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人間の暮らす世界

作者: 早崎富也

その日は仕事が休みで、翌日も休みだった。


僕はその日、夜が明ける前に目を覚ました。

目を覚ました僕は服を着替えて顔を洗うと、財布もスマホも何も持たずに家を出た。

鍵もかけなかった。


なぜそんなことをしたのか、それは今になってもわからない。


僕が暮らしていたのは都心から車で二、三時間ほどの場所にある町だった。

家の周りには住宅街があり、少し離れると農家がいくつもあり、さらに離れると山や森林が広がっていた。


道路沿いにしばらく歩いて、住宅街を離れる頃に夜が明けた。

仕事を始める農家の人や早朝の散歩をしている人が何人かいた。

僕は山や森林に向う歩道を歩いて行った。


「散歩かい?」


近くにいた人に話しかけられた。


「……そんなところです」


「この近所の人かい?」


「少し離れた団地に住んでいます」


町がそこまで大きくないこともあって、その人は近所にいる人の顔と名前をほぼ憶えているのだろう。

見慣れない僕の事が気になったようだった。


しばらく行くと、今度は向こうから軽トラックが走って来た。


「どこへ行くんだい?」


運転手の人が車を停めて話しかけてきた。


「……ただ歩いているだけです」


「この先は山しかないよ。このまま歩いて行っても、山の中で日が暮れるだけだよ」


「そうですか……じゃあ引き返します」


「よかったら送って行こうか?」


「いえ、自分で歩きます」


トラックが行った後、やっぱり山に入ってみようか少し悩んだけど、結局引き返す事にした。


しばらく歩き、舗装された道路を外れて脇道に入って行った。


地面には雑草が生えて砂利が転がっており、両隣には木々が生い茂っていた。

ドングリや松ぼっくり、その他の木の実が落ちていて、鳥が地面をついばんでいた。

夜中に雨が降ったのか、水溜まりができていた。


先は行き止まりになっていた。

壁や川になっているとか地面がない訳ではなかったが、雑草が大量に生い茂っており、この先は人が立ち入る場所でないのは明らかだった。

草をかき分けて入ってみようかとも考えたが、蜘蛛の巣が張っていたらイヤだったのでやめた。

近くにベンチがあったので少し休もうと思った。

けど、座るとあちこちからアブが飛んできたので、すぐに立ち上がった。

しょうがないから、来た道をひき返す事にした。


もとの道路に戻り、また歩き出した。

しばらく行くと、また別の脇道があったので、その先へ行く事にした。


けど、そこはすぐ行き止まりになっていた。

登山道に通じている様だったが、鉄柵によって閉鎖されていた。

近くにクマが出没するという注意書きがあり、それが原因の様だった。


不思議なことに僕はクマを怖いとは思わず、一瞬入ってみようかと思った。

けど柵は越えられそうにないし、周囲は急な斜面で登れそうにないので断念した。


また道路に戻って先へ進んでいると雨が降って来た。

僕は屋根がある場所を求めて小走りになった。

幸いすぐに大きめの児童公園が見つかり、そこに屋根付きのベンチあったので雨宿りすることにした。


雨は通り雨だったらしくすぐに止んだ。

けど、せっかくなのでそのまま少し休むことにした。

水飲み場で水を飲み、公衆トイレで用を足し、ベンチに横たわった。

けど、ベンチは固くて寝心地はお世辞にも良いとは言えず、あまりくつろげなかった。

起き上がって服についたゴミを払うと、僕は公園を後にして、また道路沿いに歩き出した。


そこからは特に何もなかった。

座る様なベンチも水飲み場も公衆トイレもなく、入れそうな脇道もなかったのでひたすら道路に沿って歩き続けた。


やがて日が暮れた。

何故か家に帰るかどうか悩んだ。

少し考えて、取り敢えず公園まで戻る事にした。


公園に戻った後、また水を飲んでトイレに行って、今度は芝生の上で寝転がることにした。

芝生はベンチと違って固くなく、広かったため少しくつろぐことができた。

公園の時計を見てみると、もう9時を過ぎていた。


寝転がっている間、耳には虫の鳴く声と道路を走る車の音が聞こえていた。

寝転がっていても眠たくはならなかった。


1時間くらい休んだあと、家に帰ることにした。


家に帰るとまず明かりをつけた。

家の中は僕が今朝出たときと変わらず、なくなった物は何もなかった。

すぐに手を洗ってうがいをし、冷蔵庫にあったサラダチキンを食べた。

それからシャワーを浴びて歯を磨き、布団を敷くとすぐ横になった。


布団の中で僕は考えた。


いつから僕たちは今の生活をするようになったのだろう?

手を洗うとかうがいとか、家の中と外を意識するようになったのはいつからだ?

野生の動物は手洗いやうがいなんてしない、歯磨きもしない。それでいて健全な生活ができているのになぜ?

なぜ夜の時間をわざわざ明るくして、寝るべき時間まで費やして活動する様になったのだろう?

最初に始めたのは誰で、何のために?

川の水を飲まなくなったのはいつからで、きっかけは何だ?

川の水が汚れたからか?川の水を汚いと思うようになったからか?

排泄という行為を変に意識するようになったのは?

物の所有や土地への侵入を意識したのは?

なんで調理されていない物を食べなくなった?

どうして必ず体を洗うようになった?それも水ではなく、温かいお湯と石けんで。

寝るときに布団が必要になったのは?


なぜかばかばかしく思えた。

ヘンに考えすぎるようになって、生活が難しくなってないか?

なぜそこまでしないと生きられなくなっているのか?


けど同時に、自分がそんな生き方から抜け出せなくなっていることに気付いた。

蜘蛛の巣の有無を気にして、草むらの中を進むのを拒んだ。

地面はいくらでもあったのに、雑草や水たまり、砂利の上に座る事や寝転がることをイヤだと思った。

虫が寄ってこない場所にいたいと思った。

柵を越えて侵入するのを止めた。

雨が降ったときは、屋根の下でないとイヤだと思った。

飲んだのは水道の水だけだった。

排泄はトイレで済ませた。

家に帰ると迷わず明かりをつけた。

家の中にある物が盗まれてないか確認した。

道中の木の実や鳥を食物とは考えず、食べ物は家に帰ってからしか食べなかった。

暖かいお湯と石けんで体を洗いたいと思った。

布団で眠りたいと思った。


人類に進化する前の猿だったら、こんな考えはしなかっただろう。

石器時代とかの人間も、あまり気にしなかったかもしれない。


けど僕は、今日とった行動以外の選択が思いつかなった。

現代社会での人間としての生活以外、受け入れられなくなっていた。

一度進化した人間は、退化する事ができないのか。

僕はそう考え、なぜだか哀しいような虚しいような気持になった。


そうしている内に僕は眠った。


僕はその日、初めて人間の暮らす世界をちゃんと見た気がした。

そして、自分が人間であることを実感した気がした。

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