2125/10/21-1 "連れて行く"存在
思い返してみれば、ぼくは地球に来てからずっと、悩み続けている気がする。それも、どうやっても答えの出ない、あるいは人によって答えの違ってくる問いを、頭の中に巡らせ続けている。
「そもそも、ぼくがいまだに地球にいることが間違っているのかもしれない」
「どうして、そう思うの?」
「今現在、人間がどのくらい生き残っているのかは知らない。けれど確実に、少なくなっている。もしかしたら人間の数とぼくたち化け物の数は、とっくに逆転しているのかもしれない。もしそうだとすれば、このままぼくが地球にいても、ただぼくの元仲間と出会って、その都度殺していくことになるだけだ。けれどそれは、決して終わりの見えない無駄な作業になる」
ぼくは聞き返してきた実玲にそう説明する。ぼくの敵が数十体程度だったなら、もっと地球で粘って、少しでも人間らしい文明を作り出すためのヒントを得る方がいいだろう。しかしぼくが相手にしなければならないのは、数十億体かもしれない。仮にぼくが冷徹な殺し屋になったとして、クリスマスの日までに倒せる数は限られている。あるいは、ぼくが殺す数より増える数の方が多くて、何も意味のない行動になる可能性もある。
「……私、どうしようかな、って」
「どうしよう、とは?」
「仮にこのまま、クリスマスの日まで私が人間でいられたとして。でも、どのみちクリスマスの日には殺されるんでしょ? それなら、イユちゃんと一緒に宇宙に出てみるのもいいかな、なんて」
「あまり期待しない方がいいよ。確かに得体のしれない怪物に殺されるのがどうしても嫌で、窒息死の方がまだマシだ、って言うなら話は別だけど。レイミに言わせれば地球に似た環境の星が見つかったというだけで、どれくらい似通っているのかはまだ分からない。それは遠く離れた地球からじゃ、レイミにもぼくにも分からないんだ。降り立つことができても、酸素がなくて死んでしまうことも十分にあり得る」
「分かってる……」
ぼくは実玲に向かって、冷酷な現実を突きつけてしまう。今さら遅いというのは承知で、もっと希望の持てるような言い方をすればよかった、と後悔する。これでは実玲に、どうせ死ぬのだから大人しくしておけ、と言っているようだ。
「……ねえ、イユちゃん。もし私がイユちゃんに殺してほしいって言ったら、その通りにする?」
「……は?」
”何言ってるの、実玲”
それはさっきとまるで逆の発言だった。実玲は死にたくないのではなかったのか。
「私ね。まさか今年のクリスマスまでには死んじゃうなんて思ってもみなかった。イユちゃんにそのことを言われても、まだ信じられなかった。でも弓依のお母さんとお父さんが死んだって聞いて、それから戊辰会の人たちもほとんどみんな殺されてて、イユちゃんがその擬態を殺したのを目の前で見て。そこで初めて、他人事じゃないんだな、って思うようになったの」
仕方ないことなのかもしれない。普通は自分がいつ死ぬかなんて、決して分からないことなのだ。それを日にちまで決まった上で知らされても、まずそんなわけがない、と決めつけてしまう。仮に弓依が知らされていたとしても、そう言っていただろう。
「……そしたら、急に怖くなって。花火大会の時、あんなに偉そうなこと言ったけど。本当は私の方こそ、何も覚悟なんてできてないし、何一つできてない。何をするべきなのかも分かってない。隣でイユちゃんは、人間の文明を少しでも残そうと頑張ってくれているのに」
「ぼくも大したことはできていないよ。ぼくがたまたま人間じゃないから、そう見えるだけだと思う」
「それから、死ぬのが怖いんだなって、気づいた。もう死んでる弓依の前で言うのもどうかと思うけど、こんなに早く死ぬんだなって知らされて、それがようやく現実に起きることなんだ、って認識できて。最近は死にたくない、なんて考えてる」
