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2話 不合理と想定外と非常識の滅茶苦茶な労働

 


<<拝啓 お母さま>>



<<季節の変わり目ですが、いかがお過ごしでしょうか>>




「死ぬ気で走れ、丹藤!!!」




 俺は自身の職場である国立魔法博物館の廊下を、()()()()していた。



<<体調にお変わりはありませんか?>>



「はぁああああいいいいいいいいいい――――!!!!!」


 俺の肩に乗っている()()()から、上司である『緋色』の折人(おりびと)紙吹雪美香(かみふぶきみか)さんの激励が聞こえる。

 もちろん肩に乗っている折り鶴が紙吹雪さんの訳ではなく、これは魔法だ。

 燃えるような赤い長髪、ワインレッドの革ジャン、エメラルドグリーンの瞳、口を開けば場末のヤンキーみたいな言動、どこからどう見てもパンク系のロックミュージシャンにしか見えない風貌。しかし彼女こそが我が国立博物魔法館のエース、展示・保管されている10万を超える魔道具のすべての対象方法を知っている知識人であり、俺の直属の上司である。



<<また調子が良いと言いって、一人で重い物を運んだり、一人で買い物に出かけたり、無茶をしていないでしょうか>>



「丹藤様、その突き当りを右でございます」


 今度は()()()凛と透き通った声が響く。

 声の主は『富士(ふじ)の巫女』、神宮寺輝夜(じんぐうじかぐや)さん。黒髪ロングの美人さんで、性格も容姿も絵に描いたような大和撫子だ。そして巨乳。他の男性職員情報では…………Jカップらしい。


「なんで俺がよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」


 彼女も俺の直属の上司の一人だ。詳しい理由は知らないが本当はウチの職員ではないらしい。その展示品の関係上、別団体から派遣されているとは聞いている。

 日本創立から続く非常に由緒正しい巫女の家系の七女。神霊と呼ばれる超常の存在と会話をすることができ、その力を一時的に借り受けることもできる……らしい。見たことは無い。

 展示品と立場上いつも巫女服を着ていてウチの職場でもかなり目立つ服装をしている。



<<お母さまも、もう歳なのですから、兄さんや姉さんの言うことを聞いて家で安静にしてください>>


 途轍もない風切り音と共に全力疾走する俺の頭がある高さの数センチ右を、触手のような物体が高速で通り過ぎた。

 俺の走る十数メートル先の床に、その触手が直撃するのが目に入る。

 すると、まるで豆腐を手で握ったように、いとも簡単に大理石の床が粉々に砕け散る。



<<私はもちろん元気です>>



「ひぃいいいぃいぃぃいぃぃいい!!! 死ぬううぅううううううう」


 あんなの頭に当たったら即死じゃあねぇかよおおおおおおおおおおおおおおおおお。

 突き当りを曲がる時に、一瞬だけ()()()()怪物が目に入る。

 


<<東京では梅雨も半ばで、すこし暑苦しさと、蒸し暑さを感じます>>



 直径は3メートルはあるだろうか、巨大なミートボールのような肉塊。長い触手と、見たこともない生物の羽や人間の顔、足、動物の顔、足がグロテスクに飛び出している。またそれぞれが意思を持っているように不連続に動いているのが更に恐怖をそそる。

