてくれるでしょ? あなたみたいな人が夫だったら私も毎日楽しいだろうし」


「で、でも僕男爵家だし」


「そうねぇ。だったら私の側に仕えるのはどうかしら? 執事とか騎士様とか」




 執事。騎士。




 そうすればクローディアと一緒にいられる。クローディアも自分を望んでいる。




(う、わ………)




 誇らしい気持ちで一杯になったし、男の子として生きててよかったとおもった。


 クローディアと一緒にいると、男の子としての自分、女の子としての自分に悩んでいたことがどうでもよくなった。どうして僕は女の子なのにお姉様達と同じようにドレスを着れないんだろう、という羨望が消えた。




 一人になると、シリウスは友達、友達、騎士様騎士様、執事、と自分に言い聞かせ、クローディアの顔を浮かべる。そうするとえへへへへ、と幸せな心地になれる。


 だけど、楽しい時はあっというまに終わってしまう。




「また来月には社交界があるの。私のお誕生日を祝うのよ」


「はい、絶対に行きます! そのときにはクローディア様にお花をプレゼントします!」


「あら、例の湖に咲いているお花? じゃあお花飾りがいいわ」


「はい! きっと! お姉様達と練習して素敵なお花飾りを作ります!」


「楽しみにしているわ。シリウス。私のお友達」




 そうして、二人は別れた。




 それ以来、再会の約束が果たされることはなかった。




 クローディア皇女のための誕生日は、彼女の母親の病死によって中断された。


 そして、それ以来クローディアは人前に現れることはなくなった。




 帝都から遠く小さい領地の男爵家であるシリウスは、誰も彼もなく尋ねて回ったが、口を噤まれ、詳しい事情を知ることができなかった。




 一つの噂を聞いたこと以外は。




「皇女様は離宮に移り住んだらしい」


「王妃様は死んだんだろう? だったらお一人で?」


「使用人はいるらしいが、とにかく引き籠もっているらしい。嘆く毎日だとも」


「おかわいそうに。無理もない。まだ九歳なのだろう」


 


シリウスは、噂を聞いて想像しただけで胸が張り裂けそうだった。自分のこととして置き換えると、いてもたってもいられない。




 けど、シリウスとシリウスの実家の領地の位置と身分の低さでは、みだりに王宮にいくこともクローディアの元へいくことも許されない。どんなに願っても、駄々をこねているとされてそれっきりだ。




 小さくて弱い少女のままじゃ、友達と呼んでくれた彼女を救えない。悲しみを癒やすことも、話をすることも、側にいくことさえ許されない。




 そして、決意した。




 自分にあの日手を引いてくれた少女を、友達になってくれたクローディアの側にいけるほどに努力しなければいけない。



 だって、ひとりぼっちだった自分は救われた。男の子として生きている自分に生きる希望とやりがいを与えてくれた。誇らしくおもえるようになった。


 だから今度は自分が助けたい。救いたい。


 悲しみからも守れるくらいに、強くなると。


 だから、シリウスは騎士を目指した。

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