1.勇者の旅
勇者アヴェラルの過酷な旅が始まった。
“オクルの尖塔”を皮切りに、世界のあちこちに散らばる遺跡に塔、それから地下迷宮と、アヴェラルたちは次々攻略していく。
行くべき場所も行くべき道も、難攻不落と謳われた迷宮すらも迷うことなく、何もかもすべてをわかっているかのようにアヴェラルは進む。おまけに、何かに追い立てられるかのように焦りすら滲ませて先を急ぐのだから、仲間たちは困惑を隠せない。
そのうえ、剣の振り方も立ち回りもすべてわかっているのに、身体だけが思う通りに動かない――そう見えるアヴェラルの戦いぶりも不思議だ。
「アヴェラル様は、まるで自分のすべきことを何もかもご存じのように見えます。もしや、神から何か啓示でも受けていらっしゃるのでは?」
今日も無茶な戦いで負った負傷を癒やしながら聖女フェレイラが尋ねると、アヴェラルは一瞬呆けたような顔になって空を見上げた。
「わからない……もしこれが神の仕業だというなら、神はなんて残酷なお方なんだろうか」
「アヴェラル様?」
勇者アヴェラルはいったい何を抱えているのだろう。
予想外の返答に、聖女フェレイラは小さく首を傾げる。
「タルシス、そちらを任せてもいいか!?」
「しかし、アヴェラルは――」
「問題ない、こいつの弱点はわかっている……エスト、次にこいつの腹が見えたら色違いの鱗を狙うんだ!」
「了解!」
アヴェラルの言葉に、数歩後ろから弓を構えていたエストラスが力強く返す。
たしかに、先ほど見えた魔物の腹には、色の違う鱗があった。
旅は順調に進んだ。戦いはいつもギリギリだったが負けることはなく、誰かが脱落することもなかった。
国元では見たことのない魔物も、地下迷宮の奥に潜む“主”である魔物も、アヴェラルにかかればその弱点も何もかもが明らかだった。
そして魔王を目指す旅は、自然と前勇者オリヴァルの足跡を辿る旅になった。
そこかしこに残された父の足跡を、アヴェラルは淡々と辿っている……仲間たちからは、そう見えた。
「アヴェラル様には、予見の才があるみたいね」
“魔女”パヴィアが言う。
どんな先見も予見も、数多の“起こるかもしれない未来”の中から可能性の高いものを選び取って垣間見るだけに過ぎない。
なのに、アヴェラルはまるで「既に起こったとおりに辿っている」ようだと、パヴィアには感じられた。
「――ある意味、そのとおりだと考えてくれて構わない」
「アヴェラル様?」
「魔王を倒すまでの道筋は、全部知っているから」
全員が、まさか、と息を呑む。
それが、勇者の後継であるアヴェラルに降りた天啓だというのか。
「魔王は倒せる」
どこか不安が滲む仲間たちの視線に、アヴェラルが苦笑を返す。
「魔王を倒す未来は、確約されているんだ」
「では……」
「もちろん、簡単じゃない。魔王が強いのは当然として、この先の魔物ももっと強くて厄介だ。けれど俺たちは勝てる」
ならどうして、勇者はそんなに暗い目をしているのか。
魔王討伐が確約されているなら、それはとても喜ばしいことではないのか。
「アヴェラル様。何か、心に掛かることがあるのですか?」
そろって夜番になった時を見計らい、聖女フェレイラは思い切って尋ねてみた。
何しろ、旅が進めば進むほど勇者の顔色は悪くなるのだ。皆、勇者のようすに気づいてはいるもののどうにも聞き難く、ただ伺うのみだった。
けれど、フェレイラはもう放っておけないと、踏み込んでみることに決めた。
アヴェラルが何か――言うを憚るような何かを呑み込んだままなのは確かだ。ただでさえ、勇者の肩には重圧が掛かっている。せめて、その重荷のいくばくかでも肩代わりできればと思わずにいられなかったのだ。
勇者はちらりとフェレイラを見やり、けれど口は噤んだままだった。
「アヴェラル様。あなたの思い悩むことで私に何ができるかはわかりませんが、話すだけでも心は軽くなるかもしれません。
話すだけでも、話してみませんか?」
ぱちぱちとはぜる薪を見つめながら、フェレイラはじっと待つ。
こういう時、急かしてはいけないのだと、教会での経験で知っていた。
勇者が、口を開いてくれるのを待たないと……
「――どうしても変えられない未来を変えたいのだと言ったら、どう思う?」
「どうしても変えられない未来……それは、この魔王討伐の旅のことですか?」
勇者が小さく頷いた。
「変えたくてたまらないのに、どうしたって変えられない……いつも間に合わないんだ……間に合いさえすれば、そうすればきっと助かるのに、絶対間に合わないし……助からない」
「アヴェラル様?」
間に合わない、助からない――フェレイラは、ぽつりぽつりとアヴェラルの唇からこぼれ落ちる言葉を拾う。
「だから、そんなにも旅を急いでいるのですか?
