19.世界樹の聖霊
翌朝、地面に立てておいた小枝に、ロッサは正式な浄化の儀式を行った。
「きらきらしてる」
儀式を見守るカタリナが、思わずぽろりと呟いた。
昨夜寝る前に、挿し木のように小枝を立てた場所には、ロッサが簡易な浄化を施していた。だが、それはあくまでも簡易な一時凌ぎである。今日はその場所を中心にもっと広い範囲を念入りに、儀式まで行って浄化しているのだ。
昨日の今日で未だ疲れは残っているけれど、儀式に障りはない。それに、儀式をするのはロッサ一人ではなく、ザールも森の神の神官として参加している。
儀式が進むにつれて、小枝の輝きは増し、頼りないながらも新たな根とさらに小さな枝を伸ばし、新芽を芽吹かせた。
そうして儀式が終わるころには、小枝は新たな世界樹となる苗木だといってもいいほどしっかりと根付いていた。
「このままちゃんと育つかな?」
「大丈夫だと思いますが、念のため結界も作っておきましょう」
ザールは苗木を囲むように聖水を振りまき、聖別した銀の粉で魔方陣を描き始める。
邪教団がどう出るかは正直わからないし、気休めでしかないかもしれないけれど、やらないに越したことはない。
『――ねえ』
「カタリナ、何か言いましたか?」
苗木に見入っていたカタリナが、「何のこと?」と振り返った。
「呼びませんでしたか?」
「知らないよ?」
そちらから声がしたんですがと、ザールは首を傾げる。「俺たち疲れてるんだし、空耳だよ」とロッサが笑った。
『空耳じゃないよ。ねえ、聞いて。勇者の子孫たち』
今度こそ本当に声が聞こえて、カタリナが目を丸くする。
「世界樹から小人が生えたよ!」
『小人じゃありませんー!』
カタリナの目の前で、苗木のてっぺんに芽吹いた新芽から親指くらいの大きさの緑の小人が身を乗り出していた。
ザールとロッサが作業を中断し、駆け寄ってくる。
「まさか、聖霊ですか?」
緑の小人はにっこりと笑う。
聖霊ということは、つまりこの小人が神の化身ということなのか。
『勇者の子孫たちのおかげで枯れずに済んだよ。でも、すっかり弱くなっちゃったから、約束どおりの加護をあげられなくなっちゃった』
「約束の加護?」
カタリナが尋ねると、精霊は残念そうに肩を竦める。
『死なない力。ええと、彼女の言葉を借りるなら、“期間限定でいいから、万一のことになってもここに戻されて復活できるようにしてちょうだい”っていう加護』
「――むちゃくちゃな加護ですね」
『そうなの。だから今は無理。わたしにそんな力無くなっちゃった』
じゃあ、黒くなる前はできたんだ、とロッサは遠い目になる。
彼女というのは間違いなくサーリスのことだろう。
襲いかかった死を無かったことにするなんて、むちゃくちゃではないか。しかも、弱る前なら可能だったというこの世界樹もむちゃくちゃだ。
『でも、加護をあげる約束だからね』
「大丈夫なの? そんなことして死んじゃわない?」
心配そうなカタリナに、聖霊はふふっと笑う。
『あんまりすごいのはあげられない。だから勇者の子孫たちには、一度だけ死を無かったことにする加護をあげる』
「――え?」
『一回だけだよ。それが毒でも魔法でも怪我でも、死に至るものを無かったことにするのは一回だけ』
三人とも絶句する。
たとえどんな原因でも、それが一度きりのことでも、「死」を無しにするなんて世界の理に反する加護ではないのか。
『そして、その加護が有効なのは、勇者の子孫たちがその役目を果たすまでの間だけ――それだけなら、お目こぼしもしてもらえるからね』
「わかりました。森の神とそのしもべたる世界樹の聖霊に感謝を」
きらきらと輝く光が三人に降り注いだ。
ザールが神官としての礼を聖霊に捧げる。ロッサとカタリナも、それに続いて礼を取る。聖霊はうふふとうれしそうに笑った。
『ねえ、勇者の子孫たち。ひとつだけ、お願いを聞いてくれる?』
「お願い? どんなの?」
『わたしをここに植えたのは、森の神じゃなくて森の神の愛娘なんだよ』
「でも、世界樹は森の神と世界の橋渡しをしている神の化身と……」
