イタズラ大作戦
ブクマ8000突破御礼。
時系列は六章直後。
「アレンさーん。お掃除終わりま……」
庭の掃除を終えてリビングに戻ったシャーロットだが、ドアを開けたままそっと口をつぐんだ。
ルゥとゴウセツもあとから部屋を覗き込み、首をかしげてみせる。
『あいつ何やってるの?』
『なにやら書き物をしているようですな』
「そうみたいですね……」
シャーロットはこくりとうなずく。
三人がじっと見つめるのはリビングのソファだ。そこではアレンが紙の束へと目を落とし、真面目な顔で何やら文字を書き連ねていた。かなり集中しているらしく、シャーロットたちに目もくれない。
「たぶん魔法の論文ですよ。前にも読んでいらっしゃいましたし」
『ふーん』
ルゥは興味深そうに、アレンの前まで歩いていく。そうして大きく息を吸い込んで――。
「がうっっっ!!」
勢いよく吠えた。まるで衝撃波のような吠え声で、アレンの手元の紙の束がビリビリと震える。
しかしアレンは微動だにしなかった。そのまま何事もなかったように紙をめくり、ペンを走らせていく。
無視されたようでルゥは面白くないらしく「がうう……」と唸る。
シャーロットは苦笑して、彼女の頭をぽんと撫でてみせた。
「邪魔しちゃダメですよ。向こうで遊びましょうね」
『うーん……でもさあ……』
ルゥはじーっとアレンの顔を見つめて、ニヤリと笑う。
『これならイタズラしてもバレないんじゃない?』
『なるほど。ルゥどのはなかなかの慧眼をお持ちでございますな』
「だ、ダメですよ。そんなことしちゃ」
『えー。だって、つがいのママをほったらかしなんだよ? 目にものみせなきゃじゃん』
「つが……!?」
ルゥの発したその言葉に、シャーロットは凍りつく。
アレンからの告白を受け入れたのが三日前。
だから今、アレンとシャーロットは恋人同士だ。
まだまだその状況に慣れなくて、どんなふうに接していいか探り探りだし、あれから会話も減っているものの……一応、恋人なのである。
そのことを改めて認識すると、顔から火が出そうになる。
(うう……そんなこと言われたら、余計に意識しちゃいますよ……)
固まるシャーロットの背中を、ルゥが鼻先でそっと押す。
『ほらほら、ママ。何かイタズラしてやろーよ』
「えっ、ええ、でも……」
『シャーロットどのが手を下さぬのなら致し方ありませぬな。儂がひとつ、戯れに一太刀浴びせて――』
「あわわっ!? やります! やりますから!」
どこからともなく小枝を取り出すゴウセツを慌てて止めるシャーロットだ。
小枝を没収して、かすかに眉を寄せる。
「でもイタズラなんて……イケナイことですよ、めっです」
『だったらこいつもよろこぶんじゃない?』
「…………すっごく喜ばれそうですね」
『重々承知しておりましたが、ほとほとこの御仁は難儀な性癖をお持ちでございますなあ』
ゴウセツが呆れたようにぼやいてみせる。
おそらくシャーロットが彼にイタズラなど仕掛けた日には『おまえがそんな大胆かつ茶目っ気のある行動に出るなんて……! 今日はめでたい! 祝いの酒を開けるぞ!』なんて大喜びして祝杯を上げることだろう。
まだ数ヶ月の付き合いしかないが、シャーロットもそれくらいのことは読めるようになっていた。
(じゃ、じゃあ……ちょっとだけ、なら……)
アレンが喜んでくれるのなら、頑張りたいと思った。
しかし意気込みに反して……一切名案が浮かばない。なにしろこれまでの人生、イタズラなんて一度たりともしたことがないからだ。
だから目の前の二匹にそれとなく尋ねてみるのだが――。
「その……イタズラって何をすればいいんでしょう?」
『ルゥは兄弟たちの耳とか、かるーくかじったりしてたよ。ママもやってみたら?』
「無理ですごめんなさいそんなの死んじゃいます無理です」
『ええーちょっとかじるだけだよ? かみちぎるとかじゃないのに』
『ルゥどの、人間と我ら魔物は違うのですぞ』
首をかしげるルゥのことを、ゴウセツがそっとなだめてみせた。
シャーロットは真っ赤になって固まるしかない。
あまりに難易度が高すぎた。想像するだけで卒倒してしまいそうである。
あわあわするシャーロットに、ゴウセツがにこやかに語りかける。
『では、顔に落書きなどいかがでしょう。墨ならあとで落とせますゆえ、これなら罪悪感も軽いはず。ささ、どうぞ』
「いったいどこから筆を……」
枝同様、ゴウセツはどこからともなく筆と墨を取り出してみせた。シャーロットはそれをおずおずと受け取る。
(でも、たしかにこれなら……私にもできるかもしれません!)
