2125/04/24 弓依の自我
”あくまで、私のイメージを崩さないように行動してほしいの”
「死んでまでそんなことを気にするなんて。大したものだよ」
”あなたの中では死んでいても、私は今ここにいるの。私の姿で外を歩く以上、私の言うことは守ってもらわないと”
「なるほど。鴨山が弓依に擬態したのは失敗だと言っていたけれど、どうやら本当だったらしい」
”それはどういう意味か、説明してもらえるかしら”
「そのままの意味だよ。君が非常に面倒な性格をしているってことだ」
ぼくが弓依を殺し、擬態してから二か月半近くが経過している。二か月半もあれば、無性生殖で個体数を増やし、何人もの人間を殺して擬態することができるはずだった。だが、実際のぼくは弓依以外、いまだ一人も殺していない。
九條弓依は高校生だ。彼女自身が死んだ後も、ぼくは彼女の代わりに高校に通い続けている。同級生たちを何度殺したい、自分の分身を擬態させたいと思ったか分からない。でもぼくは、それを鴨山や弓依本人に封じられている。
”それにしても。あなたと同じ地球外生命体が、千体いるのよね”
「まあぼく以外の個体は着実に人間を殺して乗っ取るのを進めているだろうから、その数はもっと増えているに違いないけどね」
”そう考えるとあなたは随分大人しい、ということかしら”
「大方、君が雇っている鴨山のおかげだよ」
おかげ、と言ったが、もちろん皮肉だ。ぼくがこの二か月半の間、本来の目的をこれっぽちも果たせていないのは、紛れもなく鴨山のせいなのだから。鴨山が普通の人間だったなら、ぼくもこんな目には遭っていなかっただろう。この先ぼくがどれだけあがこうと、鴨山には勝てない。鴨山を殺すことはできない。そんな雰囲気を、あの時に感じた。
「本当は弓依の自我だって、あの時に殺そうと思っていたんだ。本人を殺して乗っ取ったのに自我が残っているのは、完全にぼくの落ち度だからね」
”でも、殺していない”
「なぜだろう。弓依を完全に殺せば、ぼくものびのびとやれるはずなんだけど」
弓依の自我が残っていると分かった時はさすがに動揺した。その隙を狙っていたかのように、鴨山から条件を提示された。ぼくがまるで弓依であるように振る舞いさえし、九條家を守りさえするならば、少なくとも鴨山がぼくを手にかけることはない。鴨山に勝てない以上、ぼくは条件を呑む他なかった。
「今思えば、無性生殖を繰り返して、他の人間を殺して擬態するのを続けても、鴨山はぼくを止められないわけか」
”それは九條家の者としてふさわしい行動かしら?”
「少なくとも今の九條弓依にとってはふさわしい行動だよ」
”あなた、口が立つのね”
「ぼくたちは少なくとも、人間と同等かそれ以上の知性を持ち合わせているからね。他の個体との意思疎通の手段が、言語じゃないだけだ」
ぼくたちは人間に擬態することによって、事実上本人の精神を乗っ取って寄生する、という形をとる。しかし記憶や語彙力を本人から引き継ぐ一方で、口癖や仕草の癖などの細かい情報までは受け取れない。それでも仲間たちはなるべく生前の行動の癖を再現して、うまくやっているようだが、ぼくにはそれができない。単純にぼくはぼく、という意思が強いのだ。だからぼくは九條弓依の姿を借りながら、ある程度好き勝手にやらせてもらっている。
”言語じゃないって……じゃあどうやって?”
「大方、世間が予想していた通りだよ。人間の脳に近い役割を果たす構造をぼくたちも持っている。そこで高周波数の電磁波を使って、意思疎通をしているんだ。もちろん、ラジオなんかでは拾えない域だけどね」
”高周波数の電磁波を傍受できる装置は、人間にも設計可能だと思われるわね”
「ムダだよ。電磁波を傍受して、そこに何らかの情報が埋め込まれていることまでは分かるかもしれない。けれどその先の解読には、人間に理解できない方法が必要だ」
この二か月、ぼくは好き勝手にやっているが、九條弓依のイメージが崩れることはなかった。そもそも彼女は地球外生命体について詳しく、ぼくたちの生態についてかなり正確に当てられた時は、ぼくも思わずない舌を巻いた。しかしやはり一般の人間にとっては、地球外生命体というのはオカルトの域を出ないようだ。弓依は親しい友人を数人作ってはいたが、その他大多数にはお近づきになりにくい変人お嬢様、という認識をされていたらしい。だからいつの間にか弓依の一人称が「私」から「ぼく」になっていることを気に留める人は、ほとんどいなかった。
「弓依、そういえば最近なんか変わったね。イメチェン的な感じ?」
もっとも、弓依の親友である七道実玲は、気に留める側の貴重な人間なのだが。彼女は同じクラスの隣の席。休み時間のたびにどうでもいい話をよくしている。
「ううん、変わってないよ。強いて言えば、もう少しフレンドリーにみんなと接してみたいとは思ってるかな」