 俺は10分ほど前からこの肉塊と鬼ごっこをしている状況だ。


「まさか『オリバーの可変模型』が暴走するなんてな、ツイてないな丹藤」


「い、いや! なんで俺が!! こっんなぁ、事を!!!!」



<<以前お話しした転職の件ですが、私は幸運にも恵まれ、博物館に就職することが出来ました>>



「仕方ねぇだろ、起動したときにお前が一番奴の近くに居たんだから。ほら頑張って走らないと、お前も吸収されて、そいつらのお仲間になっちまうぞ。ほら走れ、走れ」


 あのキメラの化物の一部になるなんて、死んでもごめんだ。

 俺は体力が尽きかけていた体に、生命の危機というガソリンをぶち込んで、無理やり足を動かす。



<<今度こそ仕事をしっかりと1年、2年、10年と続け、母様に心配されない立派な社会人になるつもりです>>



「くそがぁああああああああああああ、こんな職場、絶対やめてやるからなああああああああああああああ」


 俺は全力で博物館の廊下を走りながら、折り鶴越しにお気楽な応援する上司に文句を叫んだ。

 俺の叫びに興奮をしたのか呼応したのかはわららないが、再び触手が俺にめがけて放たれた。

 今度は俺の走る左側1メートルもしない所に触手がしなり、再び大理石の床を豆腐の様に粉砕した。頬に少しの痛みと生暖かい感触を感じた。


「ふぁあああああああ、頬が、頬が、頬が、切れました!!! 労災ですよ、労災!!!」


 触手が破壊した、大理石の破片が右頬をかすめて、頬を切ったのだ。


「そんなかすり傷じゃ労災になるわけねぇだろ、どうせ後で神宮寺に治してもらうんだから文句言うんじゃねーよ、ここじゃ腕がちぎれてからが労災だ」



<<就職先は、博物館なので福利厚生費もしっかりしており、給料も平均に比べて高く、生活は安定しています>>



「う、腕がち、ち千切れるって!!!!」」


 それでやっと労災って、やっぱり魔法界は狂ってるぞ。


「丹藤様、正面の通路を左で最後でございます!!!」


「月給40万じゃ割に合わないですよおおおおおおおおおおおおおおおおおこの仕事!!!!」


 化物の動く速度は、俺とほとんど同じで、引かず、離れず俺を追いかけて来る。


「つうか、あの肉塊でどうやって俺と同じ速度で移動してるんだよ!!!!」


 直径3メートルのミートボールのような存在だ。手足や翼が生えているが、どう考えてもその移動速度は、物理法則を完全に無視している。


「そりゃ、魔力だろうよ」


 そう、ここは魔法の世界。なんでもアリのルール無用だ。この世界では、物理法則なんてルールは濡れたティッシュペーパーよりも脆い。

 神宮寺さんの指示に従い廊下の角を曲がると、その先100メートルほど先に、神宮寺さんと紙吹雪さんが立っている姿が見えて少しホッとする。俺の姿を確認した神宮寺さんが手を振ってくれている。


「こちらです、丹藤様ー」


「は、はいいいいいいいいいいいいいいいい」



<<職場では上司にも恵まれ、毎日が仕事で大忙しですが、充実しています>>



 通路を曲がり、最後の直線に入ったところで、怪物の叫び声のようなものが、徐々に遠ざかるのがわかった。振り返る余裕は無かったが、化物の動きが止まったことがわかった俺は、本当に最後の力を振り絞り、化物と冷静に対峙する二人の間にヘッドスライディングで滑り込む。


「ナイス走りっぷりだ、丹藤。ほかの展示物に被害がなかったこと、褒めてやるぜ」


 頭の上から紙吹雪さんの声が聞こえる。

 こんなときでも展示物の心配って、俺の心配はどこへえ!?


「も、もう今月入って、って、何回目ですか、こ、こんなこと」


「まだ4回目だ、グチグチいうんじゃねぜ…………さぁ決めるぜ!」



<<なにを言いたいかというと、俺のことは心配しないで大丈夫ということです。>>



「ちょ、ちょっ!」


 彼女の言葉を受けて俺は急いで立ち上がり彼女から離れる。

 紙吹雪さんはどこからか緑色の折り紙を取り出し、器用にも机も使わずに、器用に空中で折り紙を始める。

 その瞬間、光の光子が爆発したかのように彼女の体からあふれ出て、彼女の周りを漂い始める。


「み、美香さん。こ、これ以上抑えられません!」


 紙吹雪さんと並び立ち、化物に対して両手を向けていた神宮寺さんが、辛そうな顔でそう叫ぶ。


「もう十分だ! 神宮寺、丹藤と一緒に避難しろ!」


「はいぃー」


 通路に入った瞬間に化物の足が遅くなったのは神宮寺さんの魔法? のおかげだったらしい。『オリバーの可変模型』と呼ばれたグロテスクな化物には複数の白蛇が巻き付き、身動きを止めていた。

 神宮寺さんが両手を下げて、俺と同じく彼女の後方へ避難を始めると、白蛇は雲散霧消し、拘束が解けた化物は、再びこちらに向かってくる。


「丹藤様。よくぞ、ご無事で」


「あ、足止め、ありがとうございます」


 俺は神宮寺さんと一緒に紙吹雪さんから距離を取り、怪物と相対する彼女の背中を見つめる。

 彼女を取り巻く、光の光子の密度が更に上昇し、いつのまにか光子は彼女を中心に渦巻く光の柱になり、彼女の燃えるような赤い髪がそれに伴い逆立つ。まさに本物の炎のようだ。



