核心、迫る
スヴェンは28歳の設定です。
落ち着いているためもっと歳上に見られがち。
「見苦しい所をお見せして、申し訳ありません。」
園長と私は目の前に座るエヴァンス公爵家の執事さん(スヴェンさん)にペコリと頭を下げました。
玄関前沈没事件から半刻。
我が家の狭いダイニングに居るのは、私と園長とスヴェンさんの3人だけです。
これ以上の被害を防ぐため、子供達には裏庭の畑へ行ってもらいました。
珍しいお客様がいるこの状況で家の中にいたら、ダメと言ったって集まって来ちゃいますからね。
「ご覧の通り、粗末な家なものでー。でも、よくあることなので安心して下さい。」
いやいや、園長!
最後の一言、全くフォローになってないから!
頻繁に床が抜ける家なんて安心できるか!
「とんでもございません。突然お邪魔したのは私の方ですから、むしろこちらがお詫びをしなくては。」
私は心の中で園長に激しくツッコミますが、スヴェンさんは申し訳なさそうに仰いました。
座っていても分かる程スラリと背が高く、ダークブラウンの髪をオールバックにしています。
理知的な緑の瞳を、銀縁の眼鏡がさらに思慮深く見せており、頭脳明晰で仕事ができるオーラがダダ漏れです。
それなのに、私達のような庶民にも丁寧な言葉で接して下さる柔らかい物腰ー。
流石、名門貴族の執事さんですね。
「取り敢えずの応急処置ですので、明日には業者を手配致しますね。」
そうなんです。
床が抜けた一瞬だけ驚いていたスヴェンさんですが、誰よりも早く思考を回復させると、外で誰かに指示を出しました。
数分後には木材と工具を持った男性(後で分かったのですが馬車の御者さんでした。)が現れ、スヴェンさんと一緒に床の修繕を始めました。
ポカンとした私達が、手伝わなければと慌て出した頃には作業が終わっているという早技。
何もかも完璧です。
そんな完璧な執事さんが、私なんかにご用があるとはどうしても思えないんですよねぇ。
「有難いお申し出なのですが、そこまでしていただく訳には…。あの、それと…ご用件があるのは本当に私にでしょうか?」
言いながら自家製のハーブティーをお出しします。
「恐れ入ります。とても良い香りですね。」
「庭で育てているハーブを使った、自家製のフレッシュハーブティーです。お口に合うかわかりませんが…。」
いただきます、と、丁寧に言ってからカップに口を付けたスヴェンさんは、一口飲むと黙ってしまいました。
「あの…」
不味かったのでしょうか。
お茶に限らず我が家は色々な物にハーブを使うのですが、この国ではほとんどその文化がないのです。
焦る私でしたが、スヴェンさんはフッと短く息を吐くと微笑みました。
「初めていただきましたが、とても美味しいものですね。何だかホッとするような気がします。」
あぁ、良かった。
「ありがとうございます。お疲れかと思いましたので、疲労回復のレモンバームとジンジャーを中心に、リラックス効果のあるラベンダーを配合しました。」
「これは、ルチル様の手作りなのですか?」
「はい。裏庭でハーブを育てておりますので、そちらを使って作ったものです。」
私の言葉に、スヴェンさんは少し考えるような顔をされました。
「我が国では、ハーブを使ったり、ましては自分で育てたりするのは非常に珍しいことかと思います。
外国では薬として用いることもあると聞いたことはありますが…。」
スヴェンさんは一瞬言葉を切って、続けました。
「ルチル様は、何処でこのような知識を学ばれたのですか?」
それは…。
「私の母から受け継ぎました。」
「お母様から?」
「はい。私の母は私が産まれる前、遠い異国からこの国に来たそうです。ですので、この国とは違った知識を数多く持っておりました。ハーブはその中の一つです。」
そうなのです。孤児院で暮らしてはいますが、私は孤児ではない…と言うか、孤児では無かったのです。
うーん。ややこしいですね。
先述の通り、私の母は、私が産まれる前に異国からこの国にやって来ました。
本人曰く、「気付いたら着いてた」らしいのですが。
人に苦労を見せない母でしたので、色々あったことを隠したかったのでしょう。
