4.勇者の旅
勇者アヴェラルの旅は順調に進んだ。
各地に散っている魔王の眷属を次々と倒し、その途中で必要な魔法の品々を手に入れていく。
アヴェラルの“先見”がなければ、どれほどの労力と時間がかかっただろうか……アヴェラル以外の全員が、その途方もなさに身震いする。
戦いも、もちろん過酷になっていく。
皆、最初の頃とは比べものにならないほど腕を上げた。しかしそれでも、眷属との戦いはいつもギリギリなのだ。
「――アヴェラル様、ほんとうに、これは“影”でしかないのですか?」
残ったわずかな魔力まで使い切り、皆をどうにか動ける程度まで回復させながら、聖女フェレイラが尋ねた。
アヴェラルが言う“魔王の影”にはどうにか勝つことができた。
でも、ギリギリの勝利だ。
アヴェラルを含めた全員が、どうにか生き残れた、死なずに済んだことだけが救いだったという、ひどいありさまだ。
もう一度戦えと言われても、次は勝てるかどうか。
「そう。あれは“魔王の影”でしかない。本当の魔王は未だ姿を隠していて、俺たちはそれを暴かなきゃならない」
「――勝てるのか? アヴェラルの先見どおりに」
「勝てる」
影ですらあれほどの強さだったのに?
騎士タルシスは半信半疑という表情でアヴェラルを見つめた。
「正直、もっと苦戦するかと考えていた。ここまで最低限の用意だけで来たから、もしかしたら一度撤退を考えた方がいいかもしれないと――でも、勝てた。
このまま最低限の用意でも、十分魔王まで行ける」
驚きに目を見開く仲間たちに、アヴェラルは確信を持って頷く。
アヴェラルの先見は、いったいどこまでわかっているのだろう……そんな疑問が聞こえてきそうだった。
旅はまだまだ終わらない。
まだ、“影”を倒しただけにすぎず、魔王は健在なのだから。
あの後すぐ、最低限の回復のみ済ませたアヴェラルは、皆を引き連れて“天空城”へと向かった。“影”を倒した今なら、魔王本体を倒すのに必要な神具があるはずだと言って。
『勇者の子、アヴェラル。たしかに、これであれば魔王の瘴気を抑えることは可能ですが……けれど、それはほんのいっときだけに過ぎませんよ?』
「わかっています、天空の女神よ」
天空城に降り立った女神を相手に、アヴェラルは堂々と交渉をする。
相手は光の神の伴侶であり天空を統べる女神スラルラフィネだというのに、まったく臆することもない。
そもそも、なぜその神具の存在を知っているのかも謎だ。
「魔王は長きに渡って力を溜めている。だから、一柱だけによらず、神々に力を借りる必要があります。
そのひとつが、光とともにあるあなたが持つ、偉大なる“輝き”なのです」
『たしかに、お前の言葉には一理あります』
女神スラルラフィネは小さく溜息を吐いた。
『かの者の暴虐を長く放置したのは、我らの不本意です。
ひと言……そう、ひと言請われれば、我らはすぐにでも手を伸べたのに……今となっては、言ってもせんなきことですが』
どこか遠くを見つめて女神スラルラフィネは目を伏せる。
それからアヴェラルへスッと手を差し出した。女神の指先からアヴェラルの手に滴り落ちた光が、内から輝きを放つ水晶へと変わる。
『お前の考えるとおりです。 かの者の闇の帳を開くには、今や我が伴侶たる光の神スラニルフェス様の光がなしには叶わぬでしょう。
お前に“スラニルの輝き”を託します』
「女神よ、感謝します」
アヴェラルと仲間たちは揃って深く首を垂れ、謝意を示した。
* * *
「ここが、“魔界”ですか」
今は昼間のはずなのに、見渡す限りの世界は薄闇に閉ざされている。もちろん、太陽どころか月も星もない空は、雲なのか闇なのかわからない重い灰色だ。