実玲は寂しそうな笑顔を浮かべる。
「……でも、やっぱり死んじゃうんだよね? 死ぬのは避けられないんだよね? それなら、イユちゃんに殺された方が、まだマシだと思っただけ……」
「もしも向こうの星で人間が生きられる環境なら、実玲を実玲のまま連れて行きたいよ。でも大気の割合が地球とほぼ同等である可能性はかなり低いし、それに実玲だけを連れて行くのは、どうかと思うんだ」
ぼくたち地球外生命体が乗ってきた船には、一応何十人か人間を乗せることができる。しかし仮にぼくが乗せられるだけ人間を乗せたとして、選ばれなかった人間はどうなるのか。乗せる余裕がなかった、ただそれだけの理由で、見捨てる人間が出てもいいのか。それはぼくのエゴではないのか。
「……そうだよね」
やはり実玲の曇った顔は晴れることがなかった。終わりの見えない、どう解決すればいいかも分からない問題を、ただ実玲と共有しただけだった。
「ごめんね、変なこと言って……」
実玲が謝っているのに、ぼくは何も返してやることができなかった。ぼくが実玲を殺すのはどうなのか、という提案にぼくが動揺しているのだとすれば、確かに実玲がこの帰り道に話したことは『変なこと』なのだろう。だが、実玲が他の奴らに殺されるのを見るのは耐えられないというのも、また事実だ。
途中の道でぼくは実玲と別れて、それぞれの家に向かう。あらかじめ下校の時間を知っていた鴨山が、玄関でぼくを待ってくれていた。
「お帰りなさいませ」
「ただいま、鴨山」
「……お嬢様、顔色があまりよろしくないようですが」
「気にしなくていいよ。いつもの悩みだ」
いずれぼく自身が一人で解決しなければならない問題だ。それを鴨山に伝えて、彼に余計な気苦労をかけるのは避けたかった。
鴨山はぼくが地球を脱出する時、連れていけるのだろうか。アンドロイドだから、人間のように呼吸をする必要はないだろう。でも以前彼は、自分が旧型のアンドロイドだと言っていた。いつメンテナンスが必要になるかも分からない。そうなれば、遅かれ早かれ別れの時が来てしまう。
「わたしでよければ、ご相談に乗りますが」
「大丈夫。これは、ぼくと実玲の間の問題なんだ。二人で、解決しなければいけない」
人間の文明を引き継ぐことが、こんなに難しいとは思いもしなかった。次から次へと問題が出てくる。しかも、そのどれもが簡単には答えの出せない問題。ある程度は思い切った決断をしていかなければならないということも、分かっている。弓依の両親を、二人が持っていた記憶も含めて抹消したのも、大きな決断の一つだ。弓依の母親だったあいつの最期の言葉に驚き、何もできないでいた。気がついた時には、弓依の両親の記憶はすでに復元できない状態になっていた。
「……まあ、解決の方法は見つかりようもないわけだけど」
終わりの時は決まっている。クリスマスの日、本当に人間がいなくなってしまった時が、文字通り人類の終わりだ。だが、ぼくには終わりが見えていなかった。
「……ん?」
でもせめて、少しでも知識は吸収しておこう。そう思って、ぼくは書斎の椅子に腰かけ、積み上げた一番上の本を手に取る。そのタイミングで、電話がかかってきた。相手は、さっき別れたばかりの実玲。
「なんだい」
「イユ、ちゃん……! 助けて……っ!」
「助ける?」
「お父さんが……お母さんが……!」
「……!」
実玲が帰ってからのこのわずかな間、彼女が何を経験したのかをぼくはすぐに悟った。間髪入れずにぼくは実玲に叫ぶ。
「ぼくの家に来るんだ! すぐに……後ろは振り向くな!」
実玲には電話を切る余裕さえなかった。無我夢中で走る彼女の足音が、ぼくの耳に向かって響く。
「……そうか」
内心の動揺に反して、ぼくが発した声はいやに落ち着いていた。




