2125/10/13 戊辰会、再び
ぼくがしたことは、正しかったのか。
この星に住む人間のほとんどは、親を殺すことをよしとしない。親以前に、他人を殺すことが許されていないが、相手が親の場合は特に道徳的に重大な責任を負うことになる。ぼくは弓依も見ている前で、その重罪を犯したのだ。
「……きっと、間違っていたんだ」
いくら相手が敵対するぼくの元仲間でも。話し合いで解決する余地があったのではないか。それならあの時ぼくが、弓依の両親の姿をしたあの二人を殺したのは、間違いだったことになる。
あれ以来、弓依はまともに話してくれない。両親の記憶を持っていたあの二人を殺したことを、弓依が許してくれたかどうかさえぼくには分からない。
「……お嬢様。準備が、整いました」
「うん、分かった。ありがとう、鴨山」
連絡に来た鴨山は、ぼくの返事を受けて黙って一礼し、ぼくの前から去っていった。
十月十三日。この日はぼくが主宰する戊辰会の、今年二度目の会合の日だった。遅れることも早めることもなく、予定通りの開催。
「……弓依」
書斎を出る直前、ぼくは弓依を呼ぶ。しかし弓依からの返事はない。
「……ぼくは、覚悟を決めている。弓依の両親だけじゃない。もっと多くの人間がすでに死んでいて、今も人間を襲い続けている。今から向かう会場にいるメンバーが、全員人間のままだという保証はどこにもない。ぼくはまた、君に残酷な光景を見せることになる」
“……”
いや、それどころか。集まったメンバーは実玲以外全員、人間でなくなっている可能性すらある。
それなのに、なぜ戊辰会総会をいつも通り執り行ったのか。それは、生き残っているメンバーたちに少しでも長く、平穏な時間を過ごしてほしいから。これから確定的に人類が滅ぶまでの二ヶ月、ずっといつ自分が殺されるか分からない状態でいるのは身がもたないだろう。できることなら、直前の直前まで、人間が滅ぶことなど知らないまま死んだ方がいいのではないか。ぼくは、そう思うようになった。
“……イユ”
「なんだい」
“……何でもないわ。ごめんなさい”
久々に弓依の声を聞いた気がした。ぼくは弓依の意見を聞きたかった。弓依の両親を殺したことを、どう思っているのか。興味本位などではない。ぼくが弓依の姿をしている以上、弓依の考えを知ることは義務であるとさえ思っていた。
“……答えは、出ないわ”
「え?」
“分かるの。イユ、あなたがずっと、一ヶ月前のことで悩んでくれているということ。でも、答えは出ない”
「そう、か」
“まだ気持ちの整理がついていないのかもしれないわ。目の前で両親……両親の擬態が殺されて。私はあなたを恨んでいるのかもしれないし、感謝しているのかもしれない”
「君が恨むには十分な行動だ。感謝なんて、する必要はないさ」
“ただ、この一ヶ月で分かったこともあったの。言うのが遅れたわ、ごめんなさい”
「いいんだ。君が塞ぎ込んでしまうのも、覚悟はしていたつもりだ」
催促のためにもう一度来た鴨山に、ぼくは軽く手を振る。心配は無用、すぐに行くという合図だ。鴨山は再び会場に戻っていき、また弓依とぼくの二人になった。
“……これから先、私はあなたを両親の仇だと恨むかもしれないし、命の恩人だと感謝するかもしれない。それはきっと、もっと何年も、何十年もあなたと一緒にいないと分からない。けれど、あなたのしたことは、間違っていなかった。正しかったかどうかは、私には判断できない。でも、確かに間違ってはいなかった”
自分の溢れ出す気持ちを、必死に抑えてそう言っているのが伝わってくる。
「……ありがとう」
気がつくと、ぼくはそうつぶやいていた。ぼくは弓依に、感謝しなければならない。正しいかどうかは別にして、間違ってはいない。そう言われるだけでも、救われた気がした。と同時に、ぼくは救われるのを求めていたのだと知った。
“礼には及ばないわ。……そろそろ、戊辰会に向かいましょう。人間が生き残っていれば、いいのだけれど”
「……ぼくも、それを願っているよ」
鴨山に再度催促をされる前に、ぼくは会場のドアを開けた。
