2125/12/11-2 見とれた理想と、迫る現実
「またずいぶんと、大人しそうな女を選んだな、イユ?」
「……弓依にもらったその名前を呼ばれて嫌な気分になるのは、これが初めてだよ」
「なに、気にするな。俺もクレイと呼ばれているが、この名前は好きじゃない。むしろ嫌いな部類だ」
この女を殺した時、娘が粘土で遊んでいたからこの名前をつけた、とクレイは言う。
「自分で決めたんだろう」
「ああ、そうさ。俺が適当に名付けた。が、名前を変えようとしないあたり、案外気に入っているのかもな」
本当の名前は別にある。が、今擬態している人間の口の構造では、発音できない音が含まれている。だからぼくたちは互いをイユ、クレイと呼ぶことで了承した。
「……実玲をどうするつもりだ」
「そう焦るな。あの人間たちはこの女を殺すと脅したが、俺はまだ言っていないぞ」
クレイがさっき殺した四人の男を、ゴミでも見るような目でにらむ。少し血が流れて、部屋には鉄のような臭いが若干漂っていたが、そこまで濃くはない。弓依を殺す時に散々血を部屋に飛ばしてしまったぼくとは違って、クレイの殺し方は上手いらしい。
「イユ。お前は人間に味方して、人間が作り上げた文明をどこか他の星に持ち出そうとしているそうだな」
「……」
「否定する必要はない。俺の予想ではあるが、ほとんど事実確認のようなものだ。お前が俺たちにだまされていたことを知って、そこから何をするか、お前の考え方や性格を鑑みれば想像はつく」
「……別の星で文明を生み出そうなんて、なかなか突拍子もない考えだと思うけどね」
クレイは昔から、そうやって他の奴の考えていることに対して妙に聡かった。だからこそ、どんな戦い方を仕掛けてくるかを読んでいて、ぼくも対処するのに苦労したのだ。それでもぼくの方が何とか勝ち越せていたのは、運によるところが大きい。
「まず初めに言っておくが。俺はお前の裏切りを、とがめるつもりはない」
「……え?」
「人間を殺せ、地球を乗っ取れと命令したのはお前だが、それは謀られてのことだ。自らの過ちに気づいて、俺たちと違う行動を取り始めても、お前の元来の考え方に即していると俺は思う。だからとがめない。そういうことだ」
「なら、どうして」
「ただ」
ぼくを実玲と一緒に捕まえたのはなぜか。そう問う前に、クレイが言葉を重ねる。
「俺には理解できない。どうしてそこまでして、人間を守ろうとする?」
「……それは」
「人間の味方をする、そう宣言しただけで、お前は何十億もの存在を敵に回すことになる。そんな危険を冒してまで人間を守り、その文明を引き継ごうとしているのはなぜだ?」
「……人間たちは、ぼくたちが持たないどころか、考えつきもしなかったものをたくさん持っている。文明そのものだってそうだ。失うには惜しいものが、あまりにも多い。そして君たちはきっと、人間を殲滅した暁には文明を一新させる。記録もまともに残さないだろう」
「それは正しいかもしれないな。結果として、俺たちは人間を一方的に滅ぼそうとしている。それも、相当暴力に訴える方法でな。人間が地球で幅をきかせていた頃の記録を絶対に残すとは言い切れない」
「だから、だ。ぼくはこの宇宙に、人間の文明という高度に発達したものがあったという記録を残したい。何の罪もない人間が殺されるのを見るのが耐えられない。殺され擬態されて、その人の記憶を持ちながら好き勝手されるのがいいとは、ぼくは到底思えない」
「……なるほどな」
実にお前らしい、とクレイは短く言う。ぼくに考えを改めろ、というつもりはないようだった。ぼくも確固たる思いを持ってこれまで行動してきたから、それも当然かもしれない。
「少なくとも俺は、ここでお前の裏切りをもって殺すようなことはしない。地球の外でも同程度の文明を作り出せると思うなら、やってみるといい」
「……なら、なぜぼくたちを捕まえた」
「知っているか。お前以外の全員、お前の裏切りを疑っていることを」
「……!」
音沙汰がないのに違和感を覚えてはいた。それはリーダーであったぼくから何かメッセージを発しなかったからでもあるのだが、それにしてもクリスマスの日に一斉に人類を滅ぼすというあの宣言以来、誰からもコンタクトがなかった。世間話の一つや二つ、してもいいはずなのに。
「ここでお前とこの女を解放したとしよう。お前は俺たちが地球に来るために使ったあの船で、地球を出ていくことを目指すだろう。しかし今のままでは確実に勘づかれる。二人まとめて殺されると見て、まず間違いない」
「……じゃあ、どうすれば」
ぼくはそう言ってから、はたと気づく。クレイがぼくに、何をさせようとしているのかを。それが顔に出ていたのか、クレイが軽くため息をついた。
