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2125/05/16 大きな文明と、小さな文明

「……ぼくは疑問だよ。どうしてぼくは今、こうして高校数学なんかやってるんだろう」

“理解はできるの?”

「一応ね。君の記憶の積み重ねを利用すれば、かつての君と同じくらいの成績は取れるよ」

“そこはあくまで同じくらいなのね”

「ぼくが仮に、人間のやっているような教育を過去に受けていたら別だよ。……大丈夫、君が大学生になる頃には人間は滅んでいるさ」

“……笑えない話ね”


「こらそこ、九條と七道か? 相談はもう少し小さい声でやれ」


 若干髪の後退した中年の数学教師が、ぼくを注意した。が、実玲がとばっちりを食らった。


「えっ⁉︎ 私なんにもしゃべってないんですけど⁉︎」

「静かにしなさい。授業が進まん」

「えー……」


 実玲が不満げな顔をしてから、こちらを向いた。


「どうしたの? 心の中の弓依とお話?」

「まあ、そんなところだよ。心配しなくても、大した話じゃない」

“人類滅亡の話が大したことじゃないというのは、少し違和感があるけれど”


 弓依といくらか話をして、ぼくの考えにも整理がついた。それはぼくの力ではもうどうにもならないという諦めに似ている。確かにある程度諦めてはいる。でも、ぼくにもまだできることはある。


「……ああ、そうだ。すっかり言うのを忘れていたよ。この間の戊辰会総会、ちょっと取り乱してしまった。鴨山と実玲が、何とかまとめてくれたと聞いたから。ありがとう」

「いいよ、大丈夫。それより改心したって本当?」

「改心というか、本当のことを知っただけだよ。実際ぼくは人間を滅ぼそうと考える前は、ちゃんと人間との共存を想定してたからね」


 実玲はぼくの話を鴨山から聞いている。ぼくが弓依にイユ、という名前をつけてもらったことも知っているようだ。実玲は弓依の親友だが、同時に鴨山とも仲がいい。弓依の家にも、まるで自分の家であるかのようによく出入りしている。

 そんな実玲は、戊辰会の中でも重役に近い位置らしい。ぼくたちの通う高校でも、一年生の時にオカルト研究会なる部活を立ち上げて、その会長をやっているのだという。弓依もそのオカルト研究会に所属してはいるが、それは実玲についていったという意味合いが強く、むしろ弓依はもともと、それほどオカルトについて熱心ではなかったようだ。


「そうなんだ。それで、人間の文明をたくさん学んでいこう、って感じ?」

「そういうところだよ。もっとも、高校生がこんなに忙しいものだったとは、さすがに想定外だったけどね」


 ぼくたちが地球に送ったメッセージも、解読したのは弓依だったが、その過程で幾度となく実玲に手伝ってもらったらしい。そのお返しとして、実玲は弓依と鴨山に何かあった時の、会長代理として戊辰会に所属することになった。加えて実玲は、戊辰会の顔となっている。戊辰会のメンバーになれば、会長がぼくで実玲は重役の一人に過ぎないというのを知ることになるが、外部の人には実玲が会長であるようにしか見えないという。


“イユ。一応、聞いてもいいかしら”

「うん」

“一体どうやって人間の文明を残していくのか、気になって”


 弓依と友好関係を築いたぼくの唯一の落ち度は、擬態先を弓依自身と決めたことそのものだと言えた。確かに弓依はお嬢様で、一定の地位を約束されている。しかし同時に、弓依は現役高校生でもある。見聞を広めるための時間を取るには、高校生はあまりにも忙しすぎた。


「……それなんだけどね。ぼくもいろいろ、方法を考えているところなんだ」

“先に言っておくけれど、今から世界一周は無理よ”

「それは分かってる。君の身体がそこまで丈夫であるとは思っていないし、世界の隅々まで見て回るには時間が足りなさすぎる」


 人間に擬態した時点で、病弱であるかどうかとか体力的な面も、ぼくたちに反映されてしまう。弓依は病弱でこそないものの、あまり体力がある方ではないらしい。世界一周、それも何か月、何年かかるかも分からない旅をすれば、先に身体の限界が来てしまうだろう。


“私、思ったの。イユの元仲間が滅ぼすとしたら、人間の今の文明だけなの?”