「ここからの魔物はこれまでに比べると一段強くなる。出てくるものはほとんどが、“影”の引き連れていた魔物と同等の強さだと思ってくれ」
アヴェラルの言葉に、全員がゴクリと喉を鳴らした。
“魔王の影”の従えていた魔物はどれもこれも強かった。一戦するたびにかなり消耗してしまうほどに。
それが、ここでは普通に闊歩しているとは、さすが“魔界”と言うべきか。
「最初に、俺たちはこの世界の女神を解放しなければならない」
「女神ですか? この世界にも女神がいらっしゃる?」
聖女フェレイラに、アヴェラルは頷いた。
「そう。魔王が女神を封じたことで、この世界は魔界に変わってしまったんだ。先に女神を解放して魔王の力を削ぐ必要がある」
「けれどアヴェラル、女神を解放と言っても、方法は――」
「辺境の聖なる泉に女神の封印を解くための鍵があるんだ。だから、まずは泉のある“果ての村”と呼ばれる小さな集落を目指す」
アヴェラルの言葉に、皆が疑問を挟む余地もない。
ここまですべて、アヴェラルの“先見”どおりに進んできたのだ。ここから先もアヴェラルの“先見”に従えば、間違いなく魔王を倒せるだろう。
「お手柔らかに頼むよ、アヴェラル」
騎士タルシスの苦笑しながらの言葉に、弓使いエストラスも笑って頷いた。
“果ての村”まで、さほど苦労はしなかった。
唯一、襲ってくる魔物との戦いは案じられたけれど、あの“影”を破ったことで全員が確実に腕を上げていたのだろう。
思った以上の苦戦とはならず、少し拍子抜けしたくらいだった。
村に着いて、アヴェラルはいつものように真っ直ぐ目的へと向かった。
誰かに道を訊くことも場所を確認することもなく、だ。
「あら、もしかして聖なる泉へ行くのかしら?」
そのアヴェラルたちに声をかけたのは、村の住人らしき中年の女だった。「そうだ」と返すアヴェラルに、女は「やっぱり」と小さく首を傾げて言葉を続ける。
「それじゃ、女神様の封印は解けなかったってことなのね」
「――え?」
女は残念だと空を見上げる。どうりで、未だ闇に閉ざされたままなのだなと。
旅に出てはじめて、アヴェラルが困惑の表情を浮かべた。
「どういうことでしょうか?」
「十年前にも“勇者”様を名乗る方が来て、聖なる泉のことを聞いていったのよ。なんでも、女神様を魔王の手からお救いするんだって。
まさかこんな辺境に女神様を助けられる何かがあるなんて知らなかったけど……そう、失敗してしまったのね」
女が小さく溜息をこぼす。突っ立ったまま動けないアヴェラルの代わりに、フェレイラが口を開いた。
「それは、本当に“勇者様”だったのですか?」
「そうよ。十年前、あたしはまだ子供だったけれど、よく覚えているわ。見たこともない格好のお供も連れていてねえ――」
アヴェラルは大きく目を見開く。 これまで何度も繰り返してきたはずの出来事が、なぜか変わっている? それに、お供……先代の、父のお供の話なんて、今まで一度たりとも聞いたことはなかった。
「まさか、今度こそ、間に合うかもしれない?」
「アヴェラル様?」
「おい、アヴェラル!」
女に簡単な礼の言葉だけを残し、いきなり走り出したアヴェラルを仲間たちも慌てて追う。
「間に合うって何に? フェレイラ、あなたは知ってる?」
「いえ……けれど、以前、いつもどうしても間に合わないことがある、という話をこぼしていらっしゃったことがありました」
“魔女”パヴィアの疑問に、フェレイラは頭を振る。
いつもどこか諦めているようなアヴェラルは、いったい何に追われて先を急いでいるのだろう――
「十年前の“勇者”……もしや、オリヴェル様はまだ亡くなっていない?」
魔王討伐より何より、アヴェラルは父のためにひたすら急いでいたのだろうか?