母はこの国にはない知識をたくさん持っていました。
ハーブやスパイスのこと。
食物の栄養素が身体にどう作用するか。
食事がどう心に作用するか。
「食と健康」に関する知識が多かったようにも思います。
流れ着いたこの孤児院で働くにあたり、それらは物凄く役に立ちました。
満足とは言えない食事量でも私達が成長できたのは、母のおかげと言っても過言ではありません。
そして、とても勉強熱心な人でした。
孤児院育ちだからと言って、いや、それだからこそ学問が必要だと私達に積極的に勉強を教えてくれました。
私達は5歳のリリーを含め、全員読み書きができます。
勉強中のリリー以外は計算もできますし、身分の高い方への敬語や挨拶、食事のマナーなど、最低限の礼儀作法も教え込まれています。
これは孤児院としてだけでなく、庶民としてもかなり珍しいことでしょう。
「人生何があるか分からないからね!」
それが母の口癖でした。
「実は、私がルチル様を訪ねたのは、弟君のイリヤ様とお話しをさせていただいたからなのです。」
スヴェンさんの言葉で、私は思い出から戻ってきました。
「イリヤ様が学校の首席となられたのは、聞いておいでですか?」
え⁉︎⁉︎⁉︎
私も園長も驚いて言葉を失いました。
首席って…イリヤが⁉︎⁉︎⁉︎
「あの格式高い王立学校での特待生というだけでも素晴らしいのに、この度首席となられたそうです。」
長男のイリヤは、13歳で王立フェリトリンド学校に入学しました。
王立であることと、国の名前が付いてることから予想できる通り、この国で一番権威のある学校です。
生徒となるのは9割が貴族の御子息なのですが、一般市民でも優秀な子供にはチャンスが与えられます。
学力に加え、厳しい面接に合格した数少ない子供達は「特待生」として、授業料の免除を約束されます。
イリヤは今年、中等部の最高学年となりました。
寄宿学校のため、夏休み以外は寮で生活しているのですが、定期的な学校からのお手紙には常に「大変素晴らしい」とお褒めの言葉が書かれておりました。
ですので、弟が優秀なのは分かっていたのですが、何せ本人がそのことを鼻にかけないタイプのため詳しい話しは聞いておらず…。
まさか首席にまでなるなんて、思ってもみなかったのです。
「本当に素晴らしいことです。貴族が多い学校で特待生は上手く馴染めないことも多いと聞きますが、イリヤ様は人望も申し分ないそうですよ。
イリヤ様が首席になったと聞いて誰もが納得したのは勿論、寮を上げてお祝いがされたとのことです。」
大切な弟を思って、私は胸がいっぱいになりました。
貴族ばかりの学校で庶民が生活するのはどれだけ大変なことだったでしょう。
イリヤは学問に関しては、身内から見ても天才的だったので、むしろ私はその他の面を心配をしていたのです。
孤児院育ちであることで、彼が不利な立場になるのではないか、傷付いてしまうのではないか…。
入学前に家族でも話し合ったのですが、それでも本人が入学を希望したため、断腸の思いで送り出したのですが…。
「そうですか。イリヤが…。それは、大変嬉しいお知らせをありがとうございます。」
涙声の園長が続けます。
「あの子の親は学者だったのですよ。事故で両親共亡くなってしまったので孤児院に預けられたのですが…。大変勉強がよくできたので、ここで働いていたルチルの母親の勧めで受験をしましてね。」
「はい、イリヤ様からもそのように伺っております。」
感動でいっぱいだった私ですが、スヴェンさんの言葉に疑問が沸きました。
先程も、イリヤ本人と話したと言っていましたよね。
一体何故なのでしょう。
私の疑問を察したのか、スヴェンさんが言いました。
「イリヤ様のお話は、以前から私共の耳にも入っておりました。王立学校創建以来の秀才で、全てにおいて如才のない少年が孤児院育ちであると言うお話しです。」
お気を悪くされたら申し訳ありません。と私達を気遣ってから、スヴェン様は続けます。
「私は大変興味を持ちました。と言うのも、私がお仕えするエヴァンス公爵家には、11歳の御坊ちゃまがら居られるのです。」
そうなんですね!