「それはすでに滅んで、本の中や遺跡にしか残っていない文明は対象外か、ということ?」

“ええ”

「それは……」


 ぼくも完全に、今生きている文明を保存することしか頭になかった。どうやら人間は過去に様々な文明を作り上げ、滅んでは新しい文明文化が生まれ、というのを繰り返してきたらしい。自分たちが安定して暮らせる環境を求め、星を転々としてきたぼくたちには、そんな文明の栄枯盛衰は存在しない。移り住んだ星を、生きられる環境に作り変えるための経験則や知恵はある意味文明と呼べるかもしれない。しかしそれも単一のもので、決して多種多様ではない。


「ぼくには分からないな。前も言ったけど、人間の文明が完全になくなってしまうのか否かは五分五分だ。当然人間が滅んだ後、かつて様々な文明が存在したことには気づくだろうけど、その遺産まで叩き潰すかどうかは……」

“イユ、あなたの意見を聞きたいの”

「ぼくの意見を?」

“人類に対して恨みを持っていた頃のあなたの意見。もし今もあの状態だったら、あなたがどう考えていたか”


 『あの状態でなくなった』今、答えを出すのは難しいが、不可能ではなかった。


「……ぼくなら、文明の保存はすると思うよ。今はみな人間を殺すのに執着しているけど、人間がいなくなれば落ち着くと思う。そうなれば、あとは人間と同じだ。君たちは恐竜や古代生物が生きていた証を潰そうとは考えなかった。地球の歴史の一ページ、みたいな大きな意味では、人間の文明が消えてなくなることはないと思う」

“……ということは、小さな意味では消えるかもしれない、とイユは言いたいのね”

「そうだね。例えば一般市民の生活や、そこに根付く娯楽。画一化された集合住宅の様子や、これといった特徴のないビル。言い換えればプライベートに関わってくるようなことが、未来に残らない可能性がある」

“でもそれは、あまり踏み込むべきでは……”

「いいや」


 ぼくは弓依の言葉を制した。


「確かにそんなに大事には思えないかもしれないけど、その時々の一般市民の生活は、いわば機械のネジのようなものだよ。一見欠けていても成立するように見えて、実は根幹に関わっている。しかもその時代に生きる人間はそれが当たり前だと思っているから、わざわざ記録に残そうとはしない」

“……なるほど。それを地球外生命体のあなたに説明されるのは、少し不思議な気分ね”

「本来ならば、弓依の方が理解しておくべき話だね。きっと歴史学者や民俗学者の間では、周知の事実だと思うよ」


 もちろんこんな話を口を開いてするわけにはいかないから、弓依とは心の中で会話する形をとっている。並行して数学の授業を聞き、ノートを取らなければならないから大変だが、慣れればそれほどでもない。今日もぼくは六限まできっちりと授業を受け、帰路につく。


“それで、どうするの。一般市民の生活を記憶していくのなら、世界一周をする必要がないのは分かったけれど”

「いいや。ある意味では、世界一周をする必要があるよ。日本の一般市民の生活だけが全てじゃないからね。もしぼくに仲間がいれば、それほど苦労はせずに済んだかもしれないけど」


 ぼくはそう言いながら、やはりまだ裏切られたことを引きずっているんだな、と痛感した。弓依や鴨山とじっくり話して、だいぶ落ち着いたように思っていたのだが。この傷はきっと、ぼくが生きている限り永遠に残る。


「……冗談はさておき。今はなるべく多くの人を集めたいね。戊辰会のメンバーをもう一度集めるのはどうかな」

“ええ……頑張ればできるとは思うけど。詳しいスケジュール調整は鴨山がやってくれているわ。頼んでみましょう”

「分かった。各々(おのおの)の都合もあるだろうけど、今月か来月中には集められるといいね」


 リミットは案外近い。人を集めるのに時間をかけている場合ではないのだ。

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