「勇者オリヴェル様は、生きておられるのですね?」
聖なる泉で御印を手に入れた後、フェレイラはアヴェラルに尋ねた。
固唾を飲んで答えを待つ仲間たちの前で、アヴェラルは小さく頷く。
「今はまだ生きている……はずだ」
「――アヴェラル様はお父上がご無事なことをご存知で、追いつくために先を急いでいらっしゃったのですね。
それなら、初めから教えてくだされば良いのに。私や皆がそうとわかっていれば、もっと先を急ぐことができたでしょう?」
アヴェラルは拳をぐっと握り締めて「どうせ、間に合わない」と首を振った。
「なぜです? まだ魔王は倒れていません。オリヴェル様がまだ生きて旅の途上にあるのでしたら、今からでも急げば追いつけるのでは――」
「最初は、先を急ぎさえすれば間に合うと思っていたんだ」
アヴェラルはぽつりと呟いた。
「初めて追いついたのは、父さんが戦っているところだった。“影”と戦って、けれどまさにやられるところで――」
「アヴェラル様……」
「だから、次は急げばきっと間に合うと思った。幸い、前回のことは覚えていたから、時間をロスさえしなければきっともっと早く追いつくと……」
アヴェラルの顔が歪む。
その表情が、結果を雄弁に物語っていた。
「でも、どんなに急いでも、どんなに遅れても、追いつくのはいつも同じ瞬間で、いつも父さんは助からない……何をしても、どうやってもだ」
「アヴェラル様は、まるで見てきたように語るのね」
「パヴィア様?」
「“先見”で、そこまで見えたということなのかしら? けれど、それにしてもなんだか……アヴェラル様のその“先見”で、未来はどのように見えているの?」
パヴィアの疑問に、アヴェラルはまた首を振った。
「未来を知っているわけじゃない。俺は、ただ、過去に何度もこの旅を繰り返してきただけなんだ」
聖なる泉の底に隠されていた、女神の聖なる御印を携えて、アヴェラルたちは無事、封印の像を探し当てた。
塔の床も壁もよくぞ倒れずに保っていたと思えるほどに崩れ落ちていて、封印の像を安置した場所まで、とてつもない回り道を強いられた。
「アヴェラル様の繰り返してきた旅から推察するに、重要なもの、つまり、魔王を倒すために必要なものだけは変わっていないということね」
ぼそぼそと話しながら、けれど周囲を警戒しながら、パヴィアの推察を聞く。
さすが優秀な魔術師と言うべきか、パヴィアはアヴェラルが繰り返す旅がいったいどういうことなのかを読み解こうとしているようだった。
「まるで時を司る神が、何度も機会をくださっているようにも思えるわ」
「それならなぜ、変わらなかったんだ」
「でも、今回は変わったことがあったんじゃ? アヴェラルは、間に合うかもしれないと言っただろう?」
アヴェラルはハッと顔を上げ、タルシスを振り向いた。
「――そうなんだ。今まで一度も、父さんがあの泉を訪れたという話を聞いたことはなかった。父さんが女神を解放しようとした痕跡もなかった」
「今回は今までと違うってことだな」
エストラスがにやりと笑う。
「なら、あんたが考えたとおり、今回は間に合うのかもしれない。運命の女神がとうとう振り向いてくれたのかもしれないぜ?
だったらぐずぐず考えるより、先を急いだほうがいい」
* * *
ようやく辿り着いた女神の像に、聖なる御印を嵌め込んだ。たちまちあたりに光が溢れ、神像に重なるように、妙齢の美しい女の姿が浮かび上がる。
『そう、お前が』
「女神よ、そうだ。俺たちは魔王を倒すためにここにきた。
あなたの助力が欲しい」
膝をつき、加護を求めるアヴェラルに、女神はくすりと艶やかに笑う。
『ええ、もちろん。お前たちにはわたくしの加護を授けましょう』
「女神よ、感謝する――それから、ひとつだけあなたに尋ねたいことがある」
『お前の献身に免じ、質問を許しましょう』
女神の吹き掛けた息が輝く粒子となり、アヴェラルたちに降り注ぐ。
真摯に見つめるアヴェラルに女神は鷹揚に頷いてみせた。
「俺たちの前に……十年前にも、あなたを解放しようとする者がここに現れなかっただろうか」
女神は軽く考える素振りをし……それから『いいえ』と首を振った。
「そう、ですか――」
『残念ながら誰も現れませんでした。ですから、お前たちには期待していますよ。必ずやあの穢れたものを倒してください』
どこか憮然とした表情で、アヴェラルは、はい、と頷いた。
オリヴェルが聖なる御印を取りに現れたというのは、あの女の勘違いだったのか。旅の途中、偶然あの村と泉に立ち寄っただけで、オリヴェルはやはり女神の封印のことは知らなかったのか。
今回は違うと感じたのは、アヴェラルの気のせいだったのか。
『さあ、勇者アヴェラルよ、行きなさい』
促されるままに立ち上がったアヴェラルは、女神の示すほうへと歩き始めた。
『――そしてあの不遜な輩どもは、女神たるわたくしを侮ったこと、心の底から後悔するが良い』