ある日のメイドと坊ちゃん
主人公 ルチル
坊ちゃん キール
です。よろしくお願いします。
「遅い。」
私が到着した時、私の主は大っっっ変不機嫌でした。
「僕が来いと行ったら1分以内に来い。」
高級なソファの背もたれに頭を付いて、ズルリと脚を投げだして座っている主に、私はため息をつきます、
「坊ちゃん、お見送りしてからまだ半日も経ってないんですが…。それに、その座り方はお行儀悪いですよ。」
「ウルサイ。僕は疲れてるんだ。ここの使用人どもが全く使い物にならないからな。」
そう言って顎でしゃくった先には、部屋の隅でプルプル震えている可愛らしいメイドさん3人組がおりました。
「坊ちゃん、その様な言い方をしてはいけません。」
私はメイドさん達に同情の目を向けながら坊ちゃんに近づきます。
正面に膝を突いて、状態の確認です。
うん、顔色は悪くない。ただ、もの凄く、不機嫌。
それと…これは…?
「坊ちゃん、シャツの釦がちぐはぐですし、ズボンの中に入りきってませんよ。」
さらに言うと、靴下は左右逆で模様が内側にきてるし、見事な光沢の革靴は、靴紐がダラリと垂れ下がっています。
「そいつらが無能だから、自分でやるしかなかったんだ。全く、王宮の使用人が聞いて呆れるな。」
齢11歳の少年の言葉に、部屋の隅のメイドさん達がビクッとします。
やれやれ。この主に付ける使用人がこのように歳若い、優しそうなお嬢さん方とは…。
大変不敬になるので心の中に留めますが、王宮の采配は大失敗のようですね。
私の主である坊ちゃんは、我がフェリトリンド王国の筆頭貴族、エヴァンス公爵家の御子息であらせられます。
筆頭貴族とは言ってもまだ11歳。
使用人の配置は、国賓や気難しい年配の貴族様から順に王宮歴戦の使用人を付け、歳若いお嬢さん方を坊ちゃんの担当にしたのでしょう。
往々にしてそういったことは良くあることです。
しかしながらこの坊ちゃん、キール=クラリアム=エヴァンス様は、天使の見た目で悪魔の性格。
最強のワガママお坊ちゃんなのです。
陶器のような白い肌に、輝くプラチナブロンド。
長いまつ毛に縁取られた瞳は驚くほど鮮やかな碧色。
ツンと高い鼻に、薄く色付く唇が完璧な配置で収まったその美貌は、誰が見ても完璧な美少年です。
坊ちゃんを初めて見た人は、その天使のごとき容貌に、暫く口がきけなくなります。
人間って、美しすぎるものを見るとフリーズしてしまうみたいです。
「この分だと、夜会は欠席だな。宰相の奴がどうしてもと言うから来てやったのに。まぁ、僕は一向に構わないが。」
天使様がおっしゃいます。
「宰相様をそんな風に言ってはいけません。坊ちゃんが帰らなくていいように、わざわざ、お部屋まで用意してくれたんですよ。」
本日はこのフェリトリンド王国の王宮で、近隣諸国の要人を招いた夜会が行われます。
王族が主催する際、貴族は基本的に全員参加が義務となりますので、パーティー嫌いの坊ちゃんも、不承不承ではありますが出席する運びとなりました。
近隣の要人が一堂に会するのですから、夜会の前には当然、円卓を囲んでの国際会議があります。
(むしろ、こっちがメインなんですけどね。)
エヴァンス公爵家代表の坊ちゃんは、王宮で行われたこの会議にも参加しておりました。
『会議の後、いちいち邸にお戻りになるのはお手間でしょう。こちらでお部屋をご用意致しますので、どうぞお使い下さい。』
事前にその様な申し出をいただいたため(しかも、宰相様から直々のお手紙で!)有り難く了諾させていただきました。
『ご準備も、キール様の場合最低限でよろしいでしょうから、使用人はこちらで用意致します。』
宰相様はお手紙でこうも言っておられました。
通常、夜会等のパーティーは男女共に飾り立て、大変気合いを入れて参加します。
それがステータスでもあり、女性にとっては美しく装った自分を見てもらう婚活の一貫でもあり…。
ただし、当家の坊ちゃんは例外なのです。
あまりの天使っぷりに周りが霞んでしまうため、敢えて何もしないのですよ。
〈社交会きっての華〉
との呼び声高い絶世の美女、17歳のウェザーレム侯爵令嬢すらも、「キール様の横には並びたくない!」
とおっしゃってるそうですから。
もし飾り立てて参加した日には、男女問わず気絶者続出の大騒ぎでしょう。
冗談じゃなく、本気で。
