食事の神髄~奇跡のハンバーグ編~
「はぁ…。」今日も残業続きのT氏はため息をつきながら仕事の手を止めた。この男は幼いころから真面目に勉学に励み、目標であった中学校の数学教師となり、周囲からの要求を真面目にこなしながら、気が付いたら社会人になって5年が過ぎていた。日中は授業を行いながら、生徒の日常生活を注視して問題が起きないかアンテナを立てている。下校時刻を過ぎた後は次の日の授業の準備に明け暮れる。今日も次の日の2次方程式の授業に向けた資料を作りながら日中起きた問題について思い返していた。
その日起きた問題とはこうだ。クラスの中でいわゆるお調子者のG太が休み時間が終わっても大きな声で話を続けている。もちろんT先生は注意し授業に集中するように促すも、最近の子供は妙に頭が回る、「T先生、これはアイスブレイクタイムっちゅうやつですよ。いきなり授業に入ってもみんな気持ちがついていかないので、まずは場を和ませようと思っているんですよ。」とG太は説明する。まったくもってやかましい。確かにアイスブレイクタイムは必要とされているが、G太は休み時間からずっと話しているのでそもそも緊張状態にするためのアプローチが必要な類だ。それにクラス全員を会話に参加させないと意味がない、など大人気なくも正論を振りかざそうとするがそれも意味がない。「配慮はありがたいが、今日はとっておきの話を持ってきたのでそっちを聞いてほしい。」と言ってなんとか切り上げたが、とっておきの話があるわけでもなく屈辱の駄々滑りをかまし、無論G太にも「T先生、それ30点すね。」と言われ、笑いを持っていかれる始末。勿論、T氏の思っていることは正しい。とはいえ周りからは完敗とも思われる状況にもやもやしながら、いっそのこと正論を振りかざしG太を玉砕させればよかったのではと、そのシーンを何度も反芻してはため息を繰り返している。もちろん、幼いころからG太とは全く違う性格だったT氏からしたら、そもそもなぜ彼が周りの困る行動をするのか、まったく見当がつかなかった。「はぁ、クラス全員おとなしい生徒だったらいいのに。」そんなことを思いながら仕事を切り上げた。
そんな疲れたT先生の唯一の息抜きは料理だ。今日も冷蔵庫にある材料から何を作ろうかとワクワクしている。この瞬間が一番楽しい。単品だけでは魅力のない食材も自分の手で掛け合わせ、自由に味付けすることでその魅力が何倍にも膨れ上がる快感はほかの何にも代えがたい。今日冷蔵庫に残っているのは、使い勝手の良い玉ねぎと、ひき肉、卵…。なるほど、このメンバーで作るとしたらあれしかない。T氏はおもむろに玉ねぎをみじん切りにしてひき肉と混ぜ合わせ始めた。そうハンバーグを作っている。T氏のこだわりは玉ねぎのみじん切りだ。大きすぎても食感とにおいが残りすぎるが、細かすぎてもパンチが足りない、絶妙なサイズに切り分けることがハンバーグの命といっても過言ではない。できれば全て同じ大きさに切りそろえ味を均一にしたいが、今日はいつもより疲れているのかなかなかサイズがそろわない。仕方ないがお腹も空いているので次の工程に進む。味付けをして、フライパンに油を垂らして中は柔らかくなるように最初は弱火で、表面はこんがりするように最後だけ少し強火にする。焼き終わったらお皿に盛りつけて、残った肉の油とケチャップ・ソースを混ぜたデミグラスソースを作って完成だ。やはり玉ねぎのサイズが揃っていないからか、全体の形がいつもより少しいびつで不格好になっている。
やむを得ないなとつぶやきながら切り分けて1口、2口と食べ進め、T氏に衝撃が走る。「玉ねぎの大きさが揃っていないほうがうまい。」なぜだ、今までの常識では料理は味が均一になることが大前提かつ、見た目も大事なのだから、ハンバーグにおける玉ねぎのサイズを揃えることは最重要課題ではないのか。ほかの食材の味に迷惑をかけない、現代社会でも空気をよんで周りの人の色を消さない様にふるまうことが最も良いとされているのではないのか。しかし違ったのだ。それはたいして重要ではないのかもしれない。むしろ逆、玉ねぎのサイズが大小分かれることで1口目、2口目で味が変わる、いつまでも飽きさせない、肉々しい味とほんのり甘い玉ねぎの風味が舌を刺激する味が不規則にT氏の味覚を襲い、気が付いたら次はどんな味かと目を閉じて楽しみながらどんどんと食べ進んでいた。そういうことか、何も疑わずに当たり前と思っていても、正解とは限らないし、すべての粒がそろっていれば見た目は良くても本当の魅力というのは伴わないのかもしれない。幼いころから何の疑問も持たずに周りと同じ方向を向きながら、常識に疑問を持たずに過ごしてきたT氏は大きな衝撃を受けた。
食事を終え、明日の授業の最終チェックに入る。さっきまではクラスの問題が何回も反芻されていたが、そこにハンバーグの奇跡が加わる。「あぁ、そういうことなのか。G太の魅力は玉ねぎでいう粒のでかさと同じなのである。そしてほかのクラスメイトの中にはG太に同調するような玉ねぎもいれば、それを抑え込もうとするひき肉・塩コショウのような子もいる。そしてクラスが1つのハンバーグとしての魅力を作り上げているのかもしれない。あの組み合わせだからこそ毎日様々な問題が起きてそれが魅力なのか。毎日同じ生活・同じ問題しか起きないのであればこれ以上退屈な日々はないのかもしれない。」こう考えると何でも楽しくなってくる。その子の問題点や魅力はそのままでよいのだ。日々発生する問題とは実は面白いことなのだ。次の機会にG太が話したら、どんどんその話を聞いてみよう、きっと100点の話が聞けるはずだ、とすこし意地悪くそのシーンを想像してにやついている。よし、明日も何とかなりそうだと、さっきよりは前向きな気持ちでようやく眠りにつくのであった。