「そうだ。お前が今ここでこの女を殺せば、裏切りの疑いも少しは晴れるだろう。どうせお前のことだから、擬態するのに使ったその姿の女以外、人間を殺していないに違いない。一年近く経ったにも関わらず二人も殺していないとなれば、疑われても仕方ないからな」
「……でも、」
「どのみち、この女を人間のまま連れて地球を出ることはできないと分かっていたはずだ。今ここで殺すか、後で追い詰められながら殺すか。それだけの違いだ」
「”それだけ”じゃない」
「……ほう」
「実玲はぼくにとって、そんなに簡単に殺していいって思える存在じゃない。実玲には何度助けられたか分からない……弓依と同じくらい、いやそれ以上、ぼくに寄り添ってくれた……ぼくが人間の皮をかぶっただけの化け物だって知っても、なお変わらずに接してくれた。ぼくにイユって名前だってくれた……! そんな恩人を今ここで殺すなんてできない……ぼくには、できない!」
「だったら、今ここで俺に殺されるか? どうせ外に出て人間の味方をしていることがバレれば、その場で殺される。だったら外見も中身も見ず知らずの奴より、まだ中身を知っている俺に殺された方がマシだろう?」
「……っ」
結局ぼくだって、覚悟の一つもできていなかった。いざその時が来れば、実玲を殺すと言っておきながら。本当にそうしなければならなくなった時、何とかしてぼくはこの緊迫した場から逃げ出そうとしている。逃げ出すことなんてできやしないのに。逃げ出しても何も変わらないというのに。
「……人間は醜い生き物だ。殺そうとまで思わなくても、醜いとは感じただろう?」
「……」
「自分が得をするためならば、平気で人をだましあるいは殺す。あの四人を見たか? 俺が少し生き残れると吹聴すれば、すぐに従順になった。生き延びるためならどんな犯罪だってやってのける。元々そんな荒くれ者とは程遠い性格の連中だったにも関わらず、だ。お前はそういった人間を、一人も見てこなかったのか? 人間は素晴らしい存在だと、そう思っているのか? そんな人間の文明は継承するに足るものだと、本気で……」
「……うるさい」
地球に来て、初めてイライラした気がする。ぼくたちが送ったメッセージが無視されていた、と勘違いしたあの時は、イライラを通り越していきなり爆発した。だから、これが初めてだった。ぼくはクレイの言葉が正しい、少なくとも間違っていないと理解していて、それでもなお苛立っているのだ。
「そんな醜い人間に出会ったことはない。幸か不幸か、ね。それでもぼくは分かってるつもりだ。その上で、人間の文明はこのまま失うわけにはいかないと思ってる」
「分かっていれば、お前はもっと早く地球を脱出していたはずだ。地球に環境の似た惑星を探す作業など、とうの昔に終わっていただろう? 例の家にいた内気な奴の記憶を引っ張り出した時、そんな情報があったからな」
「……レイミを殺したのか?」
「そうだ。お前たちがどこへ行ったのか探るためにな。なかなかお目当ての記憶を探し当てるのには苦労したが、何とか見つけられた。……もう少し早く地球を出ていれば、こうはならなかったはずだ。もっとこの女と話をした上で、道を選べたはずだ。違うか?」
「それは……」
ぼくの周りの事情なんて、ほとんど何も知らなかったはずなのに。クレイはこの何か月もの間ぼくが悩み続けてきたこと、ぼくが決断してきたことを、全て見てきたかのような口ぶりだった。それが苛立たしいはずなのに、言い返せなかった。クレイが言っていることは、正しいのだ。ぼくにとっては、都合の悪い話ばかりだった。
「何度も言うが。俺はお前を殺したいとは思っていない。俺が残酷に見えるかもしれないが、お前が現状選べる道を、改めて示しているに過ぎない。今ここで殺されるか、お前の手でこの女を人間でなくすか。俺たちに逆らって人間の味方をするなら、お前にはこの二つの道しかない」
だからこそ、クレイはぼくに現実を見せてくれているのだ。人間やその文明が抱えるいくつもの問題に向き合っているようで、ずっと理想にばかり見とれてきたぼくに。そもそも理想ばかり見ている、ということにすら気づけていなかったぼくに。
「……クレイ」
「……」
「一時間だ。ぼくにあと一時間だけ、時間をくれないか」
「……好きにしろ」
クレイは吐き捨てるようにそう言って、部屋を去っていった。クレイがいた場所の後ろには、一向に目を覚ましそうにない実玲が横たわっている。穏やかな顔だ。ぼくがどうしようもない現実を見せられていることなど、まるで知らない。知る由もない。これからも。
「……実玲」
ぼくは実玲の側にしゃがみ込んで、その手を取ってつぶやく。祈りをささげるように、しばらくぼくは目を閉じて、実玲のことを思う。