「お前の作品を展示できなかったのは、ウチら博物館の落ち度だよ…………恨んでくれていいぜオリバー・ブラック」


 化物は紙吹雪さんを標的ととらえたのか、彼女を恐れたのか歩みを止める。


「と、止まった……?」


 しかし次の瞬間、俺を襲った大理石を豆腐の様に粉砕する触手が、何本も未だ折り紙をしている紙吹雪さんにめがけて振るわれた。


「紙吹雪さんっ―――!」


 思わず叫んでしまったが、目の前では俺の想像の斜め上を行く光景が繰り広げられていた。何本も何本も繰り出された化け物の触手は、彼女を取り巻く燃えるような光子の渦によって、彼女に触れる前に焼失していたのだ。


「な、なんですかあれ! 無敵じゃないですか! じゃあなんで、最初から俺を助けてくれなかったんですかぁ!」


 想像とは違う光景に俺は思わず指を差して抗議の声を上げる。 


「そうですね、あの程度の魔力量の作品では、魔法発動前の美香さんには触れることさえできません」


 俺の抗議の声に隣に居る神宮司さんが捕捉の説明をしてくれる。

 その最中にも化け物は何本も何本も質量を無視した触手の攻撃を彼女にふるう、しかし彼女には届かない。


「……ごめんな、『オリバーの可変模型』」


 一本一本とまた焼失しボロボロになる触手を、彼女は目を細め寂しそうに見つめる。

 化物は彼女を触手で拘束するのは無理と判断したのか、人間と獣が混じったような不協和音の叫び声をあげて、彼女にめがけて突進を開始した。


「いや流石にっ――――!」


いくら触手からの攻撃は防げても、あの巨大ミートボールの突撃を食らえば紙吹雪さんだってっ


「――いえ、もう折り終わったようです」


 彼女は何も焦ることは無く、左手を差し出す。その手の平の上には、緑色の折り紙で折られた()()()が置いてある。



大蝦蟇(おおがま)



 カエルの折り紙は彼女の手から飛び上がり、瞬く間に化物と同じサイズまで膨れ上がり、化物から彼女を守るように、彼女の前に着地する。


「……美香さんは展示物を破壊したいんじゃないんです、暴走を止めたいだけですから」


『オリバーの可変模型』と巨大なカエルの折り紙がぶつかった衝撃波が、俺と神宮司さんのところまで届く。


「ひぃいぃぃぃ!」「きゃっ!」


 俺はその衝撃に尻もちを着き、神宮寺さんは姿勢を低くし、その衝撃に耐える。

 その衝撃波を至近距離で受けたはずの紙吹雪さんは、微動だにしなかった。

 ただ、やはり寂しそうな表情で、『オリバーの可変模型』を見つめている。


「美香さんは大体は規格外ですが、流石に展示物を安全に封印するとなると少しだけ手順がいるんですよ」

 

 巨大なカエルの折り紙はまるで相撲でも取るように化物と組合う。化物は次はそのカエルを取り込もうと今まで以上の触手をカエルの体中に伸ばし始める。

 3メートル以上の巨体どうしの取り組みに、俺のところまで振動が響く。どうやらカエルの折り紙の方が流石が紙吹雪さんの魔法というか状況は優勢のようだ。『オリバーの可変模型』がカエルの攻撃により、バランスを崩した瞬間、巨大なカエルの折り紙は存在しないはずの口を大きく開けて、『オリバーの可変模型』を丸々飲み込んだ。


「……そうはならんやろ」


あいも変わらず目の前で起きる超常現象に俺は思わず声を漏らした。


「あれが彼女の封印魔法です、封印術式『大蝦蟇』。あのカエルに飲み込まれた存在は、2次元に折り畳まれて、永劫に彼女の管理する2次元空間を永遠に彷徨います。それこそ作品に内蔵された魔力が無くなるまで……」


