理沙視点 幸せ
春ちゃんが私にキスをした。と言うか、キスと言っていいのかってくらい濃厚にぺロペロされてしまった。
混乱する私にしたくなっちゃったからとか言うし、どういえば春ちゃんを納得して約束を守ってもらえるのかと戸惑う私に、春ちゃんはふいに目を伏せた。
「理沙ちゃんが守ってくれても、私はもう、守る気ないんだ。ごめんね、私、悪い子になっちゃったね。こんな私は、嫌いになっちゃう?」
「……春ちゃん、そんなことはあり得ないよ。前にも言ったけど、春ちゃんはいい子でも、悪い子でも、どんな春ちゃんでも愛してるから」
ちょっとだけ目を伏せて悲しそうにそう言った春ちゃんに、私は春ちゃんの肩をしっかりつかんで目を見て言った。
そんなことはあり得ない。伝わっていないなら、何度でも言おう。春ちゃんが信じてくれるまで何回でも。少しでもこの気持ちが伝わるように。
だけど私の言葉にあわせてくれた春ちゃんの目は、柔らかく緩んでいて、傷なんて何一つないような綺麗なもので、私は少しだけびっくりしてしまう。
「うん……ありがとう。信じてるよ。だから、約束破ってもいいってことだよね?」
「…………あー、うーん……」
そう言うことか。うん、まあ確かに、その理屈は間違ってはいない。約束は守るべきだけど、春ちゃんに限っては守らなくてもデメリットはない。私は春ちゃんが守らなくても嫌いになるどころか、むしろすごい、余計に好きになってしまうから。
でも困る。こんな、こんな風にキスされて、私が約束を破ってしまいたくなってしまう。
だと言うのに、春ちゃんは平気でもう一度私にキスをしてきた。
「はぁ……理沙ちゃん、可愛いよ」
「……春ちゃんの方が、可愛いよ。あー……ほんと、まずいよ」
その蕩けたような、幸せそうな顔。赤らんだ妖艶な表情。すごく、したい。ああ、ほんとに、こんなの、まずい。だけど強固にとめることもできなくて、むしろしてほしいし、うん。困った。
「あと、昨日はごめんね。その、ちょっと、生理で情緒不安定なのもあったかも」
だから翌日、そう謝られてちょっとほっとしたのは本当だ。昨日が特別だったんで、これからはキスはしないんだ。それは残念だけど、でも私が我慢できなくなることはないから。
「だから、またしばらくはああいうキスはお預けね」
なのに振り向いた春ちゃんはそう言って、これからもすると暗に宣言した。しばらくって、いつだろう。すぐにそんな、次回を期待してしまう自分が恥ずかしくて熱くなってしまう。
本当は断るべきだ。昨日は受け入れてしまうみたいになったけど、ちゃんと駄目だよって、大人になるまではって言わないと。
「…………うん、そうだね」
そうわかっているのに、私は自分の欲求を抑えられず、頷いてしまった。だって、だってめちゃくちゃ気持ちよかったし、あの状態の春ちゃんを強く拒絶したりとか、絶対無理だし。口だけ駄目って言ってもどうせ無理だし、強く言って嫌われたくないし。……したいし。
「どういたしまして。大好きだよ」
「……私も、大好きだよ」
約束を破ってしまうくらい大好きだと、春ちゃんの瞳が全力で伝えてくれる。私の気持ちも伝わっているといい。すごく、幸せだ。困っちゃうけど。
こうして春ちゃんが普通にキスを、時々特別なキスをしてくるようになった。すごくすごく、幸せな日々。だけど、困った。すごく困った。嬉しいけど、嬉しいけど困る。色んなことをしたい気持ちはある。キスだって私も応えたいし、私もしたい。
だけどそうもいかない。春ちゃんとした約束なんだから。春ちゃん自身が、もう約束はいいよって言わない限り、守るべきだ。春ちゃん自身が破る分には自由だけど、私は破りたくない。
私は何もできないし、春ちゃんに大したことをしてあげられない。気の利いたことを言ったりもできない。だからただ春ちゃんに真面目に向き合って、些細なことだと春ちゃんが言ったとしてもその全部を大事にして、心からの思いをそのまま伝えるだけだ。それだけが、私にできることだ。
