閑話:稲井 由姫 2
まだまだ続きます。なんか、楽しい、です
「うっせーな!俺達はコイツにやり返さなきゃ、気がすまねーんだよ!」
「そうだそうだ!」
「なにも知らない奴は黙ってろよ!」
「お前には関係ないだろっ!」
少年達は少女に向けて口々に文句を言う。由姫は由姫で、どっかいってくんねーかなー、と考えていた。
口に出さなかっただけでも成長はしているのだ。幼稚園児時代では口にしていたろう。女子に対しては少し優しくなった由姫である。
「関係ないとか、そういう事じゃないでしょう?貴方達にはプライドというものが無いの?」
少年達の声に臆すことなく少女は言葉を続けた。
「う、うっせー!」
「そもそもコイツが...!」
直ぐに立ち去ると踏んでいた少女が、あまりに強い態度で居るために、少年達はたじろいでしまう。終いには由姫を指差し何かを発そうとしていた。
「ほら、行くわよ」
「え?ちょっと...」
だが、少女はそんな少年達の訴えに聞く耳を持たず、由姫の手を引き足早に歩き出した。そしてそのまま少年達の横を通り過ぎ、スタスタと去っていったのである。
(ちぇっ、けんかしたいのにー)
由姫は掴まれた手を振り解こうかで悩み、結局はされるがままに引っ張られることにした。久しぶりに家族以外からの接触だ。由姫の奥底にある本音が、離したくないと訴えていたことに、由姫は気付かなかったようだが。
※ ※ ※
「ふぅ、ここまで来れば安心ね」
あの場から数分程、由姫は少女にに引かれるように歩いていた。由姫の性格を知っているものからすれば、暴れ馬とその手綱を引いている人、と映ることだろう。それくらい、普段の由姫は言う事を聞かず、今の由姫は大人しかったのた。
「そうかな。ボクはあのままでよかったのに」
少女がほっと一息吐き、漏らした言葉に由姫は小さくそう返した。聞こえないだろ、聞いてないだろと思っていた由姫。少女が立ち止まり、振り向いたことに少し驚き、思わず1歩後ろに下がってしまった。
「女の子が喧嘩なんてしちゃダメよ」
由姫の目をしっかりと見て、少女は強く言葉にした。
少女の背が由姫より高く、由姫が見上げるような形で見つめ合う。
聞こえていたことに驚き、返事をしてくれたことに驚いた。めっきり男子とも女子とも離しておらず、目を合わせることも殆ど無かった。皆、目を合わせようとすると逸らしてくるからだ。
由姫にとっては、久々の目と目を合わせた会話である。
「ボクはしたかったのに」
「ダメよ」
「けど」
「ダーメ」
「ぶぅ」
少年達に接していた時のように、少女は強気で由姫に言葉を出していた。由姫の前でも変わらず態度で由姫を説得しようとしている。
言葉の圧に負け、由姫は睨むことで対抗することにした。
昔から、由姫を止めようとしていた人は少なからずいた。しかし、由姫が睨むと直ぐに引っ込んでしまい、由姫のストッパーとなり得なかったのだ。
どうせ今回も同じだ、と由姫は考えながら少女を睨む。
「膨れっ面してもダメ。そんなに可愛いんだから、怪我したら大変でしょう?」
「はぁ…?」
期待していた反応とは違い、少女は決して強気な態度を改めることは無かった。ましてやズレた返しまでする。
由姫は頭の中で少女の言葉を反芻させる。
『膨れっ面してもダメ。そんなに可愛いんだから、怪我したら大変でしょう?』
何度も言うが、由姫は頭が弱い。更に、長年まともに親以外と話した事が無い。同級生や先生と話そうとしても、始まらないか一方的になるかの二択となり、会話をする能力が欠落していたのだ。
稲井由岐は、小学生の頃から俗に言うコミュ障であった。
「ボクが...かわ、いい...?」
少女の話した事の中から、重要だと思われる言葉を拾い上げた。そしてその言葉を口にする。
かわいい、可愛い......可愛いとは?それは一般的に、年頃の女の子に使う言葉であろう。決して自分に使うようなものではない。そうか、聞き間違えたんだな。
「えぇ、可愛いわ。少し目付きが悪い点が勿体無いところだけど...ヤンチャな猫っぽくて可愛いと思うわよ?」
「ねこっ...!?」
聞き間違えではなかった。この少女は、よりにもよって自分の事を、可愛いなどとのたまうのか?更にはねこ、猫、ネコだと?自分が小動物にでも見えるのか?愛玩動物だとでも思うのか?目が節穴なんじゃないか?