それを承知の上の宰相様は、先述のように申し出てくれたのです。
そのため、迷いはありましたが、宰相様のお見立てなら大丈夫だろうとこちらから使用人を同行させないことにしたのです。
で、その結果が、これ。
エヴァンス家の邸宅から、坊ちゃんと夜会用の衣装ケースを送り出したのが11時。
王宮から大慌ての使者がやって来たのが15時。
不測の事態に備えて待機していたエヴァンス家使用人チームが、光の速さで荷物と私を馬車に詰め込み、王宮に到着。
超絶不機嫌な坊ちゃんの御前に参上したのが16時なう。
「とにかく、準備をいたしましょう。」
夜会は19時からですので、時間は充分あります。
「恐れ入りますが、バスタブにお湯を張っていただけますか。」
隅っこメイドさんの一人に声をかけます。
怯えながら成り行きを見ていたメイドさんですが、コクリと頷くと湯殿に消えていきました。
「それから、ポットに新しいお湯を。カップも新しい物に変えて下さい。」
私の指示に、他の2人も動きます。
あんなに怯えていたのに、仕事を与えられればテキパキ動ける。こう言った所は流石、王宮仕えのメイドさん達ですね!助かります。
私は持ってきたトランクから小分けにしたハーブ類を取り出すと、配合を始めました。
まず、イライラを抑えるためのラベンダー。部屋が少し乾燥しているので保湿のエルダーフラワー、甘党の天使様のためにリコリスを多めに。
持参したハーブポットに入れて、メイドさんが持ってきてくれたお湯を注ぎ蒸らします。
その間にバス用のハーブも用意しましょう。
こちらにもラベンダーは必須。スッキリとしたレモングラスとティーツリーを少々。
これは麻の袋に入れて、お風呂に浮かべてもらいます。
蒸らされたハーブティーを新しいカップに注ぐと、芳しい自然の香りが部屋に広がりました。
仕上げに、持参したオレンジのハチミツをひとすくい溶かして、オリジナルハーブティーの完成です。
坊ちゃんのサイドテーブルにそれを置くと、今度は坊ちゃんの荷物から、今日夜会で着る上着を取り出しました。広い部屋の反対側の窓辺にそれを掛けると、ハーブを固めて作ったお香を焚きしめます。
坊ちゃんの元に戻ると、カップのハーブティーは飲み干されておりました。早いな。
「喉が乾いておいででしたか。」
カップにおかわりを注ぎながら聞いてみます。
「あいつらは紅茶しか知らないらしい。ハーブティーを入れろと言ったらアホ面してたからな。」
2杯目を楽しみながら坊ちゃんが言います。
きちんと座り直し、優雅に足を組んで飲む様は本当に絵になります。
この口の悪さが無ければリアル天使なのに。
「そう言えば、お食事はどうされました?
会議の後ランチが出ると聞いてましたが。」
スーパー好き嫌い大魔神の坊ちゃんのことです。
おそらくほとんど残しているでしょう。
エヴァンス家からお菓子を少々持ってきていたのでサイドテーブルに置きます。
「食べた。」
私が出したクッキーをつまみながら、坊ちゃんが意外すぎることを呟きました。
「えっ?」
「だから、食べた。量が多いから全部は無理だったけどな。できる限り口を付けた。」
なんと!!晴天の霹靂!!!!
坊ちゃんの変食は凄まじく、肉野菜魚果物ほぼ嫌い、少し前まではお菓子しか食べない程だったのです。
それが…
「なんだ、何を感動してる。」
心外だとばかりに私を睨みます。
「お前が言ったんだろうが。」
常日頃から私は坊ちゃんに、
「料理してくれた人の気持ちと食材の命を無駄にしていけません。」
と言っておりました。だって、出された料理に一口も手を付けないことなんてざらなんですもの。
いつも煩そうにソッポを向いていたのに…。
「坊ちゃん…。」
甘いのは重々承知してますが、感動です。
マジ、天使。
「こんなことで感動するとは。お前ももう立派なババァだな。」
前言撤回。
私は坊ちゃんからクッキーとカップを取り上げると、手早くシャツと靴、靴下を脱がせてお風呂に追い立てます。
「ズボンはご自分で脱いでくださいね。お湯に浸かったら呼んで下さい。」
僕からクッキーを取り上げるなんて鬼のような女だ、とか何とかブツブツ言いながらバスルームに向かその背中を見送って、私は深いため息をつきました。
全く、当家の坊ちゃんときたら…!!
次回はルチルの回想シーンになります。