あと、お金を稼ぐのも先輩がいるからだけどできるか。でもそのくらいだ。いつか春ちゃんが大人になれば、きっと立派で素敵な人になって、私なんか足元にも及ばないようなそんな人になるだろう。
でも春ちゃんと離れたくない。いつか、春ちゃんが私を嫌いになったら仕方ないって思う。それは、思う。わかってる。でも、離れたくない。
春ちゃんに嫌われないように努力したいし、もし私を好きじゃなくなっても、もう一度私を好きになってもらえるよう、努力したいって今は思う。絶対後悔させないように幸せにしたい。
だから私は、私にできるだけのことはしたいのだ。今できるのは約束を守ることくらいで、なので特別なキスをされる時も自分からしてしまわないよう、唇をかたく閉じて、抱きしめないよう手を宙にして、直接見ないよう焦点をずらして頑張っている。
絶対挙動不審な変質者状態なのに、春ちゃんはご機嫌で可愛がって来れるの、嬉しいけど。嬉しいけど、ほんと、困る。
なんとか約束を私から破ってないけど、むしろもっと春ちゃんから破ってくれないかなとか考えちゃってるし、もう私だいぶ駄目になってる気がする。
でも、春ちゃんとの約束は破らない。それだけは絶対だ。だから春ちゃんが小学校を卒業するまでは頑張って、我慢する。
「ねぇ、理沙ちゃん」
「ん。なに?」
「……ちゅ、ンふふ、大好き」
今も仕事中なのに、急に名前呼んで、振り向いたらキスして。こんなの、可愛い。可愛すぎる。しかも正面を向かせたのに微妙に唇じゃなくて、ぎりぎり頬なのとか、ちょっと控えめな感じが可愛いし、はにかんでるの可愛いし、もう、口にしたい。
めっちゃしたい。悪戯っぽく笑ってるけど、私からしたらどんな反応するのかなとか、驚くかなとか、ドキドキしてくれるかなとか、すごい、色々考えてしまうし、したい。
小学校卒業まで、あと一年半。あああ。な、長くない?
私がこれまで生きてきた期間、春ちゃんに会えない数カ月とか全然すぐ終わってきた印象だったし、なんなら今年に春ちゃんと同棲するまでの人生全部、前菜でプロローグでしかなかった数行で終わったくらいの気持ちなんだけど。
一年半、長くない? まだ春ちゃんとキスするようになって我慢しまくってるのにまだ冬にもなってないの、時間経過おかしくない?
「……」
「あれ? 固まっちゃった? お仕事の邪魔して怒っちゃった?」
「そ、そうじゃないよ。あの、その……春ちゃんが、可愛すぎて、固まっちゃっただけ」
「そっか。邪魔してごめんね」
「ううん! 邪魔なんかじゃない。その、い、いつでもいいよ」
折角、大好きって言ってくれたのに、春ちゃんが好きすぎて自分の体が動いちゃわないようにして固まってスルーしてしまった。邪魔なんてとんでもない! 仕事なんてどうでも、よくはないけど、その、春ちゃんがいない時間だけでも十分なくらいだし、なんならやりたくないくらいだよ! いやでも、春ちゃんに手を出さないためにもむしろ仕事して気を紛らわせている方がいいくらいなんだけど。
あっ、ていうか今の言い方は暗に催促してしまったかもしれない。でも、でもしたいんだもん。
「そっか。ならよかった」
「うん……」
あれ、そうは受け取られなかったみたい。よ、よかったような……うう。もう一回してほしいなぁ。
「……」
お仕事に戻りたいけど、なかなか気持ちが戻らない。ああぁ、キスしたい。……はぁ、もうしてくれないみたいだし、頑張るか。
と言うか、今にも春ちゃんに手を出したい欲求はもちろんあるし、してしまいそうってくらいの気持ちではあるんだけど、多分普通に、私約束守れそうだなぁ。どう考えても、手を出せるイメージがない。むしろ約束なくても無理だったかもしれない。
「……」
「!?」
「えへへ」
どうせ無理なんだから真面目に仕事しよう、と思って再開したところで春ちゃんがとんと私の肩にもたれてきた。はっとそちらを見ると顔をあげて目があってはにかまれた。可愛い。
抱きしめたい。ああああ。が、頑張ろう。春ちゃんが小学校卒業したらすぐ、頑張ろう! 約束を守って小学生じゃなくなった春ちゃんに、すぐ手を出そう!
