2125/11/25 別荘での暮らし
結果として、別荘に避難する作戦はうまく働いてくれた。ぼくも実玲も学校には行けなくなってしまったが、特に不自由ない生活を送れていた。
別荘の名にふさわしく、周りには同じような目的で建てられたのだろう家がぽつぽつとあるばかりで、至って静かなところだった。ぼくの元仲間がどこかに潜んでいる、という気配さえ感じられなかった。
「ただいま、戻りました。お昼にいたしましょうか」
「そうだね。ちょうど映画もきりよく終わったところだ」
ぼくも実玲も不用意に外出できない。食材の買い出しや外での用事は全て、鴨山がやってくれた。その間ぼくたちは別荘に置いてあった本を漁ったり、映画を見たりしていた。特に映画の方は、鴨山に月額いくらで見放題のサービスに加入してもらって、数えきれないほどある映画を目についたものから順に見ていった。一日に何本見ているのかもはや数えられないが、それでもクリスマスの日までに全部見られないのは間違いない。実玲はその生活を楽しんでいるようだったし、ぼくも本を一人で読むよりよほど知識を吸収できているような気がした。
「……あと、一ヶ月か」
「外出の際には周りの様子をうかがっているつもりですが、特に変わった様子はありませんね」
「そりゃそうだよ、彼らは人間そのものに見えるように、記憶まで引き継いで擬態しているんだから」
「それでも、です。すでにほとんどが人間でなくなっているとは、到底思えません」
「……彼らは着々と侵略を進めていると思うんだけどね」
鴨山は外に出る用事全てを引き受けてくれている。しかしできるだけその回数が少なくなるように、ぼくたちは節約に努めていた。そのおかげか、別荘に移り住んでからの約一ヶ月、危ない目に遭うことはなかった。
「お嬢様と七道様の高校の皆様は、どうされているのでしょうか」
「どうせあの中にもすでにいくらか犠牲者がいただろうさ。実玲のお父さんとお母さんが襲われなかったとしても、実玲が殺されるのは時間の問題だった」
時間の問題で言えば、今ぼくが守っても、クリスマスまでには死んでしまうのだが。それでもぼくは、実玲を何とかして守りたいと思っていた。
「ぼくと実玲が同時にいなくなっても、二人とも犠牲になってしまった、そう考えるのが妥当だろう」
「……だと、よいのですが」
学校に行かなくなっても、時々実玲は勉強がしたい、と言った。ぼくはどうせすぐにそうも言っていられなくなる、と思う一方で、実玲の考え方を支持した。どんなに切羽詰まった状況でも普段通りに振る舞うことが、人間らしいと感じたからだ。
“……あと、一ヶ月なのね”
「……そうだね」
とてもそうとは思えない。それほどこの別荘周辺は静かで、異形の気配を感じない。夏休みに避暑地にやってきた、そんな感覚だ。だから時間がないようで、ぼくは以前より落ち着いていた。
「映画はいいよ。一人で本を読むより、ずっと多くのことを吸収できる」
「イユちゃんが楽しそうで、私も嬉しい」
初めの方こそ映画の見方がよく分からなかったが、映画を見て実玲とここのシーンがどうだった、と話をするのを重ねるうちに、それが楽しいことだと思うようになった。同じ映画を同じタイミングで見ることが大事なのだとぼくは知った。
「……このまま、クリスマスにならないかな」
「だと、いいんだけどね」
それは問題を先延ばしにしていることに他ならない。実玲を人間のまま地球から一緒に連れ出すのか、そもそも連れ出すにしても実玲だけでいいのか。もっとも、どれだけ準備したとして、当日になれば慌ててそれどころではないのは目に見えているのだが。
「クリスマスにイユちゃんが地球を出ていくとしたら、私は人間じゃいられないんだよね」
「そうだろうね。実玲だけを人間のまま残すようなことが許されるとは、到底思えない」
「じゃあやっぱり、死ななきゃいけないんだ」
「心配は要らない。その時は、ぼくの手で」
そのことに関しては、実玲も知っている。ぼくが実玲を殺した時は、まだ九條家に残っているレイミが記憶と容姿を受け継ぐ。今のレイミは極度のインドア派で、ぼくたちが今いる別荘に逃げてきた時も、住み着いた部屋に愛着があるからと理由をつけて一緒に行くのを断った。若干だがレイミには実玲の面影がある。残すのはまずいと思うのだが、この一ヶ月特に危ない目には遭っていないらしい。
「鴨山。さすがにこれ以上レイミを向こうに残すのは危ない。多少無理やりにでも、連れてきてくれないか」
「承知いたしました。往復しますので、帰りが遅くなると思われますが」
「構わないよ。お腹が空いたら、各自で何か作って食べるから」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
