2125/04/21 人間とのコンタクト
今地球には、侵略の危機が迫っている。ぼくたち地球外生命体は、人間を完全に排除し、地球を支配する計画を進めている。
ぼくたちが地球に生息する、意思を持ってコンタクトできる生命体に向けて最初にメッセージを送ったのが西暦2120年、今から五年前のことだ。つまり明確に人間に向けて送ったわけだが、どういうわけか人間側からは一切音沙汰がなかった。
『そちらに地球外の生命体を一万体、住まわせられる余裕はあるか?』
ぼくたちは確かに、人間の言葉に変換すればそのような意味になるよう、メッセージを送ったはずだった。そこに全くもって敵意はなかった。どうぞと言われれば、具体的に船を着陸させてよい場所を指定してくれ、と追加で発信するつもりだった。無理だと言われれば、譲歩して地球との交渉は続けつつ、別の星を探すつもりだった。
しかし、人間たちは第三の道をとった。返事の一つも寄越してこなかったのだ。人間がぼくたちのメッセージを解読するための技術、知恵を持っていることは確認済み。メッセージに致命的な間違いがあった可能性や、そもそも人間側に届いていない可能性、ありとあらゆることを考えた。だが、こちら側に落ち度はなかった。
「待ってみよう。突然のコンタクトに、戸惑いパニックを起こしているのかもしれない」
一万体のリーダーだったぼくは、人間の選択に動揺するみんなをなだめるためにそう言った。いや、本当はぼくも動揺していた。それでも統率を取るためには、嘘でもそう言うしかなかった。
ぼくたちは待ち続けた。待って、待って、待った。他の星を探しながら、何度もメッセージを送った。それでも何の返事もないまま、五年が経った。
「もう待っても意味はない。着陸しよう」
ひたすら我慢して待った五年の間に、仲間はある日は一体、明くる日はもう一体と飢え死にしていった。気づけば個体数は十分の一になっていた。これ以上犠牲を出さないためにも、食糧の確保は最優先事項だった。だからぼくたちは、無断で地球に降りる決断をした。
あの時死んでいった仲間は、今のぼくたちを見てどう言うだろうか。ぼくたちと一緒に、怒ってくれただろうか。そんなことを考えながら、ぼくは湯船に顔の下半分まで埋めてみる。
「湯加減、問題はありませんか」
「うん、ちょうどいいよ。これなら新しい皮膚も傷つかなさそうだ」
「承知いたしました。ではお食事の際は、お呼びいたしますので」
「分かった。ありがとう」
浴室の外から鴨山の声が聞こえた。鴨山は律儀だ。こうして毎日毎日、それが当たり前であるかのようにぼくの身の回りのことをやってくれる。彼がいつ寝ていつ起きているのか、ぼくは知らない。いやそもそも、彼に睡眠は必要なのだろうか。
昨日新しくした皮膚も、お湯に濡れてつやつやしている。けれどあくまで偽物であるその肌は、温泉なんかの有効成分に弱い。日本には名だたる温泉地がたくさんあるという話だが、ぼくはそのほとんどに入ることすらできない。
「着陸に成功したら、なるべく人間に見つからないようにバラバラで行動だ」
あくまで無許可で降り立っているから、せめて慎ましい態度をしておこう、というぼくたちなりの礼儀だった。他の個体が思い思いの国を選ぶ中、ぼくは日本へ渡った。そして、知らなければよかった真実を知った。
『2120年革命に関する種々の考察』
人間は確かに、ぼくたちからのメッセージを受け取っていたのだ。一部の学者が解析して、どういう意味を表すのかまで突き止めていた。さらに地球外に知的生命体が存在することを裏付けたとして、いくつもの論文が出ていた。それらをまとめた総説も、素人向けの解説書までも出ていた。そうまでしておきながら、ぼくたちへの返事はしなかったのだ。
「人間を襲っていい。これは知的な交渉を無断で決裂させた人間への、罰だ」
あの瞬間のぼくの激情は、一瞬にして他の個体全員に伝わった。そしてぼくは、人間を襲い擬態し、人間に代わってこの惑星を支配するために、行動を起こしてもいいと許可を出した。
2125年、2月2日。
地球でいうこの日、ぼくは人間を襲った。名前は九條弓依。旧財閥の一族で、生まれた時から跡取りになることが決まっていたお嬢様。普通の女子高生として生活を送る一方で、ぼくたちのような地球外生命体の研究をしていることまで、調べがついていた。
「あの時、他の人間を狙っていたら、今頃ぼくはどうなっていただろうね」
そんな”あり得るはずのなかった現在”を、ぼくは思い描く。少なくともあの時のぼくは、地球外生命体の研究者にターゲットを絞っていた。その中でもまず初めに地位や名声のある人間に擬態して、徐々にぼくの分身を増やしていこう、ということまで決めていた。そして九條弓依という女子高生以外は、みなしがない研究者ばかりだった。だからぼくが九條弓依以外を襲う可能性など、ほとんどないに等しかった。
でも、ぼくはそんなあり得ない話を考えずにはいられない。今も着々と数を増やしているぼくの仲間も、これほど特殊な事情を抱えてはいないだろう。
「感謝しているよ、弓依。君がいなければ今のぼくがなかったというのは、どうやら事実のようだ」
ぼくは人間の女性そのものの身体を動かして、浴室から出る。着た服を整えながら廊下を歩き、そのまま屋敷の一番奥の部屋の扉を開けた。掃除をしたにも関わらず、なお血の臭いがわずかにする部屋。
今は使っていない、もとは弓依の部屋だった場所だ。