会場の領域に足を踏み入れた途端、こちらに注目が集まる。それもそのはず、ぼくが手にビデオカメラを持っているからだ。だが、これはビデオカメラであると同時に、サーモグラフィーでもある。
人間はじめ地球上の動物は、身体から赤外線を発している。それをサーモグラフィーが感知することによって、動物は赤やオレンジなどの暖色に染まって映る。が、ぼくたちは赤外線の放射量が人間に比べ、著しく低い。サーモグラフィーを通しても、青や紫などの寒色に染まって映る。生き残りの人間なのか、それともすでに擬態されているのかは、サーモグラフィーを通せば一目瞭然。ぼく自身が青色をしているということも、すでに確かめてある。
「……ダメだ」
ぼくは目の前のメンバーたちに聞こえないほどの声量でつぶやく。集まった数十人のメンバーは全員、青く染まっていた。
“……いいえ、いるわ”
「まさか」
弓依の言った通りだった。ぼくからちょうど死角の場所にいる、夫婦と子ども一人。人間であることを、温度が示していた。
「あの人たちが、危ない」
しかしぼくが動き出すより一瞬早く、事態は動く。ぼくが総会を執り行うあいさつをする前に、彼らが一斉に生き残りの人間の方を向いた。
「くそ……っ!」
ぼくは出せるだけ触手を出して、生き残りの家族に近い奴からコアを貫く。幸い戦闘力はぼくよりずっと劣っていたらしく、ぼくの触手に対応すらできずに死んでいった。その三人家族はただただ、目の前で繰り広げられる出来事についていけない、という顔をしていた。
「大丈夫か」
「いや……っ」
その場にいた、すでに人間でなくなっていた者たちは全員殺した。床が灰にまみれたその空間で、ぼくは家族に駆け寄り手を伸ばす。
そして、伸ばした手を払われた。
「……っ」
「あっ……すみません……でも、……ごめんなさい」
母親がぼくの手を払ったことを謝った。なのに彼女はもう一度謝って、父親と息子を連れて部屋を出て行った。
「待って」
引き止めるがもう遅い。我に返って追いかけようと家を飛び出した頃には、もうあの三人がどこに行ったのかさえ分からなかった。
「……そうか。そうだよ」
ぼくはぼくと実玲、それから鴨山以外誰もいなくなった部屋に戻って、静かにつぶやく。それは人類を着々と蝕もうとしている地球外生命体の存在を認識しているぼくと、いまだにいわゆる宇宙人が来たことさえ知らない人間たちとの絶対的な差を、思い知らされての行動だった。
「ぼくはいつしか忘れていたんだ……ぼくだって、人間から見れば化け物に変わりはない。ぼくが人間に味方する唯一の地球外生命体だって知る人は、ほとんどいない」
「あれはきっと、一時的なもので……」
「だとしても、ぼくが人間でないという事実は覆らない。そんな基本的なことすら忘れて、ぼくは人間を助けることに快感を覚えていたのかもしれない」
あの家族連れを怖がらせてしまった。ぼくが触手を出さなければ。しかし触手で攻撃する以外に、彼らに劇的に効く方法はない。ぼくや彼らのコアは触手だからこそ貫けるのであって、人間が作り出したような武器ではとても対抗できない。仮に貫けるような動きが人間にできたとしても、それを防ぐ方法がぼくたちにはいくらでもある。
ぼくがその家族連れを心配しているのには、もう一つ理由がある。別に地球外生命体で溢れているのは、この戊辰会の会場だけではない。ぼくを怖がってどこかに逃げても、いずれ敵に出会ってしまう。ぼくたちは出会った相手が人間かそうでないかの区別を、すぐにつけてしまう。もう彼らが襲われ、殺されている可能性すらあった。ぼくは目の前であの三人を救っておきながら、同時にあの三人を守ることができなかった。
「……教えてくれよ、実玲、鴨山。ぼくは、どうするのが正解なんだ?」
二人からの返事はない。そもそもこの問いに、絶対的な正解がないのだ。ぼくがしたことは正解とも言えるし、間違っているとも言える。それはどの立場でものを言うかによって変わってくるだろう。
「ぼくは、あと二か月をどう生きればいいんだ?」
大量に散った灰の中に、ぼくはへたり込んで呆然としてつぶやくしかなかった。




