2125/05/07-1 底なしに沈む
ぼくには何もできない。
放っておけば数年も経たないうちに、人類は滅亡する。ぼくたちやぼくたちの分身に殺され、擬態される。表面上は人間の数が減っていないように見えても、それはまやかしだ。
「……ぼくに、何ができる?」
半年に一度の戊辰会総会から、二日経っていた。この間、ぼくはろくに動くことすらしていない。ベッドに仰向けになって、ずっと宙を見つめている。食事すら、まともにとっていない。心配した鴨山が時々部屋を訪れてくれるのさえ、まともに応対できないでいた。
「人間から返答があったと知っていれば、ぼくは絶対に人類を滅ぼすなんて選択はしなかった。その返答が、どんなものであれ」
”人間の存在を脅かさないのであれば、ぜひとも共存を検討したい……それが、人間側の返答よ”
「それなら、なおさらぼくはその通りにした。ぼくが、だまされることさえなかったなら」
昨日だったか、今日だったか。鴨山が部屋に来た時、ラジオをつけた方がいいと教えられた。テレビなんてこの地球ではとうの昔に廃れてしまったみたいだが、ラジオは今なお現役だ。ぼくが鴨山の言う通りにすると、いきなりアナウンサーが慌てた声でニュースを伝えた。
『東京・渋谷区で、路地裏に二十人分の遺体が無造作に積み置かれているのが発見されました。警察が身元の特定を急いでいます』
二十人とも即死で、肩にかぶりつかれたような跡がついていたという。
「……そんな」
ぼくの仲間の仕業に間違いなかった。ぼくも弓依を殺す時、そうしたのだから。
「その気になれば、こういうこともできるっていう見せしめか」
ぼくたちは人間を殺して擬態した後、その遺体は見つからないように隠している。弓依の遺体も、九條家の管理する土地に火葬され埋められている。人間の弓依が死んだことをうかがえるのは、もはやこの屋敷の弓依の部屋だけだ。遺体をわざわざ報道されるように放置したということ自体が、ぼくに対する挑戦だった。
「……弓依」
”……”
「知っていたら、ぼくは弓依を殺すこともなかった。鴨山に、余計な苦労をさせずに済んだ。どんな事情があっても、ぼくが弓依を殺してしまったことは重大な罪だ」
心の中に生きる弓依は、何も答えなかった。答えてくれなければ、何も分からない。弓依が怒っているのか、悲しんでいるのか。ぼくには弓依の今の気持ちを推し量ることさえ、許されないらしかった。
「……お嬢様」
ぼくの沈んだ気分につられるようにして、鴨山の声も暗くなっていた。アンドロイドの鴨山に感情はあるのだろうかと、ふと考える。いや、アンドロイドに感情がないとされる時代は、とっくの昔に終わったのかもしれない。アンドロイドも人間と大差なくなっているからこそ、弓依を殺した時に駆けつけた鴨山をぼくは人間だと思ったのかもしれない。
「鴨山、ぼくはどうすれば……」
「お嬢様。……星を、見に行きませんか」
何を思って鴨山がぼくを誘ったのか、ぼくには分かりかねた。それは唐突で、弓依から引き継いだ記憶を探っても、毎年この時期になったら星を見に行くというような習慣はなかった。
「……うん」
それでも、ぼくはそう言うしかなかった。鴨山の誘いにすがれば、何かこの状況を打破できるヒントが見つかるかもしれない。そう考えるので、精一杯だった。
鴨山はぼくを助手席に乗せて、黙々と運転を始めた。どうやら目的地はそれなりに遠いところらしい。ぼくは久々に見る外の景色を、何となく流し見する。ぼくたちのような未知の生命体に、この惑星が侵されつつあるという事実を示すものは何も見つからない。至って平和な光景が、そこにあった。
「……お嬢様」
話すことが何もなかったから、車内は沈黙に包まれていた。それを破ったのは鴨山だった。もう出発して、三十分近く経っていた。
「わたしはあなたを今後も、許すことはないでしょう。わたしの主人である弓依お嬢様を殺したことを、わたしは忘れません」
「……忘れてもらっちゃ困るよ。ぼくを、九條弓依そのものと捉えるようになったらおしまいだ」
「……ですが」
鴨山はあくまで運転に集中しながら、ぼくに話しかける。一呼吸おいてから、鴨山は言葉を継いだ。
「あなたが心を改め、人間を守ってくれるというのなら、そのお手伝いをさせてほしいのです」
「……それは、ぼくに対する同情?」
「いいえ」
鴨山は間髪入れずにぼくの言葉を否定してから、左手で眼鏡を押し上げた。
「わたしには、弓依お嬢様の身を守ることすらできなかった……それをわたしは、今後ずっと悔やんでゆくのでしょう。わたしはアンドロイドです。次のメンテナンスは十年後。ですが、このままのペースで人類があと十年も生き延びさせてもらえるとは、わたしには思えません」
「そうだね。ぼくたちの擬態、分身が増えるほど、人間の数の減少は加速してゆく。早ければ、もうあと一年ももたないかもしれない」
「あなた以外の悪意ある個体たちに地球が占領された時、わたしはメンテナンスをまともに受けられるとは思っていません。……まだ地球が人間の支配下だった頃の記憶を持っている。それだけで、記憶を全て消されて解体されてしまうかもしれない。わたしは解体されただの金属の塊と成り果てるその瞬間まで、後悔を抱えて生きていくことになります」
けれどあなたは違う、とまで鴨山は言い切った。
「……そんなの、鴨山が決めることじゃないだろ」
「ええ。違うかもしれません。後悔するかしないかなんて、他人が決めることではないかもしれない。それでも、お嬢様には後悔して、うつむいてばかりいてほしくないのです。……たとえ今のお嬢様が、わたしの知る本当のお嬢様でないとしても」
「……」
車内の空気は重いのに、車は変わらず進み続ける。いつしか日が暮れ始めていた。だだっ広いだけで車通りのほとんどないその道は、何かにぶつかる心配などまずないと言えた。ぼくは左肩から腰にかけて締められたシートベルトを、何とはなしにいじることくらいしかできなかった。
「……お嬢様の姿を借りて生きていく以上、わたしはそのことを約束していただきたい」
それを最後に、鴨山がもう一度黙ってしまった。さらに一時間くらいして、鴨山が少し広めの駐車場に車を停めた。岬近くに作られた展望台が、目的地らしかった。