『それは、森の神が代理になったからだね。森の神の愛娘は、ほんとうはとっても優しい子なの』
聖霊はとても優しい顔と声で女神のことを語る。カシェルの話していた女神の印象とは、ずいぶん違う。
今は邪神に堕ちてしまったとはいえ、元は創世の女神である。
神話のとおり、自分を慕うものたちのためにこの世界を作ったというのが本当なら、以前の女神はたしかに優しく慈しみ深い女神だったということか。
『だからこれを渡して、元の優しい子に戻ってほしいと――わたしたちは今もあなたのことが大好きなんだと、伝えてもらえないかな』
「うん、わかった!」
聖霊が差し出したのは、つややかな緑の葉と小さな白い花だった。
カタリナはそっと受け取って、葉と花を潰さないよう大切に仕舞いこむ。邪神に落ちてしまったという女神が、はたして話を聞いてくれるかはわからないけれど――
「女神様、また優しくなってくれるといいね」
カタリナの言葉に、聖霊は小さく笑って頷いた。
『それじゃ、わたしはしばらく眠るね。さすがに疲れちゃったし』
「うん、おやすみなさい」
『勇者の子孫たちもがんばってね」
ザールとロッサは顔を見合わせ、それから聖霊が眠った世界樹の周りをしっかりと浄化して結界を作った。
「次はどこ行くの?」
「やはり三つめの試練を熟すのが先かと。未だに、“死の台地”へ登る方法もわからないですし」
念のため、月影の城と連絡を取ってはみたけれど、見つけ出したスパイはどいつもこいつも教団の秘密をこぼすことなく命を絶ってしまうらしい。
女王と姉姫の無念そうな文面に、ロッサもザールも小さく息を吐く。
「そのうえで、“死の台地”の周辺を調べてみましょう。南大陸は危険だといっても、まったく人が住まないわけではありません。大きな町もあったはずですし、何かしらの情報はあるんじゃないでしょうか」
「ついでに悪いやつ捕まえて締め上げたら、登り方教えてくれるかも!」
「簡単にいくかどうかはともかく、やってみる価値はありますね」
「そうと決まれば、さっそく行こう」
約束しておいてよかったなどと言いつつ、三人は、今度もドラゴン王の城からドラゴンの背に乗り、三つめの試練があるという南大陸の東の岬へ向かった。
* * *
世界樹から十日もかからず、三つめの試練、“千尋の谷底”へとやってきた。
“谷底”というわりに、やっぱりここも洞窟の奥だった。
もっとも、その洞窟の内部がどんな魔境になっているのかはわからないが。
いつもどおり慎重に入り口をくぐり、内部の最初の部屋に到達し、荷物を下ろす……間もなく、いつものように声が響く。
『はーい! “千尋の谷底”へようこそ! ここではいろんな環境で戦ってもらいまーす! いわゆる環境攻めってやつでーす!』
「かんきょうぜめ?」
カタリナがいったい何のことかと振り返ると、ザールもロッサもこれ以上ない渋面になっていた。
「環境って、環境だろ。なんかわかった気がする」
「そうですね。もっとも、どこまでを含んで“環境”と称しているのかがわかりませんけど、最悪を考えておいたほうがいいでしょうね」
「ねえねえ何のこと? かんきょうぜめって何するの?」
今回の試練についてああだこうだと言葉を交わしつつ、三人は手早く天幕を張って水と食料を確認して、拠点を作る。
これまでの経験から、失敗すればここに戻されることはわかっている。
「暑さとか寒さとか、あとは天候とかでしょうか。地形も含むかもしれません。そういうのひっくるめて環境と呼んでいるんだと思います」
「俺もそう思う。しかも、絶対ただの暑さとか寒さじゃじないんだぜ」
「え、つまり、めちゃくちゃ暑かったり寒かったりするところで魔物と戦うの?」
「ただ戦うだけならいいけど、絶対、魔物に有利な状況にもなってるんだよ」
「ええー!?」
レベラゲだけではどうにもならなさそうな嫌な予感に、カタリナは呆然としつつ洞窟の奥へと目をやった。
サーリスの約束してた加護とはもちろん、死んだら「おお○○よ、死んでしまうとは情けない」と言われつつ生き返る、例のやつです。