という思考を頭の弱い由姫ができる訳もなく、少女の言葉に潜まない意味を探ろうと必死であった。
故に少女からの攻撃に反応できなかった。
「もう、髪をぐしゃぐしゃにして。長くて綺麗な髪なんだから、ちゃんとしなきゃダメよ?」
そう呟きながら、どこからとも無く取り出したクシとリボンを手に、由姫の髪をいじり始めた。
ボサボサになっていた髪を丁寧にとかしていく。慣れた手つきで全体をとかすと、後ろ髪をリボンで纏め始める。これまた慣れた手つきで纏め終えると、次にヘアピンを取り出し──
「な、なにしてる!?」
ようやく頭のパンクから復活した由姫に手を振り解かれて止められた。
「あら、ヘアピンは嫌いだった?」
「キライ!」
今、何をされていたかさっぱり分からない由姫は、取り敢えず反抗の意を示すべく、噛み付くようにそう答えた。
まだ、自分の頭が可愛く整えられていることに気づいていない。
「そうだったのね......って、頭に元気なのが付いてるわ」
「ついてない!」
少女が指摘したのは由姫の頭で起立していたアホ毛である。先程丁寧にとかしたのだが、長年放置していた髪がそう簡単に大人しくなる筈が無かったのだ。そのアホ毛は特に元気であり、少女の行為を反抗しようとする由姫を表しているようであった。
噛み付かんばかりに睨んで威嚇する由姫。その頭の上では、お前のクシ捌きなんて効かぬわ!と嘲笑うかのように生えるアホ毛。
前半部分をサラリと受け流し、少女は後者に対して対抗心をメラメラと燃やす。
「...これはやり甲斐があるわ」
更に意気込んで由姫のアホ毛処理に取り掛かろうと、由姫へと近づいた。
右手にクシを、左手に髪留めのゴムを持って迫る姿は、由姫に言葉にできぬ恐怖を与えた。
3個年上の男子に喧嘩を売られた時よりも、同級生に囲まれた時よりも、由姫は恐れを抱いていた。
「く、くるな!」
少し前の威嚇姿は何処へやら。由姫は睨みながらも後ろに数歩下がっていく。
「大丈夫よ。直ぐに終わるから」
「ぼ、ボクにちかづくな!」
「あぁっ、待ちなさいって」
身体能力の高い由姫は、ひょいひょいと少女の腕から逃げた。そして、ある程度距離を作ったあと、振り向いて少女に向かう。
「ふ、ふんっ!もうボクにかまうな!」
「そう、また明日ね」
「べーーっだ!」
それから逃げるように走って家へと向かう。
まるでいつもと逆であった。
由姫は相手を負かし、泣いて逃げていく事を眺める。それが常であった。その時に、よく今の由姫がしたような"負け犬"がやる行為をやっていたのだ。
そしてそれを、無意識に少女に向かってやっていた。少女は少し残念な表情を浮かべた後、気を取り直し笑顔で手を振っている。
(ボクはまけたのか...!?)
少女が浮かべる笑顔に、由姫は何とも言えぬ敗北感を覚えていた。
これが、由姫の人生において、初めての敗北であった。
そして、由姫はこれから連敗を重ねる運命にあるのであった。
「えぇ、アレがボク史上初の敗北でしたね。なんと言いますか、頭がいっぱいいっぱいになってしまい、馬鹿なボクは逃げちゃったんですよねぇ...」