 化物を完全に飲み込み、さらに一回り大きくなった巨大なカエルの折り紙は、次の瞬間空気の抜けた風船のように、小さくなり紙吹雪さんの手に収まった。


「……いつか修復して、もう一度展示してやるからな」


 彼女は手の掌にある、元のサイズに戻ったカエルの折り紙に向かって優しくそう呟いた。


「お、終わったぁ…………」


 極度の緊張から解放され、俺はそのまま博物館の床に仰向けになった。


「お疲れ様です。丹藤様、そのままの姿勢でお願いいたします」


 神宮寺さんはしゃがみ込み、俺の頬にやさしく触ってくる。

 彼女の体から光の光子が湧き出す、どうやら頬の治療をしてくれるようだ。

 しかし俺の視線は眼前で彼女の膝によって押しつぶされる、Jカップに釘付けだった。


「あ、お、お疲れ様です、神宮寺さん」



<<それでは、体とオレオレ詐欺にはお気を付けてください、夏休暇が取れましたら帰省いたします>>



「お前ら、お疲れー」


 遠くから、紙吹雪さんの声が聞こえ、足音が近づいてくるのがわかる。


「お疲れ様です。美香さん。……はい、終わりましたよ丹藤様」


 神宮寺さんの治療を受け、頬に感じていた痛みと、全体の倦怠感がある程度軽減される。


「おう、神宮寺もお疲れ、それに」


 俺は紙吹雪さんに視線を向けられ、上半身を起こす。


「今日もご苦労だったな、丹藤」


 紙吹雪さんは俺に手を差し伸べる。


「はぁ……今回も死ぬかと思いましたよ、書類係を前線に出すのはこれっきりにしてくださいね」


 俺はその手を握る。


「さぁ、それはどうだろうな、それこそ展示物様こそ知るだ」


 俺は紙吹雪さんに引っ張り上げられ立ち上がった。


「これが、ここじゃ日常だ、そろそろ慣れろよ」


「慣れたくないですよ、こんな非日常に」


 俺は治療された頬を掻きながら紙吹雪さんにそう告げた。



<<丹藤大地より>>



 こうして、今日も不合理と想定外と非常識の滅茶苦茶な労働が終わった。






「…………はぁ、まじやべぇよ」


 俺は博物館の社員食堂の長机で深くため息をついた。

 この仕事……辞めてぇ、このままじゃ命がいくつあっても足らない。

 この仕事を始めて数カ月も俺の住んでいた人間の世界の価値観では、何度か危ない目にあっている。ここではそうは思われないのだろうが。いや、しかし昨日の『オリバーの可変模型』はマジでやばかった。ワンちゃん死ぬところだったろ。


「どうしたんだ、大地。いきなりため息ついて」


「そうだぜ、大地。昨日は大立ち回りの大活躍だったらしいじゃねぇかよ、館長が褒めてたぜ」


 俺を挟み込むように左右の席に若い男性職員が二人座る。

 彼らも今日の昼ごはんは、俺と同じB定食のサバ味噌定食だった。


「いや、なんか、こう……想像してた博物館の仕事と乖離がありまして……」


「そりゃそうだぜ。ここは博物館でも魔法博物館なんだぜ、お前の居た人間界の博物館とは意味合いが違うぜ」


 人間界。彼ら魔法使いは、俺の今まで居た魔法使いの居ない世界の事をそう呼ぶ。差別的な意味は無く、ほかに表の世界と呼ぶこともあり、自分たちの世界を魔法界、裏の世界と呼ぶこともある。


「だな、でもお前は天出爺さんの後任として、しっかり活躍してるぜ!」


 右隣に座った男性職員は、本日のデザートであるプリンを俺のお盆に乗せながらそう言う。


「い、いいんすか」


「このまえの石膏像事件の時にはお前の機転に世話になったからな、今度晩御飯もおごらせてくれよ! 裏の東京駅にロック鳥の鶏がらスープのいい店見つけたんだぜ」


「で、でも無魔法能力者(ノーマー)の僕が行ってもいいんでしょうか?」


 俺は魔法使いではない、彼らの言葉では無魔法能力者(ノーマー)と呼ばれている人間界の人間、もしくは魔法を使うことが出来ない人間を指す言葉だ。その事実はここの職員全員が知っている。