シャーロットはぐっと意気込んで筆を握る。
ちょっとだけ、頬に小さくバッテンを描くだけ。
そう決意すると、なんだかドキドキする。これまでいろんなイケナイことをしてきたが、自発的に取り組むのは初めてだ。
「そ、それじゃ……いきます!」
『やっちゃえ、ママー!』
シャーロットは細い喉を鳴らし、ソファーにそーっと登る。そうして筆をかまえてアレンの横顔をのぞきこんだ。
さらさらの黒と白の髪。整った顔立ちに、紙面に釘付けとなった赤い瞳。ほっそりした顎と、喉仏。
あ、無理ですこれ。
シャーロットはがばっと彼から距離を取り、真っ赤になってガタガタ震えるしかない。至近距離で見つめ合うことは何度もあったが、なにげに横顔はレアだった。ゆえにクリティカルヒットとなるのは当然の流れである。
「だ、ダメです……! かっこよくて……とてもじゃないけど、じっと見てられません!」
『え、そんなに?』
ルゥは小首をかしげてアレンの顔をのぞきこむ。
『……ルゥにはまぬけな顔にしか見えないけどなー』
『ふむ。たしかに、黙って動かずにいると人間の中ではそれなりの容姿ではございますからな』
『へー。じゃあ、しゃべって動くとアウトなんだね』
『アウトもアウト。あれを許容なさるシャーロットどののお心の広さには、感服するほかありませぬ』
「どうしてふたりとも、アレンさんにはそんなに辛辣なんですか……?」
シャーロットは目を瞬かせるしかない。
二匹ともアレンのことはそれなりに認めているが『ほんとにもうこの男はどうしようもないな……』というのが概ねの共通見解であった。
「ともかく落書きはダメです。もっと他にありませんか……?」
『それじゃ、体当たりしてころばせて、そのうえに乗っかるのは? ルゥはよく兄弟にやってたよー』
「ごめんなさい、ルゥちゃん……私にはハードルが高すぎます……なるべく顔を見ずに、簡単にできる小さなイタズラでお願いします……」
『ふむ、そうですなあ……』
シャーロットの懇願に、ゴウセツは腕を組んで考え込む。
やがて閃いたとばかりにハッとして告げることには――。
『いっそもう、キッスでいいのでは?』
「なんにもよくないですよ!?」
『ちゅーするの? だったらルゥもママにちゅーするー!』
「わぷっ」
ソファーのシャーロットに飛びかかり、ルゥは全身全霊でちゅっちゅぺろぺろし始めるのであった。
それから二時間後。
論文を読み耽っていたアレンが、不意に小さく吐息をこぼした。
「ふう。なかなか興味深い内容……で……」
満足して紙の束から顔を上げる。
そして、彼はそこで固まった。シャーロットが寄りかかり、すやすや寝息を立てていることに気付いたからだ。
「あうう……アレンしゃん……ケーキはもう、おなかいっぱいですぅ……」
「ぐるるうー……」
そんな彼女の膝に頭を乗せ、ルゥもご機嫌そうに寝入っている。
ほのぼのとした光景だ。だがしかし、アレンは心臓が止まりそうだった。これくらい密着したことは何度もあったが、恋人という属性を手にしてからは初めての経験になる。
『イタズラ成功でございますな』
「む」
揶揄するような声に顔を上げれば、床に座したゴウセツと目があった。干し草をもぐもぐしつつ、アレンに冷ややかな目を向けている。
「おい、ゴウセツ。これはいったい何事だ……」
『まあ、色々ありまして。しかし何でございますなあ』
ゴウセツは目を細め、ふっと笑う。
『万が一に備えて見張っておりましたが……これならキッスどころか、手を出すのもいつになるやら』
「余計なお世話だ!!」