今はすごく幸せだからこそ、私はもっともっと幸せになりたくて、もっともっと春ちゃんを幸せにするために、頑張ろうと心に決めた。
○
幸せすぎて時間の流れが遅すぎると思ったのも、結局過ごしている日々の最中だからで、過ぎてしまえば短かったと……やっぱり長かったかもしれない。すっごく我慢した。
だけどついに、春ちゃんが小学校を卒業した。中学校の制服も届いて、入学式までまだ猶予はある、ちょっと長めの、私にとっても最後になる春休み。ついに、約束が終わったんだ。
そうドキドキしながら、私は卒業パーティも終わって落ち着いた翌日に春ちゃんに真面目に話しかけた。
「あの、春ちゃん。その……約束、のことなんだけど」
「ん? なに? どの約束?」
きょとんとした春ちゃんは無邪気で、時間もまだ午前中だし言いにくいけど、でも午後に、夜に、寝る前に、やっぱり明日にってなるから、今しかない。
「その、小学生の春ちゃんには、手を出さないって言う、約束」
「あ、あー……え、あの、手、手出すって話?」
「う、うん」
春ちゃんは赤くなって頭をかいて視線を泳がせてから、そっと私にもたれた。肩に頭をぶつけて顔が正面から合わない姿勢になってしまう。
「そっか、あー……そう言うの、その、言わなくても、普通にしてくれて、いいよ。ていうか、約束のこと、ほとんど忘れてたし」
「そ、そっか」
「うん……でも、まあ、わざわざ言ってくれる、その、丁寧なとこも、好きだし。うん。ちょっと無粋かなって思わなくもないけど、いいよ」
春ちゃんはちょっと照れくさいのか、ぽんぽんと私の膝を叩きながらそう褒めてくれた。
「う、うん。ありがとう、あの……ところで、なんだけど。その……手、って、どこまでいいのかとかも、一応、聞いてもいいかな?」
これはさすがに、すごい、無粋なこと聞いてるよねって思う。でもあの、念のため、手を出すの程度の認識が違うと困るもんね。
手を出してるって春ちゃんは自称しながらキス以上はしてないから、そこまでで十分って思ってるのかもしれないけど、一応、前に検索履歴見てるからそれ以上にもやることあるって知ってるはずだし。
その、できればいい機会だし、それ以上にも進展できたらもっと幸せなんだけどー?
「え、どこまでって……普通に、私がしてるのと同じって言う認識だったし。その、り、理沙ちゃんのえっち。そう言うのはさすがに、その、まだ早いって言うか……恐いよ」
私の問いかけに春ちゃんはまだ何もしてないのにぱっと火が付いたみたいに真っ赤になって、二回強く私の膝を叩いてからぎゅっと掴んでゆらした。私は慌てて意味なく手を浮かせて理沙ちゃんの顔の前で振りながらなんとか弁解する。
「うっ、あ、ご、ごめんね! ごめん。あの、無理強いするつもりなくて、あの、全然、全然そんな、期待とかしてなかったからね!? 一応の確認だからね!?」
「き、期待してたんだ? 私、小学校卒業したって言っても、まだ、誕生日きてないから11才だよ……? そう言う目で、見てるんだ?」
「あ、ご、ごめんなさい……」
私の弁明を聞いているのかいないのか、春ちゃんは俯いて顔をみせてくれないままそう聞いてきたので慌てて謝るけど、11才どころか、10才の時から見ていました。
う、うう。気まずい。でも、逆に、聞いてよかった。これ、聞かずにしてたら春ちゃん怖がらせてたところだもんね。よかった、よかった……う、い、いつになるまで駄目なんだろ。これ、私からキスもやめておいた方がいいのかな。
両手をあげて春ちゃんに触れてしまわないようにして、そっと春ちゃんと違う方に倒れて距離をとる。
「ちょっと、どこいくの」
「う、ごめん。あの、へ、変なことしないから」
「もう、何言ってるの。戻って」
「はい……」
距離をとったらもたれてた春ちゃんの姿勢も崩れて怒られたので、素直に上体をもどす。またぽんと春ちゃんはもたれてきて、手を回して軽く横から抱き着いてきた。
う。春ちゃんの体、熱くて柔らかい。部屋着だからって薄すぎる。まだ暑くなってくるには早いと思う。
「あのさぁ、その……下は無理。恐いし、ハズいから。でも……う、上なら、いいけど?」
「……えっ。あの、あの、あ、あ、その、む、胸、触っても、いいってこと?」
思わず聞き返した私に、春ちゃんは真っ赤な顔で振り向いて私の肩を強めに叩いた。
「もう! そこは聞き返さないでよ。馬鹿」
この日、私はあんなに幸せだった恋人との半年を過ごしてもまだ知らなかった幸せの先を味わった。
そしてこれからきっと、この幸せのさらに先を、もっと先を、春ちゃんと一緒に味わっていくんだろう。死ぬ前には今想像できないくらい幸せで、幸せすぎて死んじゃうんだろうな。
そんな風に思いながら、私は疲れて寝ちゃった春ちゃんのほっぺにキスをした。
あー、幸せだなぁ。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
カクヨムにも同一内容を同時投稿しておりましたが、最終話のみカクヨムの方が多少追記されています。
なろうでは以前に他作品で削除要請をいただくことがありましたのでその様にさせていただいております。ご理解いただけますようお願い致します。