鴨山はすぐに立ち上がって、車を出しに行った。ぼくたちが食事を終えるまでの間に、エンジンをふかして去っていく音が聞こえた。
「早いね、鴨山さん」
「ぼくとしても、鴨山に早く行動してもらうのは助かるからね。何かあった時、鴨山は非常に頼りになる」
何だかんだ言って、ぼくは弓依を殺した時のことを引きずっている。一緒に殺すはずだった鴨山がまさかアンドロイドで、ぼくには殺せない存在だとは知る由もなかった。鴨山は家事をそつなくこなす九條家の使用人でありながら、いざという時の戦闘員としても立派な務めを果たしてくれる。もっともぼく自身がそれなりに戦闘できるから、鴨山の出る幕はこれまでなかったのだが。それでも数で攻めてこられたら、ぼくにはどうしようもない。その時に鴨山が一緒に戦ってくれれば、きっと大きな助けになる。
「……と言えば、まるで彼を都合よく利用しているみたいだけどね」
食事を終えたら、再び映画鑑賞の時間だ。お昼前最後に見た映画の続編をとりあえず見ることに決めて、ぼくは再生ボタンを押す。落ち着いた雰囲気のリビングで、ぼくは実玲と二人大きく長いソファに座って、テレビに視線を移す。続編で主人公も目的も世界観もはっきりしているからか、いきなり激しいアクションシーンから始まった。ぼくたちもついさっき前作を見終わったばかりだから、急展開にもついて行くことができた。
「いつかぼくたちが向かう星も、いずれこんなことができる環境にできればいいね」
「まずは安定して数を増やしていける環境を整える、じゃなかったっけ」
「そう。もちろん人間をたくさん連れて行けば連れて行くほど、その問題は解決しやすくなるんだけどね。何せ人間を連れて行くには、あの船はあまりにも過酷すぎる」
ぼくたちは生きるのに酸素を必要としないから、当然船にも継続的に酸素を供給できるような設備はない。目的の星まで行くのにどれくらい時間がかかるかも分からない以上、人間一人がその間生き延びられる量の酸素を計算することもできない。人間を連れて行くこと自体が、大きなリスクになる。
「……そっか」
やっぱり人間のまま生き延びるのは厳しいのか。そう言いたげな顔を実玲がした。事実であるがゆえに、ぼくも黙ってうつむく他なかった。
「でも、下向いてたって仕方ないよね。何も解決しない」
「実玲はすごいね。目の前に残酷な現実があっても、すごく前向きだ」
「そうしよう、そうでなきゃって教えてくれたのは、イユちゃんだよ?」
ぼくははっとして実玲を見る。実玲の顔はもう、晴れやかなものになっていた。それに対してぼくはどうだ。弓依の顔を借りて、情けないことこの上ない表情。弓依だってきっと言わないだけで、ぼくがこんな顔をするのは望まないだろう。
「……案外、ぼくは打たれ弱いのかもしれないね。この先何かあるたびに、くよくよしているかもしれない」
「それでもいいよ。それがイユちゃんだ、って思うから。確かに打たれ弱いかもしれないけど、私たちのことをすごく考えてくれるところは、前から何も変わってない。だからこそ、張本人の私たちがしっかりしなきゃ、って思えてるから」
目の前の映画は、変わらず流れ続ける。その映画は全部で五作からなるシリーズ物で、毎回のように次回に続く、と言われているような終わり方をする。その期待が醒めないうちに、次の映画を再生していく。そして四作目のちょうど盛り上がりの場面、という時だった。
「……電話だ」
鴨山からだった。おそらく向こうに着いて、レイミを乗せてこちらに戻ってきているところだろう。何かあったのかと尋ねようとした。
「お嬢様、七道様……どうか、ご無事で」
「……鴨山?」
「申し訳、ありません……すでに九條本邸は、荒らされた後でした……レイミ様のお姿もありません」
電話越しのその声は、嘘のように弱々しかった。ぼくが鴨山を殺そうとした時でさえ、そんな声ではなかった。
「鴨山?」
「ぐっ……!」
「どうした! 鴨山! 答えろ……!」
「必ずお嬢様のところへ戻ります……どうか、ご無事で……」
鴨山のその言葉を最後に、向こうから電話が切られた。ぼくの理解はまだ追いついていなかった。しばらく携帯を手にしたまま呆然としてから、ふと本邸に監視カメラが設置してあったことに気づく。映画を映していたテレビにその映像が映し出されるよう、設定をいじった。
「これは……」
画面いっぱいに広がったのは、強盗に入られたかのような家の姿。家の内外のあちこちに設置してあるカメラ全てが、ひどい有様を映し出していた。そしてそのうちの一つ、玄関のカメラに、倒れ込むスーツ姿の男性が映っていた。それは紛れもなく、鴨山だった。
「鴨山……!」
その叫びは向こうには決して届かない。そして、どこの誰かも分からない人間――きっと、それも擬態なのだろうが――が、鴨山を引きずってどこかへ去ってゆく。ぼくも実玲も、その様子を呆気にとられて見つめるしかなかった。