一方通行でない2時22分のラジオ
「夜中の2時22分に1人きりの時にラジオをつけて、ラジオに声をかけるんだって。もちろん、電源はつけておくのよ。そしたら、ラジオから返事があって、自分の将来のことを教えてくれるって。りんごちゃんもやってみたらどう?」
そんな都市伝説が流行っているらしい。
私は某私立大の1年生で、サークルの舞という名前の先輩が、私をからかうように教えてくれた。
とても綺麗な先輩で、真っ黒で長い髪が印象的な、スレンダー美人。サークルの中でも一際目立っている人だった。
サークルは、音楽鑑賞というマイナーなものだけど、その先輩に釣られてか、意外と会員の数は多い。
私は人見知りをする方で、正直、大学に入ってから友達という友達もおらず、ただ大学には授業を受けるためだけに行き来しているだけだった。
そこに、舞先輩が声をかけてきた。
「音楽に興味はない?」
春なのに日差しが強く照りつける日だった。
日傘をさしているのに、日傘で隠れてくれないジーパンがジリジリと焼けて肌が痛かった。その中で、舞先輩は日焼けを気にすることもせず、なのに真っ白な肌で私に近づいた。長い髪を耳にかけて、やんわりと微笑む。
顎から、透明な汗がポツリと落ちた。
その汗が、先輩の着ているTシャツに触れて、じわりと滲んで広がる。
私にはその汗が、とても綺麗に思えて。
全く音楽に興味もないのに、私はつい、サークルに入ってしまった。
それから3ヶ月。
世間では、記録的な猛暑だと毎日のようにニュースで騒いでいる季節。
梅雨が短かったせいで、蝉の声はまだ聞こえない。
私は毎日、サークルに顔だけは出すようになっていた。同じように毎日サークルにきている舞先輩は、必ず一言は私に話しかけてきてくれていた。
3ヶ月も経つと、さすがに口調も多少くだけて、舞先輩は私を時々からかうようになった。
舞先輩は、指先からも色気を醸し出す人で、私はついその指先をいつも眺めてしまう。
「りんごちゃん、飴食べる?」
「あ、はい。、、、ありがとうございます、、、」
飴を私に差し出してくる指先に触れることも烏滸がましいようで、私は指先に触れないようにその飴を受け取る。
りんご、というのは私の本名ではない。
ただ、舞先輩と話す時、私は顔をりんごのように赤くしてしまうらしい。舞先輩は、そんな私をりんごちゃんと呼ぶようになった。
サークルでは、音楽鑑賞サークルなだけあって、必ず何かの音楽がかかっていた。そしてその曲を聞きながら、自由に過ごすという緩やかなサークルだ。
私はいつも、その集まりの部屋で小説を読んでいた。特に大学生らしい遊びがしたくてサークルに入ったわけではない。
でも、他の人は私とは目的が違うようだった。
夜に集まってどこに行くだの、これから何をするだの、とにかく毎日が忙しそうだ。
私は明らかにサークルで浮いた存在だった。
舞先輩には、つきあっている彼氏がいて、その人も同じサークルに入っていた。背の高い舞先輩より頭ひとつ背が高く、舞先輩に釣り合う容姿をしている。
明るくて、舞先輩とともに、サークルの中心にいる人だった。
舞先輩の細くて長い指先がその人の腰に触れる時、舞先輩の瞳が少し揺れるのも、その人のことが好きなんだと強く伝わってきて、そんな舞先輩を見るのも好きだった。
「りんごちゃんは、可愛いわよね」
ある日、舞先輩がそんなことを言ってきた。私がサークルの部屋の椅子に座って本を読んでいたときのこと。
舞先輩が近づいてきて、私を見下ろしてきた。
何を突然と、私は見上げて目を見開く。
「私に可愛いところなんて1つもありませんよ」
「またまたそんなことを言って」
舞先輩の潤んだ瞳が優しく緩む。
「りんごちゃんは可愛いわよ。ミステリアスなのにひたむきで」