「まあ、魔法使いの付き人で無魔法能力者(ノーマー)は居るし、大丈夫だよ、身の安全も俺が守ってやるって!」


「ま、まあそうおっしゃるなら」


 職場での飲みケーションも大切な仕事だ、それに相手に好意があるならなおさら断ることはできない。


「おっし! じゃあ約束な、今度大将に話しとくわ」


「ええ、ごちになります」


「おいおい、なんだよ、俺も連れてけよ」


 左隣に座った男性職員も話に混ざる。


「お前はもう頭数に入ってるよ」


「なんだよ、もう」


 俺達はそれから少し、何気ない雑談に花を咲かせた。

 俺は話の流れから、前々から疑問に思っていたことを彼らに質問する。


「というかなんで展示物がいきなり暴走したりするんですか、なにか展示物の管理状態に問題があるんじゃないんですか?」


 先月は6件、今月はもうすでに4件目だ。案件は様々。博物館の扉という扉の行き先がバラバラに繋がったり、石膏像たちがいきなり筋トレを始めたり、昨日なんてグロテスクな化物と命をかけた鬼ごっこをした。


「いや、ここは日本では最高レベルの管理状態の博物館だよ」


 今度は俺の右前の席に、C定食のシャケ定食を持った初老の男性職員が座った。


「え、本当なんですか?」


 嘘だろ、大きい問題は週に1回はあるし、小さな問題は毎日起きるこの状況で日本最高!?


「そうだとも。展示品の管理状態がずさんで、存在自体がなくなった博物館なんて、魔法史を振り返れ沢山ある」

 

 初老の男性職員はシャケの身をほぐしながら俺にそう説明した。

  存在自体がなくなるって……おい。


「そうだぜ大地。10年前にアリゾナ州にある博物館は、展示品の管理ミスで、その時に居た職員、お客様、展示品全部が石の彫刻になっちまったんだぜ」


「あー『ゴルゴーンの瞳』の事件な、あれは確かに近年では衝撃的だったぜ」


 左右の男性職員も説明に捕捉を入れてくれた。


「ウチの博物館は、創立以来大きな事故もなく運営できている。世界で見ても安全な博物館なんよ、丹藤君」


「………マ、マジっすか」


 あ、あれで、安全。


 俺の脳内には昨日のミートボールとの追いかけっこが、フラッシュバックした。


「それにねバックヤードも含めて、10万以上も展示品がこの博物館には保管してあるから、やっぱり目が届かないところも出てきてしまう。それは宿命なのだよ。古い物から順々に整備、再封印は行っているが、近代展示物は粗悪な封印がされているものだと、昨日みたいに暴走がおきるわけだ」


「そ、そうなんすか、勉強になります」


 昨日『オリバーの可変模型』が破壊をした『結合』の展示ブースと大理石の床は、今日には何事もなかったかのように修復されていた。それこそ魔法のように、まあ魔法で直したんだろうけど。

 博物館の柱や床はいくら壊れようが、翌日にはきれいさっぱり修復されている、だからあんなことがあっても次の日には博物館は通常営業ができる。すごい事なんだろうけど、複雑だ。