「それは変わったっていうんじゃない? ちょっと前までの弓依って、なんか冷たくて下々の者たちとは付き合ってられない、って雰囲気出してたし」
「そうだったっけ?」
どうやらぼくの下調べ情報以上に、弓依は厄介な性格らしい。鴨山に言われるのであればともかく、友人にそう言われるのはどうかしている。
「そうよ。実際鴨山さんの愚痴とか、世間話とか。何でもないことを話すのって、私くらいでしょ」
「……そうだったね。プライベートのことまで、実玲以外に話す気にはなれないかな」
「でしょ? 私、すごく嬉しいの。私も弓依に初めて会った時は、他のみんなと同じような印象だったし。話しかけに行くのも勇気が要ったけど、弓依が気さくな子で助かったなって」
ぼくはまじまじと、実玲のつやつやした顔を見つめる。何の感情も乗せずに、ただ見つめる。その意図を読み取りかねたのか、実玲はきょとん、と首をかしげてみせた。若干のあざとさがうかがえるその仕草すら、かわいらしい。ぼくは実玲から、人間の女の子の純粋さや素直さ、無邪気さ、それから艶やかさといった情報を受け取る。次に作り出す皮膚は、少し実玲のそれを意識してみようかと考えた。
「……ごめん。少し、トイレに行ってくるよ」
「うん。行ってらっしゃい」
最後は実玲の表情を見ずに、教室を出てトイレの方向まで走った。ないはずの心臓の辺りを押さえて、ぼくは息を整えトイレの隣にある階段の踊り場でうずくまった。
「……殺したい」
ぼくはぼくの中にいる弓依だけに届くような小さな声で、つぶやいた。自分でも分かる。ぼくは今、すごく興奮している。弓依を殺した時以来の、身体が張り裂けてしまいそうなほどの高揚感。
”落ち着いて……!”
「落ち着いていられないよ、こんなの……そもそもぼくは人間たちを殺すためにこの星に来たんだ……存在丸ごとぼくたちを見下し、真っ当な交渉を拒絶した人間たちを! この二か月、ずっと我慢していたけれど、やはり無理だ……実玲のような完璧な人間こそ、ぼくが一度は殺してみたかった人間なんだ……!」
ぼくは何のためらいもなく、右腕を触手に変化させた。刃物のように鋭いこの触手の先で実玲を貫いたなら。想像しただけで触手が震える。同時に、人間に対する怒りがふつふつと沸き上がる。
「ねえ、殺してもいいよね? 弓依の親友といったって、その弓依はもうこの世にはいないんだ。強いて言えば自我が残っているくらい。でもそんなちっぽけなものなんて、今すぐにでも消してやれる。ぼくの分身を、あの子に擬態させてみたいんだ……」
「……弓依?」
突然の声で我に返った。ぼくはおそるおそる、声のした方を見上げる。目の前に実玲その人が、呆然とした様子で立っていた。
「どうしたの、その腕……」
「……これは」
変な間が空いてしまったせいで、ぼくはタイミングを見失った。そうだよぼくはエイリアンなんだ、と自らの正体を明かして、そのまま実玲を殺してしまってもよかった。けれど実玲の怯えるような痛い視線が、ぼくをその場に縛りつける。
「……ごめん、実玲」
どうすればいいか分からなくて、ぼくはとりあえず謝った。何に対して謝っているのかも分からず。
「……そうだよ、どうして分かんなかったんだろ、私……なんか変だとは、思ってたんだよ……最近、いつもの弓依じゃなくなったって、思ってた」
「ぼくは弓依の擬態だ。弓依にそっくりのエイリアンに過ぎない」
「……弓依は、死んだの」
「ぼくが殺した」
実玲も薄々勘づいていたのだろう、ぼくがそんなことを言っても落ち着いた様子だった。しかしそれでも、驚きが垣間見えた。
「……弓依。いるんでしょ」
「……!!」
直後、実玲があり得ないはずのことを口にした。弓依が殺されたのなら、弓依はもういないはずなのに。そこにいるのが当たり前であるかのような言い方だった。そして実際に、弓依はぼくの中でまだ生きている。
”実玲……何が言いたいの”
それはぼくも言いたいことだった。しかし弓依の声は、ぼくにしか届かない。
「人間の弓依は、今もぼくの中で生きているよ」
「今のあなたには、弓依以外の人間を殺す意思はない。そうでしょ」
「……そうだとしたら?」
「全部、聞いてたの。私もどうしてかは分からないけど、あなたの後をつけてた。確かにあなたは私を殺したがっていた。でも、声が上ずってるというか、熱にうなされてるようなつぶやき方だった。少なくとも、本当に心の底から私を殺そうとは思ってないような言い方だった」
「そんなはずはない。ぼくは実玲を殺したい。殺してやり……」
本当にそうだろうか?
ぼくの思考にそんな邪念が割り込んでくる。ぼくは実玲を殺したいのか?殺して擬態したとして、楽しいのか?ぼくはどうして、実玲を見てそんなことを思ったんだ?
正直に迷いを顔に出してしまったぼくに、実玲が突きつけるようにして言った。
「五月、五日。この日は家にいるようにして。鴨山さんも分かってるはずだけど。……あなたに、見せたいものがあるの」