ものすごい抽象的な褒め言葉だった。
舞先輩が何を言いたいのか、全く掴めない。
「はぁ、そうですか。ありがとうございます」
とりあえず舞先輩が誉めてくれるならとお礼を言った。
「りんごちゃんは好きな人、いるの?」
「え?」
つい、舞先輩を見上げてしまう。
恋愛として好きな人などいない。
ただ、人間として好きな人なら目の前にいた。本人に言えるはずもないけど。
「いませんよ」
「そうなの?せっかく可愛いのに。もっと周りに目を向けてみたらどう?」
「そういうの、余計なお世話って言うんですよ」
私が憮然としていうと、舞先輩はくつくつと笑った。
舞先輩のストレートの黒髪がサラリと揺れる。
「せっかく大学生になったんだから、このままというわけにもいかないでしょ。良い人、紹介してあげようか?」
「結構ですって」
本気で嫌だった。
今日の舞先輩は何だか質が悪いようだ。お酒を飲んでいるわけでもないのに、冗談が過ぎる。
正直、私は全く面白くなかった。
「こんな都市伝説あるの知ってる?夜中の2時22分に1人きりの時にラジオをつけて、ラジオに声をかけるんだって。もちろん、電源はつけておくのよ。そしたら、ラジオから返事があって、自分の将来のことを教えてくれるって。りんごちゃんもやってみたらどう?良い人みつけてくれるかも」
にっこり笑う舞先輩。
先輩が明らかにおかしくなっていた。そんな噂話、信じる人じゃないはずなのに。
「絶対それ怖いやつじゃないですか。呪われる系のやつ。私はしませんよ。怖いですもん。しかもなんでラジオなんですか。ラジオは一方通行のはずでしょ。返事が返ってきたらそれは電話です。返事のくるラジオは私はしません。絶対しません。ラジオ持ってませんし」
「そうかな。将来を教えてくれるなんて、親切じゃない。別に呪われるとか殺されるとか言われているわけでもないし、試す価値あると思うんだけど」
「じゃあ舞先輩がやればいいですよ。私はしません。絶対しません」
はっきりと私が拒否すると、舞先輩は、少し冷たい瞳になって、私を見下ろした。
「、、、ふぅん。そう」
すとんと私から興味がなくなったかのように。
舞先輩は、私を見ながら違うところを見ているようだった。
「舞先輩?どうかしたんですか?」
「ーーーいいえ。別に」
あぁ、と舞先輩は私をもう一度見つめる。
「じゃあ、私が今日、してみるわ。もし本当だったら、今度はりんごちゃんがやるってのはどう。そうね、そうしましょう」
サークルの部屋にはエアコンがついていて、外は暑いのに部屋の中は寒いくらいだった。
なのに舞先輩は、春のあの時のように、顎からポトリと汗が流れ落ちてきた。
あの時の透明な汗と違って、白いTシャツが、じわりと黒く滲む。
ーーーーなぜ汚い色に染まるの。
私の頭よりも高い位置に立つ舞先輩。
異常に白い肌。虚ろな瞳。私を見ていない視線が妙に怖くて。
私は、先輩をしっかりと見返すことができなかった。
舞先輩は、そのままサークルから出ていき、そして帰ってこなかった。
舞先輩の訃報を聞いたのは、翌日の事だった。
「舞が?何で。あんな良い人が」
「そんな。嘘でしょ」
「舞先輩っ。舞先輩っ」
サークルの中が騒然となり、そこにいる全ての人が泣きじゃくっていた。
私も頭が突然の事実を受け止めることができず、全く機能しなくなっていた。
あの舞先輩が、死んだ?
そんな馬鹿な。
昨日まで私の前で普通に話していた人が。
いきなり死ぬはずがない。
『夜中、ラジオに話しかけて』
舞先輩の声が、聞こえた気がした。
私は昨日の事を思い出して、はっとする。
「ラジオ」
一方通行でないラジオ。
都市伝説。
まさか本当に、ラジオに呪われて、、、?
