2125/12/09 最善の選択
「……鴨山さん」
「大丈夫だよ。鴨山ならきっと、平気な顔をして帰ってくるさ」
鴨山がぼくに言い残したこと。どうかご無事で、という言葉の意味が分からないぼくではなかった。鴨山は九條本邸に戻ったところを、奴らに襲撃された。九條本邸はすでに奴らの手に落ちていて、レイミは脱出してどこかにいるのか、それとも殺されてしまったのかは分からない。そこにいない、ということだけが分かっていた。
「このままここにいて、大丈夫なのかな」
「たぶん、むやみに外に出る方が危険だ。ぼくはまだしも、実玲が人間である以上はね」
鴨山が乗ってきた車を調べるなりなんなりして、すぐにでもこの別荘の場所を突き止めてやってくるだろう。外で奴らがどれほど動いているかも分からない。家に残っていた方が、食糧もある程度残っているし、生き延びられる確率は高いだろう。そう考えていた。
「でも、もう二週間経つよ……」
「……予想外だった。なりふり構っていられないのも、確かだ」
鴨山が余分に食料品を買い込んでくれていたとはいえ、さすがに二週間はもたなかった。無理のない範囲で節約したつもりだったが、すでに食料は尽きかけていた。これ以上迎え撃つと言って、ここにこもるのも限界だった。
「どのみちこのままここにいても生き延びることはできない。幸いお金ならある。逃げるかい」
「……うん」
あくまで、実玲の判断に任せる。それは肝心なところで選ぶべき道を誤った時、実玲のせいにしたいからではない。狙われているのは、人間だと確定している実玲だ。人間に味方するぼくがいることを、向こうが知っているかどうかは分からない。しかしどう転んでも、実玲がターゲットにされているという事実が揺らぐことはない。それなら実玲自身が、生き延びるための方法を選ぶべきなのだ。
別荘にはもう一台車が置いてある。この辺りを動き回るための、小回りが利く小さな車だ。ぼくは運転席に乗り込んで、エンジンをかける。
「ぼくも鴨山の運転こそ見たことはあるけど、自分で動かすのは初めてだ。あまり乗り心地は保証できないけど、いいかい」
「もちろん」
弓依の記憶から、この別荘がどのあたりにあるか、本邸からおおよそどの方角に向けてやってきたのかを知る。そして同じ方角に向けて車を走らせる。初めは案外繊細なハンドル操作に苦労したが、しばらく動かすと慣れてきた。
「どこに行くの」
「あてはあるかい? 今はひとまず、どこへ行くことになってもいいように走っているつもりだけど」
「私の親戚が、この近くに」
「やめておいた方がいい。実玲がターゲットになった時点で、親族や知り合いは一通り襲われていると考えるべきだ。あるいは、もっと前に死んでいる可能性もあるけどね。それか、弓依とぼくのように、死して擬態されてもなお自我が残るほど、強い意思の持ち主に心当たりがあるなら、話は別だけれど」
「……そっか」
ぼくは少々言葉を並べすぎたか、と反省する。どれも事実には間違いない。でも実玲の気持ちを考えれば、言うのを控えるべきだった事実もある。人間と付き合っていくことが難しい理由の一つでもある。
「……ごめん。言い過ぎた」
「いいよ、大丈夫。きっと本当のことを、全部伝えてくれたんだっていうことは分かってるから。分かってる、つもりだから……」
後部座席に座る実玲が、ついにうつむいてしまう。初め車に乗り込む時、実玲に座るよう勧めた助手席は空だった。どうして断ったのか、ぼくには分からない。実玲はただ、後部座席の真ん中に座って、寂しそうな顔をしていた。
「……あと、二週間足らずだ」
ぼくは何とか実玲との間に流れる空気を変えようと、そうつぶやく。つぶやいてから、クリスマスまでほとんど日がないことを改めて思い知らされた。
「……その日を迎えるまで、こうしてあてもなく運転しながら過ごすこともできる」
「……このまま一日でも早く、地球を出ることは考えなくていいの?」
「それは、実玲が助からない」
とっさに言葉が出る。ぼくは結局実玲を守りたかったのだ。もう地球の文明に関する知識を吸収するとか、そういう段階はとうの昔に終わっている。ぼくは実玲の言う通りに、もはやいかに安全に地球を脱出するかを考えるべきなのかもしれない。それでも、簡単に決断ができなかった。
「……もう、いいのかも」
「実玲……?」
「私、ギリギリまで人間のままでいることに、ずっとこだわってた。イユちゃんになら殺されてもいい、なんて言った時でさえ、覚悟なんてこれっぽっちもできてなかった……実際は生きることを、少しも諦めてない。勇気があるんじゃなくて、往生際が悪いだけ」
「実玲が人間のままでいるというのは、ぼくの願いでもある。実玲には、何も責任はないよ」
「それでも。今こうなってるのは、私が人間のままだからなんでしょ? 私が死んでないせいで、イユちゃんも危険な目に遭ってる。イユちゃんはそう言っても、ぼくが危険な目に遭うのは全く構わない、なんて言うかもしれない。でも、弓依も一緒に死んじゃうかもしれないのを分かってない」
「……!」
意識はしているつもりだった。ぼくが死ねば、弓依も同時に自我を失う。弓依が持っていたはずの記憶は永遠に失われ、二度と再現されることはない。普通の人間なら当たり前の現象であるはずのそれが、人間ではないぼくという存在を挟むことで急に特別になる。ぼくは弓依のために、そう簡単に死んではならないのだ。
「でも、……実玲が今ぼくに殺されたとして。それでぼくが死なずに済む保証は、どこにもない」
「ないかもしれない。けど、人間のニオイを感じ取って私たちを襲ってきてるのだとしたら、私たちは平穏に暮らせるかもしれない。それに私がイユちゃんについていきたいって言っても、その願いが叶う。私は、……死ぬことさえ、乗り越えれば。最善の選択だって、思っちゃうの」
死ぬことが最善の選択なんて、おかしな話だ。きっと世界がこんなことにならなければ、一度笑い飛ばして終わりだった。死んで終わるだなんて、考えられる限り最悪の選択のはずなのに。もう二週間もすれば人間が滅んでしまう、その事実を前にすれば、最善へと変わってしまう。
「……実玲」
その時だった。ボンッ、と爆発に似た音がごく近くで鳴り響いた。ぼくは実玲と話す時も無論前を見ていたが、音のした方向は分からずに少し目線を泳がせた。
「あれは……?」
目線の先に、突然トラックが現れる。まるで制御ができていない。車線なんてものに一切構わず、まっすぐぼくたちの車に向けて突っ込んできた。
「実玲……っ」
ぼくにはそう叫ぶくらいの時間しかなかった。直後、経験したことのない衝撃が全身を襲う。
 