「そしてここは何といっても、紙吹雪君の存在が大きいね、天出さんと同じく彼女にはワシらは非常に助けられてるんだよ」


「だな、天出爺さんが退職なされて、どうなるかと思ったけど何事も変わらず展示ができるのは紙吹雪さんのおかげだな」


「この前なんて、ウチの『箒』のブースで暴れだした30本の箒を全部一人で捕まえてくれだぜ、マジ助かった。そのあとめちゃくちゃ怒られたけど」


「なんだよそれ!」「阿呆が」


 博物館内での紙吹雪さんの評価は非常に高い。それこそ最上と言ってもいい。誰もが彼女に尊敬の眼差しを向けており、実は隠れファンクラブもあるらしい。

 それに表の人間の俺からしたら、パンクロッカーなお姉さんにか見えない服装の紙吹雪さんだが、魔法界ではあのくらいの服装は普通というのは驚きだ。


「そうだなやっぱり、特緊会(とっきんかい)がしっかりと機能しているからだぜ、つまり丹藤お前のおかげでもあるんだぜ」


「そ、そうっすか?」


 特別魔法具緊急対策室。総勢30名弱で構成されるこの国立魔法博物館内の特別対策部隊だ。

 昨日みたいな展示物の暴走など博物館内のトラブルを一手に引き受けるチームだ。俺は前任者の天出さんがその所長だったということで、一応そこに所属している。


「で、でも俺なにも出来てないっすよ」


 昨日は鬼ごっこで活躍? というか巻き込まれたが、俺は基本現場に行っても記録くらいしかやることは無く、紙吹雪さんと神宮寺さんの作業を見ているだけだ。


「そんなことありません、丹藤様はしっかりと活躍なさっていますよ」


 凛と透明感のある声を聞き俺たちは、一旦箸を止めて顔を上げる。

 そこには神宮寺さんがZ定食の爆裂激辛サラマンダーラーメンセットを持って立っていた。


「ご一緒しても?」


「どうぞ、どうぞ」


 若い男三人の声がシンクロする。

 神宮寺さんが丁度俺の目の前の席に座り、俺と向かい合わせになった。

 彼女が座った瞬間に彼女のその豊満な胸がたゆんと、一度上下する。

 俺も含めた若い男性職員全員が釘付けになる。


「皆様いかがしましたか?」


「い、いえ」「なんでもございません」「おっふ」


「ん? ではいただきます」


 神宮寺さんは食事の所作も非常に美しい。汁が飛び散るはずのラーメンでも身についている巫女服を一度も汚さずに食べきる。しかし彼女の味覚は理解できない。Z定食は彼女に勧められ食べたが、1週間は激痛で悩まされたので、もう二度と食べたくはない。


「それで、丹藤君はどう活躍してるんだい、巫女様よ」


 唯一彼女の胸に意識を奪われなかった、初老の男性職員が捕捉を求めた。


「丹藤様は何と言ってもパソコンが使えます!!」


 彼女の答えに『おおー!!』と囲んだ男性職員全員が感嘆の声を上げる。


「それとわーど、えくせるなる物も自由自在に使いこなせます。今まで特緊会(とっきんかい)にはいなかった逸材です。昨日の事件も昨日中に調査書と報告書をあげて下さいました」


「い、いやあの程度で使えると褒められましても」


 ワードとエクセルなんて人間界のサラリーマンじゃ常識中の常識で、そんなに難しいことをしているわけでもないので、そこまで自信満々に褒めるのは辞めて欲しい。


「いやお前がすごいわ」「見直したわ」「流石は天出さんの後任ですなぁ」


「い、いや事務部の人は全員使えましたよね」


 ワードとエクセルは俺だけが使える特殊技能でも何でもない。いくら魔法界でもパソコンが使える人が全く居ない訳ではない。ただ人間界より少し少ない程度だ。


「いえ、特緊会には今までおりませんでしたから、書類整理など非常に助かってます」


「ワシらの世代じゃ、ケータイだってまともに使えんぞ、みんな連絡は式神か黒電話じゃからなぁ」


「流石に爺さん古すぎだぜ、俺でもケータイは使えるぜ」


「そうだぜ、ケータイくらいは使えねぇとな」


 若い男性職員の二人は自信満々に、ガラパゴスケータイをテーブルの上に取り出した。

 この世界では魔法の才がある人間ほど、全部魔法で済ませようとする。そのせいかデジタル化が非常に遅れている。それもそうだろう、彼らは魔法一つで空を飛べて、手から火炎を出すことが出来るし、洗濯物だって指パッチン一つで乾く。人間界のように、化学に依存した生活をしていないのだ。

 特に特緊会(とっきんかい)は魔法のプロフェッショナル集団、大抵のことは魔法で済まそうとする人が多い。初めに書類係として、自分のデスクに案内されたときに、羽ペンとインクを渡された時には驚いた。


「でも、貴重な書類係ならなんで、前線というか現場に――」


特緊会(とっきんかい)は先々月の『ワイルドハントの猟犬』と、『東の要石』の事件で部隊の半分以上の人が未だに、入院していているからねぇ。残りの人たちも今は『時間逆行郵便』の警備で、人手が足らないからねぇ」


 今度は箱舟館長が、俺と同じB定食のサバ味噌定食を持って会話に参加してきた。


「ここ、いいかい?」


「どうぞ」「お疲れ様です、館長」「館長もサバ味噌定食ですかぁ」「お疲れ様です」


 箱舟館長は座りながら話を続ける。


「そんな理由で、少しでも現場に人が欲しいんだよねぇ。でも、すこしは現場に出て魔法界の勉強にもなってるでしょぉ」


「いや、まあそうなんですけど……」


 館長の言う通りではある。紙の資料だけじゃ魔法界の物は何にもわからない。実際に見てみないとどんな魔法具であるかはつかみきれない。だが命がけの勉強だけは勘弁してほしい。


