悪夢みたいな晩餐
本文と関係ないですが、フェリトリンド王国には四季があります。
夏が短くて秋が長いです。
今は春。
私の呟きは、イスを引く音で掻き消されたようです。
ナイスタイミングですスヴェンさん!!
隣でピクッと反応したレーニャさんが、ホッとする気配が伝わって来ます。
すみません!!
でも…本当に天使がこの部屋にいるんですもん!!
陶器の様な白い肌に驚く程碧い瞳、スッと通った鼻筋に血色の良い唇。絹の様なプラチナブロンドの髪は毛先だけがゆるくカーブし、長めの前髪がハラリと左目にかかっています。
月に愛されたような輝きを纏った、その神々しさたるや…。
背中側に回って、羽根が生えてないか確かめたい衝動に駆られます。
あまりジロジロ見てはいけないのだと分かっていても、身体が上手く機能しない…。
こんなに美しいものから目を離すことを、脳が拒否している感じ…。
マジ尊い…。
「お飲み物はどうされますか?」
スヴェンさんの声にハッと我に帰りました。
あ、危ない!
私、多分、口開いてました。
飛ばしていた意識をどうにか引き戻します。
スヴェンさんがお給仕していると言うことは、この天使様が御坊ちゃまなんですね!
少し小柄なようですが、11歳と聞いていた年齢とも合致します。
つまり、私がお仕えするのは、この方なのですね。
あれ?それにしても、何だか部屋が静かすぎる気がします。
なんと言うか…息を殺してる感じ?
「ジュースでよろしいですか?」
「ん。」
御坊ちゃまはイスの背もたれに頭を付け、ダラリと脚を投げ出して座っています。
何だかとても退屈そうです。
「本日のスープは海老のビスクです。」
厨房と思われる方向からワゴンで運ばれて来たスープを、スヴェンさんが御坊ちゃまの元まで運びます。
あれ、食べないんですかね。
「坊ちゃん。」
スヴェンさんが声を掛けると、仕方なく…といった感じでスプーンを一口…。
「下げろ。」
え?
ギョッとする私を余所に、スヴェンさんがスープを下げます。
いやいや、まだ一口しか飲んでないですよ!
あんな高級そうなスープを…。
海老がお嫌いなのかしら?
でも、わざわざ苦手な食材を出す訳ないし…。
次に運ばれて来たのはサラダでした。
新鮮そうな野菜が彩り良く盛り付けられています。
が…。
「いらない。」
見向きもされなかったサラダが、あっという間に退場していきます。
「メインの仔羊のローストです。ソースにはバジルを使って仕上げております。」
「いらない。」
「坊ちゃん…。」
流石にスヴェンさんが嗜めるような声を出します。
「少しは召し上がって下さい。お身体を悪くしますよ。」
「うるさい!僕に口答えするな!」
「坊ちゃん…。」
「いいからお菓子だけ持って来い!」
スヴェンさんは諦めたようにため息をつくと、厨房の方へ向かいます。
「3種の焼き菓子でございます。」
戻って来たその手には、焼き菓子のプレートがありました。
あ、先程私がいただいた美味しいフィナンシェも載ってますね。
ところが、御坊ちゃまは、そのフィナンシェを齧って一言。
「不味い。」
「坊ちゃん…。」
「誰がこんな物出せと言った!」
そして…。
ガシャーン!!
お皿ごと、床に叩き落としました。
「もういい。部屋に戻る。」
「坊ちゃん、お怪我は。」
エリサさんが急いで寄って行きましたが…なんと無視ですよ!!
スヴェンさんを従えて、扉の外へ出て行ってしまいました。
滞在時間…5分。
食べた物…スープ一口・フィナンシェ一齧り。
贅を尽くしたディナー…何時間もかけて作られた、恐らく庶民の1ヶ月分の食費を超える料理。
え…何なの⁉︎何が起きてるの⁉︎
控えめに言って最悪じゃないですか⁉︎
御坊ちゃまが出て行った扉が閉まると、フーッと溜息が聞こえました。
部屋に張り詰めていた緊張感が緩みます。
「覚悟してたけど、この程度で済んで良かったわね。」
レーニャさんの言葉に、扉の開閉をしていたメイドさん2人がコクコクと頷いています。
「珍しく早起きだったから心配だったけど。」
「それ程不機嫌じゃなくてよかったわ。」
この程度?