私は悲しみに叫びまくる皆の悲しみの声に耐えきれず、サークルの部屋を飛び出そうとした。
すると、目を真っ赤にした、舞先輩の彼氏が私に話しかけてきた。
部屋の外に呼び出されて、私達はサークルの校舎裏に向かった。
舞先輩の昨日おかしかった理由を教えてくれるんだろうか。彼氏なら、何か知っているかもしれない。
「ーーーなんですか?こんなところまで連れてきて」
舞先輩の彼氏。
名前を呼ぼうとして、この人の名前を知らないことに気付く。3ヶ月同じ空間にいて、名前さえ知らないなんて、私はよっぽど、舞先輩以外に興味がなかったんだろう。
彼氏は綺麗な顔をしているけど、私の好みではなかった。
だって綺麗なのは、舞先輩ただ1人。
黒くて長い髪。白い肌。細い指先。
優しい微笑み。
こんな私に毎日飽きもせず声かけてくれた変わり者。
ーーーーあんな人。他にはいない。
「りんごちゃん」
彼氏は私を呼ぶ。
私はりんごという名前ではありませんが。
彼氏は大きな目から、ボロボロと涙を流しながら、私の目を覗き込んだ。
「ーー俺が悪いんだ。俺が、りんごちゃんを好きになったから」
「ーーは?」
私は自分の耳を疑った。
彼氏は容赦なく続ける。
「舞を見る君の目が、すごく可愛く見えだしたんだ。気付けば好きになっていた。ーーーだから、俺は舞に」
「ーーっ言ったんですか?そんな馬鹿げたことを」
私は怒鳴るように彼氏に言葉をぶつけた。
彼氏はぎょっとしてみせる。
「あ、あぁ。、、、だってそうでもしなきゃ、俺がりんごちゃんと付き合うことなんてーーー」
つきあう?こんな状況で?
冗談じゃない。
「私がこんな頭の悪い人と付き合うわけないでしょうが。それを私に言ってどうするんですか。私が苦しむだけじゃないですか。自分が少しでも楽になりたいだけじゃないですか。馬鹿じゃないですか。ふざけんな、クソヤロウ」
「、、、、りんごちゃ」
「りんごじゃない。私の名前も知らないくせに、好きとか言うな。舞先輩を返せ。舞先輩を殺したのはあんただ。人殺し」
言い捨てて、私は走り出した。
言い過ぎなのはわかっている。でも言わずにいられなかった。あの人は、舞先輩の気持ちなんて少しも理解しようとしていない。
舞先輩。
なぜあんな人を好きになったんですか。
なぜ、死を選ぶようなことを。
あの人はただ、もてるはずの自分以外の人間が見られていたことが気に食わなかっただけで、私のことを好きなわけではないんですよ。ただの嫉妬なんです。
舞先輩、貴女への。
貴女が、綺麗で魅力的過ぎるから。
私はその足で電機屋に駆け込み、ラジカセを買った。
夜。2時20分。
私はコードを繋ぎ、電源をつけた。
ラジオは『ザ』と音がして、合わせられた周波の番組が流れた。
陽気な若い男の声が部屋に響く。
ヒントは時間と方法しかなく、細かい設定とかは教えてくれなかった。
2時21分。
私はラジオに向かう。
陽気な男の声は止まる気配がない。
1人で夜中に話しかけるという行為は、かなり勇気がいる。
なんて言おう。
舞先輩のことを聞いた方がいいんだろうか。
こんなことがあって私は、この先どうすればいいんだろう。将来のことを教えてくれる?
そんなこと、どうでもいい。
舞先輩のいない日常を、この先どうすればいいのか。
綺麗な綺麗な舞先輩。
なぜ。私は気がつかなかったんだろう。
あの黒い汗。
あれは、目元の化粧と一緒に流れた、舞先輩の涙だったんじゃないか。
あの時に気付いていれば。
もっとしっかり舞先輩と話していれば。
あんなに、舞先輩がいつもと違っていたのに。
2時22分。
ぴたりと。男の声が止まった。
私は息を吸って、声に出す。
舞先輩を想うと涙が溢れてきて。
私は勇気を出して聞いた。
「わ、私は、これからどうすれば、、、」
『ーーー死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』
ラジオから聞こえた声は。
ーーーーー舞先輩の声だった。