15.隠者の祠
「――だからって、僕に丸投げですか」
「すまないな。だが、わたしに介入できるのはここまでなのだ――おや、目を覚ましたようだ。後は頼む、我が使徒よ」
パサパサと軽いはばたきの音がして、ロッサでもカタリナでもない誰かが大きな溜息を吐く。瘴気のはなつ独特の不快感も、身体の芯から震えるような冷たさも、身体の痛みも何もかも感じない。
いったいここはどこだろうと、ザールはゆっくり目を開けた。
重い身体を起こして頭を振ると、すぐそばでロッサとカタリナも起き上がったところだった。
「カタリナ、大丈夫なのか?」
「あたし、死んじゃったかと思ったのに……」
その声で自分の傷も消えていることに、ザールも気づく。
「君たちの傷は治しました」
不意に話しかけられて、三人はパッと振り向いた。
そこには、尖った長い耳に緑の髪のエルフ族の男がいた。
「――父祖カシェル様?」
「え、カシェル様って、女神様の使徒の!?」
「女神の使徒とかやめてください」
ロッサが唖然とした声で呟き、驚いたカタリナが素っ頓狂な声を上げる。
だが、カシェルは心底嫌そうな顔で、吐き捨てるように返す。
「あのクソ女神の暴行と脅迫とその他諸々で我慢できないところに達してるってのに、こちらとしてもままならない状況なんです。
今後、僕のことは絶対に、クソ女神の使徒だとか言わないでください。
いいですね?」
「はい」
半ば目が据わったカシェルの言葉に、三人はこくこくと何度も頷いた。
女神の使徒のはずなのに、なぜその女神をクソなどと貶すのかさっぱりわからず、三人は困惑する。
「それじゃ、カシェル様は女神様の使徒じゃないから隠遁されたんですか?」
「いえ。クソ女神が脅したからですよ。サーリスを盾にとってね」
「え?」
創世の女神が勇者ゴリラを育てる者サーリスを盾に取って、使徒カシェルを脅したとはいったいどういうことなのか。カシェルの言葉の意味がわからずますます混乱する三人に、カシェルは再び溜息を吐く。
「――僕は今回関与できないことになっていますが、君たちに会わないとも事情を話さないとも約束していません。尊きクァディアマル神が君たちをここに連れて来たということは、そのくらいなら問題ないという判断のうえでしょう。
念のため確認しますが聞きたいですか? 聞いた後、君たちの信じているものがひっくり返るかもしれませんが、それでも聞きたいですか?」
「あたし聞きたい! 聞いたほうがよさそうだもん!」
「僕も聞きたいです」
「俺も……」
カシェルは眉間の皺を深くしてしばらく考え、それから傍らに置かれた長椅子を示して三人にここへ座るようにと促した。
「では、まず過去の出来事から話しましょうか」
* * *
「――というわけで、すべてあのクソ女神の責任なんですよ」
最初の勇者オリヴェルと女神の間にできた確執と魔王との戦いを話して、カシェルはまた吐き捨てた。どうやら創世の女神という存在は、父祖カシェルにとって唾棄すべき存在にまで落ちているらしい。
あたりまえだ。
自分のプライドを守るために魔王と手を組むとか、ありえない。
「百歩……いえ、万歩譲ってオリヴェルの側も傲慢だったとしても、魔王に与した時点で女神は世界と我々を裏切っているんですよ。
そこを監禁と反省程度で済まそうというのが、そもそも間違いだったんです」
「そうなんだ……」
「あんなヌルい、処罰とも言えない処罰程度でお茶を濁そうとするからこんなことになるんですよ。反省の姿勢なんて皆無なんですから、結果こうなることくらい見えてなかったんですかね」
チッと舌打ちをして、カシェルは天井を見上げた。
何かいるのかと、三人もつられて上を仰ぐ。
「でも、女神様の処罰と邪教団と魔物に、どういう関係があるんでしょうか」
「女神様が反省してるから、スキができて邪神がでてきたってことなの?」
そこがわからない。
三人はまだ女神を信じる心が捨てられないのかと、カシェルがまた天を睨んだ。これはフォルケンセの責任でもある。娘女神がかわいいフォルケンセの顔を立てて、諸々の話をそのままにした結果がこれなのだから。
カシェルはまた、先ほどよりもさらに大きな溜息を吐く。
「いえ。あの邪教団が崇めてる邪神というのは、女神のことですよ」
「本当ですか?」
「でも、でも、女神様ってこの世界を作った優しい女神様って」
「創世の偉大な女神が、なんで邪神なんかに……」
最初の魔王の話と今が繋がらない。
カシェルが頷くが、それでもやはり、三人には信じられない。
「美しく優しい創世の女神がある日突然消えて、森の神フォルケンセにすげ変わりましたからね。サーリス曰く、崇める対象がいきなり美女からおっさんに変われば、受け入れられない者は一定数いるものだろうと――とはいえ、これは低俗に過ぎる邪推ですが。
唯一の対象として信仰を集めていた女神が、実は唯一ではなかったというのも、当時の神官たちにとっては大きな衝撃でした。これだけでも、状況について行けない神官がいたことは、想像に難くありません」
「たしかに……」
ロッサは首肯する。ロッサだって、仕えている時の神クァディアマルが今いきなり別な神にとって変わられたとして、受け入れられるかはわからない。
「そして、そういう神官のひとりが、女神は魔王のごたごたのせいで森の神に陥れられ、再び囚われたのだと考えたんでしょうね。女神を解放すべく、この世界に女神を呼び寄せる方法を模索したんですよ。
本当に、馬鹿には馬鹿が付くとは、よく言ったものです」
それ、類は友を呼ぶの間違いではないだろうか――ザールは考えを巡らせる。
「つまりその神官が、女神を邪神として呼び出してしまったってことですか?」
「そう。その通り。おまけに、降臨した女神は、まずサーリスと僕を最大の障害と認めて手が出せないようにしたんです。その結果、サーリスは女神によってどこかに隠され、僕は手を出せばサーリスの無事は保証しないと脅されるはめになりました。おかげで僕は動けません。サーリスがどこに囚われているのかわからない以上、ここでこっそり話をするくらいが関の山です」
「そんな……本当に女神様が敵なんだ……」
「まあ、千年近く反省したというのに、女神は相変わらず詰めが甘いですけどね。僕ならサーリスもろとも僕をさっさと始末して、それからあれこれ手配しますよ。
だから馬鹿女だと揶揄されるんです」
苦々しげに眉を寄せるカシェルは、それでも女神にしてやられたことが悔しいのだろう。
「ま、そうはいってもサーリスのことですから、囚われの姫ポジおいしいくらいは言ってると思いますけどね。
しかしだからといって、危険を冒したくはありません」
そこまで言って、カシェルはにっこりと嗤った。
「というわけで、僕は今回君たちのことを見ているだけになります。
ですが、ここは僕とサーリスで用意した場所ですし、瘴気だまりのでかいのをひとつ遺してあります。“レベラゲ”には困りませんよ。
サーリス曰く“レベラゲさえ十分なら、たいていはなんとかなる”ですから、君たちが死にかけたのもレベラゲが足りなかったのでしょう。
ここで存分にレベラゲをしてから神殿跡へ戻ってください」
――伝説で、女神の使徒カシェルは癒やしの加護を得意とする温和な人物だと言われていた。彼の直系である月影の国の王族にも、そう伝わっていた。
だが、どうやら違ったらしい。
あまり時間はないといいつつも、三人は――あのカタリナですら死んだ魚のような目になりながら、地獄のような“レベラゲ”にいそしんだのだった。
 