いったいどなたが助からないのでしょう?」
アヴェラルは小さく息を吐いた。
「いや、いい。きっと、あなたにもどうにもならないことだから。
変なことを言って、すまなかった」
「いえ、構いません――話してくださってうれしいです。私にできることならなんでも協力しますから、どうかひとりで悩まないでください。
それに、ひとりでは成せずとも、皆の力があれば成るかもしれません」
「――だったらいいな」
フェレイラの言葉に、アヴェラルは寄る辺ない子供のように眉尻を下げた。
* * *
世界中を引き回されるような長い旅のうえ、勇者達はとうとう魔王自身の棲まう世界……つまり、魔界へと踏み込んだ。
ここまでの戦いはどれもこれも激しく厳しく、その甲斐あってか、アヴェラルも仲間も旅を始めたころに比べればずっとずっと腕を上げていた。
しかしそれでもさすが魔王お膝元たる魔界というべきか、闊歩する魔物は強く獰猛で、旅はますます厳しくなっていく。
それでもアヴェラルは変わらず、迷い無く先を進む。
「さすがアヴェラル様です。たとえ魔界であっても、すべてご存じなのですね」
もう何度目かになる魔女パヴィアの言葉に、アヴェラルは曖昧に頷くだけだった。騎士タルシスや弓使いエストは、黙って顔を見合わせる。
神の啓示か加護かは知らないが、アヴェラルの言葉どおり、これまでアヴェラルの選ぶ道筋に間違いはなかった。
もちろん、いつでも戦いは厳しくギリギリだったけれど、それでもここまで勝ち続けて来られたのは準備が十分だったからだ。
アヴェラルが「必要だ」と断じたものも場所も、アヴェラルの言うとおり、必ずそのすぐ後に必要となったのだから。
国を出てもう二年近く過ぎている。
十八に届こうかというアヴェラルは、成人したとは言ってもまだまだ子供と遜色ない年齢でしかない。なのに……これが“勇者”というものなのかと、騎士タルシスは畏怖すら覚えるほどだった。
「ここだ……」
この世界の住人の“女神”が封じられた場所へようやく辿りついて、アヴェラルも仲間達もほっと息を吐いた。
そう、魔物ばかりと思われた魔界にも、人間が住んでいた。
よくよく聞けば、今こそ魔王のおかげで“魔界”と呼ばれるようなありさまに変わってしまったけれど、元はアヴェラルたちのいた世界と同じように人間も獣も住む、ごく当たり前の世界だったという。
かつて、麗しき“女神”が自身を信仰する者たちを引き連れて創り上げた楽園が、この世界の前身だったのだ、と。
だが、魔王が現れ、“女神”はこの場所に封じられてしまった。
ゆえに、今この世界に“女神”の加護はない。人々は減り、妖精たちも姿を消し、世界は滅びに向かっている。