早起き??
不機嫌じゃなくて良かった???
全くもって意味不明。
「喋ってないで、床を片付けなさい。」
私が、メイドさん達の会話に目を白黒させていると、エリサさんの叱責が飛んで来ました。
慌ててメイドさん達が仕事に戻ります。
私も後ろに続こうとしたのですが…。
「レーニャ、ルチルさんを自室へ。」
「はい。」
レーニャさんに手を引かれて部屋を出ます。
「はぁぁ。ビックリしたでしょ?」
2人で廊下を歩いていると、レーニャさんが気遣わし気に私に視線を向けました。
「…はい。」
正直に答えると、そうよねーっと言って背中をポンポン叩いてくれました。
少しだけ、モヤモヤが晴れます。
「先に現状を話す予定だったんだけど、坊ちゃんが起きて来るのがいつもより2時間近く早かったの。」
それがもう意味分からんのですよ。
だって今、夕方ですよ?
「とにかく、今日はもう話せないと思うからルチルは部屋で寝なさい。後で賄いを持って来てあげる。」
私の部屋に戻って来ると、レーニャさんはクローゼットから寝巻きを取り出します。
「これ使ってね。それからトイレはそっちのドア。」
なんと、部屋にトイレ完備です。
噂に聞く、都会のアパルトメントってこんな感じなんじゃないでしょうか。
「シャワーと洗面所は共用だけど、24時間いつでも使って大丈夫。あそこの角を曲がったとこ。」
ドアから身体を半分出して、洗面所の場所を教えてもらいます。
「明日の朝は私が起こしてあげるから、今日はゆっくり休んでね。」
や…優しすぎです!!
美人って性格もいい。
レーニャさん女神です。
じゃあねと、手を振ってレーニャさんは部屋を出て行きました。
皆さんこれからお仕事でしょうに、何だか申し訳ないですね。
部屋の中をキョロキョロ見渡すと…。
あ!私が持って来たトランクがあります!
どなたかが運んでくれたんですね。
私のトランクには、私服のワンピースが1着。
日用品は全てこちらで用意して下さると聞いていたので、後は全て大切な相棒達が占めています。
あれ?何かポケット部分に入ってますね。
こんなの入れたかなぁ?
それは一枚の紙切れでした。
開けてみると…
『ルル姉頑張ってね!!
リリー
アイリス
トーレス
オリバー
ミランダ
』
わぁ。お姉ちゃん泣いちゃうよ…。
そしてその下にもう一枚、今度は少し厚みのある包み紙があります。
『お守り』
短い園長の文字。
中を開けると…。
笑顔満開の、母と目が合いました。
うん、大丈夫。
離れてたって、家族はいつでも一緒。
皆んなの手紙と母の写真を抱きしめると、心が暖かくなります。
そしてふと、先程の御坊ちゃまを思い出します。
私の目には、信じられないくらいに甘やかされた、我儘で横暴な御坊ちゃまに映りました。
自分がどれだけ恵まれているか気づかず、食材の命や作ってくれた人の気持ちを台無しにするなんて。
いくら高貴な身分だとしても、言語道断です。
ただ、一つだけ気にかかったのです。
どうして、あの広すぎる部屋の、どデカいテーブルにたった一人で座っていたのでしょう。
悪いことを叱ってくれるお父さんやお母さん、暖かさをくれる家族は何処にいるんでしょうか。
貴族様のことは良く分かりませんが、各地の視察などで忙しいんでしょうか。
ぼんやり考えていたら、強烈な眠気に襲われました。
着替えもシャワーもご飯もまだなのに。
あ、ダメだこれ。
もう…限界…。
ベッドにボスッと倒れ込むと、私の意識は完全にブラックアウトしていきましたーーーー。
久しぶりの登場なのに坊ちゃん大暴れかよ笑