「それはそうと丹藤くん。君のお陰で当博物館の年間来場者数の推移が、歴代最高速を記録しているよぉ。本当にありがとうねぇ。まさに丹藤くんはウチの博物館の救世主だねぇ」


「おー」「ああ、あれでしたか」「『時間』の展示は常に入場制限だもんな」


「そう、君が寄贈してくれた55通目の予定の『時間逆行郵便』、いやー、ほんとに助かっちゃってるなー」


 『時間逆行郵便』。俺がここの就職する事になったきっかけの採用通知が入っていたボロボロの封筒。面接の時に館長が珍しいから買い取りたいと希望して、俺が寄贈した魔法具だ。その時に館長は言葉を濁し20で買い取りたいとと希望した。20円か20万円と勘違いした俺はこれから働く場所に恩を売るために、タダで寄贈した。まさか20万円は俺の勘違いで、買い取りたい価格は20億円だったと知ったのは働き始めて一週間後であった。


「あ、あ、あ、あれですか」


 あり得るかよ、使用済みのボロボロの封筒に20億円だと、魔法界の金銭感覚バグってるやん、クソォ最初から20億円なら4分の1で売っても5億だぞ、5億。

 もう展示されしまって大分時間が過ぎた。今更やっぱ売りたいとも言えないし、そんなことは言える空気ではない。


「ワシも生きている間に『エンバーコの奇跡』が肉眼で拝めるとは思わなかったよ。年甲斐もなく、つい家内に自慢してしまったわ。ありがとうよ丹藤くんよ」


 初老の大先輩の職員の方に丁寧に頭を下げられ、俺は思わず動揺してしまう。


「い、いえ! そんな、全然ですよ。それに宛先が僕なだけで、元の送り主はここの未来の館長さんです、僕の物でもないですし!」


 この言い訳も、ここに入社して何度言ったことか。俺は元は自分の物ではないと言い聞かして、20億分の悲しみを紛らわせている。


「本当だぜ、大地。俺も大学の同級生に超自慢したぜ、めちゃくちゃありがてぇよ」


「だよな、職員特権で閉園後にすし詰めにならずに、ゆっくり鑑賞のもありがてぇ」


 俺が寄贈して1週間弱で『時間逆行郵便』はウチの『時間』の展示ブースに展示された。

 その日から国立魔法博物館の来場者数は青天井だ。裏の世界の方では、毎日裏の上野駅まで入館待ちの長蛇の列が出来ているほどだ。閉園後も外部の人が来ない日は、ウチの職員達が何度も足を運んでいるほど人気らしい。

 上野〇物園のパンダかよ。


「それにしても館長。よく魔道具学術界機構に取り上げられませんでしたね。『エンバーゴの奇跡』なんて絶対、封印対象でしょ」


「そうですよ、お陰で俺も見れましたけど、『時間逆行郵便』なんて大々的に宣伝したらあそこが黙ってないですよね」


 若い男性職員が箱舟館長に疑問を投げかける。


「だから、たぶんあともって半年か、3ヶ月ってところかなー、正式に55通目ってことが認定されたら回収されちゃうから、もう展示できないねぇ」


 箱舟館長は顎に手を当て少し悩みこむ仕草をして返答する。


「え、あれって、ずっと展示してるんじゃないんですか?」


「そんなことできないよぉ。あれは使用済みであったとしても時間を逆行した物だからね。この世界の最奥である第十魔法の残り香があるかもしれない。第十魔法の研究・開発は国際法で禁止されてるから、悪い連中に盗まれないように、あれが本物だとわかったら魔道具学術界機構に回収されちゃうって事よ」


「え!? つ、つまりは今は本物かもしれない物を今展示してるって事ですか!? 大丈夫なんですかそんなことして」


 それでいいのか良いのか天下の国立魔法博物館。本物っぽいで大々的に広告をして、人集めて。


「いいの、いいの、あれ本物だから」


「え、でもその何とか機関でも真偽の判定に数カ月かかるんですよね」


「ああ、あれだよ封蝋だよ。人間界とは違って、魔法界では封蠟の偽装はできないようになってるんだよ。封蠟するのに血の契約が必要なの、だから契約である現館長の僕以外に、国立魔法博物館のあの封蠟は押せないんだよぉ」