11歳と言うと、オリバーと一緒です。
まだまだやんちゃで大変ですよね。
「貴族の御子息は、幼少の頃から家庭教師を招いて学問を学びます。その後13歳になると、学校へ行くか、そのまま家庭で学習するかを選べるのです。」
ふむふむ。
「私共も、どちらの選択が御坊ちゃまにとって最適であるか考えておりました。」
それは、難しそうな選択ですね。
「そして、学校は将来の人脈作りや、共同生活を経験する上でも大切だとは思うのですが…その、御坊ちゃまにはあまり向かないのではないかと言う結論に達したのです。」
あれ?何か歯切れが悪いような?
「社交会に出ていれば人脈は作れますし、御坊ちゃまは王族をはじめ、大抵の貴族の方とは顔見知りでいらっしゃいますからその点は心配ないのですよ。」
一瞬違和感を感じたんですが、流暢に話すスヴェンさんを見ていると気のせいだったような気がしてきました。
「そうなると、より良い環境で御坊ちゃまに学んでいただくことが必要となります。
その時ふと、イリヤ様のことを思い出したのです。
大変優秀な少年が、どのような環境で育ったのか。
入学前に身に付けていた基礎知識や礼儀は誰から学んだものなのか。」
あぁ、それがイリヤに会ったと言うお話しに繋がるんですね。
「私は学校を通してイリヤ様に面会を申し出ました。イリヤ様は快く応じて下さり、つい先日、学校の応接室でお話しする機会をいただいたのです。」
そうかぁ。私もイリヤと話したいものです。
早く夏休みにならないかしら。
「そこで、イリヤ様はミリ様のお話しをされました。自分にとって本当の母親以上に母親だと。
その母おかげで今の自分があると。」
ミリは、私の母の名前です。
イリヤ、そんな風に思ってくれていたんですね。
「しかしながら、その…ミリ様は…」
スヴェンさんが気遣わし気に私を見ます。
「2年前に、母は亡くなりました。
イリヤが入学して間もない頃です。」
しっかりとした声でお伝えできたので、スヴェンさんも幾分ホッとしたようです。
「お辛いことを思い出させてしまい、申し訳ありません。」
これまで母に関することを全て過去系で話していたのは、既に母が故人であるからです。
母がこの国に流れ着いた数年後に私が産まれました。
そしてその2年後にはこの孤児院に住み込みで働き始めたため、私は孤児院を自分の家として育ったのです。
ですので、最初は「孤児では無かった」のですが、2年前母を失って「孤児になった」のでした。
冒頭の方のややこしさが解決されたでしょうか。
最も、成人まで後2年と言うこの歳で「孤児」と言う表現が適切かは微妙な所ですが…。
「お気になさらないで下さい。今はもう心の整理もつきましたし、母から受け継いだものがたくさん有りますから。」
スヴェンさんに笑顔を向けます。
「イリヤ様も、全く同じことを言われていました。
そして、もう一人、自分の人生を変えた人物がいると…。」
緑の瞳が私をまっすぐに見ます。
「そのもう一人とは、ルチル様のことです。
そして、私がこの件をご相談すると、姉だったら適任でしょうとのお墨付きをいただきました。」
え、待って。何の件?
「そこで、ルチル様にお願いがあるのです。」
スヴェンさんがしっかりとした口調で、ついに核心を告げました。
「貴方に、御坊ちゃまの専属メイドになっていただきたいのです。」
いつかじっくりイリヤ君を登場させたいと思います。