「そ、そうなんですか」


「封蠟した記録を過去100年前まで遡って確認したし、採用通知に押されたものは無かった。僕も押した記憶がないからね、つまりあれは未来から来たことは確定なんだよねぇ」


「じゃあ、あれは本物だと?」


「そう言う事だよ。でもあの封筒事態から本物と真偽するのは難しいから、魔道具学術界機構でも数カ月かかるってことだよ」


「なるほどぉ」


 つまりは館長は、封筒自体ではなく封蠟であの封筒が本物であると推測したのか。


「『エンバーゴの奇跡』は発見次第、魔道具学術界機構が回収しちまうし、もし見つかってもすげぇ値段が付くから、どこかの富豪がコレクションに隠しちまう、だから俺ら一般の魔法使いは、実物の『時間逆行郵便』なんてすげぇもの見た事ないってわけだ」


「そうだぜ、『エンバーゴの奇跡』なんて俺達教科書でしか見たことなかったんだから、本当に感謝してるんだぜ。俺の親父なんて息子の職場なんだから、並ばずに入れろって言ってきた位だからな」


 左右の若い男性職員が館長の説明を補足し、なぜ今こんなに人気であるかを補足してくれる。


「そ、そうなんですか。親父さんが」


 マジで上野〇物園のパンダじゃねぇかよ。


「私のお父様と本家の方々は、来週閉園時間後に特別にお時間をもらって、見学させてもらうことになりました」


「まじっすか! じゃあウチもいいですか館長」


 神宮寺さんの言葉に、若い男性職員は思わず箱舟館長に詰め寄る。


「一人くらいならまあ、なあなあで目を瞑るけど、複数人だと流石に見過ごせないなぁ。それこそ神宮寺家もそうだけど、閉園時間に特別に時間を取ってほしいというお歴々は、多額の入場料を払っていただいてるからねぇ……内緒だよ」


「おっしゃぁ! ありがとうございます!」


 若い男性職員は思わず立ち上がりガッツポーズをする、そして今度は初老の男性職員が少し体を向けて箱舟館長に話しかける。


「館長、年甲斐もなく恥ずかしいお願いなのですが、一人だけ許されるなら、ワシも家内を連れてきていいでしょうか?」


「そうだねぇ、そうなるよねぇ」


 一人の例外を作るなら自分も。当たり前の帰結だ。それに相手は上野〇物園のパンダほどの人気。ウチの職員誰しもが、家族を連れてきたいと思っているのはわかっていた。

 箱舟館長は再び腕を組み、悩みこんだ様子で、口を開いた。


「じゃあ今度、正式に博物館の職員の家族限定で時間を取ろうか、神宮寺くん、特緊会と事務部で連携して、スケジュール管理してくれるかな?」


「承知しました館長。素晴らしい試みだと思います。ありがとうございます」


「館長ふとっぱらぁ!」「やったぜ!」「ありがとうございます」


 俺以外のテーブルに座っている全員が館長の判断に歓喜の声を上げる。

 だたのボロボロの封筒なんだけどなぁ、そこの感覚は理解できないな。


 俺が少しの疎外感を味わっているとバンッ! と食堂の扉が蹴破られる。


「神宮寺は居るかぁ!!!!」


 俺は社員食堂に響く紙吹雪の声で、何が起きたか察した。

 マジかよ、昨日の今日だぜ。


「はい! ここにおります!」


 神宮寺さんは音もたてずに、すっと立ち上がり紙吹雪さんの声に反応する。

 紙吹雪さんはこちらに気づき視線を向けた。


「『呪術』でトラブルだ、状況的にたぶん『コトリバコ』の中身が漏れ出てる、至急急いでくれ!」


「はい!! すいません皆さんこれ戻しておいてください。じゃあ、行きますよ! 丹藤様!」


 やっぱそうなりますよねー。

 もしかしたら今日は現場に行かなくてもいいという、淡い期待を持っていたがそんなことは無かった。


「わかりました。すいません、僕のこれ戻しておいてください」


「おう、今日も頑張ってこい!」


 俺も自分の食べていたサバ味噌定食の片づけをお願いして立ち上がる。


「おう、丹藤も居るじゃねぇか! さっさと行くぞお前たち!」


「はい!」


 こうして、今日も不合理と想定外と非常識の滅茶苦茶な労働が始まった。




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